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▼書籍のご案内-序文

『中医臨床のための医学衷中参西録 第1巻[傷寒・温病篇]』

[ 中医学 ]

はじめに


  本書は,近世の名医・張錫純の著作《医学衷中参西録・全三冊》(河北科学技術出版社,1985年)を参照して翻訳・編集したものである。翻訳本は2001年に本会より既に一部が医歯薬出版より出版されたが現在絶版となっている。希有の中医学書であると同時に臨床医学の啓蒙書でもある本書をより多くの読者に知っていただくために,今回全面的に翻訳をしなおし,張錫純自身が執筆した本文と書簡をほぼ収載して読者の臨床の役に立ちやすい組み立てとした。原著は時代順に書かれており,同じテーマであっても張氏の経験から訂正を加えている箇所が多いので,翻訳も原則として時代順に配した。ただ,テーマについては利便性を考えて,大きく傷寒・温病と内傷雑病(薬物講義を含む)に分け,最後に基礎理論および書簡とし,三部に分ける。本巻ではそのうちで傷寒および温病にあたる箇所を時代順に抜粋して翻訳した。
  張錫純は,字を寿甫といい,河北省塩山県の人で,1860年〔清・咸豊10年,日本の万延元年〕に生まれ1933年〔民国22年,日本の昭和8年〕に没した近世の名医である。豊かな教養人であるとともに,「読まない書物はない」と称されるほどの広汎な中医学の学識と,これにもとづく独自の深い認識をもっており,明快な理論のもとに病因・病機・病態および治法方薬についての解説を行った。
  自序にもあるように知識層の家系に生まれ,幼児期から父親の薫陶を受けて育ち,長じて2度の科挙の試験に挑んで失敗したのち,「良相為らざれば,必ず良医為らん」との祖先の垂訓を守って医学の道へ入った。1918年に奉天〔瀋陽〕の立建中医院・院長に就任し,系統的な臨床経験を積むと同時に,多数の論文を医学雑誌に投稿して名声をあげて,当時の「名医四大家」の一人にあげられ,張生甫・張山雷とともに「名医三張」とも称された。1926年に天津に居を移し,中西医匯通医社および国医の通信教育学校を設立し,多くの後継者を養成した。書中に多くの受業〔師に対する弟子の自称〕が登場するのはこのためである。日中は診療し夜間は著述にいそしむ生活を続け,1933年8月8日74歳で病逝した。真面目で熱心かつ慈愛に満ちた人物であることが,自序,経歴および書中の記述からくみとれる。
  自著に「衷中参西」と名づけたように,張錫純は中西医匯通派〔中西医結合派〕と目されている。アヘン戦争以降に欧米列強の侵入を許し半植民地と化した中国では,医学においても西洋医学の影響を受けざるをえなくなったことを反映している。書中に「西洋薬が中国に入って以降,維新主義者は競争してこれに走り,守旧主義者は汚らわしいもののようにみなすので,ついに互いに牴牾〔くい違い〕を生じ,終いには交流し難くなっている。私は凡才であるが,日常の用薬に喜んで多くの西薬の長所を取りいれて中薬の短所を補って,当初から両者に敷居をつくらない。したがって,拙著を衷中参西と命名した。西洋医学の用薬は局部治療で病の標に重点があるが,中医学の用薬は原因治療を求め病の本に重点がある。結局,標・本は当然兼顧すべきで,難治の証に遇った場合は,西薬でその標を治し中薬で本を治せば必ず捷効するはずで,臨床でも確かに手応えを感じている」と述べ,当時の中国での医学界の状況を示すとともに,中・西両医学の特徴を分析している。すなわち,迎合して無批判に西洋医学を取り入れるのではなく,「衷中」すなわち中医学という確固たる土台のもとに,「参西」すなわち西洋医学の学説・化学・薬物などを積極的に学んで有益なものを採用し,中医学をより発展させようとの意図である。
  しかしながら,当時の西洋医学は今日からするとかなり未熟で,治療面でもみるべき所が少なく,当時の薬物も現在では過去の遺物になってしまっており,さらには中医学に立脚する著者に西洋医学に対する誤った理解や牽強附会がみられるために,本書では西洋医学に関連した記述を一部割愛した。また現代医学での治療が確立して,漢方薬での治療が行われないものでは,訳注として説明を加えた。しかし,当時の考え方を知るうえでの重要な資料でもあるので,ほぼ変更を加えずに記載している。本書は現代西洋医学を充分に学ばれた読者を対象としている。水銀製剤や鉛含有物質など現在では治療に用いることは許されないものもあるので,理解してお読みいただきたい。


  《医学衷中参西録》は1918~34年の16年間に次々と刊行され,全七期30巻からなっている〔1957年に遺稿が第八期として加えられた〕。発行の状況は以下のようである。


第一期 各種病証と自製新方 1918年出版。
第二期 各種病証と自製新方 1919年出版。
第三期 各種病証と自製新方 1924年出版。
 以上は,前三期合編上下冊・8巻としてまとめられ,1929年出版。
第四期5巻 薬物解説 1924年出版。
第五期上下冊・8巻 各種医論 1928年出版。
第六期5巻 各種症例 1931年出版。
第七期4巻 傷寒論病証 1934年出版。


  この後,全七期30巻に第八期を加え,《医学衷中参西録》上中下の三冊本が,1934年に河北人民出版社から刊行され,これが現在に至っている。
  以上のように,原著は約16年にわたり次々と増補改訂しながら書かれており,後になって病証を総括したり新たに医論を補充したり,同じ病証の症例を追加するといった配慮がなされているので,相互に参照することが理解を深めるうえで最も望ましい。
  本書によって新たな深い認識が得られ,臨床での成果がより高められることを期待している。


凡  例


1.本書は《医学衷中参西録》上・中・下冊から抜粋し編集しなおしており,当然配列が異なるので,各項に「第○期×巻」と表示して原著を参照しやすくしている。


2.現代文として意訳し,適宜に「 」でくくったり,訳注を附して理解しやすくしており,不必要と考えられる西洋医学的記載は一部割愛した。


3.( )内は張錫純自身の原注であり,〔 〕内は訳注である。


4.自製方剤については,組成と関連部分を罫で囲み,見分けやすくしている。


5.『傷寒論』の条文については,条文をできるだけ訳注のなかに加えた。条文番号については張錫純の用いた番号の他に,《傷寒雑病論》(日本漢方協会学術部編・東洋学術出版社)で用いられている番号を(***)として記載した。


6.巻末には,中医用語・方剤名・薬物・傷寒論条文の索引を附した。


〔参考文献〕
中国医学大辞典:謝観等編纂,中国書店,1990年
中医大辞典(方剤分冊):中医大辞典編輯委員会編,人民衛生出版社,1983年
本草経義疏:王大観主編,人民衛生出版社,1990年
中薬学:顔正華主編,人民衛生出版社,1991年
医史手帳:安井広迪編著,日本TCM研究所,1993年
傷寒六経病変:楊育周著,森雄材・安井広迪訳,人民衛生出版社,1992年
中医名詞術語精華大辞典:李経緯等編纂,天津科学技術出版社,1996年
傷寒論浅注:陳修園著,陳紹宗等校注,福建科学技術出版社,1987年
傷寒論辞典:劉渡舟主編,解放軍出版社,1988年
金匱要略浅述:譚日強編著,神戸中医学研究会・名古屋中医学研究会共訳,医歯薬出版株式会社,1989年


張錫純 自序


  人生には大きな願力〔願いと努力〕があればこそ,偉大な建樹〔功績〕が残る。一介の寒儒で,起居する草茅にはこれといった建樹はないが,もとよりその願力は尽きえない。老安友信少懐〔《論語》老はこれを安んじ,友はこれを信じ,少きはこれを懐けん〕は孔子の願力である。まさに一切の衆生をして皆仏と成らしめんとは如来の願力である。医は小道ではあるが,実は済世活人の一端である。したがって医を学ぶものにして,身家温飽をなさんと計るは則ち願力小さく,済世活人をなさんと計るは則ち願力大である。そしてこの願力が私にあるのは,また私だけの願力ではなく,実は受け継がれてきた祖訓である。私の原籍は山東諸城にあり,明代に直隷塩山の山辺務裏に居を移し代々儒学者を生業とした。先祖は三公〔官僚としての最高位の三つの官職〕を友とし編纂された系譜を受け継いでいるが,垂訓はここにあって,凡そ後世の子孫は,読書のほかに医を学ぶべしと謂う。つまり范文正公〔北宋の政治家,文人〕の「良相たらずんば,必ず良医たれ」の意である。錫純が幼時読書を学んだ先厳〔亡父〕丹亭公は,かつてこの言葉を述べて錫純に教えた。やや年長になると,さらに方書を授け,かつ大意を指し示した。通読のあいまにはここで遊び,多くの良いものを得て,さらにまた祖訓をまもった。ただ当時まさに挙子〔科挙試験受験者〕の勉学をしていたので,これにまだ大きな力を割けえなかった。のちに二回の秋闈〔秋の科挙試験〕に不合格となり,壮年であったが続ける気を失った。そこで広く方書を求め,古くは農〔神農,農業と医薬の神であり,《本経》と略称される《神農本草経》を著したとされる〕軒〔黄帝,軒轅の丘に住んだとされ,《内経》の中心人物〕から,最近の国朝〔清〕の諸家の著述にいたるまで合計するとあらかた100種以上の書籍を読み調べた。《本経》と《内経》は,開天辟地の聖神と医学の鼻祖が貽したもので,これこそ淵海〔内容が深奥,広範であること〕な医学と知った。漢末になると張仲景が現れて《傷寒論》《金匱要略》を著し,《本経》《内経》の功臣となった。晋代の王叔和〔《脈経》を著し,当時すでに散逸していた張仲景の《傷寒雑病論》を撰輯した〕,唐代の孫思邈〔中国史上最初の医学百科全書である《備急千金要方》《千金翼方》を著す〕・王燾〔膨大な前人の医書を編輯し理論研究と治療方剤をはじめて統合整理し《外台秘要》を著す〕,宋代の成無己〔《内経》に基づいて《傷寒論》を分析注釈し,《注解傷寒論》を著す〕,明末の喩嘉言〔《傷寒論》の条文を分類整理研究して《尚論篇》を著す〕らも,やはり張仲景の功臣である。国朝には医学が発展して人才が輩出し,張志聡〔《素問集注》《霊枢集注》などを著す〕・徐大椿〔《医学源流論》《神農本草百種録》などを著す〕・黄元御〔《素霊微蘊》《傷寒懸解》《金匱懸解》などを著す〕・陳念祖〔《神農本草経読》《傷寒論浅注》《金匱要略浅注》などを著す〕らの諸賢は,いずれも張仲景および淵源をなす《本経》《内経》を踏襲しており,したがって彼らの著した医書はいずれも正統な医学である。ただし,晋・唐から現代にいたる諸家の著述はよくできてはいるが,いずれも瑣末にいたるまで旧態の伝承に汲々とし,初めから日進月歩して中華医学を進歩させようという意図がない。古を師として貴ぶということは,古人の規矩準縄に縛られることではなく,それを手段として自分の性霊〔心の霊妙な働き〕を瀹い神智〔精神と知恵〕を益することである。性霊・神智が活発になり充溢すれば,さらに古人の規矩準縄を貴んで取り上げ,これを拡充し,変化し,引伸触長〔意味を推し広め同類のものに出会えばそれらすべてに及ぼす〕して,古人が『後世の者たちもなかなかやるものだ』とし,畏れいるようにすべきである。世の中のことはいずれもそうあるべきで,医学だけが違うはずはない。私,錫純はこうした考えで,何年もたゆまず医学を研究し,たまたま人のために処方をすると,すぐに得心応手〔思い通りの結果が得られる〕し,宿痾の病を挽回することができた。先慈〔亡母〕の劉太君〔身分の高い婦人に与えられる称号〕が家におられたころ,私は親孝行するいとまがなくなることを恐れて,あえて軽々に他人の往診には応じなかった。たまたま急症であるからと診察の求めがあっても,みだりに遽しく応じるようなことはなかった。先慈は『病家が医者を待ち望むのは,水に溺れるものが援けを求めているようなものです。あなたが治せるのなら,急いで往って救けておあげなさい。しかし,臨床では十分に注意し,鹵莽〔粗雑〕なことをして人を害さないように慎まねばなりません』といわれたので,『唯唯〔はいはい〕』と教えを受け,以後臨床家としてほとんど1日たりと休むことなく,今日まで10余年に至る。ここに十数年の経験の方で,多くの効果があった頻用処方を集めると,ちょうど大衍〔五十〕の倍数である。方後には詮解と重要な医案をつけ,また同時に西洋医学の説と方中の筋道を対比して明らかにし,集めて八巻として《医学衷中参西録》と名づけた。ある人は,ざっと目を通して「あなたの書物を読むと,先人が指摘していないことを啓発しており,誠に医学の進歩である。しかし,今般あらゆることが西欧化しており,編中では西洋医学の説を採用したとはいえ,あまり西洋薬を採り入れてないので,恐らくはこの道は最高峰に達してはいない」と問う。そこで「中華の苞符〔河図洛書〕の秘は,三墳〔古代の書〕より啓き,伏羲の《易経》《神農本経》《黄帝内経》がこれである。伏羲が画いた《易》は,文字ができる以前から存在し,従って六十四卦はその象に止まるが,しかしながらよく万事万物の理を包括し,文王,周公,孔子がこれを解明したとはいえ,なおまだ余蘊がある。《本経》《内経》が包括する医理は,極めて精細で奥が深く,ずば抜けて量りがたく,やはり《易経》が万事万物の理を包括するがごときである。周末の秦越人〔扁鵲〕より後,歴代の諸賢は,いずれもそれぞれに新しい考え方があるが,三聖人が《易経》を解明したことと較べれば実際及ばず,したがってその中には余蘊がなお多い。私は古人より後の時代に生まれたので,古人が完成できなかった仕事を完成させねばならず,古いものを助けて新しいものにし,わが中医学の輝きを全地球上に喧伝できなければ,それは私の罪である。私,錫純は毎日このことを心にとめて,老いを忘れてたゆまず努力を続けている。これまで西洋医学を渉猟したが,実はまだその薬物を一つひとつ試験する暇がない。さらにその薬の多くは劇薬であり,また臨床で安易に試しえないので,多くの西洋薬を採用できていない。しかし,本編で取り入れた西洋医学は医学理論を採用しただけではなく,常にその化学理論を採り入れ,方薬の運用には中西医学を融合させて一体化し,その薬を採用した場合にも,記問の学〔いい加減な理解でやたら講釈するような学問態度〕としているのではない。ただ学問の道は,年毎にあらゆる分野で重要な進歩があり,この編が既に完成した後も,西洋医学を広範に読みあさって,さらに信ずるべき説と用いるべき方を採用し,試して確実に有効ならば,続編にする。志があって未だ至らぬ事でも,志さえあれば必ず成就する。

