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国際(日中韓)経方学術会議に参加して

 中国にも方証相対を謳い,日本の吉益東洞を信奉するグループが存在する。
 5月26日~28日,北京の北方郊外にある太申祥和山荘で,日本と韓国からの参加者も交えて表題の会議が開催された。主催は,中華中医薬学会と「中医之家」。会場の「中医之家」は,広大な中国式庭園に囲まれた風趣に富む伝統建築群。静謐でゆったりした雰囲気に包まれ,伝統医学を語り合うに相応しい会場だ。ここに約300人が集まって,連日熱っぽい討論が繰り広げられた。日本からは日本中医学会の募集に応募した9名が参加した。日本側代表団長は平馬直樹日本中医学会会長。


  


病因病機派と方証相対派の対立
馮世綸(ひょう・せりん)教授 この会議は,これまで『中医臨床』誌上においてもたびたび紹介してきた中日友好医院の馮世綸(ひょう・せりん)教授を中心とする経方学者たちの学術会議である。戦前に日本の「皇漢医学」の影響を受けた北京中医学院の傷寒論教研室の主任であった故・胡希恕(こ・きじょ)先生の学説を整理発掘して,現代に復活させようとしている。かれらは,敦煌遺書の陶弘景著『輔行訣臓腑用薬法要』の発掘研究の成果をもとにして,『傷寒論』の前身が『湯液経法』だとする仮説を立て,『傷寒論』は『内経』とは異質の体系の本だと主張する。『内経』系の五行学説や臓腑経絡学説によって『傷寒論』を読むことに反対し,八綱弁証と六経弁証によって『傷寒論』を読むべきだと主張する。六経は臓腑経絡の経絡ではなく,表裏・半表半裏の病位概念の六経だという。『内経』と『傷寒論』を本質的に異なる2つの書とみなす考え方は,日本古方派の主張と一致する。日本とは異なる点の1つは,馬継興教授,銭超塵教授によって発掘された『湯液経法』の文献学的研究成果を,この論理の裏付けとしている点だ。
 五行学説や臓腑経絡学説にもとづいて病因病機学的に『傷寒論』を解釈する現代中医学的な体系を樹立したのは,劉渡舟教授であった。馮世綸教授はこれと対立する立場に立つ。日本の方証相対を信奉する南京中医薬大学の黄煌教授も本会議に参加して講演を行った。黄煌教授は早くから「学院派」(大学系)に対抗して,経方の普及に尽力してきた。馮世綸教授と黄煌教授の2人が,中国の方証相対派を率いる双璧であり,この会議でも目立つ存在だ。
黄煌教授 黄煌教授は,劉渡舟教授を始祖とする「学院派」の『傷寒論』解釈が経方運用をゆがめてきたと主張する。以下は黄煌教授の論だ。思弁的な病因病機論では『傷寒論』をなかなか理解できず,実際の運用において成果を出しにくい。とくに「学院派」は臨床経験の少ない机上の学者が学生に教えるので,学生に中医運用の面白さや中医で患者を治す感動を伝えることができない。学生が中医学に自信を抱けなくなって,中医から離れるものも多い。それにたいして,経方派は,昔から在野にあって厳しい民間競争のなかで鍛えられてきたので,臨床能力が高い。またそのような環境において,経方の処方は最も信頼できる有効な処方だという。江南地方にはこのような熟達した経方家をたくさん輩出してきた歴史と伝統があると,黄煌教授は強調する。


いま,中国に経方ブームが起きている
 この二人の活躍によって,いま,中国で経方ブームが起こっている。黄煌教授のブログ「黄煌経方サロン」(http://hhjf.njutcm.edu.cn/index.htm) には1日に1万人がアクセスしてくる。馮世綸教授は,国家中医薬管理局直系の出版社である中国中医薬出版社から10冊に及ぶ書籍を出版して持論を展開し,多くの支持者層を獲得している。今回の会議を準備した武警第3医院や首都医科大学付属北京中医医院,「中医之家」なども馮世綸教授の主張を支持する人々が活躍している。総じて,在野の民間診療所で活躍する中医師たちが多いようだ。中医界の主流からは離れた人々だが,それだけに臨床力を身につけることには真剣であり,貪欲に知識を求める。講演者にもたくさんの質問メモが提出される。これまでに見たことのない参加者の熱意が伝わってくる。
 そうした経方への期待の高まりを受けてか,2日目の昼食のとき,国家中医薬管理局副局長の李大寧氏が,わざわざ山荘まで駆けつけて,日本代表と馮世綸教授や黄煌教授ら主要人物数名を招いて昼食会を催してくれた。その席で,李大寧氏が,「これから,国家中医薬管理局として経方を重視し,これを支えてゆく方針であり,皆さんが大いに活躍してくれることを期待する」と重大ともいえる発言を行った。管理局が経方にこのような姿勢を示したのは異例のことのようで,在席者がみな興奮の色を隠しきれない様子であった。李大寧氏は,具体的な仕事として,まず経方の重要処方100処方を選んで,これの運用指針を作るよう,黄煌教授に指示した。

