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2021年12月 アーカイブ

2021年12月03日

『長沢道寿 漢方処方の奥義 ~現代語訳『医方口訣集』~』はじめに

 
 
はじめに
 
 
 本書は『医方口訣集』(1672年刊)の千福流の現代語訳です。この口訣集には全部で164の処方解説があります。しかし,下巻の丸剤処方の部になると,工夫を凝らして併用などしてもエキス剤で作成できないものばかりで,この本では,これらの処方は思い切って割愛しました。つまり,保険収載エキス製剤か,それに近似する方剤か,あるいは,併用で簡単に作成可能な処方のみを抜粋しています。ただし,長沢道寿(?-1637)は本書の流れによって漢方概念を解説しようとしている部分もあるので,そこの処方は使用不能であっても掲載しました。
 道寿は日本漢方の歴史で考えると,後世(方)派に属します。すなわち,宋・金元・明代の処方を重視しているグループになります。書物では『和剤局方』(宋政府官製),『脾胃論』『内外傷弁惑論』(李東垣〈1180-1251〉),『格致余論』(朱丹渓〈1281-1358〉),『万病回春』(龔廷賢〈16-17世紀〉),『保嬰撮要』(薛鎧・薛己〈1486?-1558〉),『医方考』(呉崑〈1551-1620?〉)などが重視されます。
 ところで,現在の書店にある医学書コーナーには『傷寒論』『金匱要略』,すなわち,日本漢方の歴史上の分類によれば「古方」に関する書籍は多く見られますが,上記した「後世方」の原書・解説書はほとんど目にしません。一方,第3回NDBオープンデータ H28年度レセプト情報による「漢方製剤の医薬品処方量ランキング(エキス顆粒)」を参考にすると,そのベスト10は,1位から大建中湯(古),芍薬甘草湯(古),抑肝散(後),葛根湯(古),牛車腎気丸(後),六君子湯(後),防風通聖散(後),当帰芍薬散(古),加味逍遙散(後),補中益気湯(後),(古:古方,後:後世方)となっており,10位内に後世方の6処方がランクインしています(https://p-rank.462d.com/520/)。つまり,多忙な医師は頻用6処方を含め,後世方のオフィシャル版の取扱説明書を読まずに,添付文書の効能・効果を唯一の頼りとする「病名漢方」で処方する状態なのです。西洋医学では基礎医学を踏まえて治療薬を選定するのが常道ですが,後世方においては,基礎医学に相当する古典が蔑ろにされているといえるでしょう。この状況下において,後世方の漢方薬に関して「基礎医学から臨床のtipsまで」を簡単に解説してくれている書物が渇望されます。それが『医方口訣集』なのです。
 ところで,道寿は後世方派なので古方を蔑ろにしているでしょうか? これは「否」です。本書を読めばすぐに理解されることですが,古方の著者である張仲景を尊敬し,彼の原典を引用して古方の解説も十分に加えています。この立脚点は,江戸時代後半に古方と後世方の長所を取り上げて治療する「折衷派」に近似しています。もし「古方・後世方の両者を活かして,流派を越えて人命を救う」というのが「折衷派の定義」であるならば,道寿は「折衷派の先駆け」ではないかと思っています。
 このような柔軟な頭脳を持つ道寿ですが,彼の能力はそれだけではありません。所々にユーモアたっぷりに漢方初学者を笑わせながら指導してくれる姿も見られます。読者が道寿のファンになること間違いなし,と思っています。
 なお,「割愛された処方についても読みたい」という意欲的な方は,『医方口訣集』の原書で読むことをお薦めします。原書は,「京都大学貴重資料アーカイブ」のWEBサイト(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/)に入り,検索で書名を入力すると無料で閲覧可能です。このサイトは無料ダウンロードも可能で,しかも,講演スライドなどへの2次利用が可能となっています。
 漢方古典を直接読むことは手間ですが,読解できたときはクイズが解けたみたいで楽しいです。ぜひ,この原書で古典の読解練習をしてみてください。返り点や再読文字など,「漢文」の基本を復習したいときはYouTubeの漢文講座を利用すると便利です。予備校などの有名講師の授業は抜群です。しかも,受験生に戻ったような感じがして懐かしいです。最後に,高校漢文の学習項目にない重要なこととして,送りがなで,①「合字(ごうじ)」が頻用されること,②「寸」が「時(とき)」の略字であること,③「子」は「ネ」であることを頭に入れておいてください。
 
