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▼書籍のご案内-序文

脈診

[ 中医学 ]

 脈診は,切診とも称し中医臨床の四診(望・聞・問・切)の最後に位置するものである。これは中医臨床における疾病の診察・病状の分析・病機変化の検討・弁証論治方案を制定するための重要な診察法の1つであり,古より長きにわたり臨床医家が重視してきたものである。歴代の多くの著名な医家は生涯にわたりその道を研究し,脈診の体験を書物に著し説を立て,後世の人に学習しやすいように残した。しかし,脈学診法の内容は広くて深く,流派は数多くあり,その源は深くその流れは長い。そのため脈診の文献や書籍は各種あり,学習の参考を提供しているが,初学者にはその要領を掌握することは容易ではなく,はなはだしくは入門しようにもできない。そのため,はじめて脈診を学びその難しさを知りあきらめたり,あるいは生半可な知識を求めるだけの者は数知れない。たとえ長期間臨床に従事している医家でもその道に精通している者の数は多くない。
 このたび山田勝則氏が執筆した本書『脈診―基礎知識と実践ガイド―』は,「脈理」「脈診」「病脈」の3篇で構成されている。本書の編集過程では努めて追求探索を行い,収集された古代脈診学の精華を基礎として,一家に偏ることなくまた一流派の見解を支持することなく,数年を経て幾度となく原稿を改変し,合わせて個人の臨床体験や脈診方法を集約し,それを結合させて本書となった。本書全体は厳格に中医学の伝統的な理論を遵守しており,また古いもののなかから新しいものを作り出している。そして脈診の学習中に多くの初学者が入門途上で感じる戸惑いやわかりにくい問題を,わかりやすく内容のある表現で解釈している。本書はとりわけ各種脈象の形成医理(脈理)および脈診過程での細部にわたる要点を分けて論述しており,そこでは精密周到であり,筋道をはっきりさせ,帰納を首尾一貫させ,一目瞭然とし,読んでイメージを生み,比喩も妥当であるように努めている。つまり本書全体は「簡明扼要,易学易記」(簡単明瞭で要点をおさえ,学びやすく記憶しやすい)ということができ,実に初学者の参考にするには得難いものである。
 そのほかに本書最後の付録篇では,初学者の臨床応用を強化するため,特別に臨床でよくみられる「相兼脈」の主症と主病を例としてあげている。これは本書でおのおの分けて論述した脈象を有機的に関連させて一体と成ったもので,この「相兼脈」を使うことでさらに実際の臨床に近くなるよう,ここでは臨床で実用的な価値のある代表的な例をあげて説明している。もしきちんと本書を閲読し,書中で述べている各種脈象および「相兼脈」形成の医理を仔細に会得し,臨床での脈診を反復して体験すれば,やがて脈診を自在に運用できる境地に進むことができるであろう。脈診を学ぶことは,疾病の診療技術を向上させることに対してとても大きな助けとなる。

何 金森   2007年11月 中国上海中医薬大学にて

   

  まえがき

 「脈診の勉強をしたのになぜか臨床で使えない」と悩んでいる人が多いのではないでしょうか? 実は私もその1人だったのです。しかし,使えない理由はそれほど複雑なことではなく,次の3点だったのです。
 
●その1:さまざまな脈が現れる理由を正確に理解できていない。
      (脈理の知識不足)
●その2:脈象を判断するときの拠りどころがはっきりしていない。
      (脈象の基準がない)
●その3:病脈と病気の関係をすぐに忘れてしまう。
      (暗記依存型)
 
 いかがでしょうか? いくつか思い当たるところがあったのではないでしょうか。この理由を解決するのが本書の目的です。解決すべき内容が多すぎるようですが,互いに関係しているところもあるため心配ありません。それでは,その解決法を説明します。
 
解決法 その1
 脈理の知識不足の解決法は,中医学の基礎理論を理解することです。基礎理論さえ理解していれば脈理は簡単です。本書では脈と関係のある基礎理論を利用して説明しているので,基礎理論の復習にも役立つことでしょう。
 
