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『経脈病候の針灸治療』推薦の辞

 
推薦の辞
 
 
 張吉主編,人民衛生出版社刊『経脈病候弁証与針灸論治』の邦訳書『経脈病候の針灸治療』(鈴木達也訳)がこのたび,東洋学術出版社からようやく出版された。
 日本の鍼灸界は経穴を帰属させている経絡理論に対し,経脈流注も経絡の病候もこれまでほとんど無視してきた。もし,日本の鍼灸師が中国医学に則った鍼灸治療を志すならば,経絡流注の全貌を明らかにし,十二経脈と奇経八脈に投影され同時に経脈によって概括される人体の全臓腑・器官・組織の病候を学ばなければならないのだが,日本で唯一中国医学を教えているとされる鍼灸学校には「経絡学」の講座がなく,またその講座の教科書とすべき経絡流注書も経絡病候書も存在しないのが実情である。したがって当然,鍼灸師になっても経穴主治を特化させた特効穴にしがみつくほかになく,巷で目にする東洋医学にもとづく鍼灸書と称するものも,ほとんどはツボ療法の類である。
 日本で「経絡学」を確立するためには,なによりもまずテキストとなる経絡流注と経絡病候の書を必要とする。十四経の経絡流注に関しては,『古典から学ぶ経絡の流れ』(拙著)が2017年8月,東洋学術出版社から出版され,十四経流注の全貌を学べるようになったが,中国歴代の鍼灸治療経験を集約した経絡の病候書に関しては,その内容が膨大なこともあり,適当な書がなかなか見つからなかった。
 2006年6月に出版された『経脈病候弁証与針灸論治』を一読すると,経絡の病候に対する記述の系統性と全体性に目を見張った。同書は十二正経と奇経八脈に対し①経脈の経気の変動が臓腑に及ぼす臓腑の病証,②経脈の体表循行部位の病候,③その経脈と関連する臓腑・組織・器官の病候,④その経脈の経筋と絡脈の病候,に項目分類し,それぞれの分類項目にカテゴライズされた病症に対し,寒熱虚実の四綱などで弁証を行っている(奇経八脈は①を欠く)。例えば心経の変動が臓腑に及んだ①の場合,心痛・神志病・血症の3病症を挙げ,心痛と血症では,虚実寒熱で証を分け,神志病では癲狂と痴呆の2つの病症に分け,癲狂はさらに陰証と陽証の2証で,それぞれに【証候分析】【治法】【選穴】【選穴解説】を行っている。
 同書の筆者は,『内経』『鍼灸甲乙経』や『千金要方』『鍼灸大成』などは言うに及ばず,『百症賦』といった数多くの鍼灸歌賦にまで目を通し,歴代の医学文献に散在する種々の臓腑経絡病候や経穴主治を渉猟し,おびただしい資料にもとづき同書を書き上げている。
 同書は日本で「経絡学」を確立するうえで必要な書と考え,その邦訳を東洋学術出版社に強く求めた。しかし,多岐にわたる医学古典を引用して書かれた膨大な内容を正確に翻訳するには,中医鍼灸学に精通し,優れた中国語の翻訳能力を有する人物が,相当の時間と労力を傾けなければ完成しないことは必定である。
 幸い鍼灸師で中医師の資格を有する鈴木達也先生がお引き受けくださり,長い年月をかけて本書の翻訳に取り組み,今日,ようやく出版の運びとなったのはうれしい限りである。鈴木先生の翻訳の精度と完成度は,原書が引用した歴代の医学文献の扱い方に如実に示されている。例えば原書では引用文の後にその文献名を示しているだけのことが多いのだが,訳書では引用文献の引用箇所の章篇を付記している。さらに各経脈の文末の訳注では,原書が引用した古典の一文に対し,単にその語句説明に留まらず,必ず原典に当たって原書の引用に誤記が有ればその誤記を正して翻訳したことを説明している。
 われわれは日本において,「経絡の流注」「経絡の病候」「経絡の作用」「経絡の科学的分析」などから成る「経絡学」を確立し,湯液の弁証論治とは異なる鍼灸独自の経絡に根ざした弁証施治の体系を新たに構築していかなければならない。本書もそのための必須の一書となるであろう。
 

東京中医鍼灸センター
浅川 要