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▼書籍のご案内-序文

痛みの中医診療学

[ 中医学 ]



 痛みは,さまざまな病気の上に現れる1つの臨床症状です。痛みは多くの場合,猛烈な,あるいは持続的なものとして肉体や精神を損傷し,人々の心身に大きな影響を与えます。痛みで最も多くみられるのは,頭痛,腰痛,四肢の関節痛などですが,最近は悪性腫瘍や癌の発病率が高くなったことから,末期癌に伴う癌性疼痛に苦しむ人々も少なくありません。そのため,痛みにたいする研究や治療は,早急に行われなければならない重要な課題となっています。
 痛みに関する中医学の診療は歴史が古く,紀元前3世紀に書かれた最古の医学書『黄帝内経』には,さまざまな痛みにたいする診断や治療の方法が記載されています。また,時代と共に培われてきた豊富な経験と研究によって,痛みに関する中医学の診察法・診断法・治療法は次第に完成されたものとなり,今日では治療法の多さと同時に副作用の少ないことで理想的なものとして注目されています。
 もちろん西洋医学で用いられる鎮痛剤はすぐれたもので,高い効果が得られます。しかし,それらは痛みそのものを止めることを目的としているため,痛みを引き起こす病態を変えることはできません。また,鎮痛剤に過敏な人,副作用が出る恐れのある人,慢性疼痛のため長期に用いなければならない人などにたいする使用は困難とされています。よって,これらの西洋医学の弱点を補うものとして中医学の治療が必要不可欠であり,高い治療効果が期待できるのです。
 現代中医学は,西洋医学のすぐれた最新の検査技術や診断技術を用いて明確な診断をしたうえで,中医学の整体観や弁証理論にもとづいて痛みを治療することを重視しています。すなわち,中医学では痛みそのものをみるのではなく,痛みを引き起こす疾患の病態を把握し,証候と体のバランスの状態を総合的にみて,いくつかのタイプに分けて治療をするのです。このような治療法は,痛みを抑えるだけでなく,血液循環の改善,炎症と腫瘍の抑制,体力の増強,免疫の調整などの効果もあります。西洋薬の鎮痛剤を併用する場合には,鎮痛剤の減量あるいは廃薬などの効果も期待できます。また,針麻酔の発達は,中医学の疼痛と鎮痛原理の研究をさらに発展させ,鎮痛効果を高めるうえで重要な役割を果たしています。
 日本では漢方医学が浸透しており,漢方エキス製剤を用いての疼痛治療にも一定の成果があげられています。しかし,「方証相対」あるいは「方病相対」の考え方にもとづいた薬の使い方が多く,体系的な漢方医学としての「中医学」の弁証論治によって疼痛を治療することは少ないようです。
 私たちはこのような現状をふまえ,中医学,日本漢方医学,西洋医学の結合によって痛みにたいする治療効果がより高まることを切望し,本書を著しました。
 総論では痛みにたいする中医学の診察法,診断法,治療法をわかりやすく整理し,できるだけ現代医学的な解釈を試みました。生薬の部分では,現代薬理学の研究成果も紹介しています。
 各論では現代医学の診断にもとづいた中医学の弁証論治を中心に,証候の変化や患者の個人差,特殊性などにも注意を払い,それに応じて加減した処方も加えました。また,日本の現状に合わせて,漢方エキス製剤の使用法も証候に分けて紹介しており,臨床における実用性をとくに重視しました。
 本書は,医師や薬剤師のための疼痛診療専門書を意図したもので,中国で出版された『中医痛証診療大全』『中西医臨床疼痛学』『中医臨床大全』『中医痛証大成』『新編中医痛証臨床備要』など多数の書籍や論文を参考にしました。さらには著名な老中医の経験や日本の漢方医の治療経験も参考にしています。

 本書が中医学や漢方医学を学ばれる医療関係者のお役に立ち,ひいては疼痛で日々苦しんでおられる多くの患者さんの治療に貢献できれば幸いです。
 本書の内容につきましては十分に検討しましたが,不備な点につきましては多くの方々のご叱責,ご助言をいただけることを期待しています。
 ご指導やご助言をいただいた熊本大学医学部の三池輝久教授,岩谷典学講師,江上小児科の江上経諠院長,肥後漢方研究会の藤好史健会長,久光クリニックの久光正太郎院長,熊本芦北学園の篠原誠園長,水俣協立病院の藤野糺総院長に深く感謝の意を表します。
 また,編集にあたってお世話になった株式会社鶴実業の水崎三喜男社長,株式会社ツムラ熊本営業所の坂口宏所長,カネボウ薬品株式会社熊本出張所の佐藤俊夫所長に心から感謝しております。
 出版にあたり,大変お世話になった東洋学術出版社の山本勝曠編集長と皆様および編集協力の名越礼子先生に厚く御礼申し上げます。

編著者:趙基恩・上妻四郎

【中医臨床文庫1】風火痰瘀論

[ 中医学 ]

日本語版序文

 拙著『風火痰オ論』は1986年,北京において,人民衛生出版社より出版されました。出版後,全国の中医学界から好評を得たことから,同出版社は本書を日本の出版社に推薦し,日本語版出版の運びとなりました。筆者はこれを光栄に思い,日本語版の出版を心待ちにしていた次第です。
 中国医学は日本の医学界と古くから関わりを持っております。いまを遡ること西暦6世紀,中国の漢・唐代を境に,両国の医学界は頻繁に往来するようになり,中国医学は徐々に日本に浸透して行きました。唐代の鑑真が扶桑(日本の別称)に渡り医学を伝えたことも,両国間の交流の1つの証といえます。中国医学は日本で「漢方医学」と呼ばれながら,日本の医学の一翼を担ってきたのです。
 中国の金元代(1115~1368年)の偉大な医学者・朱丹渓の理論は,15世紀に日本に伝えられ,安土桃山時代(1568~1594年),江戸時代(1600~1867年)に最盛期を迎えました。なかでも,田代三喜(1465~1537年)に師事して大陸医学を学んだ曲直瀬道三は,医学教育にも力を入れ,丹渓学説の普及に貢献しました。
 丹渓学説を貫く中心命題は「風・火・痰・オ」です。筆者は長年丹渓学説を学び,臨床に取り入れ応用して参りました。本書はその経験の集大成といえます。本書の日本語版出版により,日中の医学界の交流が深まり,丹渓学説がさらに日本で理解され,浸透することを切に願っています。日中両国の友好と学術交流がこれからも永遠に続くことを願い,私の序文といたします。

章  真 如
1997年(丁丑)春月
中国武漢市中医病院にて

アトピー性皮膚炎の漢方治療

[ 中医学 ]