巳酉孟春塩山張錫純寿甫氏書于志誠堂


例言〔前三期合編の凡例〕


1.薬性を解明した初めの書は,《神農本草経》である。この書は文字が使われるようになった最初の書(《易》はそれ以前に存在したが,そのころはまだ文字はなかった)であり,簡策〔簡も策も古代に文字を書くのに用いた竹片。簡策は書籍の意〕の古さがわかる。この書には合計365味の薬が記載され,その数は1年間の日数をあらわす。これを上中下の3品に分け,上品は養生の薬,中品は治病の薬,下品は攻病の薬としている。各品の下には,すべて詳細に気味と主治を記し,気味を明らかにすることにより主治の理由も示している。また,薬性が独自の良能を具備し,気味から外れるものもあるが,古聖はすべてを知り尽してこれら一つひとつを明らかにしており,医学における天地開闢の鼻祖といえる。後人は識見が浅薄なために,薬が独自の良能を具えていても,気味から推し量れなければ,すべて削除し記載していない。たとえば,桂枝は上気吐吸(吸っても下達せずに吐出する,すなわち喘の不納気である)に非常に効果があり,《本経》に記載があるが,後世の本草には記載がない。また,山茱萸は寒熱往来(肝虚が極まった場合の寒熱往来)に非常に効果があり,《本経》に記載があるが,後世の本草には記載がない。このようなことは枚挙に暇がない。私はこれらをみるたびに深く嘆き惜しみ,そのため本書で薬性を論じた箇所ではすべて《本経》に従い,後世の本草は軽軽に採用していない。どの臓腑どの経絡に入るかの明確な記載がないと疑うものがあるが,どんな病を主るのかを知らずして,薬力がどこに至るかを知ろうというのか。つきつめれば,服薬すれば薬は気血に随って流行し至らない所はない。後世,詳細に臓腑経絡に分けるのは,かえって学ぶものに拘墟〔見識が浅く浅薄なこと〕の弊を残すように思われる。


2.明解な医学理論は《黄帝内経》に始まる。この書は黄帝と臣下である岐伯・伯高・鬼臾・雷公の間の問答形式で書かれており,《素問》と《霊枢》に分かれる。《素問》の要旨は薬による治病にあり,《霊枢》の要旨は針灸による治病にある。ただし,年代が非常に古いので欠落がないとはいえない。古代の相伝は口授によることが多く容易に亡失したので,晋代の皇甫謐〔《甲乙経》を著す〕はこの書は不完全であるといい,宋代の林億はこの書には偽托〔偽作〕があるのではないかと疑っている。さらに仲景は《傷寒論》の序で「《素問》9巻を用いて文章を書いた」と述べているが,現在《素問》は24巻あり,その中には偽托があることがわかる。しかし,その核心部分は聖神の残した言葉であることは確実で,断じて偽托者の為せるわざではない。たとえば,針灸による治療は今では世界中で認識されているが,もし古聖が始めていなければ,後世に創造できたであろうか? 西洋医学で詳しく解剖を講義するものが創造できるだろうか。《内経》を読む方法とは,ただ信じうる部分を詳しく研究して会得することであり,そうすれば無限の法門〔勉学に入る順序方法〕を開くことができる。信じられない部分は,後世の偽托かもしれないので,論及しなくてもかまわない。これは孟子のいわゆる「書尽くは信じ難し」の意である。現在西洋的な方法を重視するものは,《内経》の信じるにたる部分の研究に努力せず,信用し難い部分を極力指摘するのみである。その意見を推し進めると,《内経》の真本はとうに失われており,世に伝わるものはすべて偽托であることになる。こんな理屈があるだろうか? われわれすべての同胞はみな黄帝の子孫であるにもかかわらず,先祖が後人に与えた典籍を慈しみ一層大切に保存しようともせず,些細な瑕疵をいい立てて破棄してしまうのは,まったく嘆かわしいことである。したがって,本書の各門中では《内経》にのっとって述べた部分が非常に多いが,《難経》《傷寒論》《金匱要略》などのように《内経》にのっとった後世の医書も時に採用している。


3.本書に記載した方剤の多くは私が創製したもので,時に古人の成方を用いた場合でも多くが加減している。方中に独自の見解をもっている場合には,その方も一緒に載せて詳細に解説した。また各門の方の後に西洋医学の常用方,および試して実際に効果があった西洋薬を付録として記した。臓腑経絡を論じる際に,多く道家の説を併せて採用したのは,もともと授受があるからである。また時に西洋医学の説を採用したのは,解剖で実際的な考証があるからである。


4.古人の用薬の多くは,1度に大量を煎じて3回に分けて服用させ,病が癒えれば必ずしも剤を尽くさず,癒えなければ必ず1日ですべて服用させる。この方法に今の人々が注意をはらわなくなって久しい。私は傷寒・瘟疫とすべての急性疾患には必ずこの方法を用いる。これらの証の治療は消火に似ており,水をぶっかけると火勢はやや衰えるが,次々に水をかけつづけなければ火の勢いが再び熾んになり,それまでの効果がまったくなくなる。他証の治療では,必ずしも1日に3回服用する必要はないが,朝夕各1回服用(煎じた残渣をもう1度煎じて服用するのは1回とみなす)して薬力を昼夜継続させると,効果が早く現れる。


5.裕福な家では服薬する際に次煎〔二番煎じ〕を用いないことが多いが,元来は次煎を止めてはならないことを理解していない。慎柔和尚〔明代の僧。《慎柔五書》を著す〕は陰虚労熱の治療に専ら次煎を用いた。次煎は味が淡で能く脾陰を養う。「淡気は胃に帰す」と《内経》にも記載がある。「淡は能く脾陰を養う」の意味は,もともと「淡気は胃に帰す」からきているが,その理由を理解していないものが多い。徐霊胎〔清代の医家。徐大椿〕は,「洪範〔天地の大法。書経の洪範を指す〕は五行の味について『水は潤下を曰い,潤下は鹹を作す。火は炎上を曰い,炎上は苦を作す。木は曲直を曰い,曲直は酸を作す。金は従革を曰い,従革は辛を作す』というが,いずれもそのものの本味を述べている。土については,その文を変え『土は稼穡〔種まきと収穫〕を爰け,稼穡は甘を作す』とする。土は本来無味であり,稼穡の味を借りて味とするのである。無味とはすなわち淡であり,したがって人の脾胃は土に属し,味が淡であるものはすべて能く脾胃に入る」と述べる。また,陰虚の治療で重要なのは専ら脾であることも理解していないものが多い。陳修園〔清代の医家,陳念祖〕は「脾は太陰,すなわち三陰の長である。故に陰虚を治すには,脾陰を滋すことを主にすべきで,脾陰が足りれば自ずと諸臓腑を灌漑する」と述べる。


6.白虎湯中に用いる粳米は,古方では生を用い,現代でも生を用いる。薏苡仁・芡実・山薬の類も,粳米と同じである。諸家の本草では,「炒用」と注釈するものが多いが,炒用は丸散についてのみである。現在では湯剤に用いる場合にも必ず炒熟するのは理解し難い。専ら健脾胃のみに用いるなら炒してもよいが,止瀉利に使用するなら炒してはならない。生は汁漿が稠粘なので腸胃に留恋しうるが,炒熟したものは煮ても汁漿はないからである。滋陰に用いるなら淡滲を用いる,すなわち炒熟すべきでないことは,極めて明白である。


