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2)中医学 アーカイブ

2006年11月20日

日中傷寒論研究 (日中傷寒論シンポジウム記念論集)

本書について

 本記録集は,1992年2月22・23日の2日間, 北京市の長富宮飯店大会議場で開催された「第7回日中漢方医学シンポジウム」での全講演論文を収録したものである。
 本シンポジウムは,中華人民共和国衛生部の賛助のもとに, 株式会社ツムラと中華人民共和国衛生部医療衛生国際交流中心が共催し,財団法人日本東洋医学会が後援して開催された。本シンポジウムは1986年以来毎年1回中国で開催されてきた。過去6回は下記のように開催された。


第1回 1986年3月1~2日
第2回 1987年2月28日~3月1日
第3回 1988年2月27~28日
第4回 1989年2月25~26日
第5回 1990年2月24~25日
第6回 1991年2月23~24日  北京・中日友好医院国際会議場
北京・中日友好医院国際会議場
西安・解放軍第四軍医大学科学会堂
北京・友誼賓館科学会堂
北京・シャングリラホテル大会議場
北京・長富宮飯店大会議場

 本シンポジウムは,日本で使用されている漢方方剤の中国における臨床経験及びその使い方・考え方を学ぶとともに,日本における最新の医学及び漢方療法の研究・臨床成果を中国に紹介して,日中双方の理解を促進しながら,漢方医学の発展と普及に寄与することを目的として開催されている。毎回,主要疾患をテーマとして日中双方が特別講演,一般講演を行い,双方から質疑とそれに対する説明が行われる。
 今回は, 「痛みに関する漢方治療」といったテーマをもとに計14題の講演が行われた。日本より漢方の臨床経験豊かな臨床家と研究者約50名と報道関係者約10名が参加し,中国側からは約 400名が参加した。