◎本書について

漢方の飛躍的発展の息吹き--アトピー性皮膚炎への果敢な挑戦--

■新しい疾病との対決のなかで,漢方は発展する

 漢方医学は,歴史の遺産を漫然と引き継ぐことによって,生命力を与えられたのではない。その時代が直面した新しい難治性疾患と対決し,これを克服することによって,はじめて飛躍的発展を遂げ,漢方医学としての価値を獲得したのである。
 漢方の歴史には4つの大飛躍の時期がある。1つは2000年前の『黄帝内経素問・霊枢』が書かれた秦・漢時代。この時期に,人体の生理・病理学と診断・治療学を含むほぼ完璧な医学体系が形成されたことは,歴史の驚嘆に値する。ついで後漢時代に傷寒という新しい急性感染性疾患の流行のなかで,『傷寒論』という医典が誕生する。3番目の飛躍は,金元時代である。やはり時代の新疾患との戦いを通じて多くの学派が台頭,病因・病機学説の深化が進み,漢方は飛躍的に向上した。近くは明清時代に温病という急性疾患が流行し,これとの戦いのなかで温病学説が出現した。これらは漢方の歴史における4大飛躍とされる。
 いま,5番目の飛躍の時代を迎えようとしている。エイズや癌,アトピー性皮膚炎や花粉症,喘息,アレルギー性鼻炎……など,これまでに人類が体験しなかった新しい疾患が出現し,医学はこれらとの不可避的な戦いを余儀なくされている。漢方が今後も生命力をもちうるかいなかは,これらの疾患との戦いを抜きにしてありえない。


■アトピー性皮膚炎という疾患

 アトピー性皮膚炎--現代社会が生んだこの疾患は,拡大の一途をたどり,ますます難治化しつつある。病態は複雑・多様で,変化が多く,繰り返し再発する頑固な疾患である。体質素因と環境素因,そして飲食物・ストレスなどさまざまな複合因子が複雑にからみあって形成された,歴史に先例のない疾患である。ステロイド剤の乱用によって病態は輪をかけて複雑化している。この疾患においては,中国にもまだ参考にしうる治験は多くない。もはや既成の硬直した発想や方法によっては,解決できなくなっている。西洋医学も日本漢方も,そして中医系漢方もともに試練を迎えていることにおいて,例外ではない。

■中医系漢方の挑戦

 現代中医学がわが国に導入されて20年。中医学を学ぶ若いグループが全国に澎湃として興り,すでに日本漢方の構成部分として定着している。いま,かれらが最も情熱を燃やしているテーマが,アトピー性皮膚炎の治療である。
 本書は,アトピーと苦闘を続けてきたかれらの最新の業績を収録したものである。
 中医学の最大の特徴は「弁証論治」である。そして「弁証」の核心は,症・病・証をもたらした「病因・病機」(病因と病理機序)を正確に把握することにある。病因と病理機序を分析できてはじめて治療方針がなりたつのである。やみくもに方剤を投与するだけでは,有効な医学とはいえまい。まして「病名漢方」では,とてもこの複雑で変化の激しい疾患に対処することはできない。

■病態分析の深化

 中医系漢方においても,教科書に記載されている分類法や治療法を短絡的に当てはめる方式では,アトピーには通用しない。多様な皮膚所見と変化する病象を説明できる理論と分析力が求められているのである。
 湿疹型アトピーと乾燥性紅斑型アトピーの違いをどう説明するのか,局部と全身の異なった病態をどう説明するのか。外因と内因の関係,風・熱・湿・燥・オの挾雑,虚と実,熱性と寒性,気分と血分の見分け方,五臓のどの臓腑がポイントなのか,それらはどのように転変するのか--病因・病位・病性・病勢,機転を判断しなくてはならない。本書の各論文を見れば,各執筆者がいかに緻密な病態分析を行っているか,いかに高度な治療を行っているか,を感動をもって見ることができよう。

■斬新な理論構築と豊富な治療方法

 平馬直樹氏・伊藤良氏の総論は,現段階のアトピーに対する日本の中医治療を高度に概括したものであり,すでに一定の法則性が見つけだされている。また江部洋一郎氏の「経方理論」や岡田研吉氏の精神疾患からのアプローチのように,大胆かつ斬新な理論構築も試みられている。
 病態分析とともに,治療方法も多様化している。薬物の分析・選択・配合の方法が急速に進歩するとともに,軟膏・クリーム剤・湿布剤などの外用薬や浴剤も開発されている。また本書では文献数が少ないが,針灸もアトピーに対する症状改善作用と免疫力増強作用があり,有効な治療方法となっている。
 新しい病象に対する新しい診断学・治療学の誕生。アトピー性皮膚炎への挑戦は,単にアトピー性皮膚炎の治療にとどまらず,漢方治療全体のレベルを急速に向上させている。アトピーに較べれば,喘息はすでに御しやすい疾患となったといわれるゆえんである。
 本書は,こうした理論構築と治療経験を集約したものであり,現時点における中医系漢方の臨床レベルを示す記録である。「最先端をゆく漢方治療」といっても過言ではないだろう。われわれは,本書に収録された文献は,中医学の先輩である中国に対しても誇りうるものであると確信している。本書を土台にして,さらに多くの臨床家がアトピー攻略の経験を蓄積してゆくことに期待したい。

■中医臨床シリーズ

 本シリーズは,今回の「アトピー性皮膚炎」を第1冊目として,今後,年1~2回のペースで引き続き疾患別の業績を収録してゆく予定である。今回,ご執筆いただく機会のなかった先生方もぜひ次回には,執筆者としてご参加いただきたいと思う。

(『中医臨床』編集部)

中医対薬 ―施今墨の二味配合法―

[ 中医学 ]

日本語版序文

 我が模範であり恩師である施今墨先生は,生前に60年あまり医業に携わった。その医術は深く,治療効果は卓越し,旧時,北京四大名医として広く知られていた。
 『施今墨対薬』は『施今墨薬対』ともよばれる。1962年初夏,施先生の高弟である祝諶予教授の指導のもと,「対薬」に対し表の形式で整理を行った。これを施先生に校閲,修正していただき,お墨付きを得たのち,北京中医学院(北京中医薬大学の前身)において,『施今墨臨床常用薬物配伍経験集』という小冊子にまとめた。1963年には,医学雑誌『中医薬研究通訊』にその内容が載録された。その後,20数年の検証を経たのち,臨床経験を取り入れるなど手を加えて『施今墨対薬臨床経験集』を編集し,1982年10月に山西人民衛生出版社より出版した。同書は1982年度の全国優秀科学技術図書1等を獲得している。その10数年後,改訂・増補・再編集を行い,書名を『施今墨対薬』に改め,1996年9月,北京人民軍医出版社より出版した。同書は多くの読者を獲得し,1年あまりの間に3たび増刷を行い,読者の要望に応えた。
 隣国である中日両国の友好的な往来,学術交流は長い歴史を有している。唐代には鑑真が数々の困難を乗り越えて日本へ渡り,医術・仏教を伝えている。年月の推移にともない,こういった交流は日増しに増加している。今回,東洋学術出版社の山本勝曠社長の丁重なる要請を受け,本書『施今墨対薬』の日本語版を発行する運びとなった。中医事業を広く高揚し,人類に長寿・健康・幸福をもたらし,日本の同士および中医愛好者とのさらなる交流を深めるため,本書がいささかでも寄与できればこれ以上の喜びはない。

