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2016年09月 アーカイブ

2016年09月01日

『中医オンコロジー ―がん専門医の治療経験集―』 推薦の序

推薦の序


 このたび畏友・平崎能郎君が2年間に渡る中国留学の総まとめの1つとして,花宝金著『名中医経方時方治腫瘤』を翻訳出版する運びとなった。この翻訳書は単に原文を日本語に翻訳したものでなく,平崎君の見解も加えられたもので,「訳著」と命名するにふさわしい内容である。ともかくその快挙に心からなる賛辞を贈りたい。
 日本漢方は江戸時代の中期に古方派と称される一群の医家が登場し,中国の医籍『傷寒論』『金匱要略』を再評価することから始まった。この集大成を吉益東洞(1702-73)が成し遂げたが,その方法論の根幹は方証相対論である。私はこの日本漢方と現代西洋医学を融合させた和漢診療学を提唱し,実践している者の一人である。方証相対を確立した吉益東洞は陰陽五行論を完全否定したが,それは当時の医界が金科玉条としていた陰陽五行論との思想闘争であったから,必然的なものであったと理解される。しかし方証相対論の最大の欠点は,なぜそうであるのかという疑問を持つことを拒否し,『傷寒論』『金匱要略』を主体とする方剤を過剰に重視し,ともすればその範疇の中だけに留まってしまうという学問的態度を形成したことである。これでは本書で花宝金先生が展開されているような経方と時方を駆使した「中医オンコロジー」の世界は見えてこない。
 本書の訳著者である平崎能郎君は,私が富山医科薬科大学(現富山大学)医学部和漢診療講座で教授の職にあった時に,和漢診療学の修得を志ざし入局した東京大学卒業の偉才である。今から18年前のことであるが,どこかに土の香りがする元気な若者であった。その後,2005年に私が千葉大学に和漢診療学講座の開設のために移籍した際に,彼はこの新たな講座を立ち上げることに参画してくれた盟友である。私の信条は西洋医学の知にも十分な理解を持ってこそ和漢診療学は形成されるというものであるから,平崎君にも西洋医学での博士号取得を考えた。千葉大学では免疫学の研究が最先端レベルであったことから,免疫学教室の中山俊憲教授にお願いして,大学院博士課程でご指導頂いたのである。この新しい環境に取り組んだ平崎君の努力は凄まじく,瞬く間に免疫学領域の博士論文を完成したのである。
 平崎能郎君は本来リベラルな性分であり,「常に患者に対しベストを尽くしていれば特に形式や思想に拘る必要はない」というもので,これは私の信条にも一致するものである。この信条の下に私の門下生の多くが海外留学を経験しているが,平崎能郎君は留学先として欧米を選ばず中国を選んだ。彼は2006年頃から独学で中国語を習得し,2014年から,中医科学院広安門病院に留学したのである。
 中国医学は歴史も長く,使われる生薬の種類も豊富で,その辨証論治は理論的に完成しているかのように思われる。私は平崎君が渡航する際に彼の推薦状を作成したのであるが,その際に「日本漢方は修得したか」と尋ねたところ,彼は「日本漢方の奥は深いので一生かけて研究するつもりです。今回はその源流を探りに行きます」との弁明であった。もしこのとき彼が傲慢に「修得した」と答えていたら,推薦状は書かなかったかも知れない。彼の目指す所は表面的な中医理論ではなく,長い歴史の中で積み重ねられて来た膨大な経験の奥にある「暗黙知」であると私は考えている。
 本書における症例は皆素晴らしく経過の良いものである。考察における中医学の理論は一部論理の空回りに傾き賛同しがたい点もあるが,概ね中国医学の利点を臨床に最大限に活かしたものであると言える。平崎君のコメントも日本の医師の視点から書かれており,本書を身近なものに感じさせる。また生薬解説では,英文になっていない中国での実験エビデンスも引用されており,これを手がかりに日本での研究が進むことを期待している。巻末の「中国の医療事情」は中国の社会事情を反映しており,本書を一層身近な内容にしている。広く同学の士に本書を推薦し,序に寄せる言葉としたい。