7.現代の党参は古代の人参であり,山西地方上党の山谷に生育するので党参という。山西の五台山に生えるものは最も優れ,特別に台党参という。現在の遼東人参とは本来種が異なり,気温・性和であり,実際に遼東人参より使用しやすく,さらに非常に廉価で貧しいものでも服用でき,誠に済世の良薬である。現在は遼東地方でも党参が多く,すべてが山西産ではない。しかし必ず党参の皮には横紋があり,胡萊菔〔食用の人参〕の紋のようで胡萊菔の紋よりさらに密ならば野山に自生する党参であり,これを人参の代用にすれば非常に効果がある。横紋がなければ,その地方独自の栽培であり,使用に堪えない。また,本書で用いる人参はすべて野党参で代用してもよいが,遼東で栽培した人参を代用してはならない。遼東で栽培した人参は俗に高麗参と呼ばれ,薬性が燥熱であるから軽用すべきでなく,傷寒・瘟疫の諸方中に使うのは最もよくない。また潞党参は,皮の色が微紅で,潞安の紫団山に生育するので,紫団参ともいう。潞党参の補力は台党参に匹敵し,薬性が平で熱性ではないので,気虚有熱に最も適する。


8.黄耆を湯剤に入れるなら,生用すなわち熟用となり,必ずしも先に蜜炙する必要はない。丸散剤中で熟用すべき場合は,蜜炙すればよい。瘡瘍の治療では,丸散でも炙用すべきではない。王洪緒〔清代の医家〕はこのことを《証治全生集》で詳しく述べている。「発汗には生を用い,止汗には熟を用いる」という説に至っては,まったくでたらめである。気分の虚陥が原因で汗が出るものは,黄耆を服用すればすぐに止まるが,陽強陰虚が原因で汗が出るときは,黄耆を服用すればかえって大汗が出る。気虚で逐邪外出できない場合は,発表薬と同服すれば汗を出すことができる。したがって,止汗するか発汗するかは生か熟の違いではなく,いかにこれを用いるかによる。


9.石膏は寒で発散に働くので,外感実熱の治療には金丹の価値がある。《神農本経》には「微寒」とあり,薬性が大寒ではないことがわかる。さらに「産乳を治す」とあるので,薬性が非常に純良であることがわかる。世人の多くは大寒と誤認して煅用するために辛散の性質を収斂に変えてしまっている(豆腐の製造に少し加える石膏を必ず煅くのは,収斂したいからである)煅石膏を外感実熱に用いると1両用いても傷人するのは,外感の熱は散じるべきで収斂すべきではないからである。大量に煅石膏を用いて治療を誤ると,過ちは煅いたためで石膏のせいではないことがわからず,逆に「石膏は煅用してもこれほど猛悍であるから,煅かなければおして知るべしである」といい,ついには生石膏を怖がることになる。そこで思い切って用いてもせいぜい7~8銭に止めるが,石膏の質は非常に重く,7~8銭でも一撮みに過ぎない。極めて重症の寒温証を挽回するのに微寒薬一撮みでは,とうてい効果を期待できない。そこで私は外感実熱の治療には,軽証でも必ず1両程度,実熱が熾盛なら大量3~4両使用することが多い。薬を茶碗数杯に煎じて3~4回に分けて温飲させるのは,病家の疑いを免れたいためと,薬力をできるだけ上焦にとどめて寒涼が下焦を侵して滑瀉を引き起こさないようにしたいからである。石膏を生用して外感実熱を治療するなら断じて人を傷害するはずはなく,さらに思い切って大量使用すれば断じて熱が退かないはずはない。ただし,薬局で細かく挽いた石膏は煅石膏が多く,処方箋に明確に生と書いても煅石膏を充てることが多い。もともと備蓄してあるものが煅石膏であるうえに,さらに薬局自ら慎重になっているのが原因である。したがって,生石膏を用いる場合は,はっきりと整った石膏塊を購入すべきで,細かく挽くところを自分で監視しなければ確実ではない。
問い:同じ石膏なのに,なぜ生は能く散じ,煅けば性質が散から急に斂に変わるのか? 答え:石薬の性質は草木薬とは異なり,煅いたものと煅かないものでは常に性質が際立って異なる。丹砂は無毒であるが,煅けば有毒になる。石灰岩を煅くと石灰になり,燥烈の性質が急に現れ,水を注ぐと火のように熱くなる。石膏はもともと硫黄・酸素・水素・カルシウムが化合してできたもので,煅けば硫黄・酸素・水素がすべて飛んでしまい,残ったカルシウムは変成して石灰になり,異常に粘渋になる。そこで焼洋灰は必ず石膏を多用するが,洋灰〔セメント〕を服用できるだろうか。したがって,石膏を煎じて缶の底に残渣が凝結するなら煅石膏なので,その薬は絶対に服用すべきではない。


10.細辛は「1銭以上服用してはならない」との説があり,後世の医者にはこれを否定する者が多いが,この説は元来おろそかにすべきでないことを知らないのである。細辛に限らず花椒・天雄・生半夏のように,味が辛で同時に口がしびれるような薬は,たいていみな弊害がある。口をしびれさせるものは肺もしびれさせ,肺がしびれると呼吸がすぐに停まる。かつて胃中が冷えたので花椒約30粒を嚼服して飲みこむと,すぐに気が上達しなくなるのがわかり,しばらくして呼吸がようやくもとにもどった。そこで,古人は主君を諌めると禍が生じることを恐れ,花椒を搗いて携帯する〔花椒を口に含んで痺れさせ不用意に諌めたりしないようにする〕ことがある意味を悟った。これからみても用薬には慎重であらねばならない。


11.半夏は降逆止嘔の主薬であるが,現在薬局では白礬で製している。降逆気・止嘔吐に用いると服用後に逆に症状がますます劇しくなる恐れがあるのは,明礬味が吐き気を誘発するからである。私は半夏で嘔吐を治療する際には,必ず微温水で半夏を数回洗って明礬味をすっかり洗い流すように努めている。しかし,洗う際には含まれる明礬量を考慮して決められた量以外に多少の半夏を加えておき,きれいに洗い流して晒し干ししたものがもとの分量に足りるようにする。薬局の質のよい清半夏は明礬が比較的少ないが,用いる際にはやはり洗うべきである。利痰の目的なら,清半夏を洗わなくても構わない。


12.竜骨・牡蛎は収澀を目的とする場合は煅用してもよい。滋陰・斂火あるいは収斂に兼ねて開通(竜骨・牡蛎はいずれも斂して能く開く)が目的なら,煅いてはならない。丸散中に用いるなら微煅してもよい。現在,すべて煅を用いているがもってのほかである。


13.山茱萸の核〔種〕は小便不利を来たすのでもともと薬に入れるべきではない。しかし,田舎の薬局で売っている山茱萸は往々にして核と果肉が半々で,甚だしい場合は核が果肉より多いことがある。処方中に「核をすべて除く」と明確に注意書きをいれても,やはり除去していないことが多いので,治療の妨げになること甚だしい。本書では山茱萸を大量に使用した重篤な証の治験例が非常に多い。私は使用時に必ず自分で点検するか,核をすべて除く必要があると説明して病家に点検させ,除いた分量をまた補うようにすると,間違いが起きない。山茱萸の効用は救脱に長じているが,能く固脱する理由は酸味が極めて強いことにある。しかし,嘗めると時々酸味がほとんどないものがあり,こうした山茱萸は使用に堪えない。危急の証には,必ず嘗めて酸味が極めて強いことを確かめてから用いなければ,優れた効果が得られない。


14.肉桂は気味ともに厚く,長時間煎じるのが最もよくない。薬局では搗いて細末にしてあるものが多く,数回沸騰させると薬力がすぐに減じ,数10回も沸騰させるとなおさらである。石膏は気味ともに淡で石質であるから,細かく搗いて煎じなければ薬力が出ないが,薬局では細かく搗いてないものが多い。そこで私は,石膏は必ず細末に搗いてから煎じ,肉桂は粗皮を除去するだけで塊のまま煎じる。肉桂や石膏に類する薬は,肉桂・石膏にならうのがよい。


15.乳香・没薬は生用が最もよく,カラカラに炒してはならない。丸散中に用いる場合は,まず挽いて粗い粉末にし,紙を敷いた鍋に入れて半ば溶けるまで焙り,冷ましてから挽いて細末にする。これが乳香・没薬から油分を除去する方法である。


16.威霊仙・柴胡などは本来根を薬用とする。薬局のものには必ず茎や葉が混在しているので,医者に選別する知識がないと事を誤る可能性がある。細辛の葉の効用は根と比べようもないので,李瀕湖〔明代の医家,李時珍〕も《本草綱目》で「根を用いる」と述べている。樗白皮と桑白皮は,いずれも根の皮を用いるが,それが本物か否かは最も弁別し難いので,使用する場合は自分で採取するのが確実である。樗根白皮は大いに下焦を固渋する。一方,皮付きの樗枝を煎じた湯は大便を通じる。俗伝の便法では,大便不通に節の長さが1寸ほどの皮付きの樗枝7節を湯に煎じて服用すれば非常に効果がある。その枝と根の性質はこのように異なるので,使用にあたっては慎重でなければならない。


17.代赭石は鉄と酸素の化合物で,性質は鉄錆と同じであり,もともと煅くべきではない。徐霊胎は「これを煅いて酢に浸けたものは傷肺する」と述べている。本書の諸方中にある代赭石は,すべて生代赭石を細かく挽いて用いるべきである。


18.薬には修治していなければ絶対に服用してはならないものがあり,半夏・附子・杏仁などの有毒薬はすべてこれである。古方中の附子は,たまたま「生用」とあっても実際には塩水に漬け込んだものであり,炮熟した附子ではないが,採取後すぐ使用するのではない。このような薬物は,方中にどのように炮製するのか明確な注がなくても,薬局では必ず修治して無毒にしてある。本来毒がない薬物で,もともと生用してよいものは,本書の方中で修治についての明確な注がないものは,すべて生用すべきである。本書の処方を用いる場合は,薬の本来の性質を失うような別の修治を加えてはならない。


19.古人の服薬方法は,病が下にあれば食前に服用し,病が上にあれば食後に服用するのが決まりである。後世の人には,「服薬すると必ず脾胃が消化したのちに薬力が四達する。病が上にあって食後に服用すれば,脾胃は必ずまず宿食〔前からの食物〕を消化し,その後に薬物を消化するので,速さを求めても逆に遅くなる」というものがある。この説は理屈に合うようでも,間違いであることを知らないのである。薬力が全身を行るのは,人身の気化を借りて薬力を伝達するのであって,ちょうど空気が声を伝えるようなものである。両方の間に空気がなければ,どこで声を発しようとその場で止まる。人身の気化をなくせば,脾胃が薬物を消化しても全身に伝達できない。人身の気化の流行にはもともと臓腑の境界はなく,咽を下った薬物はすぐに気化とともに行り,その伝達速度は極めて速く,あっという間に全身に行き渡る。ただし,空気が声を伝えるのは速いが,遠く離れるほど声はだんだん小さくなる。このことから気化による薬の伝達を推測すると,遠く離れると薬力は次第に減退する。したがって,病が下にあれば食前に服用し,病が上にあれば食後に服用するのは,薬を病変部位に近づけさせて直達する力を最も速くさせるためである。


20.湯剤では薬を煎じる液量が少ないのはよくない。少ないと薬汁の大半が煎じ渣の中に残る。滋陰清火の薬では,特に薬汁を多くして煎じなければ効果がない。したがって本書では,重剤を用いる場合は必ず煎汁を数杯として数回に分けて服用する。また,誤って薬を煎じ過ぎて干上がった場合に,水をもう1度入れて煎じても薬は本来の性質を失っており,服用すると病は必ず劇しくなるので,廃棄すべきで服用してはならない。