呂 景 山
丁丑仲秋 山西中医学院七蝸楼にて




 先輩(施今墨先生)は詳細な弁証にもとづき巧みに中薬を用いた。「臨床は戦いに臨む軍隊の様なものであり、兵隊の如く薬を用いるべきである。弁証を明確に行い薬物を慎重に選択してその効果を活かすことが必要である。医学理論を知らなければ弁証は困難であり,弁証が明確でなければ治療方法は立たず,薬物をただ書き並べただけでは効果は得られない」と言われた。
 古人の治療法は単味薬物から始まったと思われる。いわゆる単方である。その後、薬物を組み合わせて用いることを見出し単味薬物に比較して治療効果が強まることを経験した。その後,七方の分類が生まれるに至った。充分に薬物配伍の効果が経験,蓄積された結果である。
 施今墨先生は処方に常に二薬の組み合わせを用い薬物配合を応用した。配合により協同作用を示すもの、副作用が抑えられるもの、長所を引き立たせるもの、相互作用により特殊な効能を示すものなどがあり、これら全てが対薬と称される。私は施先生の処方から百数十種の対薬を集めて北京中医学院で講義していた。呂景山は当時学生でその後、私の助手になり施今墨先生の臨床に立ち会う機会を得た。その後に研究,整理,注釈を加えて対薬の効用を説明する臨床的に有用な本書を著した。北斉の除之才は『雷公薬対』を基にさらに書き加えて『薬対』を著し薬物配合応用の意味を示したが,呂景山の著作は現代の『薬対』ともいえよう。
 対薬に関する知識を必要とする人は多いので、この本が出版され、広い範囲の医療関係者に役立ててもらえることを嬉しく思う。

祝 諶 予
1981年3月 北京にて


自序

 「対薬」は「薬対」とも呼ばれる。その起源はいつ頃であるか未だ定説はない。歴史唯物主義と弁証唯物主義の観点にもとづいて,漢代以前からすでに多くの経験が蓄積されてきた。『中薬概論』では「薬物は単味から複合へ,そして複合から方剤が形成された。これは発展の過程である」と述べている。文字に記載されたものを見てみると,最初に『内経』の半夏米湯(半夏と米の配伍)の胃不和,睡眠障害に対する治療が見られる。また,後漢張仲景『傷寒雑病論』には統計にもとづけば147対が見られる。後世になり薬対は1つの学問に発展した。それを扱った専門書籍には『雷公薬対』『徐之才雷公薬対』『新広薬対』『施今墨薬対』などがある。
 『雷公薬対』について『漢書・芸文志』に記載は見られない。梁朝『七録』の中の『本経集注』陶弘景序文に「桐(桐君)・雷公に至り初めて著書に記載した。『雷公薬対』4巻では佐使相須を論じた」という記述がある。また,『制薬総訣』の序で陶氏は「その後,雷公・桐君はさらに『本草』の内容を加えた。後の『薬対』では主治が広範囲になり種類も豊富になった」と述べている。しかし,惜しいことにこれらの書籍はすでに失われて,現在見ることのできるのは5対のみである。
 『徐之才雷公薬対』は『新唐志』によると2巻あったがすでに亡失した。北宋・掌禹錫は「『薬対』は北斉時代の尚書令,西陽王であった徐之才が著したもので,多くの薬物を君臣佐使の配伍法,毒性,配合禁忌,適応症に分類して記載したもので2巻ある。これまでの本草はよくこれを引用するが,治療における薬物の用い方が詳細に記されているからである」と述べている。
 『新広薬対』については,宋代『崇文総目輯釈』3巻に『新広薬対』3巻,宋令?撰との記載があるのみである。『宋史・芸文志』には宋令?『広薬対』,『通志・芸文略』には3巻,逸と記載されている。
 元代以降は目録学上,薬対に関係する記載は見あたらない。すなわち薬対に関する専門書はすでに亡逸してしまったと思われる。
 『施今墨薬対』は1958年北京中医学院第一教務長であった祝諶予教授が我々を引率して下京西鉱務局医院で実習を行った際に,詳しく講義した「施氏薬対」100余対を整理して書籍にしたものである。

 1961年卒業実習の際に祝先生は私の指導教官であった。豊富な臨床経験の指導を受け,時には施今墨先生の臨床にも同伴して指導していただいた。先生の指導のもとで薬対は100余増えた。これら2人の先生に校閲をお願いし先に『施今墨臨床常用薬物配伍経験集』をまとめることができた。この本は広く大学生,同学者に受け入れられた。増版を行うほどの反響を受けて翻訳もされ広く読まれるに至った。
 その後,先生の指導のもとで勉学,臨床を積み重ね,理論との結合をさらに実践した。経験蓄積と資料収集を重ねて1978年に『施氏薬対』を執筆した。祝諶予,李介鳴両先生の校閲,指摘を得て『施今墨対薬臨床経験集』に改名して世に問うた。この本も広く多数の読者,専門家,教授からお褒めの言葉を受けることができた。
 中医の大先輩である葉橘泉教授は『施今墨対薬臨床経験集』は興味深い実用意義のある学習資料であり,中薬と方剤学の橋渡しになる」と述べた。周風梧教授は「北斉代にすでに徐之才の記した『薬対』があったが,惜しいかな紛失してしまった。呂景山先生は施先生および諸先輩の経験を整理してこの書物を著した。本書は南北朝から現在に至るまでの千四百多年に渡る薬物配合に関する知識経験伝達の空白を埋めるとともに,今後の発展を促す意味で臨床において極めて重要な指導書である。祖国の豊富な伝統医学に1つの意義のある貢献をするものである」と述べた。李維賢教授は「薬対」は新興学科であり薬対学と称するべきであると考えている。李教授は「薬対学は薬物学と同じではない。薬対は簡単な配合のみで薬方(方剤)とも異なる。薬対学には方剤学のような配合の完全性はない。薬物学から方剤学を学んだのみでは,方剤学を離れてよい処方をなすことはできない」と述べている。葉廷珖教授は「本書は施先生の薬対配合を集めて詳しく解説したもので,その数も多く分類も詳細になされて調べるにも便利である。薬物単味の効用,配合による効能および臨床応用まで記載されて,系統的かつ科学性を持ち合わせている」と述べている。唐代・孫思の『千金方』には「大医になるには素問,甲乙,黄帝針経……本草,薬対および張仲景,王叔和の著書を熟読しなければならない」という記載も見られる。
 本書が世に問われて10余年になる。その間多くの読者に受け入れられ,専門家および政府からお褒めの言葉を受けることができた。1982年全国優秀科学技術書一等賞,1983年山西省科学技術成果二等賞を受けた。また,中華人民共和国建国35周年に中国革命博物館の重大なる成果の陳列に加えられた。

 各界人の言葉に答え,中国医薬学の発展を継承するため筆者はさらに改定を加えてここに『施今墨対薬』を編纂した。
 本書の編集,改定の過程で多くの人から支持と協力を得た。とくに祝諶予先生,李介鳴先生には多くの指摘,指導を受けた。ここに深く感謝の意を示したい。

