▼書籍のご案内-後書き

『傷寒論を読もう』

あとがき       

 漢方はよく『傷寒論』に始まって、『傷寒論』に終わるといわれる。これは漢方の学習においても臨床においてもいえることで、私自身の漢方学習も大塚敬節先生の『傷寒論講義』から始まり、その後の三考塾でも毎回行われている寺師睦宗先生の『傷寒』『金匱』の講義を、すでに何回も繰り返し聴講している。臨床の場でも最初に覚えたのは葛根湯や小柴胡湯などの『傷寒論』の処方であったし、また中医の処方を使う機会が増えても、いつも「この処方の方意は『傷寒』『金匱』ではどの範疇に属すのか」ということを常に考える習慣が身に付いていた。
 張仲景の『傷寒卒病論集』がはじめて世に出たとき、おそらく当時の人々に大きな感激と期待を与えたであろうことは想像にかたくない。人々はこの活人済世の福音書ともいうべき十六巻の内容を先を争って写本し、その教えは速やかに世に広まり強烈な影響を与えたことであろう。しかし戦乱の世である。その原本はわずか五十年後には亡失したそうである。
 それ以来、およそ医を志す者にとって、一度はこの世に医術の真髄を体現してみせた『傷寒卒病論集』の原本を再びこの世に甦らせたいということが共通の悲願となった。歴代一流の学者たちが心血を注いで原本を復元しようと努力していくうちに、それぞれの時代の医学理論と実践を積み上げて、最高の臨床医学体系が作り上げられ、時代とともに継承された結果、出来上がったのが今日伝えられる『傷寒論』であり『金匱要略』であると考えられる。換言すれば各時代のエネルギーと精華を吸収し尽くして成長し完成した『傷寒』『金匱』であるからこそ、時代を超えて常に漢方医学の聖典として強い光とエネルギーを放ち続けるのであろう。
 そのような『傷寒論』を学べば、とりもなおさず漢方医学の精華と真髄を修得できるはずであるが、ただ講義を聴いたり本を読んだりするだけでは、どうもいまひとつ曖昧な部分が残り、自分でも『傷寒論』を理解できたという実感が得られなかった。そこで勉強してわかったことを逐一自分の言葉で書いてみたら、どの程度に理解できているのかよくわかると思い、約十年前から少しずつ書き始めた。その作業のなかで、それまで気がつかなかった発見が少なからず得られた。その中の一つは『傷寒論』の条文はただ漫然と書き連ねられているのではなく、読者の理解の流れを妨げないように十分配列に工夫が凝らされているということであった。例えば互いに関連のある条文同志が隣接して配置されるのは当然であるが、次にそれに対比する概念や変証などへ主題が移行するときの巧みさ、次の篇に移る前の伏線の配置など、現代でも十分通用するような編集技術が用いられており、一見多岐亡羊の感さえある三百九十八箇条もの条文が、いささかの齟齬を生じることなく見事に一本の太い線で繋がれている。
 今回東洋学術出版社の山本勝司社長のお計らいと、編集担当の坂井由美さんのご尽力により一冊の本となって世に出ることができたことは望外の喜びであり、深く感謝している。願わくば一人でも多くの先生方にご披見いただき、そのうえで忌憚のないご意見やご批判をいただければ幸せである。

二〇〇七年九月 東京虎ノ門の寓居にて
                     髙 山 宏 世