解決法 その2
 脈象の基準がないことの解決法は,基準をはっきりさせることです。本書では,例えば脈の太い細いは何をもって決めるのか,また脈流の滑らかさや渋滞をどのように判断するかなど,それぞれ基準を設けて説明しています。ですから,この基準を把握すれば脈象判断は明確になります。
 
解決法 その3
 暗記依存型の解決法は,脈理を理解することです。そうすれば暗記する必要はなくなります。例えば,脈が浮いてくる理由を理解していれば,それに対応する病気は自然と選択できます。ですから,ここの解決法は脈理をしっかりと理解することです。
 
 さて脈診という膨大な内容も,以上の解決法を行えば,難しい脈診の世界も意外と身近なものになることでしょう。
 本書の内容は私の浅い臨床経験によるものですので,どれだけみなさんの参考になるか心配ですが,もし多少ともみなさんの臨床のお役に立てば幸いです。
 最後に,監修していただいた上海中医薬大学・何金森教授に感謝いたします。浅学な私が脈診を語ることができるのは,何金森教授のご助力があったからです。本書の原稿段階で先生から多くのことを学び,本書の内容を豊富にすることができました。(山田勝則)

いかに弁証論治するか【続篇】――漢方エキス製剤の中医学的運用

[ 中医学 ]

 序文


 胡栄(菅沼栄)先生が東洋学術出版社より「いかに弁証論治するか」続篇を出版されるにあたり,序文をと求められました。胡先生のわかりやすい講義と的確な観察眼,そして謙虚かつたのしいお人柄に惹かれておりますので,僭越を承知の上で筆をとらせていただきました。
 私は西洋医学を標榜している開業医ですが,日常西洋医学のフイルターにかからない身体の不調を訴える患者さんが多くおられます。血液検査,CT,MRIをもってしても異常が見つからず,自覚症状は全く消えずという場合に,中医学が解決法を与えてくれた症例を何度も経験しました。その際に西洋医学的な診断法では治療の道筋が見えてきませんので,中医学の眼で弁証する必要があります。が,ネイテイブな中医学者でないものにとって,それはなかなか難しいことであり,私もついつい西洋医学の病名を元に漢方の処方を考えてしまいます。
 しかし,この本は「病名」または「症状」からいくつかの処方に絞りこみ,そこに中医学の簡単な中医の弁証を加えれば正しい処方にたどり着けるという誠に親切な造りになっております。
 つまり,最初西洋医学の頭でアプローチしてから,途中で中医学に自然に切り替えることができるわけです。また,日常の臨床で頻繁にお目にかかる疾患が前版同様に勢ぞろいしております。
 この「いかに弁証論治するか」続篇は,西洋医学を学んだ医師が正しく漢方薬を処方するのに必須の入門書となると確信しております。