21.煎じるときに突沸しやすい薬は,医者があらかじめ患家に伝えておくべきである。たとえば,知母は5~6銭になるととろ火で煎じても突沸し,1両にもなると煎じることはできない。しかし,知母は最も容易に煎じ終えることができるので,まず他薬を煎じて10数沸させ知母を加えて蓋を開けっ放しにしたまま数沸させれば湯ができる。山薬・阿膠などの汁漿の薬,竜骨・牡蛎・石膏・滑石・代赭石などの末に搗いた薬は,いずれも突沸しやすい。煎薬は初めに沸き立つときが最も突沸しやすいので,煎じて沸き立つころに,あらかじめ蓋を開けて箸でかき混ぜるとよい。初めの沸き返りが過ぎ,その後も沸いておれば蓋を開けたままで差し支えなく,沸かないときに初めて蓋をして煎じるとよい。危急の証では,安危はその薬1剤にかかっているので,もしこれを下男や下女に押しつけ,薬を煎じる際の沸出をはっきりといっておかないと,事を誤ることが多い。したがって古の医者は,薬餌は必ず自分の手で修治し,湯液を煎じるにもやはり必ず自分で監視していた。


22.本書に収載されている諸方で,方中の重要な薬物の性味・能力を確実に知らないならば,四期の薬物学講義に収載された薬の注解を詳しくみるとよい。私は諸々の薬物について,巴豆や甘遂のような劇薬といえども,必ず自分で嘗めて試験している。用いた薬は,すべて性味・能力について深く知りぬいており,諸家の本草にある以外の新たな知見も加えている。


23.古方の分量を今の分量に換算する場合に,諸説があって意見が一致しない。従来私は古方を用いるのにもともと分量には拘泥しないが,たまたま古い分量を使用する場合は陳修園の説を基準にしている。(詳しくは麻黄加知母湯の項にある〔陳修園は古方を用いる場合は必ずしも古いものに拘泥する必要はなく,《傷寒論》《金匱要略》の方中の1両は今の3銭に換算できると述べている〕)


24.本書の諸方は,数種類の古方を除いた160余方が私の創製である。これはうぬぼれで新奇な異論を述べて古人に勝とうとしたいのではない。医者は人の命を救うものであるからこつこつと天職をまっとうすべきであり,難治の証に遭遇しあれこれ成方を試して効果がなければ,苦心惨憺して自分で治法を考案せざるを得ない。創製した処方が有効で,何度も用いてすべて効果があれば,その方を放棄するに忍びずに詳しく記録して保存した。これが160余方であり,努力を惜しまず人命を救おうという熱情に迫られ,日ごと月ごと累積して巻帙をなしたのである。


例言〔第五期の凡例〕


1.この編は各省の医学雑誌に掲載された論文を集めたものである。初回出版は民国17年(1927年)であるが現在絶版である。ここで又数年集めた各地域の医学雑誌に掲載された約六万余字の医論をこの五期に加えたので増広五期と名付けた。


2.この編の論文では,こちらの篇とあちらの篇とで重複がおおいのは,そのもとになっている雑誌がもともと同一ではないからである。今集めて一つの編とし,重複を除いた節にしたいが,全篇の文章の筋道や文の流れがいずれも損なわれるので,旧のままとした。どうかお許し願いたい。


3.諸論文の著作は,医学雑誌を読んで触発されたり,読者の質問であったり,時の情勢でその論証であったり,新聞社から意見を求められたもので,元来各疾患全体を論じた文書ではない。


4.諸薬について私が多く生用を好むのは,生薬の本性を残したいからである。石膏については硫黄・酸素・水素・カルシウムが化合したものであり,これを煅くと硫黄・酸素・水素は飛んでしまい,涼散の力が急に失われて,残るカルシウムが煅かれて洋灰に変わるので,断じて服用すべきではない。したがって本篇中では生石膏が人を救い,煅石膏が人を傷ることを繰り返し述べ,生命の関わる非常に重大なことであると再三にわたって注意している。また代赭石は鉄と酸素の化合物で,その重墜涼鎮作用は降胃止血に最もすぐれ,さらによく血分を生じ,気分を少しも傷らない。薬局で売る代赭石は必ず石炭の火で煅いてあるので,鉄と酸素が分離しているため血を生じることはできず,さらに酢で焼き入れするため,薬性が開破に変化して,多く使用するとすぐに泄瀉をきたす。また赤石脂については元来粉末で,宜興茶壺〔江蘇省宜興で作られる素焼きの急須で最高の茶道具とされる〕はこれを素焼きにするが,その性質は粉末と同じく粘滞で,細かい粉末にして服用すると胃腸の内膜を保護し,大便滑瀉の治療によいとする。天津の薬局ではあろうことか赤石脂を細末にし水を加えて泥状にして小さな餅状に捏ね,石炭の火で煅くので宜興の壺瓦〔素焼き土器〕となんら異ならない。もしこれを末にして服用すれば必ず脾胃を傷る。また山茱萸は性質が酸温で補肝斂肝に働き,肝虚自汗を治し,脱寸前の元気を固め,実際に極めて危険な症候にある人命を挽回する。薬局で多く用いている酒に浸して黒く蒸したものは,斂肝固気の力が急減している。このようなものは実際枚挙し難く,私が薬をしばしば生用するのは,本来の薬性を残すからである。


5.医家が常用する薬を,私が通常用いることはなく,常用しない薬を私は好んでよく用いる。なぜなら用薬には治病を宗旨とし,医者は処方に通常は薬品二十余味に至り,その分量はほぼいずれも2~3銭の間で大差はない。すなわち病を治癒させるのが,どの薬かも理解していない。しかし,私が臨床を始めたころは,通常証に合った薬を選び,一味を大量に用いて数時間煎じ,徐々に服用させて,つねに極めて重症の病を挽回し,さらにこうして実際の薬力を確かめることができた(拙編中に,一味の薬を大量に用いて危険な証を挽回したものは非常に多い)。そこで常用薬ではないのに,私がしばしば用いるのは,かつてこれを用いて実際に効果を得たからである。常用薬であっても,私が一度も用いていないのは,以前に用いて実際の効果がなかったからである。何事も必ず実際に試せばわかるので,敢えて人の話の受け売りはしない。


6.中医理論はもともと西洋医学理論を包括するものが多い。《内経》に論じられる諸厥証のように,「血の気と並びて〔類経:並は偏盛なり〕走く」〔《素問》調経論〕,および「血の上に菀し,……薄厥をなす」〔《素問》生気通天論篇〕,肝当に治すべくして治さず「煎厥」〔《素問》脈解篇〕になるのは,西洋医学でいう脳充血である。中医学では「肺は百脈を朝〔謁見する〕す」〔《素問》経脈別論篇〕といい,《難経》には「肺は五臓六腑の終始するところたり」というが,これは西洋医学の動脈および静脈の循環である。しかし古代人の用語は茫漠とし実際の解剖の裏付けはないので,記載があっても明確ではない。さらに中医学の治病はつねに病の由来を深く追求するがこれが病の「本」を治すことであり,西洋医学の治病はその局部の治療に努めるが,これは病の「標」を治すことである。危急の証および難治の証に遭遇すれば,西洋薬でその標を治すのは差し支えなく,中薬でその本を治せば必ず速い効果がえられる。したがって西洋薬の薬性が和平に近く,その原物質が確かなものなら中薬と一時併用するのは差し支えがない。原物質がよくわからず,中薬との併用禁忌のおそれがあれば,数時間の時間をあけて前後でこれを用いてもかまわない。


7.およそ薬性が和平なものなら多用すれば必ず奏効する。地黄・山薬・山茱萸・枸杞子・竜眼肉などがそうである。石膏は,《本経》でもともと微寒といい,やはり和平の品であるが,もし寒温大熱に遭遇すれば人命を挽回する見地から,時として多用せざるを得ない。私の処方をみて一剤で通常7,8両に至るので,その分量が多すぎると畏れて敢えて軽々に使おうとしない人は,いずれもまだ薬性を理解していないからである。


8.編中の多くの書簡では起結〔手紙文の起語と結語〕を略したが,起結は世事の挨拶であり,医学的には益するところはない。内容について私の創製した処方については,加減が詳細なものはこれを記録し,通り一遍なものならやはり省いた。というのも本編には至るところで事実であることを証拠立ててあり,三四句間でも読むものが役立てたいと望めば,実際に臨床で実施できる。


9.各地の薬局で販売する薬は,すべてに違いがある。戊午〔西暦1918年〕私がはじめて奉天に赴任し,方中に白頭翁を用い,でてきた薬を点検すると白頭翁は白いキノコで下の2分ほどに根がついている。薬局に「この根っこは何をつかったのか?」と質問すると,「その根は漏蘆です」と答えた。これ以降,あちらの土地の臨床では,白頭翁を用いるときは,すべて漏蘆と処方する。またかつて赤小豆を処方して,できてきた薬を点検すると想思子であったのは,これを紅豆とも呼ぶことによる(唐の王維の詩に「紅豆は南国に生ず」の句がある)。これを薬局に質問すると,「処方箋にただ赤小豆と書いてあればすべてこれを出す」という。これ以降,再び赤小豆を用いるときは,必ず赤飯にいれる赤小豆と処方する。また丙寅〔西暦1926年〕に天津に行き,䗪虫を処方してでてきた薬を点検すると,黒色光背甲虫である。薬局に質問して「䗪虫すなわち土鱉虫になぜこんなものが出てくるのか?」というと,薬局の主人は「この地方では䗪虫と土鱉虫は別物です」といった。その後䗪虫を処方したいときには,処方に必ず土鱉虫と書くように改めた。また鮮小薊を使いたいがまだなく,便宜上の処置として薬局にある乾燥したものを代用にして,でてきたものを点検すると,あろうことか食用の曲麻菜で,これは大薊である。薬局に質問すると,この地方ではもともと小薊を大薊といい,大薊を小薊というのだと知った。これ以外の錯誤をすべて列挙するのは難しい。したがって,慣れない土地での臨床では,処方に際して自ら薬味を点検すべきことが,第一の重要事項である。


10.学問の道は,重要なことが年毎に進展し,精通すればますます真髄を求める。私はかつて胸中の気を元気としたが,後になって元気は臍にあり,大気が胸にあると知り,かつて心中の神明を元神としたが,後になって元神は脳にあり,識神が心にあると知った。この編の論説では,時に前の数期とは異なる記載があるが,この編のものが正しい。


例言〔第六期の凡例〕


1.石膏はもともと硫黄・酸素・水素・カルシウムが化合してできており,生で用いるべきで煅いて用いるべきではない。生用すれば薬性は涼でよく散じ,煅用すれば洋灰〔石灰〕即ち鴆毒〔鴆は猛毒をもつ毒鳥〕となり,断じて用いてはならない。


2.赤石脂はもともと陶土である。津沽〔天津〕の薬局ではよく水をまぜて焼いて陶瓦にして丸散に入れるので必ず脾胃を傷る。したがって津沽で赤石脂を処方するときには必ず生と書いておく必要がある。しかし生赤石脂と本書中に記載しにくい。症例中の赤石脂はすべて生なので生の字を加えるまでもない。


3.杏仁の皮は有毒であるが,桃仁の皮は無毒であるから,桃仁は皮付きで用いるべきで,その色は赤くて活血の効能がある。しかし,薬局で皮のついた杏仁を間違って入れるおそれがあるので,症例中の桃仁も皮を去ると処方しているが,桃仁であることに間違いなければ皮付きを用いるとさらによい。


