▼書籍のご案内-序文

『実用中医薬膳学』

まえがき

 北京中医薬大学を卒業して十数年の臨床医としての仕事のなかで最も痛感したことは,難治性疾患やがんといった,治すことができない病気を前にした際の医者としての無力感でした。患者の絶望のまなざしに出会うなかで,病気を治療する医者より病気にさせない医者になりたいとの思いが自然に生まれてきました。そうして辿り着いたのが薬膳でした。
 薬膳は1970年代から人々に注目され始め,一時姿を消しましたが,21世紀に入ってから再びブームが起こりました。食物が豊かになり,生活水準が高まるにつれて,生活習慣病である動脈硬化・高脂血症・高血圧・心臓病・糖尿病・がんなどの発病率は年々増加していることや,薬の副作用などが問題とされるようになってきたことで,人々は伝統医学・予防医学に注目するようになり,薬膳はかつてないほど重視されるようになりました。
 中国の唐時代の孫思邈は,「安身之本,必資于食」,すなわち「安穏で健康的な人生の根本は食にある」と啓蒙していました。2千年前の春秋戦国時代の管仲は「王者以民為天,民以食為天」,すなわち「王は政権を守るために民衆のことを最も重要とし,民衆は食のことを最も重要とする」と語りました。食は生存の根本であり,民衆は何より食を重要とします。王は政権を安定させるために,まず民衆の食の問題を解決しないといけません。食糧が豊富で,おいしい食事が食べられるということは,人が生存していくための基本であり,国の安定・繁栄につながるものです。
 中医学の基本的な特徴として,宇宙の中にいる人間は自然の移り変わりに伴って生きているため,他のすべての生き物と同じように生・老・病・死という生命過程に従うという整体観念をもっています。しかし人間は,教育を受け,知恵を生かし,健康を維持し,病気を治療し,老化防止に務めるなどにより長寿の道を辿っています。ここで中医薬膳学は大きな役目を果たしています。国や地域・文化の違いにより食文化には差異がありますが,使われる食材には同じようなものが多いことも事実です。文化の交流を通し,食材に関する考え方を学習し,食の知識が豊富になれば,食卓に並ぶ料理も多彩になります。
 中医学のもう1つの基本的な特徴は,弁証論治です。薬膳学では,私たちの年齢・体質・かかっている病気および季節・生活環境・地域などにより,個々の違いを明らかにし,それぞれに合った適切な食材・中薬を選んで食事,あるいは治療を施すこととなります。
 中国では多くの中医薬大学にいる薬膳の専門家たちが集まって編集委員会が結成され,2003年に,統一教科書『中医薬膳学』が出版されました。この教科書の出版によりそれまで民間に流布していた薬膳学は1つの独立した学科として発展し,中医学をより充実させていく役割を果たしています。日本でも,薬膳に関する書籍は続々と書店の店頭に現れるようになり,薬膳学を勉強しようと考えている人々も年々増えてきています。
 本書の目的は中医薬膳学を基本とし,年齢・体質・体調・季節・病気に合わせた合理的な食生活を提唱し,人々の健康を実現するための食の教育を行うことにあります。
 この数年間,中医学・薬膳学の普及のために,薬膳学院や調理師学校での講義,各種団体主催による講演会,専門誌をはじめ女性誌・新聞への原稿執筆などのために,数多くの中国の中医薬大学の教科書や古典・専門書を勉強し直し,研究をしてきました。また薬膳学院などでは実際に料理を作り,中医薬膳学の弁証論治に則った多くのレシピもできあがってきました。本書はこれらの成果をまとめたものです。
 本書は,四季の養生・体質改善・健康維持・老化防止・ストレスの解消・体調不良への対処・病気の改善などに関する中医薬膳学の基礎知識から応用までの専門書として,薬膳に関心をもつ一般の方々はもちろん専門家の方々にも活用していただける内容と水準をもっていることと信じています。本書を参考に中医薬膳学を学ぶとともに,読者の方それぞれが身近に手に入る食材を使って日常の食事づくりに生かし,健康維持・病気の改善に役立てていただければ光栄です。
 最後に,東洋学術出版社の皆様と編集にかかわってくださった皆様に感謝の意を表します。また,支えてくれた友人たちにも心からお礼を申し上げます。

2008年2月17日
辰巳 洋