2007年5月1日
本阿弥医院  本阿彌 妙子 

  序文


 この度,東洋学術出版社より『いかに弁証論治するか』続篇を出版されるにあたり,著者である胡栄先生から序文を求められ,浅学非才の身である私がとても序文を書くような立場ではなく迷いもしたが,先生と私は公私共々長いおつき合いをさせて頂いており,胡栄先生のひととなりを私なりに御紹介することで読者の皆様に少しでも役立てればと思い,お引き受けすることにした。
 そもそも私と胡栄先生との出会いは10数年前に遡る。当時私は母校である日本医科大学の学生で,大学のセミナーで現在同大学の微生物免疫学教室主任教授かつ東洋医学科の部長であられる高橋秀実先生から,東洋医学についての手ほどきを受けた。その際に中国医学が実際の医療としてどのように使われているのかを見学する機会を得たのだが,そこで初めて私は胡栄先生と出会ったのである。当時の胡栄先生はあちこちで講義をされ医師や薬剤師に処方のアドバイスをなさっていたが,患者さんの状態に応じて自由自在に処方を加減していく様子を拝見したときには思わず息をのんだものである。それからというもの,ことあるごとに私は胡栄先生の講義を拝聴し,医師になってからは実際の患者さんの相談をさせていただくようになり,その度に中国医学の奥深さに感銘を受け,この医学が現代の病にも十分に効果を期待できる医療であることを実感するようになったのである。また胡栄先生は西洋医学に対しても非常に理解を示され,東西の域を超えて柔軟性をもって一つの病態に取り組み,医療が患者本位のものであるべきことを示されてきた。このため私は胡栄先生から中国医学だけでなく医師としてのあるべき姿を学ばせて頂いたように思う。このように記すと,胡栄先生がなんだか学問一筋で生真面目な印象を与えてしまうかもしれないが,普段着の胡栄先生はユーモアたっぷりのおおらかな方であり,近視が進んだといってはりきって高額なコンタクトレンズを購入されても,めんどうくさいといって結局ほとんど装着することもなく,あいかわらず見えないまま歩かれるため道に迷うこともしばしばで,それを方向音痴の私のせいになさって笑ってすましておられるといった調子である。いずれにしても私の知っている胡栄先生は常に自らが学び,そして教えることに喜びを感じていらっしゃる御様子で,ご家庭をおもちの身でありながら全国津々浦々御講義に奔走される日々を送られ,中国医学を広めることを御自身の使命と考えていらっしゃるようである。もちろん今日までそのように御自身の仕事に使命と誇りをもち情熱を注ぎ続ける事ができるのは,2人3脚で歩んでおられる現在の夫君,菅沼伸先生の存在があることを,私は一種の羨望をもって証言させて頂きたいと思う。
 ところで胡栄先生は北京中医薬大学を優秀な成績で卒業され,その将来を嘱望された才媛であられるにもかかわらず,同学院に留学されていらした先述の菅沼伸先生と出会われ日本に来られたことは有名なエピソードである。そして来日後は異文化という壁にぶつかりながら数々の困難を乗り越えて,日本における中国医学の普及に励まれてこられた功績は,今日の日本の医療の中に確実に浸透しているように思われる。昨今,西洋医学一辺倒であった日本の医学教育の中に,東洋医学をカリキュラムの一部に組み込むことが国策として決定されたこともその良い例ではないかと思う。またこれからの医療実践者は,生体を科学的に細分化してとらえると同時に,想像力を駆使して統合的にとらえる力を養うことが大切ではないかと感じている。その結果,患者を生体として注意深く観察すると同時に,人として心を持って接することが医療においては必要不可欠であることに気付かされるのである。そしてこの統合的にとらえる力こそ中国医学の得意とするところであり,その陰陽五行学説に基づいた哲学は,肉体と精神は切り離されることがないことを示唆しているのではないかと思う。
 本書は私が中国医学の「いろは」もわからぬうちから愛読した書であり,医療に携わる今日においてさらに役立つ書の続篇である。一学徒として自信をもってお薦めする優れた臨床中医実践本である。幅広い層に読まれ,今後の総合的な医療の一助となること,そして病で苦しまれる多くの患者が一人でも多く苦しみから解放されることを願っている。
 最後に公私共々いつも温かく見守ってくださり,そしてこのような機会を与えて下さった胡栄先生に心から感謝の意を表し擱筆したい。

2007年5月10日
日本医科大学微生物学免疫学教室
  日本医科大学付属病院東洋医学科
  髙久 千鶴乃 

  まえがき


 日本に来て28年の歳月が過ぎました。来日にあたって母校の教授に「日本に行けば中医学の力を発揮する機会はほとんどないだろう。ましてや日本は男尊女卑の国だから,家に閉じこもってしまうことになるかもしれない。それでもいいのか?」と言われ,不安を感じていたことが今でも鮮明に思い起こされます。
 しかし,幸いにも,2回の産休(4カ月)を除き,多くの素晴らしい先生方に知遇を得て,中医学の講義,漢方相談に充実した毎日を過ごしてきました。

 健康への関心が高まる中で,自然界の薬物を使用した漢方は,安全度が高いとして年々注目を集めるようになり,利用者も増加傾向にあります。私も日々活動する中で,20年前に比べて,中医学に対する認識は確実に高まってきていると実感し,心から喜んでいます。