4.䗪虫は即ち土鱉虫で,これは《名医別録》にもある。しかし津沽の薬局ではあろうことかこれを2種に分けるので,処方に䗪虫とすればすべて偽である光背黒甲虫を充てるので,土鱉虫と書いて処方しなければ本物の䗪虫がでてこない。そこで症例中の䗪虫を用いるときには,すべて土鱉虫と処方した。


5.鮮小薊根は肺病治療の止血には最もよいが,症例中に用いていないのは薬局には新鮮な小薊根がないためである。もし近隣の山野で自分で新鮮なものを自ら採取できれば,肺病および吐血薬中に加える。小薊についての知識がなければ,第四期薬物講義にかつてその形状を詳しく記述している。


6.すべての症例中で大剤を用い数回で服用とあれば,その方を用いるときにはやはり必ずその服用方法に準ずるのが穏当である。また病人の家族にも方法通りに服用するように必ず命じておくべきで,おろそかにしてはならない。病が癒えれば薬はすぐに中止して必ずしもすべてを服用する必要はない。

『経穴の臨床実践』

[ 鍼灸 ]
まえがき  ~なぜ経穴を取り上げるのか~


経穴を臨床に活かす
 私は北里大学東洋医学総合研究所の招きにより,1988年1月に来日した。来日後,医師,薬剤師,鍼灸師の関連団体が主催するある講演会に呼ばれ,シンポジウムに参加したことがある。
 そこに参加していたある鍼灸師は,「鍼灸師の多くは経穴名を知っているが,経穴の使い方をわかっていない」「経穴の効きめを把握していない」「複数のツボを一緒に使うと,どのような効果が出るのかまったくわからないので,局所の取穴しかできず,運動器系の局所の痛みや凝りの治療しかできない」と,困ったように言った。
 また,ある婦人科医は,「鍼灸治療に興味をもっているが,三陰交くらいしかわからないので,もっとたくさんのツボの作用や効きめを知りたい」と,切望するように言った。
 彼らはいったい,鍼灸の何を知りたがっているのだろうか。
 彼らは,単に経穴の名称だけでなく,経穴のもつ性質・作用・効きめといったことを知りたいと思っているのである。つまり,それは経穴の本質を知りたいということなのであろう。この経穴をいつ使うと効果が出やすいのか。この経穴にどのような施術をすれば(あるいは手技を加えれば)効果を高めることができるのか,といったことである。さらにいえば,あるツボとあるツボを組み合わせることによって,一穴一穴にはないどのような新たな効果が生み出されるのか,ということも含んだ経穴の全体像だろう。
 本書では,このような興味深いさまざまな疑問に答えていきたい。


鍼灸師の願い
 毎年,全国で大勢の鍼灸学校の卒業生が国家試験をパスし,鍼灸師の資格を取得する。資格を取得できたことは確かにうれしいのだけれども,じつは,彼らは多くの不安も抱えている。
 「鍼灸の免許は取ったが,鍼灸師としての技が足りない」「鍼灸治療の基礎は取穴と刺鍼の技だが,学校で習った知識と技が果たして通用するのだろうか」といった不安を抱くことが多いのである。
 それはそうだろう。一人前の優れた鍼灸師になるためには,身につけなくてはならない鍼灸師としての基本的な知識と技があるが,学校で習う内容だけでは不十分だからである。特に,経穴の基本的な知識(名称や位置だけでなく,経穴の全体像)をしっかり熟知したうえで,臨床現場でそれをどのように活かすのか,ということが大事なのである。だからこそ,臨床実践を前にして不安に思っている鍼灸師が少なくないのである。
 一人前の優れた鍼灸師になるために,鍼灸治療の基礎から始め,経穴の知識をもう一度しっかりと勉強し直したい。そんな鍼灸師の要望に応えるために,本書を記すことにした。


著 者

『針灸治療大全』

[ 鍼灸 ]

 


 針灸が中国に誕生してからすでに4,5千年の時が流れ,今では中国医学の貴重な財産として重要な位置を占めている。この40年余りというもの針灸学は空前の発展を遂げ,その臨床研究・実験研究・文献研究・針灸教育の深化・発展につれ,世界中の医学者の注目を集めている。おおまかな統計によれば,1975年から今に至るまで,120余カ国の千人単位の医師が相前後して中国を訪れ,針灸を学習しているという。そして彼らが帰国したのち,習得した理論・知識・操作技術を臨床実践することで,各国の医療保健事業におおいに寄与してきた。針灸医学は,これらの国の医学の一部としてすでに確立されているのである。
 1989年10月30日から11月3日まで,WHOはジュネーブにおいて国際標準針灸穴名科学組会議を招集したが,審議の結果WHOアジア地域の推薦する「標準針灸穴名方案」を「国際標準針灸穴名方案」として採択し,それによって針灸医学を全世界にさらに普及させ発展させるための道筋を示した。
 張文進先生は中医針灸の教学と臨床の第一線において長年活躍し,臨床に力を尽くし,適応症の範囲拡大に努力し,各分野における適応症の治療効果向上に努めてこられた。その適応症に関する厖大な治験例を収集整理したうえで編纂・出版された本書は,針灸に携わるものにとって,実践的な針灸処方を提供する貴重な参考書となるだろう。簡単ながら以上をもって序とさせていただきたいと思う。


1999年1月19日 中国中医研究院針灸研究所にて 王徳深





 内科・外科・婦人科・小児科・男性科・五官科などいずれの科の疾病に対しても,針灸治療の効果が迅速で良好であることは,歴代医学者の多くの貴重な経験によっても明らかである。
 ただ残念なことには,いくら治療効果が優れていても,古代から今に至るまでの医籍の中でその治療法が論じられたことはなかった。ある特定の著書がある特定の病症についての治療法を論じたとしても,弁証分型や補瀉法があいまいなのでは,追随のしようがないではないか。
 張文進先生は長年中医針灸の臨床と教学に携わってこられ,臨床経験が豊富で理論面でも卓越している。特に申し上げたいのは,先生が20年余りの間針灸の治療範囲を拡大するための研究に全精力を傾けてきたということである。どんな病症に対しても中薬治療と同じように厳密な弁証による選穴治療を施し,数多くの病人を治癒させることで,それまでの文献には記載されていなかった厖大な治療経験を蓄積してこられた。この『五百病症針灸弁証論治験方』は,歴代医学者の治療経験を先生が長年の臨床を通して検証・総括したうえで,針灸の治療範囲を拡大するために刻苦勉励してきた先生独自の研究の結晶を付け加えている。本書に収載された各科病症は合計で548種類あり,国内外を含めた書籍のなかでも現時点で最多となっており,空白となっていた2百余種の病症の針灸治療を補填している。各病症に対しては,病因病機,弁証,処方・手技,処方解説,治療効果の順に詳細かつ簡潔な説明が加えられている。
 すなわち本書は,学術的にも実用面でも非常に価値のある参考書であるといえ,本書が上梓されたことは,針灸の臨床・教学および科学研究に携わるものや,医学院の学生,自主学習する者達にとって,おおいに裨益するものである。


