▼書籍のご案内-序文

経方医学1―『傷寒・金匱』の理論と処方解説

 


  


 漢方医学の理論的骨子をなすものは陰陽五行説と呼ばれる。古来,人体の生理・病理は,抽象的な要素を多分に含むこの理論を用いて説明されてきた。一方,人体の生命現象は,実際には個々の具体的な要素の集積から成り立っている。すなわち,中国伝統医学の特徴の一つは「抽象的な理論を用いて具体的な生命現象を説明する」ところにある。
 ところで,このような漢方医学の人体観を,抽象理論ではなく,具体的な要素を用いて具体的に説明することができれば,診断はもとより,用薬の方法,治療の細部にわたって,容易かつ確実な臨床が展開できるであろう。本書は,そのような観点で書かれた,最初の,そして唯一のものである。
 著者の江部洋一郎氏は,二十余年にわたる研究の過程で,「経方理論」と自ら呼ぶところの一大体系を樹立した。その江部経方理論は,『傷寒論』を中心とした中国医学古典にもとづいて創案されたものである。特に『傷寒論』『金匱要略』の条文,処方などが,後世説明されているような抽象的なものではなく,きわめて具体的な現象を基礎として作られたものであるという見解のもとに組み立てられている。
 この理論は,現在の漢方医学のいわゆる常識とは無縁のところに存在しているようにみえる。しかし,過去におけるさまざまな学説をまったく無視したところに成立したものかというと,氏が参考にしたかどうかは別として,必ずしもそうではない。
 中国伝統医学理論のかなりの部分を否定した後藤艮山は,一元気という形而上の概念を形而下の現象の説明に応用することによって,一気留滞説という新たな生理病理論を打ち出した。その彼にして,もし具体的な気の動きについて把握するところが何もなかったとすれば,治療上,大きな困難を抱えたはずである。彼が見ていたものは何だったのか。気の実質的な動きであったとすれば,今から三百年も前に,江部氏が見たものと共通の現象を何らかの方法で把握していた人がいたということになる。
 吉益東洞はどうであろうか。現在の日本の漢方医達は,彼の方証相対論のみを重視し,本来の理論的支柱であった万病一毒説を取り上げることはなく,一方,中医学の立場からは,日本の漢方医学をゆがめた張本人として非難されている。いずれも一面的にすぎると言わざるを得ない。
 東洞は,陰陽も虚実も伝統医学的な意味での用い方はしていない。虚は補い,実は瀉すのが基本治療原則であるが,東洞の場合,虚を補うのは穀肉果菜であり,病気の場合は身を瀉すのみであるという。
 もし彼に気・血・津液の代謝・循環が何らかの方法によってその一部でも把握できていたとすれば,虚実よりももっと具体的な言葉で表現することが可能であったかと思われる。その方が正確であるからである。彼は,しかしそうせずに,得られた(あるいは得られるべき)結論のみを記した。そのために,おそらくはかなり具体的に把握していたであろう彼の生理学・病理学は,ついに誰にも伝えられることなく終わった。
 江部経方理論は,虚実をこれまでの伝統医学理論の文脈では使用しない。これは,気・血・津液の代謝・循環を正確に把握すれば,その異常によって発生する病態を,虚実という言葉で表現する必要性がなくなるからであるが,同じことは東洞にもあてはまる。本書の観点から東洞をみれば,これまでとまったく異なった東洞像が浮かび上がってくるであろう。
 さらにこの理論において画期的であるのは,人体の外殻の構造を明らかにし,気がどこで産生され,どこをどのように流れるかを具体的に示していることである。これらに関しても,江部氏と認識の方法が異なるものの,例えば,王清任や唐宗海における「膈」の研究,永富独嘯庵における「胸」の重視,味岡三伯や岡本一抱における「胃」の論説の展開など,氏の理論につながる先人達の興味深い足跡がある。
 本書の述べるところは,基本的には『傷寒論』と『金匱要略』の処方解説であり,総論で示されている人体の構造や生理学の理解は,各論で示される処方解説を読解するうえで必須のものである。
 この第1集では,桂枝湯一処方にほとんどのページを費やしている。これは,桂枝湯が『傷寒論』中最も基本となる処方であると同時に,経方理論上の気のダイナミズムを理解し,この理論を支配している一般的な法則をみていくうえで,最も適切な処方であるという理由にもとづく。本邦で最初に本格的な『傷寒論』研究に入った名古屋玄医が,自らの扶陽抑陰説を具現化するに当たって最も重視したのがやはり桂枝湯であったことを考えると,理論こそ違え,この処方の重要性がよく理解できよう。
 処方解説のなかで用いられている薬物学は,『神農本草経』と『名医別録』にもとづき,しかも経方理論からみた役割が具体的に明確に述べられている。ここでは,古典の記載のもつ意味がパズルを解くように次々に明らかにされて,全体像としての証につながっていく過程が示されている。これまで,ある程度大まかな,そして多くは抽象的な認識(もちろん間違ったものであるという意味ではない)で理解していた薬物の効能を,まったく別の視点から,特に作用の方向性に重点を置きつつ,細部にわたって一つ一つ解明しているという点で,これは革命的な薬物学である。
 江部経方理論が,外来診察中に診た患者さんの手足の冷えの形態の違いに気付くところから出発していることは,すでに1992年の氏の発表論文(衛気の流れの異常と冷え症について,THE KAMPO No.57&58, 1992)に述べられている。
 このことでわかるように,氏は,日常的にごくふつうに見られる人体の生命現象にヒントを得て,しばしば普遍的な法則を導き出している。そのようなアイディアにみちた眼は,本書の全篇にわたってみられる。
 例えば,体内を走っている気は,循環していて行けば必ず戻ってくるものであり,それを前提としてどの部位でどのようにブロックされるとどうなるかということを明確にしている。具体的には,レイノー症候群にみられるわずかな色の違いからこのことを例証しているが,これなどは氏の細かな観察眼のたまものである。また,太陽病の初期には悪寒と発熱が同時にみられるが,これは皮と肌の2層における別々の病理変化が同時に発生しているが故に起こる現象であるという説明に,目から鱗が落ちる思いをした人も多いでああろう。
 本書は,氏のこれまでの臨床研究の集大成である。上述のような数々のアイディアや新知見を盛り込み,『傷寒論』を臨床的見地から入念に検討し,体系化して成立した。その途上で横田静夫氏という強力な共同研究者が現れ,江部氏の天才的な頭脳から飛び出してくる理論を一つ一つていねいに検証し,これが本書の成立に大きな力となった。氏が院長をつとめる高雄病院のスタッフ達の協力も特筆すべきものである。