     
フォーラム会場周辺の風景


日中交流への期待
 今回の本会議では,日本から3名の講演があった。
1.平馬直樹氏(日本中医学会会長):「江戸時代の方証相対学派の形成」
2.平崎能郎氏(千葉大学大学院研究院):「桂枝去桂加茯苓白朮湯証の考察――千葉古方学派の系統を紹介する」
3.松岡尚則氏(東邦大学総合診療科・急病講座):「東洋医学用語における『表』『外』,『裏』『内』『中』」
 それぞれ中国側から注目された。聴衆は日本からの情報を渇望しており,真剣なまなざしで日本側の講演に聴き入っていた。千葉古方の平崎能郎先生は,はじめて日頃から独習している中国語の力を披露し,1時間の講演をすべて中国語で行った。内容は十分に聴衆に伝わり,1時間があっという間に終わった感じであった。日本側講演のなかで,吉益東洞,湯本求真,大塚敬節,藤平健などの名前が出てくるたびに,聴衆の間から確かな反応があり,中国側講演のなかにも,しばしばこれら日本古方派の先人の名前が飛び出してくる。これまで病因病機派の会に参加し,『中医臨床』においても病因病機学説を強調してきた筆者にとっては,奇妙な感覚を覚える場であった。
 今回の会議では,日中韓のほか欧米からも参加すると聞いていたので,日本側から特別に要請して,日中だけの小型の「日中経方学術交流会議」を開いてもらった。双方約10名ずつの代表が向かい合って,26日の午後半日の時間をかけて,じっくりと話し合った。
 日本側からは1981年の「日中傷寒論シンポジウム」いらい,日中交流が30年間にわたって断絶が続いた経過を説明した。日本においても,『傷寒論』を現代中医学的に読む学派と古方的に読む学派とが存在し,隠然たる批判や論争がつづいている。しかし,過去しばしば用語上の議論や理論面でのやりとりはあったものの,古方と中医学の本質問題についての討論は表だってされたことはない。日本漢方として中医学と古方をどう位置づけるのか,これは大問題である。いま,中国においても病因病機学説を柱とする主流派のほかに,方証相対論を受容する新しい流派が活動を始め,日本とは異なる新鮮な問題意識と新しい研究成果をもって,方証相対の価値を強調している。このように日中双方で同様の学派が台頭してきており,同じプラットホームで学術交流をする条件が整ってきている。日本側からは「日中双方が席を同じくして,『傷寒論』をどう読み,どう運用してゆくのか,どうすれば臨床効果をより高めることができるのかを,原点にたちもどって考え直すことは,日中双方にとってきわめて有意義だ」との発言があった。中国側もこれに同意し,ぜひとも長期的に持続的に挫折しないで確実な交流を進めてゆきたい,できればすぐにでも始めたい,と希望を述べた。


 日本代表団は,会議とは別に北京中医薬大学付属東直門病院を訪れて,党書記の劉澎涛氏に会い,大学3年生から密度の濃い臨床教育を実施している大学病院の実状の説明を受けた。最終日にこの劉澎涛氏と会食する機会があって,筆者が,山荘で行われている経方会議では,大学では臨床教育に力が入っていないことが話題になっているが,と水をむけると,劉氏は「かれらは大学教育の実際を知らないで,勝手なことをいっている。はなはだ無責任な発言だ」と激しい語調で反論をしていた。われわれは,はからずも中国における2つの学説の対立を目の当たりにした。
 中国は一方で西洋医学からの圧力を受けながら,中医の価値向上のための激しい内部競争にも見舞われ,大きな試練を受けている。また,中医の国際化も進めており,たくさんの課題を抱えている。このような厳しい環境のなかで,中医は進歩を遂げてゆくのだろう。同じく切迫した課題を抱える日本漢方も,中国との交流のなかで,なにかを見つけ出してゆけるのではないだろうか。交流してみなければ,相手になにがあるかも知ることができない。


エキス剤運用の新しい形
 3月に台湾を訪問したときに,台湾では「複方エキス剤と単味エキス剤」の組み合わせで日常臨床を行っていることを知って,日本より進んでいることに驚いたが,今回,東直門病院を見学して,さらに進化しているエキス剤運用の実際を知ることができた。薬剤局では写真のとおり,かつての百味箪笥が白い円筒形のカプセルの棚に変わっている。このカプセルに1単味ずつのエキス剤が入っていて,これがコンピューター制御によって,自動的に患者の1回服用分の緑色の小袋に分包されてゆく。劉澎涛氏によれば,この分包方式がさらに進化したものが近く導入されることになっているという。いま,一部の大学を除いてほとんどの大学病院で,この方式を採用していると,劉澎涛氏が説明してくれた。これは漢方界のエポックメーキングな技術革新といえるかもしれない。

   


東洋学術出版社会長・日本中医学会顧問  山本 勝司

(2011年6月20日)


参考文献
中医臨床 通巻124号(Vol.32-No.1)
  ①「症状反応」こそが経方弁証の拠り所(馮世綸)
  ②方証対応における「証」とは何か(熊興江)
中医臨床 通巻116号(Vol.30-No.1) 
 *インタビュー/中日友好医院 馮世綸先生に聞く
  『傷寒論』の運用は,先ず六経を見極め,次いで適切な方証を選択(編集部)
中医臨床 通巻109号(Vol.28 No.2) 
 *中国の方証相対研究/方証とは弁証の先端(馮世綸)

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