1999年7月 河南省中医研究院にて 畢福高




まえがき


 内科・外科・婦人科・小児科・男性科・五官科などのさまざまな病症に対する針灸治療の効果はきわめて高いが,歴代の針灸文献で論じられているのは,それらの病症のうちのほんの一部に過ぎない。現在,高等中医院校の針灸専門教材である『針灸治療学』に収載されている病症はわずか111種類のみであり,現時点で収載数が最も多い『中国針灸治療学』でさえもわずか270種類余りである。またある特定の文献がある特定の病症に対する選穴を論じていたとしても,弁証分型があいまいで補瀉法がはっきりしないのでは,あまり実用的とはいえないだろう。
 20世紀60年代末,辺鄙な農村だった筆者の故郷では,まだとても貧しく医師や医薬品にも事欠くありさまだったので,病気になってもお金がなくて治療を受けられなかったり治療が後手に回ったりしたものだった。筆者の母親は肺結核を患ったが,すぐに有効な治療を受けることができずに亡くなった。新婚間もない妻は慢性腎炎を患い,地方政府から救済の手をさしのべられたものの焼け石に水で,正規の薬物による治療を受けることができなかったために病状は日に日に悪化していった。当時の社会では「1本の銀針で百病を治療する」ということが提唱されていたので,筆者にはいくらか針灸についての理解があったうえに苦境に立たされたことから,自らも針灸の臨床研究に携わり針灸学を習得しようと決意した。費用がかからないかわずかの費用だけで病気を治すことができるこのような療法を用いて,多くの病人,特に貧困のために治療が受けられない病人の病苦を取り除こうと決意したのである。そして筆者は1969年から針灸の臨床に携わり,大衆の疾病を治療するための無料の奉仕治療を始めた。満足できる治療効果をあげ,できるだけ多くの病人の病苦を取り除くために,古今の中医・針灸書籍を渉猟して研究し,歴代医学者の優れた点を取り入れながら,歴代文献にすでに治療法が記載されている疾病を治療すると同時に,治療範囲を広げるための研究に没頭し,まだ治療法が記載されていないどのような病症に対しても,中薬治療と同じように厳密に弁証し,病因・病変部位・関連する臓腑および経絡などをもとにして選穴処方するとともに,最適の補瀉法や置針時間等の探究に力を注いだ。臨床研究の結果は,はたして意図していたとおりのものであった。歴代文献に記載されていない病症は非常に多かったが,真摯に診断し正確に弁証をしたうえで治療をすれば,有効率はほぼ100%であり,大多数の症例の治療効果は非常に高く,中薬や西洋薬で長年治らなかった難病でさえも治癒させることができた。無料のボランティア治療であるうえに治療効果も良かったために,訪れる病人は跡を絶たず,毎日延べ30人以上,ときには60人以上に達する日も多かった。1970~1992年の23年間で,治療を受けた病人は合計で延べ約30万人以上に及んだ。臨床においては,治療法が記載されていない病症について特に注意を払い,時宜を逃さず治療するとともに観察分析した。ゆえあって診療室に来られない患者には,治療および観察を中断させないために,たとえ仕事が深夜に及んだとしても,またときには自らが病気になったときでさえも,患家を訪れ治療を続けた……20年一日のごとくこのように針灸の臨床研究と治療範囲を拡大するための研究を重ねた結果,幾多の患者が治癒すると同時に,筆者自身も歴代文献に記載のない病症についての大量の治療経験と教訓を得ることができた。1992年8月の初めまでの統計では,筆者が治療した病症は560余種に達し,そのうち治療法が記載されていない病症は200余種に及んでおり,大量の針灸処方を蓄積することができた。
 このように,針灸で弁証論治治療をすれば優れた効果が得られるにもかかわらず,歴代文献には取り上げられていない病症は非常に多い。そのような状況下でも,針灸に携わる優秀な同僚たちは,「弁証論治」こそが中医の「神髄」であり,中薬治療においてもそうであり,針灸治療においても同様であることを知っており,治療法が記載されていない病症に遭遇したときには,中医の基準に従って厳密に弁証し,病因や病変部位の寒・熱・虚・実や関連臓腑・経絡をはっきりさせたうえで腧穴を選択し最適の方法で治療しているので,自然に高い効果が得られている。しかし大多数を占めるレベルのあまり高くない鍼灸師たちが治療法のない病症に出遭ったときには,打つ手がなく治療をあきらめているというのが現状である。これは,針灸によってできるだけ多くの患者の病苦を取り除きたいという目標を実現するうえでは,非常に大きな障害となっている。
 このような状況を目の当たりにした筆者は,多くの病人,特に貧困な病人の病苦を取り除くために,自らの浅学をも顧みず,30年近く行ってきた各種病症に対する針灸治療の経験を整理することにした。本書の上梓が一石を投じ,針灸に携わる多くの同僚たちが治療範囲を拡大し各科病症に対する針灸治療,特に歴代文献に治療法がない病症に対する治療効果をさらに向上させるためにともに奮闘努力せんことを希望するものである。
 本書は7つの章にわたって548種類の各科病症を収載しているが,そのうち内科は87種類,外科91種類,男性科17種類,婦人科152種類,小児科31種類,五官科166種類,その他が4種類である。各病症についてはまず主症を説明しているが,一部の病症についてはその西洋医学的病名や西洋医学のどの疾病に現れる病症かについても述べている。またごくまれには西洋医学的病名のみで収載されているものもある。主症のあとには,病因病機・弁証・処方・処方解説・治療効果を説明するとともに,症例を1~数例附記している。その他一部の病症については附注を加え,治療をする際の注意事項を述べている。
 掲載されている各病症の処方は高い確率で効果が認められたものであり,その中には一般的な選穴,弁証選穴,毫針による補瀉法・置針時間,灸法,三稜針による施術法などに関する記述が含まれている。毫針の補・瀉・平補平瀉の操作方法,三稜針などの操作方法については,通常の伝統的な方法に準拠した。毫針による補法の操作方法としては,通常刺入して得気を得たのち軽く雀啄・捻転するという弱刺激を採用しており,抜針はすみやかに行い,抜針後はすぐに比較的乾いた消毒綿で針孔を数秒間押える。瀉法の操作方法としては,刺入して得気を得たのち,患者が耐えられる範囲内でできるだけ大きく・速く雀啄・捻転するという強刺激を与え,抜針時は針を揺らして針孔を大きくするが押えず,アルコール綿で針孔をさっと拭いて消毒するだけである。平補平瀉法の操作としては,雀啄・捻転の振幅や速さが中程度であり,つまり中程度の刺激を与えるものである。補法は虚証の治療に適し,瀉法は実証の治療に適し,虚実が不明確な一般的な病症には,平補平瀉法を使用する。置針時間に関しては,『黄帝内経』の「熱すればすなわち疾くする」「寒なればすなわちこれを留む」という原則にしたがい,臨床においては次のように行っている。実熱証・虚熱証に対しては,病因をもとに選穴した腧穴に持続的な行針(間欠的な行針でもよい)を数分間─通常は5分間前後行い抜針する。寒実証・虚寒証に対しては,30分前後あるいはそれよりさらに長い時間置針し,間欠的に行針を行う。寒熱がはっきりしない一般的な病症の場合は,20分前後置針して間欠的に行針を行う。筆者の観察の結果では,置針時間を掌握するかどうかも治療効果を高めるためのポイントの1つである。その他の注意事項として,灸法は温熱刺激に属し温陽散寒などの作用があり寒証に対して効果を発揮するので,寒実証・虚寒証に対しては刺針法の説明の後に灸法(艾炷灸か艾条灸)を加えている。灸法を加えれば,寒実証や虚寒証への治療効果を高めるのに役立つことは確実である。ただし医師あるいは患者が望まなかったり,さまざまな理由で灸ができなかったりする場合は,毫針のみで長く置針(30分間あるいはそれよりもさらに長く)するとよい。
 本書は,針灸の臨床・教学・研究に従事する同僚たちに参考資料を提供するものであり,また医学院の学生や自主勉強する人びとが針灸治療学を勉強する際の参考になるだろう。
 本書の編集過程においては,河南省南陽張仲景国医学院の指導者や多くの教師の方々の励ましやご支持をいただき,また時興善・張長安・王倫・楊金鎖等同志の方々にはお忙しいなか原稿の抄写に協力していただいた。また原稿の完成後には,針灸界の重鎮である元中国中医研究院院長で第2回世界針灸聯合会主席であり,現在の世界針灸聯合会終生名誉主席である王雪苔先生や,中国中医研究院針灸研究所所長で,世界針灸聯合会第5回主席であり,元世界針灸聯合会秘書長である鄧良月先生に,ご多忙にもかかわらず原稿を考査いただくとともに,ご親切にも本書のために題辞をお寄せいただいた。また中国中医研究院針灸研究所文献資料研究室主任である王徳深研究員には,講演先から帰国したばかりで休息する暇もなく疲労困憊のなか,原稿の考査をしていただくとともに,序文をお寄せいただいた。元河南省針灸学会会長であり河南中医研究院研究員である畢福高先生には,お忙しいなか本書のために序文をお書きいただいたうえに,近頃では重病をおして序文を補足していただいた。ここに各位に対して,衷心よりの感謝を献げたいと思う。


2002年春 河南省南陽張仲景国医学院にて 張文進

中医臨床のための温病学入門

[ 中医学 ]
はじめに


 温病学は,漢代・張仲景の《傷寒論》を基礎にして発展した外感熱病の新体系である。主として寒邪襲表・化熱入裏および寒邪傷陽の病機を分析し体系化した《傷寒論》とは違い,温熱あるいは湿熱の邪の侵襲による傷陰耗気の経過を解析しているところから,「温病学」と称される。《傷寒論》が張仲景個人の独創による著作であるのに対し,温病学は明代に展開し清代に隆盛して体系化が進み,多くの精英が切瑳琢磨することによって次第に形成された学理であるところが大きく異なっており,現代に至ってもなお成長を続けつつある。
 歴代の多くの医家が,聖典である《傷寒論》を一貫して尊崇し継承しながらも,社会条件や機構の変遷ならびに文化圏の拡大などさまざまな要素が加わるなかで,《傷寒論》の理論や理法方薬では実際の臨床に対応しきれない状況に数多く直面し,具体的な現象の細緻な観察と自己の臨床経験にもとづいた新たな理論や理法方薬を提示し,多くの批判を受けながら他家の知見や解釈をとり入れ,歴史的な評価を経て次第に「温病学」を体系化し,《傷寒論》の束縛から脱脚した新たな学説を形成したのである。それゆえ,実際の臨床において対象になる外感病の範囲は,《傷寒論》よりはるかに日常的かつ広範であり,病態把握や理法方薬もより具体的で理解しやすく,季節と密接な関連をもった病態分類と相俟って,身近な理論体系となっている。また,自然界の気候を含めた病因と人体の両面に対する鋭い観察と病態把握の深さ,人体の内部状態と病邪の相互関係にもとづいた治療の方法論と有効な治療手段などを考え合せると,現代医学の感染症に対する認識や治療手段をはるかに凌駕する高次元の医学であることが感得できる。
 歴史的に《傷寒論》の解釈と運用に重点をおき,他の学術の受け入れにさほど熱心でなかった日本においては,温病学も等閑視されて馴染みが薄いが,わが国の気候環境で発生する外感病をみると,「温病学」の理論と方薬の方がより実際的で無理がなく,効果もすぐれている。知識を吸収して損はなく,逆に《傷寒論》をさらに深く理解するうえで益するところ大であると言える。
 中医学を学ぶ者にとっては,新たな外感熱病の理論体系を会得するにとどまらず,中医理論そのものの理解を深めてさらなる発展への足がかりとすることができる。とくに興味深いのは《温病名著》であり,時代を画した名医の立論と注解,ならびに「選注」として示された秀才達の批判・反論・肯定・強調・解説・展開・付説などを熟読玩味することにより,中医学独特の思考方法や認識の真髄に触れるとともに,新理論の確立への途径を理解することができ,大きな啓示を得ると確信している。


 以上は1993年に上梓された本書の旧版にあたる『中医臨床のための温病学』の「はじめに」の部分である。これは20年以上経過した現在も特に改めるところはない。旧版はすでに絶版となったが,幸いに再版を望む方が多いとの声をいただき東洋学術出版社のご厚意で今回新たに上梓することになった。本書は総論と各論に分かれ,できるだけ読みやすくすることを目指した。旧版ではさらに「温病名著(選読)」を設けたが,新版ではこれを割愛し比較的コンパクトに温病の全体像を読み通すことができる書物とした。名著の抜粋を各論のそれぞれの章の最後に引用してあるので,興味のある読者諸氏は是非読んでいただければ幸いである。
 総論では,温病の概念と基礎理論および基本的な弁証論治を示している。
 各論では,風温・春温・暑温・湿温・秋燥・伏暑および温毒の七種を章別に論述し,各章ではまずその病変の概念・病因・病機・弁証の要点を述べている。ついで弁証論治においては,「衛気営血」の区分に大別したうえで,その病変の特徴にもとづいたよくみられる証型を提示した。各証型については,〔症候〕〔病機〕〔治法〕〔方薬〕〔方意〕を示し,適宜に他の証型との区別や関連を述べた。さらに,小結(まとめ)を行ったのち,末尾に関連する文献を読み下し文で付加している。
 温病学の用語は紛らわしいものも多く,文章のみでは難解で混乱しやすいので,旧版よりも図表を増やし理解の助けとした。
 本書は,「温病学」(孟樹江主論,上海科学技術出版社,1985)を藍本とし,「温病縦横」(趙紹琴ほか,人民衛生出版社,1987),「温病学」(南京中医学院主編,上海科学技術出版社,1979),「温病学」(張之文主編,四川科学技術出版社,1987年),「温病学釈義」(南京中医学院主編,上海科学技術出版社,1978),「温病学講義」(成都中医学院主編,医薬衛生出版社,1973),「暑温と湿温の証治について」(張鏡人,THE KANPO Vol 9.No 1,1991),「温病条弁白話解」(浙江中医学院,香港新文書店,発行年月不明),「温病条弁新解」(呉鞠通,学苑出版社,1995年),「湿熱条弁類解」(趙立勛編著,四川科学技術出版社,1986),「中国医学百科全書・中医学(下)」(《中医学》編輯委員会,上海科学技術出版社,1997),「傷寒六経病変」(楊育周,人民衛生出版社,1991),「金匱要略浅述」(譚日強〈神戸中医学研究会訳〉,医歯薬出版,1989)などを参考にし,当研究会での討論をふまえたうえで,編集・構成したものである。
 現代医療の感染症治療の現場には,つぎつぎに新薬が登場して薬剤の種類は増えているが病原菌もしたたかに耐性を獲得して新たな攻撃をしかけてくるために未だに完全勝利を得るには至っていない。こうした状況をみても温病治療の考え方および治療法を理解し,さらに発展していくことが今後とも重要であることは言を俟たない。本書がそのためにいささかでも寄与できることを願う。本書の至らぬところも多々あると思われる。読者諸兄のご指摘,ご批判をいただければ幸甚である。


2014年2月      
神戸中医学研究会

問診のすすめ―中医診断力を高める

[ 中医学 ][ 鍼灸 ]