 中医学は『黄帝内経』『本草』『傷寒論』などの古典に基礎におき,その後の歴代医家達の臨床経験にもとづく学説を,理論的,系統的に集約した学問です。そして,これらの膨大な学説を学ぶために,老中医達が結集して,大学で学ぶための統一教材が作られました。統一教材は基礎部分を基準化し,難解な古典理論の理解を助けるうえでも大きな役割を果たしていますが,なんといっても中医学の真髄は臨床にあります。千差万別の臨床場面で,教科書どおりにいかないところは多く,試行錯誤するなかで,自分の応用力と決断が試される点が一番おもしろいところでもあります。

 今回の出版は,1996年に出版された『いかに弁証論治するか』の続篇であり,初回の本に入らなかった28疾患を選びました。疾患は極力,臨床で多く見られるものを優先して選び,日本で入手できるエキス剤や中医方剤を重点的に用いて,中医学の「弁証論治」の思考に沿って進行するように心掛けました。
 前回と同じく,日本の多くの先生方に,中医学を理解して頂きたいという一心で,できるだけ忠実に,わかりやすくをモットーに執筆いたしました。しかし,まだ不十分な箇所も多く散在していると思われます。どうか忌憚のないご批判,ご鞭撻を頂けたら幸いです。

 出版に際し,25年続いている東京中医学研究会の会長本阿彌妙子先生と日本医科大学の髙久千鶴乃先生に序文をお願いしました。お忙しい両先生に貴重な時間を割いて頂き,また貴重な助言をくださったことに,心から感謝を申し上げます。また出版の機会を与えていただいた東洋学術出版社と,原稿整理を手伝くださった坪田さんにお礼を申し上げます。

 最後に,来日後,常に私を温かく見守り励ましてくださり,日本の中医学普及のために多大なる貢献をされた,故菅井正朝先生,故永谷義文先生,故遠藤延三郎先生,故本阿彌省三先生にこの本を捧げ,喜んで頂きたいと思います。そして外科医であった父の墓前に報告できることを,嬉しく思います。

2007年春
     菅沼 栄(胡栄) 


[CD-ROMでマスターする]舌診の基礎

[ 中医学 ]

 「望而知之謂之神」(望診で病の因を知ることができるのが優秀な医者である)

 これは,私が中医学の道を歩み始めたときに真っ先に学んだ『黄帝内経』にある言葉です。その後,中医診断学を専門として,研究や臨床に携わり,ますますこの言葉の重みを感じてきました。
 古今東西の医学の淵源を探ってみると,最初の診断術は患部を含むからだ全体を観るものでした。ところが,近代科学技術の発展にともない,西洋医学はいつの間にか患者を観る代わりに,検査機械に頼って病を診ることが多くなりました。患者が「3分くらいの診療のあいだ,医師はパソコン画面のカルテを見ながら問診をしたり説明をしたりしたが,最後まで自分の顔をよく見ていなかった」と不満をこぼすことも少なくありません。確かに時間の限られた数分の診療では,じっくり患者を観察することは難しいかもしれません。しかし,患者の生の状態を自分の目でよく観察しなければ,機械的検査だけでは測れない病の真実を見落してしまうのではないかと思っています。
 中医学は,からだ全体の繋がりを非常に重視する医学です。ですから,病の診断は患者が診察室の戸を開けて入ってくる瞬間の望診から始まります。患者の体格,歩き方,姿勢,そして顔色,皮膚や毛髪の状態など。なかでも舌の色や状態をじっくり観察する舌診が望診術の基本となります。
 舌はその組織的構造の特徴から,敏速かつ忠実に体内の状況が反映されます。そのため昔から舌は「内臓の鏡」と呼ばれ,「健康のバロメーター」として知られています。正しく診断ができ,早く治療効果を得るためには,いかに舌を的確に観察し,病のサインを迅速かつ正確に読み取れるかが大切です。しかし,実際にその術をマスターすることは容易なことではありません。言葉で舌の様相や色調に対する指導を受けていても,実際の舌を見なければ理解できないところがあるうえ,臨床の場で舌診の経験を積み重ねなければ,舌に含まれる豊富な情報を的確に捉えることはできません。私はここ20年あまり,中医診断の講演を続けてきましたが,いつも舌の様相や色調などを説明する難しさを感じてきました。そのため舌の写真が豊富にあり,さらに症例も付加された教材が必要だと痛感していたのです。
 以前より,東洋学術出版社の山本勝曠社長から舌診の本を書いてみないかとお話しをいただいていました。数年をかけ,かなりの数の舌の症例写真が集まったので,このたびこれまでの自分の研究や講演の内容と合わせて,本書を作ることを決意しました。
 本書と付属のCD-ROMの制作・出版にあたっては,東洋学術出版社の山本社長の深いご理解と,井ノ上匠編集長のたいへんなご助力をいただきました。特に本書にCD-ROMを付けて,その中に多数の症例付きの舌の写真を収め,自由に検索,学習ができ,間違いやすい舌の区別や弁証論治のトレーニングもできるようにしようとの有益なご提案もいただきました。付属CD-ROMの制作ははじめての挑戦でしたが,井ノ上編集長のご尽力もあり,ようやく予想以上のすばらしい教材ができるに至りました。改めて東洋学術出版社の山本社長,井ノ上編集長には心より深く感謝申し上げます。また,中国や日本で舌の写真を快く撮らせてくださった多くの方々の協力なしには,本書は誕生しませんでした。本当にありがとうございました。さらに,公私にわたりさまざまな励ましとご助言を賜りました上海中医薬大学の費兆馥教授にも心より御礼を申し上げます。
みなさまが望診の最も重要な部分である舌診をマスターされる際に,本書と付属CD-ROMがお役に立てば何よりうれしく思います。
 最後にこの本を手にされたみなさまに,次の言葉を送らせていただきます。