傷寒論医学の継承と発展

張仲景学説シンポジウム

第1回大会に参加して

 詩経に「道は時と偕(とも)に行わる」といい,中国の詩に「野火焼けども尽きず,春風吹きてまた生ず」とある。悠久の歴史の流れは常に興亡消長を繰返しているが,陰陽論歴史観の流転に根ざしている。
 日本は7世紀のはじめより,中国の隋・唐・宋より金・元を経て,明・清の各時代の医学に学び,時とともに推移してきた。日本化された漢方医学は,18世紀以降江戸時代において,百花繚練乱と開花し,中国に劣らぬいくつかの研究が集大成されてきた。しかし19世紀明治初期になって,日本の漢方医学は国政の変革とともに法的抑圧に遇い,衰亡の一途を辿っていた。しかるに以来50年にして漸く復活の兆しを示し,いま興隆の黎明期に際会するようになった。漢方製剤の薬価基準登載によって,一般医師が漢方薬を採用すること多く,僅か数年にして,一挙に約数万を数える程になっている。
 中国においては,20世紀のはじめ,国民政府が日本と同じように漢方禁止令を発布してこれを禁圧しようとしたが,中医は団結してよくこれを克服し,革命後は中西合作の指導によって,30年間,中西医結合による新境地を開拓した。しかし,近年中国の医学界では新しい路線が協議決定され,中医・西医・中西医の3本建てとなり,丁度鼎の3本脚のように,バランスをとり,即ち鼎立してそれぞれの研究を進めてゆくこととなった。
 革命当初の中医の数は約50万といわれていたが,現在はその半数となり,このままでは伝統の中医学は自然に衰退することを憂え,新しくその基礎を確立し,後進を指導育成すべきであるとの主張が強く打ち出されてきた。
 その第1着手として,中医学の原典『傷寒雑病論』の著者,医聖漢の張仲景を最前線に高く掲げ,去る1982年10月18日より4日間に亘り,中華全国中医学会の主催で「張仲景学説シンポジウム・第1回全国大会」が,仲景誕生の地であり,三国史ゆかりの舞台でもある河南省南陽市において,華々しく開催された。
 中国側からは,全国各省の傷寒論研究者代表300名が選ばれて参加,その中より34題の研究発表があり,日本側からは,日本東洋医学会代表団13名中9名,日本医師東洋医学研究会代表団7名中2名が発表を行ない,発表後討論会が催されて,今後引続いて日中合同による相互提携交流の企画について懇談した。
 第1日の発会式では,日本東洋医学会代表団の持参した,日本における張仲景関係の医史資料6品と,参加者の著書24冊を一括して目録を添えて贈呈し,満場の拍手を浴びた。
 大会4日目,この日も雲1つない晴天に恵まれ,張仲景の墓祠を中心に新しく建築された,壮大な城廓を思わせる医聖祠・医史文献資料館の奥深く整備された墓碑前において,厳粛な追薦祭,日中両代表団の献花参拝,記念撮影,将軍柏の植樹祭などの行事が行われた。
 恰も日中国交正常化10周年,また日中平和友好条約締結4年に当たり,私は幸い毎年機会を得て,第4回目の招待訪中に参加,この大聖典に列席できたことは生涯の感銘であった。
 中医学会では,更に素問学説研究会を発足させ,中医学の原典に帰って徹底的再検討を続けるということである。
 南陽市は,その昔古都洛陽の栄えた頃は要衝の地であったが,10年前にはじめて鉄道が敷かれたという僻地で,その頃人口2万人の小都市であった。いまは26万人に膨脹したというが,街の佇いはまことに静かであった。しかも未開放地区でホテルと名のつくものもなく,私達には党の幹部の宿舎があてがわれるという予報だったので,心の中で案じながら到着したが,宿舎は新築間もない3階建ての南陽友誼賓館で,全員1人1室という思いがけぬ豪華な優遇ぶりであった。中華全国中医学会呂炳奎・任応秋両副会長ほか準備委員が北京より出張して,南陽市衛生局がこれに協力し,市を挙げての熱烈歓迎と万全の設営であった。
 漢方医学を学ぶ者が南陽市を訪れて心躍るのは,仏教徒がインドの釈尊生誕地や滅度の地を訪れて感極まるのと同じことである。
 この大会で多くの新しい交友関係が生れたが,私にとって特筆すべきことは,42年来著書や機関誌の交換,文書の往来をしてきた河北医学院楊医亜先生に初めて親しくお会いできたことであった。
 かって私達が昭和15年頃,束亜医学協会を結成し,漢方医学を通じて日中親善交流を主唱し,機関誌「東亜医学」を発行したとき,楊医亜先生は北京で「国医砥柱」誌を発行し,相互に交流を行っていた。当時,私達が中国の中医師で頻繁に学術交流をしていたのは,僅かに3人であった。
 私は翌日催された歓迎宴のとき,日本側を代表して謝辞を述べたが,その時楊先生のことにふれ,「40年来瞼の友」にめぐり会えた奇しくも嬉しい大会であったと述べて喝采を博した。楊先生も感激して,直ちに席を立って私のところにきて,しばらく握手の手を放さなかった。私の隣におられた任応秋先生から,その3人の名は,ときかれた。
 42年前,交流僅かに3名であったが,この度の大会には全中国代表300名が参加している。まさに今昔の感に耐えないことである。そのときの3人とも現在全国中医学会の理事にその名を連ねている。最長老は,南京薬学院副院長の葉橘泉先生で今年87歳,楊医亜先生は69歳,もう1人は長春市の吉林省中医中薬研究所名誉所長の張継有先生75歳である。
 「海内知己存す,天涯比隣の如し」,まことにこの言葉が実感として心に沁みたことである。
 3日目の朝,大会の運営委員代表から,このたびの日本訪中団の参加を永く記念するため,医聖祠内に記念碑を建立することになったので,仲景を賛える一文を揮毫して欲しいと紙墨が運ばれてきた。突然の申し出に恐カク困惑した私は,一日中部屋に籠って沈思黙考の末,次の如き文字をしたため,任応秋先生と団員に計り,これを任先生に委託した。南陽市を後にし,委員の方々に送られて洛陽に向い,龍門石窟や少林寺を訪れて,旅程10日間の帰路についたが,中国側の優遇は身に余るもので,この大祭典にめぐり合わせたことは生涯忘れ得ぬ,まさに千載一遇の幸運であった。ここに運営委員会の呂炳奎,任応秋両先生をはじめ,委員の先生方に対し,満腔の感謝を捧げ,さらに日中友誼の樹は常に青く,学術交流の水は長く流るることを衷心より祈るものである。

   張仲景敬仰之碑文

       医聖張仲景逝いて千七百六十余年

       傷寒金匱の論述燦として千古に耀く

       日中両国の後学故里南陽に参集し

       遺徳を翅謄して和気法筵に満つ

1982年10月21日
日中国交正常化10周年に当り張仲景学説シンポジウムに出席して
                 日本東洋医学会学術交流団代表
                 北里研究所附属東洋医学総合研究所長
                                 矢数 道明

傷寒論医学の継承と発展(仲景学説シンポジウム記録)

