▼書籍のご案内-序文

『中医臨床のための医学衷中参西録』 第3巻[生薬学・医論・書簡篇]  はじめに

 
はじめに
  
 これまでの《医学衷中参西録》の第1巻「傷寒・温病篇」,第2巻「雑病篇」につづき,第3巻では生薬学および医説医話・書簡・随筆を収載している。本書ではこれまでの第1巻,第2巻にもまして張錫純(1860~1933年)の医学に関する考え方が随所にみられる。いずれも自身の経験,入念な思考をもとに書かれたもので他の医学者の言葉の受け売りは張氏が最も嫌うところである。残念ながら中医学理論の理解のたすけとして導入した西洋医学の知識にもとづく記述では誤りや思い違いが多く参考にはならないが,これは当時の西洋医学の水準が低かったこととも関係するので致し方ない。これをもって本書の価値を評価してはならない。本巻では当時の多くの市井の医師たちの手紙文を通して張氏がいかに彼らに信頼され,またそうした医師たちの質問に真摯に対応しているかを目の当たりにできる。
 薬物解では,当時の薬局で処方される薬に対する注意が細々と記されている。宏大な中国では,地域によって必ずしも同名の薬が同じ物とは限らないことや,地域によって修治のやり方に違いがあるので,処方箋には炮製についても指示を記載すべきこと,さらには実際につくるところを見なければ思わぬ間違いで治療に失敗することがあるなどとその指摘は細かく実際的である。生薬として薬局にある杏仁と桃仁は似るが,桃仁の皮尖は無毒,杏仁の皮尖は有毒なので注意するようにといった親切な教授がある。服用が苦手な人にいかに服用してもらうか,どの薬が臭いがなくて飲みやすいのか,当時ですら毎年値段が上昇する高貴薬の代わりには何を使用すべきか。病の後の養生にはどういうものを使うか? 彼が終生挑み続けた臨床は徹頭徹尾患者が主体である。
 医学を学ぶうえで,先ず第一段階の技量の最たるものは薬性を知ることという。しかし,薬性は本草書に詳しいが,諸家本草は信用できず,《神農本草経》ですらすべては信用しがたいと考えて慎重にため験す。毒性があるとされる薬に至るまで,収載される薬物はすべて自身で験してその効果を確かめた。今の医師が忘れている自然のなかの薬をいかに使うかをわれわれは活字の上ではあるが学べる。多くの食物が薬として使えることは現在でも活かせる。薬の費用対効果のことを最近は言い始めたが,最も重要なことは最小限の薬で効果を求め,治療によって身体的にも経済的にも患者を益することである。「小茴香辨」の項目に「耕し方は百姓に聞け,織り方は織り子に聞け」とある。常にアンテナを張って謙虚に臨床に使えるものを彼は探し続けた。自然の食物であるからすべて安全とは勿論いえない。植物は自身の生命維持と子孫繁栄のために各種の物質を出すが人間にとって有用なものばかりではない。薬もあれば毒もある。人類は薬を利用し,毒は避け,時には工夫によって毒に変えた。植物は地域により,さらには同じ植物でも野生種と栽培種では毒性が違うと張氏は述べる。同じ薬であっても裕福な人と過酷な肉体労働に従事している人では効果や至適量が異なる。季節や,土地によっても病気の種類は異なり,それに対する薬の効果は異なる。謙虚に患者の声を聞き,四診を十分に行って診断につなげ,治療するうえでも固定観念に縛られないといった現代でも最重要と考えるべき臨床の実践が記される。
 
 《医学衷中参西録》は1918~34年の16年間に次々と刊行され,全七期30巻からなる〔1957年に遺稿が第八期として加えられた〕。発行の状況は以下のようである。
 
第一期 各種病証と自製新方 1918年出版。
第二期 各種病証と自製新方 1919年出版。
第三期 各種病証と自製新方 1924年出版。
 以上は,前三期合編上下冊・8巻としてまとめられ,1929年出版。
第四期5巻 薬物解説 1924年出版。
第五期上下冊・8巻 各種医論 1928年出版。
第六期5巻 各種症例 1931年出版。
第七期4巻 傷寒論病証 1934年出版。
 
 この後,全七期30巻に第八期を加え,≪医学衷中参西録≫上・中・下の3冊本が,1934年に河北人民出版社から刊行され,これが現在に至っている。
 以上のように,原著は約16年にわたり次々と増補改訂しながら書かれ,後になって病証を総括したり新たに医論を補充したり,同じ病証の症例を追加するといった配慮がなされているので,相互に参照することが理解を深めるうえで最も望ましい。
 本書は第四期1~4巻,第五期1~2巻および第八期を含む。
 第1章の生薬学は,通常の生薬学の書物と違って,自身の体験による解釈,症例の記載がありきわめて有用である。西洋薬については自身も単に収録したのみであると述べており,したがって本書ではこれを省いた。第2章は中医生理学とその他の生薬に関する注意,弟子との往復書簡などを含む。第3章では医界の同人との書簡による自説の表明,あるいは張錫純が創製した方剤を使用した同人たちの書簡や医学雑誌での報告である。第4章は遺稿として加えられた第八期からなり,中医が読むべき書物,中医用語や脈に関する質問などに対して懇切に回答する古今の名医・張錫純の姿に感銘を受ける読者は多いはずである。