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通巻118号(Vol.30 No.3)◇トピック



 現在中国国内では,数千年前から伝わる伝統医学である中医学が,弱体化の危機に直面している。医療の現場では,多くの名老中医がすでに高齢となっているなかで,伝統的な中医治療の特色を打ち出して患者を集められる中医医院は数少なくなっており,また収益上の問題からも中西医結合が主流となってきている。一方,教育面でも,現代の中医薬大学における統一教育システムは年々西洋化・現代化の傾向を強め,伝統的な中医学の特徴と長所は徐々に薄れてきており,また教科書と臨床とがかけ離れているとの指摘もあがっている。若手中医たちの中医学に対する熱意と学識は年々低下し,学生の臨床訓練のチャンスが不足し,臨床力の高い中医の育成がますます難しくなっている。数ある伝統的流派も,その特徴を継承する者がいなくなっている。
 このような危機的状況のなかで,いかにして中医学を継承し発展させるかが国家的な課題となっているのである。

火神派をめぐる中国の状況
 そんななか,広州中医薬大学の鄧鉄涛教授を中心に伝統的な中医の継承・発展の重要性がしきりに叫ばれるようになり,伝統医学特有の長所を見直す動きが生まれた。2003年には,劉力紅氏が『思考中医』(広西師範大学出版社・写真1)を出版し,ひたすら現代化へと向かう中医界のあり方を批判し,古典を深く学ぶことの重要性を強く訴えて,社会的に大きな反響を呼んだ。さらに,同書にも紹介された鄭欽安の火神派学術理論ににわかに注目が集まって話題となり,その後次々と火神派関連の書籍が出版されるほどの一大ブームが巻き起こった(写真2~5)。一部ではその弊害といえる現象として,火神派にあこがれ,盲目的に大量の温熱薬を乱用する経験の浅い若手中医も現れた。インターネット上では,火神派に対する賞賛,あるいは附子の大量使用への警告・反論など,さまざまな意見が書き込まれるようになり,その白熱した論議が人々の関心を集めた。今年4月1日の『中国中医薬報』では,「火神派の是非を語る」と題して,火神派について冷静な視点から分析・評価した特集記事も掲載された(写真6)。
 中医火神派は,中国国内で大きな関心を集める新しい学術思想であると同時に,低迷する中医界が絶大な期待を寄せる中医学術理論発展のための起爆剤である。中医火神派は学術的にたいへん興味深い内容を内包しており,思想面・治療面において中医学の魅力に溢れた学派であるといえる。
 2007年12月には南寧で「扶陽論壇」という,火神派理論の習得と臨床応用訓練を目的とした学習会の第1回目が開催され,たいへん盛況であったという。その内容は,本としても出版された(『扶陽論壇』中国中医薬出版社・写真2)。第2回目は2008年10月に北京で開催され,150人の定員のところに300人もの参加者が詰め掛け,満員の会場が熱気に包まれた。本年10月22~26日には,第3回目が上海で開催される予定である。

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写真1     写真2     写真3     写真4     写真5


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写真6(画像をクリックすると記事原文ページが開きます)


火神派とは
 そもそも火神派とは,清代の鄭欽安(1824-1911)が開祖となる,まだ百数十年しか経っていない,中医学の歴史のなかで最も新しい学派であり,温陽派・扶陽派ともいわれている。『周易』『内経』の自然観・人間観を基本とし,「陽気を重んじる」ことを最大の特色としている。さらに『傷寒論』の理法方薬に従って経方を巧みに応用し,附子・桂枝・乾姜などの温熱薬を大量に用いる点が特徴となっている。鄭欽安のほかに代表的な医家として,鄭氏の弟子の盧鋳之を始め,呉佩衡・祝味菊・唐歩祺・徐小圃・範中林らが知られる。現在は成都中医薬大学の盧崇漢教授(盧鋳之の孫)が火神派の伝承者として活躍しているほか,山西省の李可老師も附子を重用することで有名であることから,一般に火神派の一人とみなされている。
 火神派の医家たちの第一の特徴は,「腎中の陽」を生命の根源として最も重要視していることにある。腎陽を重んじる考え方は,すでに明末清初の頃に張景岳や趙献可らが「命門学説」として提起しているものである。火神派の「命門の火種の重視」は,彼ら温補学派の「命門学説」と同類の学説ではあるが,両者は次の点で明白に異なっている。景岳は「陰中求陽」として補陽の際に養陰薬を併用しているが,鄭氏は腎陰・腎陽を明確に区別し,「陽主陰従」を主張して純陽の薬のみを用い,一切の養陰薬を用いなかった。さらには,金匱腎気丸を批判して,熟地黄・山茱萸・牡丹皮のような薬物を用いるのは誤りだと指摘し,また人参は補陰薬であり亡陽に用いるべきでないとも述べている。
 鄭氏は特に附子・乾姜の応用に優れ,それらを少陰病に限らずすべての陽虚証に幅広く用いて応用範囲を広げた。またその使用量は非常に多く,附子100g,200g……を用いるなど,常用量をはるかに超えていた。鄭氏は,陽虚証に現れる真寒仮熱の象について,詳しく述べている。興味深いのは,陰盛によって虚陽が上越する(真気上浮,虚火上衝)という病態概念である。虚陽上浮の病態は,臨床上さまざまなケースにみられるものであり,鄭氏の創出した方剤は治療上たいへん有用である。
 火神派の学術思想は「陽主陰従」を主とするが,火神派のそれぞれの医家を比較してみると,それぞれに治法や用薬の特徴に違いがみられる。例えば,祝味菊は温潜・温散の独自の薬物配伍を考案して外感病の治療に附子を広く用いたし,李可老師は大量の附子・乾姜・呉茱萸などを用い,救急重症患者の治療において大きな成果をあげてきた。李可老師は,瀕死の患者には24時間のうちに500gの附子を用いることもあるといい,その附子の使用量には目を見張るほどである。