2016年8月  医療法人社団誠馨会
千葉中央メディカルセンター
和漢診療科 部長 寺澤 捷年



『中医オンコロジー ―がん専門医の治療経験集―』 序




 現在の中国では,世界の他の地域と同様に,がん患者は年々増え続けており,その治療も時代の要求に合わせて,めまぐるしく発展している。がんの集学的治療の必要性が叫ばれて久しいが,中国では中医学がすでに集学的治療の一部となっている。
 また,昨今は患者主体の医療としてテーラーメイド治療が注目されているが,中医学はまさしく先哲の作り上げてきたテーラーメイド医療であり,その歴史は長く,症例経験も豊富である。中医治療は中国古来の和諧の精神にもとづいており,がん治療においても,担がん患者の体内の腫瘍と生体の抵抗力に中薬が作用し,平衡状態に導くといった働きをもたらす。
 西洋薬による治療は,がんを攻撃することに主眼をおくため,しばしば過剰医療を引き起こす。そこで中薬治療を併用すれば,この「過ぎたるは及ばざるが如し」の状態を未然に防ぐことができる。早期のがんに対しては西洋医学の治療で腫瘍を取り除き,中医治療でがん体質を改善する。また進行期以降のがんに対しては,中医治療で症状を緩和し,生存期間を延長し,高いADL(日常生活動作)レベルでの担がん生存を実現する。このように,集学的治療のなかで中医治療が果たす役割は大きい。
がんの中医治療学(以下,中医オンコロジー)は,今日まで発展を遂げてきている。ここ30年の間は,扶正培本を治療の基本に,担がん生存を目標とした治療にもとづく臨床および基礎研究を積み重ねてきている。担がん生存の目標とは,腫瘍は消滅していないが増殖は遅く,患者が長期に生存していて,かつQOL(生活の質)が保たれていることである。
 中医オンコロジーの特徴には,症状の軽減,QOLの改善,放射線療法・化学療法・分子標的薬治療の副作用軽減なども含まれている。また,中医オンコロジーの中核となる理念に「未病を治す」という考え方がある。がん治療においては,発病の予防,進行や転移の抑止,寛解後の再発防止が,この考え方にもとづくものである。
 中薬による腫瘍治療の効果は,日増しに国内外の専門家から注目されるようになってきている。なかでも世界規模の研究所であるアメリカ国立がん研究所(NCI)の補完・代替医療センターからは少なからざる関心を持たれている。最近では中薬とがんに関する学会が,アメリカ国立衛生研究所(NIH)によって何回も開催され,現状と植物薬の臨床効果および基礎研究の方法論に関して議論されている。中薬による腫瘍治療は,次第にEBM・個の医療・標準化を目標とするようになっている。すなわち中薬の薬効の評価体系を苦心して完成し,中医オンコロジーの基礎理論を絶え間なく作り出し,基礎研究では免疫学・遺伝学・分子生物学などを取り入れ,従来の簡素な抗がん生薬実験から細胞・遺伝子・分子のさらに深いレベルでの研究へと発展しつつある。
 2006年には,がんは「コントロール可能な慢性疾患」に位置づけられ,前世紀の「いかにがんを見つけて,いかに消滅させるか」という考えから,21世紀的な「分子標的治療と腫瘍のコントロール」へと発想が変化してきている。中医オンコロジーもこの方向を目指しており,人類の健康に大きく貢献し,なおかつ治療の国際標準を変革する契機となるよう,チャレンジし続けている。
 本書では,中国でがん患者に対して行われている中医オンコロジーの臨床の実際を紹介したいと思う。原書『名中医経方時方治腫瘤』(中国中医薬出版社)の日本語翻訳に際しては,2014年よりわれわれの研究グループに参加している平崎能郎が一人で行った。彼は,真面目で誠実な性格であり,われわれの真意を失わずに,わかりやすく適切な表現を用いて翻訳したことと思う。本書により,日本のがん患者に福音がもたらされることを願っている。