序にかえて― 問診から始めよう


 中医学では四診合弁を重要視する。四診をフル活用し総合的に診断せよ,という意味である。総合的といっても,それぞれの診断法が同じ立ち位置にいるわけではない。また,同じ構造を有するわけでもない。
 考えてみれば道理であるが,四診のうち問診のみ異なる特徴を有する。その特徴をひと言でいえば,言語往来の原則に尽きる。問いに対して相手が答えるという,いわばキャッチボール式の情報収集法である。
 この相互性は,ほかの三診にみられない特徴である。問診以外の診断法,たとえば脈診や舌診などは,術者のもつ理論で相手の情報を汲み上げている。当然ながら,理論が稚拙だと情報を収集することができない。
 その点,問診は術者自身の学識の高さを問われない。何とありがたいことか,初学者が主体とする情報収集法としてはうってつけではないか。もちろん,問診それ自体の作法や,相手への説明力などの諸問題が内在し,中医用語と日常用語との乖離を埋める力,言葉の行間を読む力,瞬時に相手の思いを察する力などは不可欠であろう。研修生や学生に接していると,カルテを取るという作業に没頭するあまり,患者の話を聞き漏らすという事象にたびたび遭遇する。
 自らの努力で知り得た理論や知識が,問診の稚拙さゆえに活かされないケースを見るのは余りに忍びない。これが本書を手がけた動機である。
 特に自覚症状・既往歴・家族歴などにおいては問診の独壇場であり,問診レベルの向上により,本人のもつ諸知識に統一感が生まれ,飛躍的に弁証力が上がることもまれではない。
 『素問』徴四失論に「病を診るにその始め,憂患飲食の失節,起居の過度,あるいは毒に傷(やぶ)らるるを問はず,此を言ふを先にせず,卒(には)かに寸口を持つ,何(なん)ぞ病能く中(あた)らん」(病気を診断するのに,その発症時期,悩み苦しみ,飲食の状態,生活のリズム,あるいは中毒ではないかなどを聞かずに,問診に先んじて脈診をとる。こんなことで,どうして正しい診断ができるだろうか!)という下りがある。
 本書はこの精神に即しながら,「いかにして問診レベルを上げるか」をテーマとした。これは人見知りで,頭の回転の遅い筆者の課題であった。
 今回,過去に習ったこと,感じたことを思い出しながら整理した。幸いなことに,家内邱紅梅(きゅう こう ばい)から意見をもらう。第5章および第6章ジョイント問診の項では,本当にジョイント(共同執筆)してくれた。夫婦をやって20年以上経つが,はじめてのジョイントではないだろうか。愚鈍な筆者から見ると才女すぎて「歩く中医書」に見える家内であるが,義父邱徳錦(小児科医)から受け継いだ「常に何事にも全力を尽くしなさい」という言葉を大事に守っている姿勢には,人として頭を垂れるしかない。妊娠年齢の平均が40歳を優に超える臨床歴を多数もつ助っ人の参入は心強い。
 全体を通してみると,中医用語にどこまで統一感をもたせるかに難儀した。極力,初学者がわかりやすいように平明な中医学用語を心がける。病理に関しては最も適当と思われる語句を選択し,証名に関しても気血津液弁証,経絡弁証,臓腑弁証,病邪弁証内にとどめ,六経弁証,衛気営血弁証などは後ろに括弧付けする。
 最後に,頭の回転以上に筆の遅い筆者と飽きずにお付き合い下さった東洋学術出版社 井ノ上匠社長,編集に尽力下さった桑名恵以子様,校正に関するご助言をいただいた三旗塾前橋倶楽部代表 北上貴史先生,三旗塾 松浦由記絵先生,山口恵美先生および河本独生先生には,この序文をもって御礼の言葉に代えさせていただくこととする。

2014年3月
金子 朝彦

『絵で見る経筋治療』

[ 鍼灸 ]

 
程 序
 
 私が『霊枢』『素問』を閲読するたびに強く思うのは,古代から9種の針法があるが,現代ではその多くが不完全な状態であるということだ。幸い,薜立功氏は温故知新の精神から『霊枢』『素問』の研究・読書を重ね,九針法の意義を唱え,長針や円針を規定し,また『中国経筋学』を著して,「解結針法」〔経絡の圧迫を弛緩させる針法〕に再び光りを当てた。天宝7載(748年)以降,経筋理論に中国伝統の精神を深く取り入れて海外に伝播させ,その理論を駆使してどのような頑固な痛みに対しても多くの効果をもたらしている。現在,経筋の研究は盛んになり,その研究者たちも優秀になってきている。その精華を汲み上げ糟粕を捨て去り,規範や基準を創造することを期待したい。
 そしていま,劉春山先生は中国医学の継承・発揚・整理・向上を目的として,『黄帝内経』の原書を掘り起こし,臨床実践を出発点として,縦軸を中医学の経筋学に,横軸を現代医学の解剖学として中医学と西洋医学を結合した『人体経筋地図』を著した。
 本書は図表が豊富で,理論と実践が融合している。学ぶ者にとっては「按図索駿」〔手がかりを頼りに駿馬を探す〕の基準となる。たいへん喜ばしいことであることを序文の言葉に代えたい。
 

中国工程院院士
中国針灸学会副会長
程辛農







呉 序
 
 本書は著者の20余年に及ぶ針灸・針刀・微創医療〔マイクロサポートサイエンティフィック〕・推拿の経験に,『黄帝内経』の理論を加えたものである。経筋と関係の深い「横絡」「筋結点」等に対する見方の突破をはかり,実践における体得から,経筋の循行と局所解剖の考えを提示している。特に称賛に価するのは著者が経筋理論と,現代医学の神経・血管・筋肉・骨格などの関連知識を密接に融合し,伝統的な経筋理論を視覚的・直感的・具体的・科学的なものへと引きあげていることである。
 本書の著作方法は斬新で,図や説明文に重きをおいている。図が豊富であるだけでなく,言葉によって図を解説しているため言葉と図が相互に影響しあい,抽象的な経筋理論を具体的で生き生きとした表現方法で描写しており,読者にとって理解しやすいものとなっている。
 なお本書は,中医針灸・推拿・針刀・微創医療・骨傷などの専門家や,中医臨床学科の学習,参考に活用できるだけでなく,さらに多くの中医愛好者にとっても臨床的に価値ある一冊となっている。この本は実用的な辞典として収蔵すべきである。
 この本の出版によって,中医針灸学における経筋病の臨床応用と研究にとって有益な一助になると信じている。
 

中国中医科学院教授,主任医師,博士生指導教員
中央保健会診療専門家
中国針灸学会経筋分会副主任委員
中国針灸学会針灸灸法分会副主任委員
呉中韓
丑年の冬,中国中医研究院


 
 

名医が語る生薬活用の秘訣

[ 中医学 ]

推薦の序


 1980年代は現代中医学の日本への導入の黄金時代であった。日中国交回復前後から始まった先人たちの努力を引き継ぎ,80年代に入り,ありがたいことに私たちはその恩恵を享受することとなった。当時60代であった全盛期の老中医たちが相継いで来日し,日本で中医を学ぶ者を直接指導していただく幸運に恵まれた。張鏡人(上海),鄧鉄涛(広州),陸幹甫(成都),柯雪帆(上海)らの諸先生で,振り返ってみると,私たちは最高レベルの先生に習うことができたのだとつくづく思わされる。
 なかでも何度も来日され,熱心に指導してくださったのが焦樹徳老師(中日友好病院・北京)であった。北京中医学院時代の教え子の兵頭明氏が私たち中医学徒と焦老師を繋げてくれた。京都の高雄病院や東京での勉強会で,一日中あるいは泊まり込みで講演,質疑応答,私たちの症例報告の講評,患者さんに来ていただいての症例検討と濃密なスケジュールをこなし,私たちに真摯に向き合って教えてくださった。この熱心な生徒たちを北京にも呼びたいということで,1986年に中日友好病院で日中学術交流会を準備してくださった。矢数道明先生を団長に参加したが,ここでも焦老師の友人の多くの老中医の知己を得ることができて感激した。私の北京留学時代にも何度かお目にかかり,留学先の広安門病院の老中医の路志正先生に私の教育を託してくださった。温厚なお人柄も魅力があり,来日の際には拙宅にも来ていただいたことがあり,心の通じた恩師だった。焦老師こそ日本の中医学の偉大な教師であったと思う。
 焦老師の専門領域の一つは痹証(リウマチ性疾患)であった。焦老師の講義には日本では流通していない海風藤・伸筋草などが登場して戸惑ったが,幸い本書の原書『用薬心得十講』が出版されており,これを入手して学ぶことで,見知らぬ生薬の使い方にも得心できた。こうして接した本書は臨床に密接に結び付いた生薬の効能と配合を教授する珠玉の宝物で,中薬学の教科書の知識を臨床に活かす格好の手引きとなった。
 本書は中国でも版を重ね,読み継がれている。それは薬物の臨床応用,すなわち弁証論治において薬物を組み合わせ,随証加減する知識を与えてくれる書として,本書がきわめて有用だからに他ならない。各論の各薬物の解説では,その薬物の効能が簡潔にピシッと示され,次いでそのいくつかの効能を活かすための配合が丁寧に述べられている。例えば第3講・瀉利薬にある「沢瀉」の項を見ると,その効能は「肝・腎2経の瀉火,膀胱の逐水である」として,その効能を得るための7通りの配合の例が示されている。学んで応用してみると臨床の場面に役立つことが一目瞭然である。
 中薬学の教科書で同じ分類項目(例えば利水薬・補益薬など)に属していても各薬物には個性があり,またいくつもの顔をもち,それぞれいろいろな場面に応用できる。それは薬物の配合により発揮される。本書は臨床の場面に応じた配合の例が豊富で適切である。中薬学の教科書を学び,その知識を臨床に活かす次のステップの学習に,本書が役立つ。
 まず,ご自分の使い慣れた身近な薬物から学んでみることをお勧めする。その場合,例えば沢瀉を学ぶとき,同じ分類の茯苓・猪苓・車前子・滑石なども同時に読み進み,使用に当たっての鑑別点を学ぶとよいだろう。また,第1講と第10講の総論部分も味わい深い。初心者には得心がいかない部分もあるかもしれないが,本書を臨床に活用しながら,繰り返し総論部分も読み返していただきたい。弁証論治にもとづく用薬の神髄がおぼろげにも理解されるのではないだろうか。
 本書を愛し,その恩恵を受けたひとりとして,日本語に翻訳され,多くの方に学習されることになるのがたいへん喜ばしく思われる。本書を手に取る皆様が,本書の知識を臨床の場面に活用して,弁証論治の能力を向上されることを期待して推薦の序としたい。

日本中医学会会長
平馬直樹


『朱氏頭皮針[改訂版]』

[ 鍼灸 ]