呂 景 山
1995年10月 太原にて


施今墨先生の紹介

 施今墨先生は1881年3月28日生まれで,出身は浙江蕭山県,1969年8月22日に亡くなった。元の名は施毓黔,医者になった後に改名して施今墨となった。
 施今墨先生は母が病気がちであったために幼年期にすでに医学を志し,伯父で河南省安陽の名医であった李可亭先生から中医学を学んだ。
 父が山西で仕事をしていたので1902年に山西大学に入学した。1903年に山西法政学堂,1906年には北京京師法政学堂に転入した。学校では法律を学びながら中医学も学習した。1911年に京師法政学堂を卒業した。
 1913年山西に戻り医者として臨床に携わった。医業を自分の一生の職業と決心して1921年に再び北京に戻り,臨床に専念し医術の研鑽を積み重ねた。その後,施今墨先生の名は全国に知れ渡るものとなり北京四大名医の一人に数えられるまでになった。近代の著明な中医学者となったのである。
 施今墨先生は臨床に携わるとともに,中医教育の改革にも携わった。1932年には私財で北平に華北国医学院を設立し院長に就任した。医学院では中医基礎および臨床過程のほかに,西洋医学の解剖・生理・病理・細菌学・内科・外科・日本語・ドイツ語などの過程を設けた。これは当時の医学界にとって画期的なことであった。施今墨先生は自ら教壇に立ち,学生実習を指導した。医学院設立10余年の間に600~700人の学生を育成し,数10年にわたって学外においても多くの中医学の人材を輩出した。そのほかに,先生は1931年中央国医館副館長を任せられ,1941年には上海復興中医専科学校の理事長,あわせて北京・上海・山西・ハルピンなどの中医学院設立にも協力した。講義・研究などを通じて多くの中医学の後継者を育成し,その貢献には突出したものが見られる。
 解放後,農工民主党に入党し,中国人民政治協商会議の第2~4回全国委員会委員に選出された。また,中華医学会副会長・中医研究院学術委員会委員・北京医院中医顧問などを歴任した。
 施今墨先生は学術的に中西医結合を提唱し,30年代すでに「中医学を進歩させるには西洋医学の生理・病理学を参考にする以外に道はない」と明確な指摘をしていた。また,中医学の病名を統一すべきであるとも考えていた。20年代の診療に西洋医学の病名を応用して中医弁証との結合を試みた。血圧計・聴診器・体温計などを診断の補助に用いたがこれは当時とすれば珍しいことであった。また,中成薬の創製においてもこれまでの伝統を破り,気管支炎丸,神経衰弱丸など現代医学の名称を採用した。これら成薬は有効性が高く国内外から多くの支持を受けた。
 施今墨先生は祖国伝統医学理論への造詣が深く『内経』『難経』『傷寒』『金匱』『本草』および金・元・明・清代の医家を深く研究し,「傷寒」「金匱」の諸処方を熟知して証に応じた活用を行い,しばしば著明な効果が認められた。先生は中医を温補派と寒涼派などの門派に分けることには反対であった。また,中医と西洋医の区別についても同様であった。すべては治療を受ける病人が主体であり,治療効果を高めるためにそれぞれの医家のすぐれたところを融合し自己の経験を交えて己の見解,新しい考え方を提示した。学術面では先生は独特の見解をもち,「気・血は身体の物質的基礎であり,実が重要である。それゆえ弁証では,陰陽を総綱とし,表・裏・虚・実・寒・熱・気・血を八綱とする」と認識していた。これは祖国医学基礎理論の八綱弁証における新たな発展であり,祖国の医療業務に対する突出した貢献であった。1981年には中華全国中医学会および農工民主党が施今墨先生の生誕100周年記念会を行い,生前に成した偉業を高く評価した。

漢方方剤ハンドブック

[ 中医学 ]

序文

 胡先生がこのたび,東洋学術出版社より,『漢方方剤ハンドブック』を出版されることになりました。本書は,東京中医学研究会での講義を下敷きにしてまとめられたものです。私は15年にわたって先生の講義を聴講し,御指導をいただいてきましたので,多少なりとも先生のお人柄や勉強に対する態度について述べることが,本書を読もうとされる方への予備知識になるのではないかと思い,拙文を顧みず,一筆啓上することにいたしました。
 東京中医学研究会は,昭和52年頃,豊島区長崎の医師・薬剤師の有志10名ほどが集まって,医師の黄志良先生を囲んで寺子屋式で針灸の勉強会を始めたのがそもそもの始まりです。当時は,漢方薬82処方が保険薬として認められて,1年目の頃ではないかと思います。私は日本漢方や中医学の勉強会をとび廻っておりましたが,系統だった勉強会はありませんでした。55年,黄先生の針灸学講義の最終回に,漢方82処方の中医学的概要の講義をお聞きしました。その後,昭和57年にツムラ順天堂(株)の紹介によって,胡先生とめぐり会うことができ,それ以来,先生の中医学講習会は今日に到っております。今日では,医師,薬剤師が常時20名以上出席する勉強会を催しています。
 胡先生は講義開始30分前頃には会場に来られて,会員の色々の相談に応じて下さいます。会員自身の健康は勿論,会員の患者についても御指示いただき,これは非常に助かります。なんと申しましても,どの疾患に対しても即座に方剤なり,生薬処方が解答される知識の深さ,応用力の柔軟さには驚くばかりです。先生の講義態度は実に真面目で,講義の内容も相当の時間をかけて準備されるそうです。内容は誠に有意義で豊富な内容です。教わっている者をぐいぐいと引きつける充分な力を感じます。私自身,胡先生の講義を聞いてはじめて,漢方はよく効くものだなあと実感するようになりましたし,漢方を使う楽しみを味わった気がいたします。講義時間も実に正確に終了されます。これも講義の準備が周到であること,不十分な終わり方をさけようとされる先生の真剣な態度のあらわれといえるでしょう。
 今回出版されます本書は効能にしたがって大分類,中分類と分け方剤名をわかりやすく解説されております。したがって,どんな病気にどの方剤を使用すべきか,一目で判断できるようになっています。臨床に応用し日常の診療にすぐに役立つことと思います。
 この機会をかりて東京中医学研究会で長期にわたり御指導いただいておりますことを深く感謝申し上げます。

東京中医学研究会元会長
永谷義文・遠藤延三郎
平成8年秋

いかに弁証論治するか 「疾患別」漢方エキス製剤の運用

[ 中医学 ]