    望―知―謂―神

高橋楊子 
2007年3月 
桜の満開を待つ季節に 

 

宋以前傷寒論考

[ 中医学 ]

 はじめに

小髙 修司 

 
 司馬遼太郎が、『葉隠』の訳注を書いた奈良本辰也と「日本人の行動の美学」というタイトルの対談を行っている。その中に「極端論でなければ旧来の思想は破れません」という発言がある。平板化し画一化した、ある意味で近代的合理主義ともいえる朱子学を打ち破ろうとしたのが『葉隠』であるし、別の言い方をすれば朱子学以前の日本人を知る手だてとなりうるのが『葉隠』であると発言している。そして『葉隠』の原点は口述者である山元常朝の「狂」にあるというのである。
 岡田研吉と牧角和宏という二人の「狂」が長年にわたり集積した膨大な資料に、螳螂の斧を以て風穴を開け、二人の考えていることの何分の一かを見通せるようにしよう、そして江湖に広く知らせようと企て、『葉隠』の筆記者であった田代陣基のような立場で、別の意味での「狂」である私が、資料の抜粋・整理を試みてきた。そしてこのたび、鼎談と各人の論文とをまとめ、本書を上梓するにいたった。
 本書の意図するものは、宋以前における医学・薬学、特に『傷寒論』の真の姿はいかなるものであったかを探ることにある。それはつまり原義的意味における復古であり、目指すものは真の古方派であるともいえよう。その真意は従来の中国医学、日本漢方のあり方考え方を否定するものではなく、宋以前には一般的でありながら、歴史の中で埋没してまった医学薬学の理論を発掘することで、それらを含めたより広い理論にもとづく、今以上に臨床的な効果を出しうる医学の形成にある。

 平成十二年(二〇〇〇)の春節より始まった「森立之『傷寒論攷注』を読む会」において、岩井祐泉先生による『傷寒論攷注』の講義の後に、岡田、牧角が長年に渡り収集した資料を発表し討論することが毎回行われている。その課程で徐々に現代の中医薬学の一般的な知識が、必ずしも古代(宋以前)のものとは一致しないことが明らかになってきた。特に中国医学の最も重要な古典であり、現代中医学の知識の基礎である『傷寒卒病論集』が、宋代に大幅な改訂を受けていることがさまざまな傍証を通して明らかになってきた。
 一方、生薬学においても森立之により復元された『神農本草経』、さらに『名医別録』などに見られる薬効と現代中薬学の知識は必ずしも一致しておらず、その理由にはさまざまな要因が考えられ、基原植物自体が変化してきている可能性を含め検討した。その結果、古代において苦酸薬を祛風清熱疾患に多用したグループの存在が浮き彫りになり、現代につながる辛温薬を多用するグループとの抗争、そして後者の勝利が宋版『傷寒卒病論集』の改訂に大きな影響を与えたことが指摘できよう。
 個々の方剤が生薬の組み合わせで成り立っている以上、その薬効に相異があれば、方剤が創案された時点と、その方意が異なってしまうことも十分考えられる。構成生薬の古典的薬効を再考して検討することによって、方剤の臨床上の適応疾患に、現在考えられている以上の効能・効果が考えられることになった。臨床応用の幅を広げるためにも、古典の理解を深めることは非常に重要である。