本書の使い方
 
 『医方口訣集』における漢方処方の収載順序は,(1)長沢道寿の好み,(2)読者の漢方医学学習を向上しやすくするための2要因で決められたものと想像します。したがって,時間的に余裕のある方は,最初の二陳湯から読み進めていくことをお薦めします。なお,一瞥すればわかりますが,2要因の影響で初めのほうに収載される薬方は説明が詳しく,しかも長文になっています。解説内容は引用した古典名著を道寿が十分に咀嚼してくれたものになっています。しかし,簡明に記載されているとはいえ,『黄帝内経』の『素問』(前漢時代)・金元四大家の学説などの引用が多く,漢方初学者にとっては読書スピードが落ちるものと考えます。
 千福は,最初は難解なところを飛ばして読めばよいと考えます。漢方医学は学習が進むと,文献学習に加えて臨床経験からも自然と意味がわかるようになるからです。しかし,解説文中の含蓄を早く知りたいと感じる初学者もいることでしょう。そのため,本書を読むときに便利と考える「読解のための基礎知識」を千福がまとめてみました。時々,このページを参考にして読んでみてください。なお,この「基礎知識」なるものを漢方中級者以上の方が読まれると,一笑に付されるかもしれません。千福の「方便」と思ってお許しください。


編訳者



『長沢道寿 漢方処方の奥義 ~現代語訳『医方口訣集』~』凡例

 
 
凡 例
 
 
一.本書は,長沢道寿編集,中山三柳新増の『新増愚案口訣集』三巻(1672年刊)の千福流現代語訳である。
二.底本は,京都大学貴重資料デジタルアーカイブ(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/)収載の『新増愚案口訣集』(京都大学附属図書館所蔵)を使用した。
三.『医方口訣集』の原著は,長沢道寿(?~1637)『古方愚案口訣集』一巻(刊年不明)で,これを弟子の中山三柳(1614-1684)が増補し『新増愚案口訣集』三巻(1672年刊)となり,さらに北山友松子(?-1701)が補注し『増広医方口訣集』三巻(1681年刊)となった。
四.本書では,『新増愚案口訣集』に収載された全164処方のうち,保険収載エキス製剤かそれに近似する処方,あるいは併用で再現できる現在の日本で応用可能な処方を中心に60処方を収載している。
五.巻頭に『医方口訣集』を読解するために便利と思われる基礎知識をまとめた。
六.各処方の解説中,罫線で囲んだ「効能と証」(出典,効能又は効果,証に関わる情報)および組成は,株式会社ツムラ発行の手帳『ツムラ医療用漢方製剤』を参考にした。〔 〕の数字は製品番号を示す。
七.巻末の附録に,原著(『新増愚案口訣集』)収載の処方の一覧および医療用漢方製剤の一覧を附した。
 
 

2021年12月16日

『上海清零 ~上海ゼロコロナ大作戦~』はじめに

 
 
はじめに
 
 
 2020年春の上海。新型コロナウイルス感染症の感染拡大で,活気のあった上海の街もひっそりとものの見事に静まりかえりました。私も勤務先の病院が当局の要請で閉鎖してしまい診療活動が行えず,子どもの学校も長らく休校になりました。われわれの日常生活がほんの一瞬のうちにすべて変わってしまいました。1996年から上海に暮らしている私にとっても,毎日衝撃的な体験ばかりです。その間,どこにも行くことができないので,書斎にこもって,『中医養生のすすめ~病院にかかる前に~』(東洋学術出版社)を完成させました。
 
