サイト内キーワード検索


お問い合せ

東洋学術出版社

〒272-0021
 千葉県市川市八幡
 2-16-15-405

販売部

  TEL:047-321-4428
  FAX:047-321-4429

編集部

  TEL:047-335-6780
  FAX:047-300-0565

▼『中医臨床』プラス

« 『中医臨床』プラス トップに戻る

通巻143号◇【追悼】伊藤良先生をしのぶ

 日本の老中医として中国でも高名であられた伊藤良先生が本年10月亡くなられました。92歳の誕生日を迎えてまもなくでした。先生はわが国の漢方医学に本格的に中医学を取り入れ,理論のみでなく臨床において自在に使いこなした先駆者であって,真の第一人者でした。
 先生はとにかく本をよく読まれ,われわれにも中医学書ばかりでなく,よく推理ものや歴史小説などを数多く薦めていただきました。ご誕生地・育ちが中国であられたこともあり,中国語には抵抗がなく,中国に温かな親近感をもっておられ,中医学書に関しては古典から現代中医学の教科書まで実に多くの書を読んでわれわれに紹介されました。また特に素晴らしかったのはその書籍から得た知識をすぐさま臨床に結びつけておられたことです。先生の頭にはうまく治せた患者さんと治せていない患者さんのリストが整然と並び,常に取り出し可能であったように感じています。患者さんを語る語り口は軽妙でときに噺家の口調のようでわれわれは話にすぐに引き込まれました。あちこちで治療を受けてうまくいかず,伊藤先生でさえも治療に難渋されて,長い年月通院された患者さんについて話されることもよくありました。伊藤先生が読まれた本の中からある記述を発見して,「……これだと思いましたね」「……そこで早速これを使いました」「……その方が,今週みえたのですが,ニコニコして診察室に入ってこられました」と話されるのです。そのときの先生のお顔はやはりニコニコ顔です。「私は生きている限りはずっと臨床医を続けたい」とよくおっしゃっておられましたが,この考えに考えた末の治療で何度もニコニコ顔に会われた経験があるからこそでありましょう。そしてこうした患者さんは近在ばかりでなく遠く北海道はじめ他府県から通ってこられ,先生がおっしゃるには「たいして良くなっているとは思えないのに10年以上も根気よく通ってこられた患者さん」たちでした。よほど厚い信頼がないとこれほどの患者医師の関係は続かないでしょう。少しでも良くしようと常に考え続けておられる先生の姿勢が患者さんに届いているのは間違いありません。『医学衷中参西録』の症例にある詳細な脈診,処方の解説に啓発を受け,難治であった幾人もの症例を鮮やかに治癒に至らせた話などをよく話してくださいました。先生はまた抜群の記憶力で,患者さんに投与した生薬のグラム数まで述べられ,根拠とした書籍のどこに記載があると非常に正確に覚えておられ,われわれは驚嘆して拝聴しておりました。
 また先生はこれまでの書籍の記載の追試だけに甘んじてはおられませんでした。ごく初期の頃から李東垣の昇陽瀉火法を考察して痛風に昇陽益胃湯を用いたり,これまで中国でもほとんどいわれていなかった脾陰虚の概念を提唱されて,霜焼けになる人のなかには脾陰虚である人が含まれることに気づき,これを資生湯加減で治されたり独創的な治療をされました。旺盛な研究心で常に注意深く患者を観察しておられ,ご自身にも何か症状が出るとすぐに薬を煎じて試し,効果のあったものにはなぜ効いたかの解説をされました。
 先生は何が臨床で有用であるかを様々な中医学書の中から的確に探し出してこられました。『内経』『傷寒雑病論』『景岳全書』『脾胃論』などを参考にされ,また非常に早くから張錫純の『医学衷中参西録』に注目して,その実践的価値を確かめられ,また鄭欽安の『医理真伝』や『医法円通』を熟読され,「火の理論によって治療がさらに楽になった」と晩年は鄭欽安の処方を多く用いられました。
 先生は中国の老中医の方をよくわが国に招聘され,われわれ会員ばかりでなく日本の多くの漢方医師に刺激を与えてくださいました。特に四川省成都の陸幹甫先生,上海の張鏡人先生とは家族づきあいもされるほど個人的にもきわめて親しく,互いに敬愛する中医学の同志として,何回も学術交流の場をもたれました。こうした縁で神戸中医学研究会にもこれまで中医師が何人か在籍され,会員はじめ漢方関係者は多くの指導を得ることができました。これも先生の大きな業績であって,そのお人柄と幅広いネットワークのお陰です。
 先生に教えていただいたのは,中医学ばかりではありません。極寒の地の捕虜生活では外科治療までされたことや,食料がないことのつらさ,神戸に帰られてからの戦後の貧しい人たちの治療の思い出などは何かの折に語っていただきました。研究会の後では,さらにアルコールも入って皆で楽しく雑談を重ねたことも思い出されます。料理・酒・パイプ・葉巻・ステッキ・服飾など先生の知識と興味は尽きることがなく,こちらへの参加がさらに会への出席の強い動機にもなった会員が少なからずいるはずです。
 もう先生にお会いできないのはきわめて残念です。われわれはとても先生のレベルに達することはできませんでしたが,権威的なものに媚びず謙虚に患者さんのために学び続ける先生の姿勢だけは受け継いでいきたいと思います。先生のここ数年は苦しいこともあった闘病生活であられましたが,常に毅然としてご自身の漢方治療を考えられ,これに応えてご家族の方も終始懸命に看病と介護に尽くされました。本当にありがとうございました。衷心より先生のご冥福をお祈りいたします。合掌。


神戸中医学研究会




ito-ryo_sensei.jpg
写真 小太郎漢方製薬提供


【先生のご略歴】
1923年10月4日:中国大連に生まれる。
1944年:国立新京医科大学医学部卒業(長春)
1955年:漢方医学に傾倒し,中島随象翁に師事。
1972年:神戸市垂水区で内科医院開業。
1977年:神戸中医学研究会を設立し会長に就任。
1979~83年:神戸大学医学部非常勤講師。
1981年:日本東洋医学会副会長就任。 
 以後,役職として長く日本東洋医学会の名誉会員を務められ,また大阪漢方医学振興財団理事長の職に就かれるとともに同財団の外来診療に就き,病を得られてからも精力的に中医学の教育啓蒙活動と外来勤務をこなしてこられました。




中医臨床 通巻143号(Vol.36-No.4)特集/温病学を慢性病に活かす


『中医臨床』通巻143号(Vol.36-No.4 2015年12月発行)より転載


ページトップへ戻る