▼書籍のご案内-序文

『長沢道寿 漢方処方の奥義 ~現代語訳『医方口訣集』~』はじめに

 
 
はじめに
 
 
 本書は『医方口訣集』(1672年刊)の千福流の現代語訳です。この口訣集には全部で164の処方解説があります。しかし,下巻の丸剤処方の部になると,工夫を凝らして併用などしてもエキス剤で作成できないものばかりで,この本では,これらの処方は思い切って割愛しました。つまり,保険収載エキス製剤か,それに近似する方剤か,あるいは,併用で簡単に作成可能な処方のみを抜粋しています。ただし,長沢道寿(?-1637)は本書の流れによって漢方概念を解説しようとしている部分もあるので,そこの処方は使用不能であっても掲載しました。
 道寿は日本漢方の歴史で考えると,後世(方)派に属します。すなわち,宋・金元・明代の処方を重視しているグループになります。書物では『和剤局方』(宋政府官製),『脾胃論』『内外傷弁惑論』(李東垣〈1180-1251〉),『格致余論』(朱丹渓〈1281-1358〉),『万病回春』(龔廷賢〈16-17世紀〉),『保嬰撮要』(薛鎧・薛己〈1486?-1558〉),『医方考』(呉崑〈1551-1620?〉)などが重視されます。
 ところで,現在の書店にある医学書コーナーには『傷寒論』『金匱要略』,すなわち,日本漢方の歴史上の分類によれば「古方」に関する書籍は多く見られますが,上記した「後世方」の原書・解説書はほとんど目にしません。一方,第3回NDBオープンデータ H28年度レセプト情報による「漢方製剤の医薬品処方量ランキング(エキス顆粒)」を参考にすると,そのベスト10は,1位から大建中湯(古),芍薬甘草湯(古),抑肝散(後),葛根湯(古),牛車腎気丸(後),六君子湯(後),防風通聖散(後),当帰芍薬散(古),加味逍遙散(後),補中益気湯(後),(古:古方,後:後世方)となっており,10位内に後世方の6処方がランクインしています(https://p-rank.462d.com/520/)。つまり,多忙な医師は頻用6処方を含め,後世方のオフィシャル版の取扱説明書を読まずに,添付文書の効能・効果を唯一の頼りとする「病名漢方」で処方する状態なのです。西洋医学では基礎医学を踏まえて治療薬を選定するのが常道ですが,後世方においては,基礎医学に相当する古典が蔑ろにされているといえるでしょう。この状況下において,後世方の漢方薬に関して「基礎医学から臨床のtipsまで」を簡単に解説してくれている書物が渇望されます。それが『医方口訣集』なのです。
 ところで,道寿は後世方派なので古方を蔑ろにしているでしょうか? これは「否」です。本書を読めばすぐに理解されることですが,古方の著者である張仲景を尊敬し,彼の原典を引用して古方の解説も十分に加えています。この立脚点は,江戸時代後半に古方と後世方の長所を取り上げて治療する「折衷派」に近似しています。もし「古方・後世方の両者を活かして,流派を越えて人命を救う」というのが「折衷派の定義」であるならば,道寿は「折衷派の先駆け」ではないかと思っています。
 このような柔軟な頭脳を持つ道寿ですが,彼の能力はそれだけではありません。所々にユーモアたっぷりに漢方初学者を笑わせながら指導してくれる姿も見られます。読者が道寿のファンになること間違いなし,と思っています。
 なお,「割愛された処方についても読みたい」という意欲的な方は,『医方口訣集』の原書で読むことをお薦めします。原書は,「京都大学貴重資料アーカイブ」のWEBサイト(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/)に入り,検索で書名を入力すると無料で閲覧可能です。このサイトは無料ダウンロードも可能で,しかも,講演スライドなどへの2次利用が可能となっています。
 漢方古典を直接読むことは手間ですが,読解できたときはクイズが解けたみたいで楽しいです。ぜひ,この原書で古典の読解練習をしてみてください。返り点や再読文字など,「漢文」の基本を復習したいときはYouTubeの漢文講座を利用すると便利です。予備校などの有名講師の授業は抜群です。しかも,受験生に戻ったような感じがして懐かしいです。最後に,高校漢文の学習項目にない重要なこととして,送りがなで,①「合字(ごうじ)」が頻用されること,②「寸」が「時(とき)」の略字であること,③「子」は「ネ」であることを頭に入れておいてください。
 
本書の使い方
 
 『医方口訣集』における漢方処方の収載順序は,(1)長沢道寿の好み,(2)読者の漢方医学学習を向上しやすくするための2要因で決められたものと想像します。したがって,時間的に余裕のある方は,最初の二陳湯から読み進めていくことをお薦めします。なお,一瞥すればわかりますが,2要因の影響で初めのほうに収載される薬方は説明が詳しく,しかも長文になっています。解説内容は引用した古典名著を道寿が十分に咀嚼してくれたものになっています。しかし,簡明に記載されているとはいえ,『黄帝内経』の『素問』(前漢時代)・金元四大家の学説などの引用が多く,漢方初学者にとっては読書スピードが落ちるものと考えます。
 千福は,最初は難解なところを飛ばして読めばよいと考えます。漢方医学は学習が進むと,文献学習に加えて臨床経験からも自然と意味がわかるようになるからです。しかし,解説文中の含蓄を早く知りたいと感じる初学者もいることでしょう。そのため,本書を読むときに便利と考える「読解のための基礎知識」を千福がまとめてみました。時々,このページを参考にして読んでみてください。なお,この「基礎知識」なるものを漢方中級者以上の方が読まれると,一笑に付されるかもしれません。千福の「方便」と思ってお許しください。


編訳者