2016年5月  花 宝金



『中医オンコロジー ―がん専門医の治療経験集―』 はじめに

はじめに


 私は,日本の医学部を卒業したあと,漢方医として日本国内で診療をしてきましたが,2014年からは北京の中国中医科学院広安門病院腫瘍科に博士研究員として在籍しています。広安門病院には,進修医制度というものがあり,中国各地から経験を積んだ医師が著名な老中医のもとで勉強するために来ています。そのなかには,西洋医学で専門をもつ医師も多くみられます。
 中国では,がんに対して治癒を目指す中医治療が行われていて,学問として成立している―この事実は日本では一部を除いてあまり知られていません。多くの人は,いかがわしい詐欺まがいの治療だと思っているのが現状でしょう。日本では,がんの治癒や長期の担がん生存を目標として,天然薬物を最大限に応用する腫瘍治療は,積極的には行われていませんから,中国での中医腫瘍治験を紹介することは有意義であると思うようになりました。新たながん治療選択肢の可能性を医学的に示したいという気持ちがわいてきたことが,この本を出版しようとした動機のひとつです。
 本書は,『名中医経方時方治腫瘤』(花宝金ほか編著,中国中医薬出版社,2008年)の症例部分を翻訳・編集したものを中心に,新たに解説などを加筆したものです。この本には,現代の中国各地で,がんの中医治療を行っている名医の治験が集められています。掲載した症例は,経過の良いものばかりですが,「チャンピオンデータだけを示している」「西洋医学的な評価が不十分」(これは医師の責任というよりは社会的背景によります。詳しくは「中国の医療事情」の項に記しました)という非難は覚悟のうえで,治療手段の限られたがんに対する新たな可能性を提示する目的で紹介するものです。
 また「中医学は再現性の低いEBMである(中医学の各々の症例は過去の経験という証拠に基づいたEBMではあるが,その再現性は低い)」と,故・山本巌氏が述べていますが,中医診断名や弁証論治は絶対的なものではなく,診断する中医師の学術的背景や患者の状況により変化するものです。本書においても,そのような曖昧さや多様性を含むものであることをご了承いただきたいと思います。
 編著者の花宝金氏は,広安門病院腫瘍科で長年にわたって中薬による腫瘍治療の臨床と基礎研究に携わってきました。現在は同院の副院長を務め,院内外の中医診療環境の向上に多くの貢献をしています。諸流派の腫瘍治療の考え方を1冊にまとめるという難しい作業を成し遂げたのは,花氏の温厚な人柄と幅の広い交流によるものです。また,花氏は中医腫瘍治療の現状を俯瞰的にみることのできる立場にあることから,本書のために,中医腫瘍治療に関する総論として「中医学によるがん治療の現状と未来」を書き下ろしていただきました。
以下に,いくつか,本書を読むうえで,あらかじめ知っておいていただきたいことを述べます。
・症例提示の後には原書に記載されている考察以外に,日本人医師としての視点からCommentや用語の補足説明を加えました。
・各症例には提示した中医師の名前(敬称は省略)を記載し,巻末にはその中医師の略歴や学説などを記しました。
・各項のはじめには,臓腑別のがんについての総論を入れていますが,それは私が他の中医学書籍も参考にしてまとめたものです。あくまでも各症例を読むときの中医学的な思考方法への導入であり,当然のことながら一般化できるものではありません。
・本書に登場する抗がん生薬のなかで,代表的なものに関しては,古典と臨床および実験データを中心に紹介しました。中医学はエビデンス性に乏しいと思われがちですが,中国国内では科学的な実験手技にもとづいたエビデンスが構築されており,海外でも多数の論文が専門誌に掲載されています。また,これらの抗がん生薬は,創薬のターゲットとなるデータベースとして世界中から注目されています。
・巻末には,中国の医療の周辺に関する情報を記載しました。中国の中医事情に詳しくない読者は,はじめにここを読んで,中医診療のイメージをもったところで症例を読み進めると,より理解が深まることと思います。
 本書の翻訳には,約2年の時間を要しました。中国語と日本語の意味の乖離に閉口しながらも,できるだけ平易にするように努めたつもりです。本書が皆さまの日常診療の参考になれば,この苦労も報われることと思います。


2016年5月  平崎 能郎



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