臨床力を磨く 傷寒論の読み方50

[ 古典 ]

はじめに

 今からおよそ1800年前の後漢の末に,張仲景によって著されたとされる傷寒論は,古今東西を通じて漢方治療を行う者の必読の書となっている。
 それはその中に示されている治療法が時代を越えて生きているからであり,傷寒論は治療学における人類の至宝と言っても過言ではない。
 傷寒論は証候とその治療法について詳しく述べている。しかし,病機についてはそうではない。その点,裴氏の著した『傷寒論臨床応用五十論』は,著者自身の長年の臨床経験にもとづいた傷寒論に対する緻密な考察が書かれたものであり,たいへん示唆に富み,教えられるところが多い。わが国には,これに類したものに山田業広の著した『経方弁』があるが,裴氏のこの『傷寒論臨床応用五十論』には,症例を交えた深い考察が示されているので,われわれはぜひとも本書を翻訳して紹介したいと考えた。
 幸いにも東洋学術出版社の山本勝曠社長のお世話により,著者の快諾が得られ,さらに論文の追加もされて,ここに翻訳出版の運びとなった。
本書が日中両国の学術交流の一助となり,傷寒論を研究・実践される諸賢のお役に立つならば,われわれの喜びこれに過ぐるものはない。

2003年3月 藤原了信

 


 裴永清君は,黒竜江中医学院を卒業したのち,1978年に北京中医薬大学へ入学し,私の指導する最初の大学院生となった。これが私と彼との出会いであった。
 裴君は師を尊敬し,学問を重んじ,古人の風格を有し,聡明で理解力に優れている。彼は私について数年余りだが,勤勉で,私の教える学問をよく継承しており,それにもとづいて臨床実践を行い,弁証論治の見解は抜きん出て優れている。また,仲景の理論を研究し,問題点を提起し,細かく分析しており,それらの多くは刮目に値する。まさに世に言う「青は藍より出て,藍より青し」である。最近,裴君が著書『傷寒論臨床応用五十論』の原稿を私に見せてくれた。それは10数万語をはるかに越えるもので,歴代の注釈家より新しい見方を示していて,読むと目から鱗が落ちる思いがした。今日,中医学を継承する人材が差し迫って必要とされているが,裴君のような人は,実に中医界においてその役割を担うべき人物である。ゆえに私は,ここに喜んで序文を記す。