序文

 胡栄先生(菅沼栄女史)が,東洋学術出版社から本書を出版されるにあたって,序文を書くようにと求められた。私と胡栄先生は,親と子ほどの年令差があるが,胡先生は私が中医学を学んだ教師(日本では恩師,中国では老師と呼ぶ)であり,とても序文を書くような立場ではないが,10年ばかりの長い交際であり,私の了解している先生の人となりや学識について紹介し,この書を読まれる方の参考にしていただければ幸甚と思い,拙文を草して執筆をお受けした次第である。
 胡栄先生は北京中医薬大学を優秀な成績で卒業された才媛である。附属の東直門医院で中医内科の臨床を研修中に,同じ学院に留学し卒業された菅沼伸先生と結婚され日本に来られることになったとき,中医学院の幹部や教授連から渡日を延期してもっと才能を伸ばしてはどうかと,惜しまれ,引きとめられたが,夫君の菅沼氏の引力のほうが強かったというエピソードも伝わっている。
 1980年,故間中喜雄先生を会長とする医師東洋医学研究会が,北京中医学院から故任応秋教授をはじめ有名な教授達を招いて中医学セミナーを開催したとき,菅沼伸先生は音吐朗朗とした名通訳で,私たちの聴講と中医学の学習をたすけられた功は大であった。
 その後,日本の医師,薬剤師,針灸師などの間に中医学に対する関心が高まり,胡栄先生を講師とするイスクラ産業の薬剤師向けに企画した中医学の基礎から臨床までの定期的な講習会が新宿で開かれ,私も参加して聴講した。胡先生には失礼ながら,来日後まだ日が浅く,日本語に少したどたどしさがあり,スライドもあまり綺麗とはいえなかった。だがしかし,先生の講義には熱意と迫力が感じられ,言葉やスライドの物足りなさを補なって受講者を惹きつけるものがあったと思われた。
 さらにその後,信濃町の東医健保会館で,故人になられた木下繁太郎先生や中村実郎先生らが世話人で運営されていた東京漢方臨床研究会(株式会社ツムラ後援)で,私も世話人に加えられ,聴講者の減少に対する対策について意見を求められ,中医の弁証論治をテーマにして,張瓏英先生にも講義をお願いしたこともあった。しかし当時の聴講者から中医学基礎理論につかわれる用語は理解しにくいという意見もあり,しばらく胡栄先生の系統的講義をお願いしようということになり,スライドを新しくしたり,講義内容の要点がプリントして配布されるようになった。やがて聴講者が増加して,毎回50名以上になり,会場から溢れるほどの盛況になった。
 豊島区でも,永谷義文先生らを中心とする中医学の勉強会を担当されていたこともあり,先生の日本語は急速な進歩を遂げられ,ときには早口で聴きとりにくいことさえあるほどになった。先生は2時間の講義のために,自宅で5~6時間以上をかけて準備され,その内容をノートにびっしり書き止めて持参されるという。先生の真面目な責任感と受講者の臨床に役立つ,わかりやすい内容にしようとする熱意が,講義をいきいきとした雰囲気にし,先生の人となりと相待って,講座を盛況にみちびいたと思われる。他の講習会に見られないのは,定刻の少し前から集まり始める受講者が最前列から着席し,開会の頃には最も後ろの席まで埋まるという状態で,受講者の熱心さを物語っている。
 本書にも紹介されているように, 先生は日本に来られてから,イスクラ関係の薬局で,薬剤師さん達のいろいろな相談に応じるうちに,日本の漢方の使いかたや,患者さんの特徴などを理解されるようになった。先生の体験は講義の中でもいかされ,中医学の生薬や漢方ばかりでなく,使えるようなエキス剤があれば,それを紹介するというように,日本の医師や薬剤師が日常の臨床で利用できるように配慮されている。本書の読者は随所にこの事実を理解されるだろうと思う。
 1980年に任応秋教授の陰陽五行学選についての講義を聴いたとき,カルチュア・ショックを感じたのは,私一人だけではなかったであろう。それから15年を経て,中医学の基礎理論,弁証論治,経絡学説,中薬学,方剤学などについて,未熟ながらも多少は理解し,日常の婦人科,とくに不妊患者の診察にかなり役立つようになっているように思う。
 長期間にわたって胡栄先生から受けた薫陶が,今後の私の中西医結合の臨床に大きな援助になることを確信し,この機会に心から感謝申し上げ,擱筆する。

産婦人科菅井クリニック
菅 井 正 朝
1996年4月1日


はじめに

 4年後,21世紀を迎えたとき, 日本における中医学の普及・応用はどうなっているだろうか? これを考えると私はとても楽しい気分になります。「光陰 矢の如し」,日本に来てすでに16年の歳月が経過しました。来日当初は,大変な緊張状態におかれ,とても生活を楽しむゆとりなどありませんでした。日本語も日常会話からではなく,中医学の翻訳・通訳の仕事をやるなかで,中医学用語から徐々に覚えていったのです。ですから来日2年後に,初めて中医学の講義を依頼されたときも,中途半端な日本語に自信がもてず,失敗が怖くてお断りしていました。しかし,受講する先生達から「日本語が話せないときは,中国語を書けばよい」と励まされ,なんとか講義をスタートさせることができたのです。
 あれから,講義や臨床相談の仕事をするようになって気づいたことは,日本で漢方を研究される先生は多いが,中医学理論の知識はまだ浅いということでした。
 複雑な疾患を,古文の条文にあてはめて解決しようとしても,治療は困難です。
 中医学の真髄は「弁証論治」に集約されています。「弁病」と「弁証」を結合することができれば,自由に臨床応用の巾を拡大することができるでしょうし,「小柴胡湯」の副作用問題などにも惑わされることなく,よい結果を得られるに違いありません。第一線で働く医師や薬剤師に,この中医学理論を伝えたいと,私は強く思うようになりました。
 本書は,参加者の要望にもとづいた漢方講座の講演内容と,『中医臨床』誌に執筆したものをまとめたものです。臨床各科のうち27疾患について,病症をどう弁証し,日本で入手できるエキス剤と中成薬を用いて,どう論治するかをのべました。私は,この本によって,まず弁証論治というシステムの流れを理解していただければと願っています。治療には,主にエキス剤と中成薬を使用するようにしました。本来,治療は漢方生薬を調剤して用いるほうがよいのですが,日本の臨床現場では,まだ無理な点が多いと考えたからです。しかし,将来,中医学の処方を自由自在に使えるようになれば,どんなに素晴らしいことでしょう。そんな21世紀を想起すると楽しくなってくるではありませんか。
 浅学な私の著作が,「拠磚引玉」(瓦から玉を引き出す)となって,先生方のご高見や,ご批判を得られるきっかけとなれば,なにより嬉しく思います。ぜひ,ご指導・ご鞭撻をお願いいたします。
 中国に梅を詠んだ有名な詩があります。「寒梅は美麗を競わず,ただ春を告げるのみ。山の花が爛漫と咲くとき,叢(草むら)にあってひとり微笑む」といった内容です。私の拙い著作が,日本の中医学普及に少しでも役だつようであれば,望外の喜びです。
 この本の出版にあたって,私の最も尊敬する菅井正朝先生に序文をいただきました。本文の基礎となった漢方講座に推薦していただき,誠意をもって私を励まし続けて下さった先生のご厚情に心から感謝の意を表したいと思います。

菅 沼 栄
1996年4月2日

症例から学ぶ中医弁証論治

[ 中医学 ]