 あれから約1年経ちました。この間,中国に暮らすわれわれの「すぐに収束できるだろう」という期待に反して,新型コロナウイルス感染症が欧米をはじめとする西側先進諸国にものすごい勢いで蔓延し,しかもより強力な変異株まで次々と登場し,多くの方が命を落としました。日本でも緊急事態宣言が発せられ,一部では医療が逼迫する事態にもなりました。一方,上海での生活は2020年春以降,新規市中感染者が減少するとともに徐々に正常化し,2020年夏頃にはすっかりコロナ禍前とほぼ変わらない日常生活をおくれるようになりました。もちろん,海外からの帰国者に対しては厳しい3週間の隔離が継続され,自由な往来が制限されますが,中国国内では大きなイベントも再開され,飲食店も賑わっています。国内の旅行も再開されました。われわれ中国在住の日本人は,こうした防疫体制の変化を毎日の日常生活を通じて自ら体験してきました。
 日本の隣国である中国のコロナ対策の仕組みは,日本では一部マスメディアによって断片的に紹介されています。中国は厳しく感染者ゼロを目指して「ゼロコロナ対策」をやっていると報道されていますが,実はその全貌はほとんど知られていません。中国でも毎日海外輸入例から感染者が発生し,たまに市中感染者も発生していますが,死者がほとんど出ていないこと,ましてや隔離やワクチン接種だけでなく,中国伝統医学(中医学)を使った対策が行われていることも日本ではほとんど知られていません。
 中国は歴史的に常に感染症と闘ってきました。たとえば,中医学や日本の漢方医学を勉強すると必ず読む『傷寒雑病論』(『傷寒論』)の作者である張仲景(150?-219)一族は,200人以上の大所帯であったそうですが,建安元年(196年)以降の10年間で3分の2が死亡し,そのうち7割は「傷寒」(急性感染性疾患)による病死でした。張仲景はこの疾患で突然に亡くなった人たちを救ってあげられなかったことを悔やみ,『傷寒雑病論』を書くことを決心したと序文に記しています。2千年近く経った現代でも使われている,日本人には馴染み深い「葛根湯」や「小青竜湯」も,実はこの『傷寒雑病論』が出典で,新型コロナウイルス感染症対策で開発された清肺排毒湯をはじめとする数々の処方も,この『傷寒雑病論』の処方の影響を強く受けています。
 
 本書のタイトルの「上海清零」とは,上海市内で市中感染者がゼロになり,市全域で低リスクエリアとなって,入院患者もすべて退院し,いわゆるゼロコロナの状態が達成されたことを意味します。中国では感染者が発生したとき,常に新規感染者をゼロにするまで徹底的にPCR検査を行って隔離していくことを実行していき,ゼロが達成できたとき,「清零」と呼びます。メディアなどでこの「清零」が発表されると,これでまた日常生活に戻れる,と思えて嬉しくなります。最近では,中国各地で感染者が稀に発生しても1カ月ぐらいで「清零」が達成できることをわれわれ一般市民も実感できるようになってきました。
 世界各国が,それぞれのやり方で新型コロナ対策を行ってきています。本書では,そんななかで中国がどういった対策を行い,上海在住のわれわれ日本人がその中でどう暮らしてきたか,そして中医学がいかに活用されてきたかについて,中国で暮らしている日本人の視点から紹介しようと考えました。
 もちろん人口が14億人,日本の約25倍の国土をもつ中国のやり方を真似る必要はまったくありません。政治体制も,文化も,民族もすべてが違います。しかし,中国のやり方を知ることで,われわれの防疫対策に何らかのヒントが得られることもまた事実です。そして,本書を通じて日々変わりゆく中国の新しい一面を理解していただければ本望です。


2021年11月 上海浦東の自宅にて



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