77歳の老人 劉渡舟 北京にて  甲戌年仲夏 


自  序
 中国医学は1つの偉大な宝庫である。その宝庫のなかには数多くの宝石があり,『黄帝内経』と張仲景の『傷寒論』は,そのなかでも最も輝かしく得難い珍品である。しかし年月を経たため,言葉は古くなり意味も奥深いので,この宝石は徐々に埃をかぶって,忘れられ失われる危険にさらされている。これは非常に心配な,また惜しまれる事態である。私は40年近くにわたって中医学に携わってきた。学習したことを,内科・外科・婦人科・小児科の各科で幅広く応用してきたことにより,以前は無名であったがいくらか名を知られるようになった。泰山に登るには道がなければ行けないが,疑難雑病の治療において,特に西洋医学的診断がつかないか,または難治性の病証を治療する際に,仲景の方と法を用いれば,すぐに効果をあげることができる。これは本当に喜ばしいことであり,まことに仲景の理論はすばらしいものである。そのことは,古今内外の医家たちが仲景の学説に対して心血を注いで研究した結果,これまでに千冊を超えるほどの著作が生まれていることからもうかがえる。さまざまな知見があり成果が出ているが,1つの医学書がこのように広く世界に知られていることが,仲景理論の価値の高さを証明している。私の著した『傷寒論臨床応用五十論』は,仲景理論に対するわずかな理解と経験であり,大河の1滴にすぎないが,後世の人の誤りを修正し仲景の原意を明らかにし,宝石についた埃や汚れを拭い去ることで仲景の学問を顕彰し,その恩恵を世の人に与えることができればと思っている。私が仲景の学問を明らかにするために学んできたことによって,多少なりとも貢献できれば幸いである。
 徐文波女史はもともと北京中医薬大学で学び,その後日本へ渡ったが,以前より仲景の学を好み,私と学術上において緊密に交流し合う師弟関係にあった。近年女史は私と何度も会って話し,私の『五十論』を日本へ紹介したいと希望され,多くの労を執られた。この『五十論』の日本での翻訳出版に際して,私は「麻黄湯証について論じる」の1章を新たに加筆し,中国語版の『傷寒論臨床応用五十論』第二刷にも同章を追加した。本書の日本語版の出版に際し,ぜひ日本の読者諸氏のご叱正を仰ぎたい。また,翻訳の労をとっていただいた藤原了信,藤原道明,両先生に心から感謝を述べたい。あわせて中日両国の中医薬学術交流に努力されている,東洋学術出版社の山本社長と両国の学者の皆さまに感謝申し上げる。

裴永清 北京にて  2002年10月26日

 

中医鍼灸臨床発揮

[ 鍼灸 ]

凡例

 1.本書で用いられている補瀉法は,明代の陳会が著した『神応経』のなかにある捻転補瀉法と同じものである。捻転補瀉の時間,角度,速さは,患者の病状および感受性にもとづいて決定されている。
 一般的にいうと,瀉法の場合は施術者の判断にもとづいた深さまで刺入して,鍼感が生じた後に捻瀉を行い,5~10分に1回,30秒~3分間の捻瀉(局所取穴の場合は捻瀉時間は短くする)を行う。この捻瀉を2~3回行い,15~30分置鍼して抜鍼するものとする。局所取穴による局部療法では,瀉法と強刺激を配合する場合もある。
 補法の場合は,やはり施術者の判断にもとづいた深さまで刺入して,鍼感が生じたのちに連続的に捻補を3~5分間行い,抜鍼する。場合によっては捻補を10分間行い(重症の虚証または虚脱患者には,捻補時間を長くする)抜鍼するものとする。補法と弱刺激を配合する場合もある。
 文中の(補)と(瀉)は刺鍼による補法と瀉法を意味する。施灸による補法と瀉法の場合は,それぞれ(灸補)(灸瀉)とした。これらの( )付きの文字および(点刺出血)(透天涼)などの( )付きの文字は,その前に列記された複数の経穴名の全部にかかり,それらの経穴に対して同じ手法を施すことを示している。
 2.本書で紹介している「焼山火」「透天涼」の両手法は,明代の徐鳳が『鍼灸大全』金鍼賦で述べているような複雑なものではない。本書中の焼山火手法は,適切な深さに刺入して鍼感が生じた後,刺し手の母指と示指の2指を補の方向に向けて捻転し,その後鍼柄をしっかり捻り(局部の肌肉を緊張させることにより鍼が深く入るのを防ぐ)下に向けて適度に按圧し,次第に熱感を生じさせるというものである。
 また透天涼手法は,適切な深さに刺入して鍼感が生じた後,刺し手の母指と示指の2指を瀉の方向に向けて捻転し,その後鍼柄をしっかり捻り(局部の肌肉を緊張させることにより鍼が抜けるのを防ぐ)上に向けて適度に提鍼し,次第に涼感を生じさせるというものである。この種の操作方法は比較的簡単であり,マスターしやすい。
 3.本書の「補法を用い焼山火を配す」(補,焼山火を配す)とは,捻転補瀉法の補法を用いて捻補したのちに,さらに焼山火を施すことである。これにより温補の効果をうることができる。「瀉法を用い透天涼を配す」(瀉,透天涼を配す)とは,捻転補瀉法の瀉法を用いて捻瀉したのちに,さらに透天涼を施すことである。これにより熱邪を清散させる効果を得ることができる。
 4.本書における取穴は,患部取穴と循経近刺の場合,一側の経穴を取穴することが多い。この場合は左を取穴するか右を取穴するかを明記した。循経取穴と弁証取穴に関しては,すべて両側の経穴を取穴するものとしているので,「両側」の表記は省略することとした。
 5.施灸に関して「灸瀉」「灸補」とある。その方法は灸頭鍼あるいは直接灸を用い,一般的に施灸時間は10~30分間とし,施灸時に瀉法または補法を配すこととした。
 6.ある配穴処方が某湯液の薬効に相当,あるいは類似との表記があるが,これはその湯液全体としての薬効を指したものである。
 7.ほとんどの医案に対して考察を加えたが,考察の中では選穴理由,用途,処方中における各治療穴の作用,配穴と湯液の効能との関係といった説明は,できるだけ簡略化した。あるいはこういった説明を加えていない医案もある。それは『臨床経穴学』に詳細に論述されているからである。
 8.使用している鍼具は,1948年までは自家製の25号,24号の毫鍼を用いていたが,1949年以降は一般に市販されている26号の毫鍼を用いている。肩・膝・股関節部や肌肉が豊満な部位に灸頭鍼を施す場合は,24号の毫鍼を用いることが多い。
 9.鍼治療は多くの場合が2~3日に1回としている。

