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【訃報】 李可先生が逝去

火神派の名老中医である李可先生が,2013年2月7日,逝去されました。享年84。2009年に当社主催で実施した山西研修旅行で,李可先生に直接お目にかかりお話を伺うことができたことは誠に得がたい貴重な機会でした(詳細は『中医臨床』(119号)に特集)。李可先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(編集部)


李可氏の生涯
 李可氏は,1930年に山西省霊石県で生まれた。まだ中学も卒業していない1946年に革命に身を投じ,西北野戦軍校で学び,同時に軍の新聞記者も担当した。西北地区が解放された後は,地域業務を行った。1953年には無実の疑いをかけられたが,1980年にその疑いが晴れた。李氏は,逆境においても独学で中医を学び,志を曲げずに精進した。1978年には,霊石県人民医院で医療に携わり,1983年に命を受け,霊石県中医院を開設して長年院長を担当した。1992年に同職を退職。
 李氏は,50余年にわたり医療に従事したが,多くは貧しい辺境の地や医師や薬が不足している山村を回り,患者を病の苦しみから解き放した。李氏は生涯で,内・外・婦・小・眼・耳鼻・皮膚科などを学び,その特殊な時代背景や環境により,多くの難病を治療する術を習得した。
 李氏は,大量の薬材を用いて重篤な急病患者を救うことを得意とした。李氏の医術は詳細で奥深く,救心湯・攻毒承気湯など,前例を大きく覆すような経験方を30以上創製し,その治療効果は非常に高い。李氏は,これら創製方をまとめて『李可老中医急危重症疑難病経験専集』を記し,急性の重篤疾患に対する中医治療の新たな考え方を提供して,扶陽学説という新たな学説も打ち立てた。また李氏は,清代末から改革初頭にかけての著名な医家である,彭子益氏の著書『圓運動的古中医学』に注釈を加えた。
 李氏の,「重剤による扶陽」「大剤量による附子の応用」「培元固本」という思想は中医界に深く大きな影響を与え,また社会に広がっている,「中医は急病を救えない」という偏見を覆した。

中国中医薬報[2013.3.13]
翻訳:平出由子


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