日本の読者諸氏へ

 このたび,拙著『症例から学ぶ中医弁証論治』が生島忍氏の翻訳により,日本の読者諸氏に読まれるはこびとなった。このことは中日両国の文化交流・友好関係を積極的に推進するものと信じる。この機会を借りて生島忍氏そして東洋学術出版社に対し,心からの感謝の意を表したい。以下日本の読者諸氏に私の考えをいくつか述べる。本書を読まれる際の参考にされたい。
 医聖・張仲景先師は『内経』,『難経』その他の医学理論を「勤めて古訓を求め,博く衆方を采る」とともに,自己の臨床経験に照らし合わせて,「弁証論治」なるものを提起した。この「弁証論治」とは一種の医学的思考方法であり,また一種の有効な治療体系でもある。さらに仲景自身の特徴と規則性を具備し,まさに中医学における精華である。弁証論治がうまく運用されてはじめて治療効果が高められ 疾病治療が行える。これに反して,弁証論治の法則を無視すれば,あたかも大工が準縄をなくしたごとくで,患者の病を治療することはできず,起死回生という神聖な職責をまっとうすることができない。
 独学で中医学を学ばれている方々に申し上げたいのは,中医の基礎理論を学習された後は,さらに進んで弁証論治のやり方を学ばれたい,ということである。もっとも,基礎理論が充分に把握できてはじめて,弁証論治がよく理解できるということはいうまでもない。なぜならば,弁証論治と中医理論は密接に関連しており,どこからどこまでがどっちと分けることができないからである。もしも中医理論の学習のみを重視して,弁証論治の学習がおろそかになると,中医理論の臨床における実際的かつ正確な運用はおぼつかなく,結果として治療効果は向上しない。またもし弁証論治の学習のみに努力が払われ,中医理論がおろそかにされると,今度は弁証論治の奥行が深くならず,正確な弁証論治はできず,さらには臨機応変な弁証論治の運用に支障をきたすようになる。よって弁証論治と中医理論は,表面上は2つのものであるが,根源は1つの関係にある。
 本書第7章の「弁証論治学習上の問題点」は,弁証論治の初学者に対して,どのようにしてこれを学習していけばよいのかについて,筆者なりの見解を示したものである。言い換えれば,弁証論治の入門章といえる。この章を学ばれた後,もう一度第1章から読み直していただければ,弁証論治の実際的運用がさらによく理解されよう。全体として本書は弁証論治の入門書という目的に沿って書かれてある。
 日本の漢方学習者から,「弁証論治と方証相対とはどう違うのか」との質問を受けたことがある。筆者は,両者は基本的には同一のものであると考える。いわゆる方証相対という考え方は,現代中医学にはない。また『傷寒雑病論』のなかにも出てこない。しかし後世の人びとは,学習と暗記に便利なように,某某湯(方)は某某証を主治するとか,某某証は某某湯(方)が主治する,といった方法が採られたため,「方証相対」という方法が次第に形成されていったと考えられる。それで,これも実際は「弁証論治」の範疇に属すものと考えられる。なぜなら,「証」というからには弁別・認識という思考過程を必要とするからである。桂枝湯を例にとってしめす。
 「太陽の中風,陽浮にして陰弱。陽浮は熱自ら発し,陰弱は汗自ら出づ。嗇嗇として悪寒し,淅淅として悪風し,鼻鳴乾嘔する者は,桂枝湯之を主る」とあるが,ここで述べられている桂枝湯の「方証」とは,仲景先師が「弁太陽病脈証併治」という診断基準にもとづいて,弁別・提起した証候とその治療法のことである。仲景先師が『傷寒雑病論』で「弁証論治」という臨床思考方法を唱えて以来,歴代の医家たちはこの方法を自分たちの臨床経験および医学理論に結びつけてきたため,弁証論治の内容は次第に豊富となり完成されたものとなった。中医学の精華である。
 いわゆる「相対」とは,機械的固定的な関係をいうのではない。例えば桂枝湯の方証中にはさらに,「桂枝は本(もと)解肌と為す。若し其の人脈浮緊に,発熱して汗出でざる者は,与う可からざるなり。常に須らく此を識り,誤らしむる事勿かるべきなり」とか,「若し酒客の病,桂枝湯与う可からず」などがある。これらから解るように,1つの薬方は1つの病証を治療するが,時・地・人などの要因によって薬方の使用は制限を受け,具体的な病情にもとづいて弁証論治を行ってはじめて,方と証とが相い応じて疾病が治療できると,仲景先師はすでに述べているのである。もし方と証とを機械的に絶対固定的なものとしてしまうと,人の命を危うくし,また壊病をつくる原因ともなる。

 清代の医家呉儀洛は,その著書『成方切用』の序文の中で,「仲景の時代から今日に到るまで,治病においては病機を審(しら)ペて病態の変化を察知せねばならないということに変わりはない。……病には標本・先後の違いがあり,治療においても緩急・順逆の相違がある。医の大事な点は,病態の変化をいちはやく察知して適当な薬を処方することである。かりそめにも1つの処方に固執して数知れない変化に対応しようとすれば,実証を実して虚証を虚し,不足を損ない有余を益することになり,病人を死に至らしめる結果となる」と言っている。
 私の個人的な見解を述べさせてもらうなら,中医学の学習研鑽には,いわゆる「方証相対」の方法を用いてもよい。この方法を用いると暗記やまとめに便利であるばかりか,学習や研究の助けともなる。しかし実地臨床においては,必ず「弁証論治」の法則を指導原則として,臨機応変にこれを活用していくことが肝要である。まさに古人の言う「薬を用いるは兵を用いるが如く」,あるいは孫子の言う「戦争にはきまった情況というものはない」という言葉で表現されるように,疾病治療には画一的で固定した処方などというものはない。そのため医者たる者は,『素間』『霊枢』を深く究め,医理に精通してはじめて,複雑に変化する病態がよく把握でき,理・法・方・薬の選択も適切となる。
 人類の疾病は宇宙間の万事万物と同様,それぞれに特徴があり,また非常に複雑でかつとどまることなく変化して行く。弁証論治の方法を用いることによって,疾病の認識と治療は行えるのであるが,人の居住場所・風俗習慣・体質などはそれぞれ異なり,また体質にもとづく病性の変化,風雨寒暑の影響などの違いも考慮に入れねばならない。そのため弁証論治を行う際には,「同じものの中に異なったものがある」とか「異なったものの中に同じものがある」といった情況もあり得るから,必ず詳細に弁別して混乱しないよう務めなければならない。
 弁証論治の運用面について言えば,歴代医家達の学術観点や学派の違いなどから,非常に多くのまたさまざまな経験が蓄積されている。それゆえ,弁証論治といっても,一種の絶対的画一的で融通性のないもの,とみなしてはならない。
 疾病は複雑で変化し易いが,しかし認識して規則性を求めることは可能である。弁証論治とは中医理論を指導原理として,陰・陽・寒・熱・虚・実・表・裏・真・仮・合・併・営・衛・気・血・臓・腑・経・絡などの各種病証について弁別してゆくものである。それゆえ弁証論治とはかなり厳格で規範性をもつものではあるが,臨床的によく見られる陰中に陽あり,陽中に陰あり,陰陽転化,寒熱錯雑,虚実兼挟,伝変従化,同中有異,異中有同,風寒暑湿,気至遅早,老幼壮弱などの複雑な状況をも注意して混乱なく弁別しなければならない。このように弁証論治もまた,人・時・地の制限を受けるから,融通性をもたせて活用すべきである。この辺のことが理解されれば,仲景先師の「思い半ばに過ぎん」の境地である。

 まとめると,弁証論治は中医学の精華であり,臨床的には疾病治療に有効な医療技術である。人類の知識は絶え間なく蓄積され,科学や医学理論も日増しに進歩しているのにしたがい,弁証論治の水準も次第に高まってきている。特に近代以来は,西洋医学の長所や科学技術もとり入れるようになった。それゆえ,弁証論治もとどまることなく進歩・充実・向上している。そして多くの医家たちによって実践され,補充・発展しており,人類の健康・長寿に貢献している。
 最後に,生島忍氏はじめ各位に対し,もう一度感謝を申し上げたい。
 浅学非才の筆者ゆえ,書中に欠点や誤りもあろうかと思う。読者諸氏の御批判・御教示をお願いする次第である。

焦 樹 徳
1988年12月 北京にて

中医病因病機学

[ 中医学 ]