名医の経方応用-傷寒金匱方の解説と症例

[ 中医学 ]

著者略歴


姜 春華(1908~1992)
 姜先生は江蘇省南通県の中医の家庭に生まれ,幼い頃,父の青雲公医師に師事した。20歳のとき上海で開業し,その後,上海の著名な中医である陸淵雷先生の指導を受けた。臨床実践を重ねながら系統的に『黄帝内経』『傷寒論』『金匱要略』『温病学』などの中医経典を勉強し,同時に西洋医学の教育を受けた。当時瘟疫が流行したが,姜先生は貧しい患者を多く救ったことにより,高く賞賛された。
 上海医科大学中山医院の中医学教授として,中医学の臨床と西学中(中国医学を学んだ西洋医師)の教育に50年余り携わった。理論的にも臨床的にもレベルが高かった。
 姜先生は中医学・西洋医学の両方に精通していたが,中国伝統理論を重視したうえで西洋医学の長所を吸収することを提唱し,特に「弁証論治は中医学の真髄」であり,「弁証と弁病の結合が必要」であると強調していた。
 臨床においては,肝臓病・腎臓病・心血管病・呼吸器系統の疾患の豊富な治療経験をもっている。また腎の本質と活血化についての研究ですぐれた業績を上げており,『腎本質研究』と『活血化研究』の二書を主編している。主な著書に,『中医治療法則概論』『傷寒論識義』『中医病理学』などがある。あわせて全国の医薬雑誌に,三百余編の論文を発表している。衛生部から金賞を受賞。国家科学委員会中医専門部会員・中国中西医結合研究会顧問・上海市中医学会名誉理事長を務めた。(劉 桂平)


訳者略歴

藤原 了信
1935年 愛知県生まれ。 1959年 名古屋大学医学部卒業。 2004年 死去。生前は,本山クリニック藤原内科名誉院長・中部漢方臨床研究会代表。
藤原 道明
1965年 愛知県生まれ。 1989年 藤田保健衛生大学医学部卒業。 2001年 学校法人後藤学園非常勤講師。 現 職 本山クリニック藤原内科院長。     学校法人藤田保健衛生大学客員助手。
劉 桂平
1959年 中国天津市生まれ。 1978年 天津中医学院中医系入学。 1983年 天津中医学院中医系卒業,天津市西青区中医医院内科医師。 1987年 天津中医学院大学院修士課程修了。天津中医学院内科講師。 1993年 来日。名古屋市立大学薬学部客員研究員。 著 書 『針灸学』[基礎篇](共著)(東洋学術出版社)  『脾虚証の現代研究』(共著)(天津科技翻訳公司出版社)

 

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