改訂版 まえがき


 宇宙のあらゆる生物には生存と種繁栄の本能がある。そのため自己治癒力と環境に適応する能力を備えており,人間はその能力が特に強い。このことは古代中国の「天人合一」の全体観のなかにすでに把握されていた。
 世界には,西洋医学と中国医学の2つの大きな医学があり,その発祥と発展の違いによって,それぞれ異なる特徴と長所がある。しかし,近年情報の迅速化が急速に進み,すべての物事の交流と融合により単一で純粋な文化は打ち破られ,医学もその例外ではなくなった。中国医学は早くから西洋医学の知識や診断をとりいれ,西洋医学も中国医学の深い経験を受け入れるようになった。今後,現代医学の検査や治療を拒否する中医学,また物理的な検査や治療だけにこだわる西洋医学は完全な医学とは認められず,中西医結合の医学がますます求められていく時代になることは間違いない。
 「朱氏頭皮針」は中医学を核心とし,西洋医学の補佐により開発された優れた治療法である。その特徴は,疼痛全般,慢性疾患や麻痺のみならず,救急,急性の症状,重症,難治性の病気などにも適応し,即効性があり,また針と消毒さえあれば,どのような時,どのような場所でも行える治療法である。
 1987年の世界針灸連合学術大会で,筆者は頭皮針を使い,歩行困難な急性脳卒中患者を車イスから立ち上がらせ,歩かせた。その頭皮針効果の驚きは世界を駆け巡り,アメリカ,日本,香港,台湾,シンガポール,フィリピンなどから講演と治療を求められ,朱氏頭皮針は「針灸医学の第二次革命」「朱明清旋風」と称されるほど話題になった。
 「朱氏頭皮針」の初稿は1984年に書き始め,当時は浙江省の頭皮針学習教書として用いた。その後も臨床実践と研究により補充を続け,1987年に第一稿が完成した。しかし,当時の中国国内事情により出版できず,1989年9月に日本の東洋学術出版社の熱誠により「朱氏頭皮針」がはじめて出版されることになり,世界に朱氏頭皮針を広める先駆けとなった。
 しかし,初版「朱氏頭皮針」からすでに23年が経過し,その間も臨床経験と研究を積み重ねた結果,朱氏頭皮針はさらに大きく進化している。その最大の変化は治療帯を治療区に変えたことである。これにより,刺針場所がより選定しやすくなり,複雑な操作手技も行いやすくなり,また中医弁証による選区も明確になった。この改訂版は筆者の針灸臨床50年の経験を総括したものであり,総論も大幅に書き換えた。治療区の定位,効能を詳細に記し,また治療のメカニズムについて論考し,治療効果を高める導引については今までになく具体的に論述して「朱氏頭皮針」をより完全なものに紹介できたと確信している。
 針灸は今や人類にとって重要な治療の一部である。針灸は臨床効果が魂であり,これは朱氏頭皮針の魂でもある。本書で紹介した内容は,すべて臨床の実践証明を通しており,これに針灸の発展向上をめざす人々が自らの臨床経験を加えてさらに朱氏頭皮針を発展させ,世の中の多くの人々に幸福をもたらしていくことを切に祈っている。

  2013年3月
 朱明清  


初版 まえがき


 朱氏頭皮針はまたの名を頭穴透刺療法ともいい,頭部有髪部位にある特定の経穴透刺治療帯に針を刺すことによって全身の疾病を治療する専門療法のひとつである。いわゆる微刺療法〔特定の局所に刺針して全身の疾患を治療する刺針法〕の範疇に属している。
 この治療法は著者が中国伝統医学の理論をもとに,臓腑・経絡学説を基礎として,長期にわたる臨床実践と万を数える症例の治療経験を経て,それらを総括して作り上げたものである。
 著者は頭部有髪部位の経絡・経穴の分布と全身の肢体・臓腑・五官七竅とのあいだにある密接な関係に基づいて経穴透刺治療帯を確定した。また伝統的な刺針手法と『内経』にみえる手法の基礎の上に,「頭部の経穴には浅利,透刺を行うべし」という原則を結びつけ,頭穴の透刺に独特な操作法を編み出して用いている。これが「抽気法」と「進気法」である。さらに各病症に応じて適切な導引法,吐納法などを組み合わせ患者に行わせることで,ほぼ完璧な治療法となり,疾病の予防と治療という目的にかなうものとなった。こうして独自の風格を備えた「朱氏頭皮針」が形成されたのである。
 本治療法は適応範囲が広く,安全かつ有効で,しかも効果が早くて確実に現れるにもかかわらず副作用がないのを特徴とする。治療帯はかなり覚えやすいし,刺針及び操作は時間や場所,気候,環境,さらに体位による影響を受けない。また重篤症,急性症,マヒ,疼痛症に対して著効が現れるが,臨床所見に悪影響を与えることがないので,患者を危険な状態から救って延命の手助けをすることができる。このため医師と患者から非常に歓迎されている。つまりこの治療法は,中国医薬学の宝庫のなかの貴重な遺産のひとつであるとともに,従来の針灸医術には登場しなかったまったく新しい創造ということができると考えている。
 本書の内容は大きく総論と各論の二つによって構成されている。まず総論では頭皮針療法の起源とその発展について簡単に述べたあと,朱氏頭皮針の治療帯の位置とその主治および臨床治療を説明する。さらに治療帯と伝統的な経穴との関係,また朱氏頭皮針療法の基礎についても述べる。各論では特に急性症と系統別疾患の治療を紹介する。最後に症例を付して参考に供することにした。
 頭皮針療法は今まさに発展段階にあり,始まったばかりであって,その作用原理や臨床治療などの面で,今後一層の探索と研究がなされなければならない。したがって本書の出版が引き金となって西洋医,中医,中西医結合医及び医療・教育・科学研究にたずさわる人々が臨床や教育の現場でこれを参考とし,また応用してくださるようになれば幸いである。さらには今後それぞれが協力しあって頭皮針療法を研究し,これをしっかりとした体系をもった確固とした専門療法として確立させて,人類のための医療事業として役立てることができるようになることを,心から願っている次第である。

朱明清・彭芝芸 
   1989年1月 中国・北京にて  

『[詳解]針灸要穴辞典』本書を読むにあたって

[ 鍼灸 ]

本書を読むにあたって


 本書は,趙吉平・王燕平編著『針灸特定穴詳解』(科学技術文献出版社,2009年刊)を底本として翻訳したものである。

 要穴とは,十二経脈や奇経八脈に属する,特有の作用をもつ腧穴のことである。中国では「特定穴」と呼ばれる。古来よりその応用が重視されており,歴代針灸医家によって研究され,応用拡大がなされてきた。要穴の理解を深め,臨機応変に活用することは,針灸の臨床効果をあげるうえでは欠かせない。
 本書では,10種類ある要穴を9つの章に分け,さらに各章を「総論」と「各論」に分けて詳説している。
・「総論」は,概説・理論的根拠・臨床応用・現代研究に分かれるが,そのうち各要穴に関する理論的説明と臨床応用とが本書の重点項目である。
・「各論」は,別名・出典・穴名解説・分類・位置・解剖・効能・主治症・配穴・手技・注意事項・古典抜粋・現代研究の項目に分けて解説しているが,そのうち効能と主治症が本書の重点項目である。効能は,各腧穴と臓腑との関係,各腧穴の穴性などから分析し,主治作用の特徴を明確にしている。主治症は,臨床に活用しやすいよう系統的に分類している。


 なお,以下に本書の表記について補足しておく。


・『各論』の「主治症」で,と記されているものは西洋病名を指している。


・経脈の国際表記の略字は,東洋療法学校協会編『経絡経穴概論』の記述に合わせて,下記の経脈の記載を変更した。
  手の少陽三焦経 SJ → TE
  任脈 RN → CV
  督脈 DU → GV


・本文中( )で表記しているものは原文注であり,〔 〕で表記しているものおよびアステリスク(*)を付けて巻末にまとめているものは訳者注である。

(編集部)

『[詳解]針灸要穴辞典』日本語版序

[ 鍼灸 ]

日本語版序


 針灸治療を行うには,理・法・方・穴・術が一体となって完備されていなければならない。なかでも「穴」は理・法・方・術のすべてを左右するので,最も重要であると思われる。腧穴の帰経・位置・解剖学的構造を把握し,その生理的特性・治療作用を理解しなければ,針灸理論の柔軟な応用,治療における法の活用,合理的な選穴による処方の組み立て,針灸器具の適切な選択による施術などを行うことはできない。したがって,腧穴理論に習熟することは,針灸による診断治療にとって不可欠である。
 要穴は,十四経穴の中軸でありすべての腧穴の真髄であり,その理論は深淵で主治作用が独特なので,古来より研究する者が多く,臨床における応用範囲も極めて広い。
 著者である趙吉平は,1983年に大学を卒業すると,北京中医薬大学東直門医院針灸科に勤務した。そこでの30年間に及ぶ学習・業務・成長の過程で,幸運にも楊甲三,姜揖君,李鳳萍,李学武,張国瑞,耿恩広,何樹槐ら,科内の恩師たちの薫陶を受け,また北京内外の賀普仁,張世傑,周徳安,盛若燦,高維濱らに教えを受け,さらには李鼎,邱茂良,李世珍,于書庄ら大家の針灸専門書や,王楽亭,承淡安ら大家による関連する学術経験書などを読みあさって深く啓発されたことで,各針灸大家がいかに要穴を重視しているかを痛感することができた。なかでも,楊甲三,姜揖君老先生には,数年間診察に立ち会わせていただいたが,楊先生の腧穴に関する造詣の深さは国中に名を馳せ,姜先生の八脈交会穴の活用法は大いに称賛されており,趙吉平自身の要穴使用に強い影響を与えている。
 もう一人の著者である王燕平博士は,耿恩広教授の教えを受け,卒業後は北京中医薬大学針灸推拿学院針灸臨床系で教鞭を執るとともに,要穴の研究と応用に没頭した。


 長年にわたる鋭意学習とその臨床における治験とを通し,私たちはしだいに知識を蓄積していった。趙吉平がかつて執筆した「要穴解説」が,1991~1993年に日本の雑誌『中医臨床』に連載され好評を博したが,その後内容を大幅に補足・整理して,『針灸特定穴的理論与臨床』として編集された。これが1998年科学技術文献出版社から第1版として出版されたのだが,購入するのは針灸関係者が多く,大学の針灸科の教師,研究生,臨床医がほとんどであった。その後改訂を経て2005年に再版(第2版)され,広範な読者からの評価に励まされ,2006年『針灸特定穴詳解』として「国家科学技術学術著作出版基金」プロジェクトに申請したところ,幸運にも援助を受けることができた。このプロジェクトは,1997年以降毎年1回全国規模で選考が行われ,自然科学や技術科学分野の優秀かつ重要な学術著作を出版するための援助に用いられる。その年援助を獲得した64冊の著作のうち,医学関係の書籍は16冊だったが,中薬の専門書以外では,中医関係の書籍は『針灸特定穴詳解』のみであった。いかに高い評価を受けたかがわかる。私たちは過分な評価に戸惑ったものの,寸暇を惜しんで内容と形式とをさらに補充・完成させたうえで,2009年に出版する運びとなった。
 30余万字に及ぶ本書は,10種類の要穴を9章にわたって叙述しているが,各章はさらに総論と各論の2つのパートに分かれている。総論は,おもに概説・理論的根拠・臨床応用・現代研究などからなっているが,そのなかでも各種要穴の理論に関する説明と,臨床応用に関する概説が本書のポイントである。各論では,各要穴を別名・出典・穴名解説・分類・位置・解剖・効能・主治症・配穴・手技・注意事項・古典抜粋・現代研究などの13項目に分けて詳細に説明している。そのなかでも,腧穴の効能・主治症・配穴が本書のポイントであり,その目的は,各要穴の主治作用上の特徴を明らかにすることにある。効能については,その腧穴と臓腑経絡との関係や穴性の特徴から分析を進め,主治症については系統的に帰納しており,理論性を重視するとともに臨床に則したものになっている。また他に,各腧穴の刺針法・施灸法についても紹介している。
 編集にあたっては,内容の充実,詳細かつ簡潔な説明,優先度の明確化,わかりやすい表現,学習の利便性を追求し,理論と実践の融合を重視したが,腧穴理論は深淵かつ豊富であり,筆者の力では至らぬ点も多いと思われるので,読者諸氏のご批判を待つものである。
 また本書では,出版および公開された数多くの書籍・文章を参考にさせていただいており,針灸に携わる各賢人たちにここに謹んで心よりの謝意を表したい。

趙吉平  王燕平

2012年12月 北京中医薬大学にて

 

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