 江部経方理論は二千余年にわたる漢方医学の歴史に新しいページを開くものである。これまでとはまったく異なった観点から人体の生命現象をみているとはいえ,一般的な中国伝統医学理論と矛盾する存在ではない。われわれは,この理論を得ることによって,漢方医学を新しい眼で眺め,より深く理解できるようになるであろう。そして本書の出現は,今後の漢方医学に飛躍的な発展を促すことになるであろう。

  1997年7月1日
安井 廣迪



 


まえがき

 本書は『傷寒論』と『金匱要略』の処方解説を意図するものである。
 後漢末(AD200年頃),張仲景により『傷寒雑病論』が編纂されるが,幾多の伝写を経て,宋代(11世紀)に『傷寒論』と『金匱要略』として刊行された。それ以降,とりわけ『傷寒論』については数多くの注釈書が世に送り出されている。
 しかし我々は,それらのいずれにも満足することができなかったのである。どの注釈書にも,体系としての『傷寒論』をトータルに説明しつくす理論が存在していないのである。つまり注釈書にある生理・病理・薬理では,『傷寒論』の処方が創出されるはずもないのである。まさしく『傷寒論』は知られてはいるが,認識されているとはいえない書物なのである。
 数年前より,我々は『傷寒論』の簡潔な条文と処方の背後に内在する生理(機能的な人体構造論),病理および薬理の体系を経方理論と呼び,それを再構築する作業を続けている。この作業の一定の到達点を示すというのが本書の目的である。
 本書は,処方解説を軸に展開されているが,あちこちに散在する構造や生理についての見解は,処方解説の準備であるのみならず,本書の主題そのものをなしている。つまり,処方解説は経方理論の論証という側面をもっているのである。読者はどこまでも『傷寒論』の処方を作り出すという立場から本書を読んで欲しい。
 漢方における処方の自由は,経方理論の上にのみ可能であるというのが,我々の信念である。

著 者
1997年3月3日



第2版の発行にあたって

 第2版では,文章表現上で若干の訂正を行った。また,76頁から始まる「腹診」の部分は,第1版を全面的に書き改めた。そのため,頁数は第1版に比べて大幅に変更され,全体で16頁の増頁となっている。

著 者



第3版の発行にあたって

 第3版では,第2版の誤りを正し,不足を補った。さらに,第2版発行後に深めた認識(「営衛不和」「四逆湯と白通湯」「亡陽」「伏陽証」等)をまとめ,附録とした。

著 者