起死回生の中医――李可老師
 李可老師は1930年生まれ,山西省霊石県の出身である。西北芸専文学部を卒業後,『三軍文芸新聞』の編集の仕事に就いていたが,反革グループの一員であるとの疑いをかけられて冤罪により2年7ヵ月の間投獄された。そのような逆境において,獄中で一人の老中医に出会い中医学を学んだことをきっかけとして,出獄したのち中医としての人生を歩むこととなった。以後50年以上にわたり,霊石県の山村医療の第一線に立ち,数多くの救急重症患者の治療に当たった。李可老師は次第に古医学や火神派の学術理論を取り入れて自身の臨床手法を確立し,純粋な中医学の治療法により多くの命を救ってきた。その経験は『李可老中医急危重症疑難病経験専集』(山西科技出版社・写真5)にまとめられている。中医の泰斗・鄧鉄涛教授は,李可老師を「中医の脊梁」と呼んで絶賛し,中国中医界の期待が李可老師に集まっている。
 李可老師は,自身の臨床経験を経て十数種の自家処方を考案している。そのうちの一つ,心不全患者の治療に用いられる破格求心湯は,回陽救逆の効能に優れた,重要な方剤である。その組成は,附子30~100~200g,乾姜60g,炙甘草60g,高麗参10~30g(別煎),山萸浄肉60~120g,生竜牡粉・活磁石粉各30g,麝香0.5g(分回沖服)。李可老師は,附子を100g以上用いる際には,必ず炙甘草60gを配合して附子の毒性を制するよう,注意を促している。また,病状に合わせて,煎じ方に対する細やかな指示も付されている。
 李可老師は,「これまでに治療した患者は1万名を超え,50tを超える量の附子を処方してきた。現在も毎月50kgの附子を処方する」というが,このようなセンセーショナルな情報だけが誇張されて一般に宣伝され,一部では火神派に対する誤解や偏見を生じているようだ。しかし,李可老師はこれほど大量の附子を用いながら中毒例を一例も出していないといい,それは李可老師の弁証の正確さ,用量の的確さ,配合薬の工夫,煎じ方への細やかな配慮など,長年の経験に裏打ちされた技術があってこそなしえているのではないだろうか。

李可老師のいる山西省へ
 このたび数人の先生方から,「李可老師にぜひお会いして直接お話を伺い,研修できる機会をつくってほしい」との希望が寄せられたことを受けて,小社では山西研修旅行を企画し,中国中医薬報社の協力を得て9月20日から5日間の予定で研修を実施することになった。研修ではもうお一人,火神派理論にもとづく診療を実践する中堅実力派中医・趙傑先生の臨床研修も受けることになっている。次号では,李可老師インタビュー他,中医火神派関連論文を集めた特集を掲載する予定である。できる限り,直に見てきたままの中国の中医の現場をお伝えしたいと思う。


[関連記事]通巻104号(Vol.27-No.1)◇コラム
        中医だけで重症の救急患者を救う老中医・李可先生


*山西研修旅行は無事に終了しました。次号119号(12月20日発行)では,参加者の方のリポートも含めた特集記事を掲載しますのでご期待ください。


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