序文

 宋鷺冰教授主編の『中医病因病機学』は,中医病因・病機学における学術成果を,系統的かつ余すところなく継承した著書であり,本学科における学術レベルの高さを示すものです。本書を広範な読者の皆様にご紹介できることは,本書のプロデュースに携わった者の一人として,喜びに耐えません。
 分化と統合とは,科学を発展させるために不可欠な要素であります。中医学は,『内経』および『傷寒雑病論』が登場するに及び,中国医学史上第一段階の統合を果たすとともに,天人相応論という総体論と,弁証論治とを統合することにより,科学的な医学体系を作り上げました。そして仲景以降,隋,唐に至るまで,科学・文化の発展にともない,中国医学は一貫して科学的分化を発展させてきました。その結果,『諸病源候論』のような,病因病機学の専門書を生み出し,13の臨床学科を創設しました。統合と分化は,中国医学の発展を促すとともに,これを地域的な民族医学から,東洋の医学へと押し上げました。
 ところが,唐,宋以降は,中薬学と温熱病学が発展したほかには,これ以上の細分化や高度な統合は見られなくなりました。中医学は,中国文化と共生してきたという歴史の制約を受けているために統合性は高いが,分化という面,特に理論面での分化は,立ち後れています。それが中医学の発展を遅延させる一因ともなっています。
 古代に形成された原初的理論を系統的に整理・研究し,専門書および新しい学科を創設し,中医学をさらに細分化することは,研究を促し,人材を養成して,中医学全体を発展させます。そしてこれこそが,本書を編集した目的であります。
 いかなる科学も,過去業績を継承することによってはじめて発展します。しかし,継承は目的ではなく,科学発展のための手段にすぎません。多くの専門家,老中医,青年中医が一堂に会し,テーマを選び,整理研究と討論を繰り返すことは,古代医学家と現代の専門家の経験を継承し,人材を養成するための有効な手段となります。『中医病因病機学』は,このような方法によって目的を達成しようとするものです。
 ただし,科学研究とは,とりもなおさず創造的な作業であります。中国医学を継承発展整理・向上させることは,長い年月を要する壮大な事業であり,本書だけで完成できるものではありません。したがって,本書は,千年の梅の古木に生えた若木のような,わずかな成長の兆しでしかありえません。私たちは園丁のような気持ちでその若木を守り,水を注ぎ,剪定し,科学というフィールドでたくましく育てていきたいと思います。

侯 占 元
1983年9月 蓉城にて

中医弁証学

[ 中医学 ]

序文

 教材の制作は,中医高等教育事業の基本事業の1つであり,また資質の高い人材を育成する鍵となるものである。中医学院の創立30年来,中国では全国の統一教材を制定してきたが,これは中医学理論の系統的な整理および教育の質の向上に対して,非常に良い作用を発揮してきた。しかし社会の発展につれて,中医高等教育に対してより高い要求が課された。もともとの中医教材の学科構成は,基本的に宋代以来の学科分類にもとづいたものであり,ある種の自然発生的傾向と不合理性が存在することは免れず,すでに現在の教育,臨床,科学研究のニーズに適応できなくなっている。中医学科の分化の改革は,時代のニーズに応じるべき時期にきており,また建国以来の中医学のたゆまぬ発展も,学科の分化を可能ならしめている。
 1984年,我々は全学院の教員と学生により中医基礎学科の分化問題について,真剣な討論と研究を行った。その結果,まず中医学導論,中医臓象学,中医病因病機学,中医診法学,中医弁証学,中医防治学総論,中医学術史等の新しい中医基礎学科を提案し,関連する専門家の判断をあおいだ後,本学院の専門教師を組織して中医基礎学科系列教材の執筆に着手した。このプロジェクトは衛生部中医司の指導者の支持と承認を得ることとなり,2年余の努力により現在,この一系列の教材をついに世に問う運びとなった。
 この教材シリーズは次の10学科からなる。
  『中医学導論』は主として中医学科の性質,特徴,学科体系,中医学の古代哲学基礎などの内容を紹介している。
  『中医臓象学』は主として人体の組織構造と生理機能活動の法則を論述している。
  『中医病因病機学』は主として疾病の発生の原因と変化の一般機序について述べている。
  『中医弁証学』は主として中医弁証の理論と方法について紹介している。
  『中医診法学』は主として中医の疾病診察の一般法則と方法について述べている。
  『中医防治学総論』は主として中医の疾病予防と治療の原則および方法について述べている。
  『中薬学』は主として中薬の理論と応用知識について紹介している。
  『中医方剤学』は主として方剤の組成原則と成分,効用,適応範囲について述べている。
  『中国医学史』は主として中国医薬学の起源,形成と発展の史実について述べている。
  『中医学術史』は縦横2つの方面から中医学術理論の形成と発展法則について述べている。
 我々がこの教材シリーズを執筆した主旨は,学科の性質と研究範囲にもとづき,中医薬基礎理論の知識を系統的に分化,総合することにある。内容的には歴代の中医学の精華をできるだけ総合し,現代研究の成果を反映させるように努めた。さらに全国統一教材の成功した経験を取り込み,中医薬学の特色の保持と発揚に努めることにより,教育,臨床,科学研究のニーズを満たすように努めた。
 このような中医基礎学科の分化改革という仕事は,我々にとってはまだ初歩的な試みである。いろいろな点において,問題があることは避けられないことである。多くの読者からこの教材に対しての貴重な意見をいただけることを切望する。

上海中医学院
名誉院長 王 玉 潤
院長 陸 徳 銘


まえがき

 中医弁証学の起源は『内経』にあり,『傷寒卒病論』で成熟して今日に至っている。その歴史は2000余年におよび,たえず中医学の基本的な内容の1つとされてきた。しかしながら1つの独立した学科となったのは,近年において中医学科が分化するなかにおいてである。弁証学は,1つの中医基礎学科である。この学科は中医臓象学,病因病機学,診法学を基礎にして,中医弁証の理論と方法を研究する学科であり,臨床各科の弁証論治のためのものである。
 本書は本学院が執筆した中医基礎系列教材の1つである。本書は総論と各論からなり,総論では症,証と弁証という3つの基本問題について論述しており,弁証の理論的基礎,弁証の内容と方法および弁証の綱領である八綱について詳細に論述を行った。各論は病邪弁証,病性弁証,気血陰陽弁証,病位弁証,臓腑弁証,経絡弁証,六経弁証,衛気営血弁証,三焦弁証といった内容を含んでおり,260余りの証候について論述を行った。病邪弁証から始まり,簡単な内容から複雑な内容へと論述を進め順序だって学習が行えるように配慮した。それぞれの証については,その主症,症状・所見,証状分析,本証の進行と影響,関連する証候との鑑別,弁証ポイントが紹介されている。
 本書では八綱を弁証の綱領として位置づけ,臓腑弁証の内容を充実させており,さらに奇経八脈弁証をつけ加えている。それぞれの証候の主症をはっきりと提示し,証と証との間の関係と区別を明確にしている。内容を詳細で確実なものとし,臨床の実際に符号させ,臨床で活用できるように努めた。
 弁証学という新しい教材を執筆することは,初めての試みである。その内容は複雑であり,執筆にあたって若干の誤りは避けがたいところである。読者の批評ならびに指摘を歓迎する次第である。

編 者
1987年4月

[詳解]中医基礎理論

[ 中医学 ]

日本語版のための序文

 私が東京で講義を行っていた1994年に,東洋学術出版社の山本勝曠氏の来訪を受けて初めてお会いした折り,同氏が,拙著『中医基礎理論問答』を日本の医学界の同道の士に紹介したいと考えていることを知った。これは中日の中医学交流にとって実に素晴らしいことである。山本氏は博識豊富で,長年来,中医学の学術交流と出版事業に尽力し,わが国の中医界からも高く評価されておられる方である。酒を酌み交して歓談し,伝統医学の発展と前途について思う存分話し合い,おおいに意気投合した。知り合ったのは最近でも,旧知の如く親しくなれたのは,これもまた人生の楽しみと言えよう。
 原著『中医基礎理論問答』は1980年に書かれた。本書は本科,研究科,西学中班(西洋医が中医を学ぶ班)の学生が抱いていた疑問に答え彼らの迷いを解くのに適したものであった。本書はまた当時の中医理論の教学に存在していた一部の概念や疑問点に対し,初歩的な検討と解釈を試みたので,中医学の教学の実践と理論研究に有益なものであった。1982年の出版以来,何回も増刷され,発行部数は10万冊を越え,国の内外に広く流布し,医学界の同道の士の推奨を博し,清新な観点で透徹した論述の優れた著作であるとのお褒めを戴いた。内容が不十分で名実が伴っていないのではと当初は思っていたが,確かに中医の教学と理論研究に対して一定の啓蒙作用と疑問を解く作用を果たしたことを鑑みるとき,その功績は決して無に帰すことはないと,今では,なんら臆することなく言うことができる。
 しかし,指摘しておかなければならないことは,本書を撰述した時期は,中医理論の整理の初期段階であり,その当時の情勢の影響を受けて,その思想観点の一部には偏った所が存在することが避けられなかったことである。特に陰陽五行学説の内包性に対して,まだその発掘と整理が充分なされていなかったことと,気一元論(元気論)などの重要な内容に言及しておらず,欠如させてしまったことである。したがって本書は内容において,前半は疎略,後半は詳細といった誤りを犯している。
 この13年来,中医理論は系統的な研究の面で著しい成果を収め,理論観点も絶えず深まり完成の域に近づいてきたので,今回の日本語版出版の機会に,緒論と陰陽五行の部分に対し,必要な拡充を行った。主要な補充は,中医学理論体系の中の唯物弁証観,中医学の基本研究方法,気一元論(元気論),陰陽五行学説の源流・沿革・発展,五行の制化と勝復調節,陰陽五行学説の現代的認識,陰陽学説と五行学説の相互関係及び総合運用などである。このように中国語版の不足を補ったことによって『中医基礎理論問答』は,日本の医学界の面前にまったく新たな姿で登場することとなった。中日両国の医学界の友人が,相互に切磋琢磨し,手を携えてともに歩み,中医学の理論体系の発展のために共同して奮闘努力する上で,本書はその一助となるであろう。

劉 燕 池
1995年8月 北京中医薬大学において


原著まえがき

 中医学の基礎理論を深く掘り下げて学習し全面的に把握することは,中医学のその他の各部門を学ぶための基礎となる。中医学理論の基本概念・基本内容・基本法則・基本方法を正確に理解し体得することはまた,中医学の基礎理論知識を的確に学ぶためのカギである。とりわけ学習過程において分からない問題を解決することは,学習に対する熱意を鼓舞し,学習の進度を速め,学習のレベルを高めるうえで,ことさら重要な意義を持っている。
 筆者は長年にわたって中医理論の教学と臨床実践に従事し,学生が提起した質問や疑問に対して答え,また世間の人が手紙で質問してきた基礎理論に関する問題に書面で答えてきたが,そうしたことを通じて,中医学の基礎理論における一部の概念や疑問点に対してはさらに研究を行い,討論を深める必要性があることを強く実感した。そこで,これまでの中医学院本科および西学中班(西洋医が中医を学ぶ班)の基礎理論の教学過程で,学生が提起した問題と一般の人が手紙で訊ねてきた問題の一部を集め,学院と教研室の関係各位の積極的な支援の下に,本書を共同で編纂執筆した。その意図するところは,中医理論の教学の中の一部の概念や疑問点に対し,一定の深みと幅をもった検討と解答を行って,学生,教師,及び中医理論を自習し研究している同道の士の学習の手助けとなり,おおいに益するものとなることにある。
 本書は中医学院本科や西学中班の教学指導の参考資料となるだけでなく,中医基礎理論を自習する者の補助参考書となるであろう。
 本書で取り上げている問題は一定の普遍的意義をもっている。また,その解答内容は当面の中医基礎理論教材に立脚しているだけでなく,中医理論体系を尊重し伝統的概念を明らかにするという基礎を踏まえている。さらに本書は一連の新たな見解や解釈を試み,できるだけ掘り下げた内容を平易な表現で示し,また全般的視野を持って特定の意見に偏ることを避けるようにしているので,中医学の基礎理論の問題を深く理解し把握するという目的に合致するものである。しかし,我々の教学レベルには限りがあり,医療経験も不足しているので,問題をはっきりさせて解答する点において,欠点や誤り,さらには曖昧な所が存在することは充分に考えられることである。したがって広範な読者諸氏のご批判とご指導を切に仰ぐものである。
 本書の執筆と編纂の過程で賜った,任応秋教授,印会河教授,程士徳助教授のご指導とご校閲に対し,ここに感謝の意を表する。

編 纂 者
1981年3月 北京中医学院において


本書の発行にあたって

 本書『詳解・中医基礎理論』は,『中医基礎理論問答』(上海科技出版社1982年刊)を底本として全文を翻訳したものである。ただし,巻頭の「緒論」と「気一元論・陰陽学説・五行学説」の部分は,本書主編者の劉燕池教授が,日本語版のために特別に全面的に書き改めたものを翻訳した。
 本書の原本が出版された80年代初期は,文革によるさまざまな制約から解放された中医派が,中医の再興を目指して最も精力的に活躍した輝かしい時代であり,歴史に残る優れた書籍が数多く出版されている。本書は,そうした活気に満ちた時代に,当時の最先端を行く執筆者たちが全精力を注いで書いた極めて意欲的な書籍である。
 本書は,創設されたばかりの大学院の学生向けに,中医学の真髄をより深く理解させるために編纂された中級用副読本である。初級用教材『中医学基礎理論』を学んだ学生たちが,貪るように読んだといわれる。教科書についで最も多く読まれた定評ある本である。
 初版原本の哲学部分は,文革時代の思考方法が色濃く残っていて,今日の時代思想と合わない表現が随所に見られたため,95年にちょうど来日された劉燕池教授に相談をし,新たに書き下ろしていただいた。原本よりも相当字数が増えたが,約10年間に発展してきた中国の研究成果が十分に盛り込まれており,新鮮な内容となっている。陰陽・五行学説を統合する形で新たに「気一元論」が加えられ,気の位置づけがより鮮明になった。五行学説の項は,これまでの平面的・静止的な五行関係が立体的・動態的なものとして描かれている。そのほか,全体を通じて大変充実した内容であるが,「症例分析」の項はとりわけ本書の特色をなすもう1つの部分だろう。中医学基礎理論を学んだあと,その知識を臨床にいかに応用するかは,われわれ日本人にとって一番の関心事であるが,このような問題に親切に応えてくれる書籍は残念ながら,中国ではあまり出版されない。一挙に高レベルな老中医の医案集になってしまう。多分,そのような初級から中級への過程は,大学の臨床実習において教師が丁寧に教えてくれるからだろう。われわれが接した数多くの書籍の中で,本書が唯一われわれの願望に応えてくれる書籍である。「症例分析」の項は,症例を挙げて,中医弁証論治の進め方を実に丁寧に解説してくれている。読者にとっては,この症例分析のモデルがきっと臨床へ進むにあたっての水先案内になってくれるであろう。
 本書は,複数の訳者が翻訳をし,浅川要氏が全体の統一と監訳を行ない,編集部が日本語表現において修正を加えた。

東洋学術出版社 編集部

 

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