医古文の基礎

日本語版への序

  『医古文基礎』は1980年の初版以来、今日まで20年余を経過し、何度も版を重ねている。本書は、中国大陸で大いに読者の歓迎を受け、このたびさらに日本語版が出版されることとなった。これは我々の夢想だにしないことであった。当時本書を執筆したのは、北京中医学院(現北京中医薬大学)医古文教研室の5人の青年講師である。歳月は流れ、黒髪は霜雪に変じ、現在みな中国の著名な教授となっている。
 執筆当時の情景が昨日のことのように思い出される。1978年は中国の歴史における大変革の年であり、高等中医教育事業は飛躍的発展をとげ、教材の革新・充実・向上・改善が議事日程にのぼっていた。当時の北京中医学院医古文教研室の主任は劉振民先生であった。1978年の7月に、劉振民先生とともに広州・南京・長沙など各地の中医学院の医古文教研室を訪問し、医古文の教科書の革新・改善・向上に関して討議した。浩瀚な中国医学の古典はみな古代漢語で綴られており、滞りなく読み解き、広範なうえに精細な内容を把握するためには、古代漢語の基礎の構築が必須であるとの認識を深めた。それ以前の医古文の教科書は、「文選(古典選集)」と「語法」に重点がおかれ、各分野の基礎知識は軽視されていたので、中国医学古典が読める優秀な中医師を養成するという要請にこたえるようにはなっていなかった。医古文の教材に、工具書(辞典類)・版本学・目録学・校勘学・文字学・音韻学・訓詁学・句読・現代語への翻訳法、これらを増補して、学生にもっとも必要な古代漢語の基礎知識を身につけさせねばならいないとほとんどの医古文担当教師が考えていた。そこで1978年の8月に、新しい編集企画と立案構想にもとづいて、5人の青年教師が分担して執筆したのがこの『医古文基礎』である。本書が出版されると、すぐさま斯界の好評を博し、本科生(学生)や研究生(大学院生)の教材として採用する高等中医院校もあらわれた。
 1970年代末に、中国中央衛生部(日本の旧厚生省に相当する)は全国の高等医薬院校の教授の一部を組織して、20冊からなる『全国高等医薬院校試用教材』を編集した。その中に『医古文』がある。周篤文先生とわたしは、この教科書の編集作業に参加した。全国の高等医薬院校で共通して用いられるこの『医古文』には、『医古文基礎』に啓発された形跡がはっきりとみとめられる。この教科書には、「文選」だけでなく、古代漢語の基礎知識の内容も盛り込まれた。その「編集説明」は、「本書の内容は、文選・古漢語基礎知識・付録の3部門からなる。古漢語基礎知識の部分では、文字・語義・語法・古書の句読・古書の注釈・工具書の使用法および古代文化の常識について概説し、学生が医学古典を読解する能力を増進させるための助けとする」と掲げている。その後、衛生部と国家中医薬管理局の指導のもとに、さらに3種の全国高等中医院校共通の医古文の教科書が編集されたが、それらには例外なく古漢語に関する基礎知識が加えられた。これからわかるように、『医古文基礎』の編集形式と内容設定は、全国高等中医院校共通の教科書『医古文』の足がかりになり、雛型的な役割を果たしたのである。1980年代、衛生部と国家中医薬管理局の指導のもとに、底本の選定・校勘・訓詁・句読・現代語訳など、数百種にのぼる中国医学古典の整理研究が行われたが、『医古文基礎』と『医古文』共通教科書の「基礎知識」は、非常に重要な働きをしたのである。
 『医古文基礎』はつまるところ20数年前の著作であり、歴史的には建設的なはたらきをして、多数の青年学者を育成したとはいえ、「文選」に選んだ文章がやさしすぎたり、「古漢語基礎知識」の部分が簡略にすぎるなど、欠点や不足のところがあるのは否めない。
 中日両国は一衣帯水の友好的な隣国であり、『医古文基礎』は日本の中国医学古典の研究者や医古文入門者にとっても、閲読するに足る書物である。本書の出版は、両国の伝統的な友好関係をさらに深め、伝統的中国医学の向上と発展を推進するにあたり、大変有意義な企画である。初代日本内経医学会会長の島田隆司先生は、生前本書の日本語版出版のために、骨身を惜しまず多大な尽力をなされた。残念なことに先生はこの書が世に問われる前に、突然不帰の客となられた。まことに悲痛きわまりないことである。新たに日本内経医学会会長職をひきつがれた宮川浩也先生は、島田隆司先生の御遺志を継承し、ついに『医古文基礎』の日本語版の出版をなしとげた。このたゆむことなき誠実さに、さらに深く心打たれる。
 『医古文基礎』が中国と日本の医学文化交流をより強固にする紐帯あるいはかけ橋となり、中国と日本の伝統ある友好関係という燦爛たる花が、より一層艶やかで美しく咲くための一助となることを願ってやまない。

銭 超 塵
2001年 4月16日 北京中医薬大学にて


原書の前言

 中国医学は偉大なる宝庫である。そこには先人の数千年にわたる疾病との戦いの貴重な経験が凝集されている。中国の文化遺産の中でも最も活力があり、最も光り輝く部分である。万里を流れる長江や黄河のように、今日でもなお生き生きと、そして力強く新中国の生活を潤してくれている。
 しかしながら、4千種余り、7~8万冊を超えるこの貴重な遺産は古語で記されている。このことが中国医学を学習するための妨げになっている。この問題を解決するために、1959年より衛生部は関連中医学院を組織し、前後4回にわたり『医古文講義』を編集した。これらの教材が中国医学古典の学習に大きく寄与したことは疑いない。しかし、新たな長征(困難かつ壮大な事業)の進軍ラッパは、多くの人材の早急な育成を求めている。この要求に応じて我々の行ってきた仕事を点検すれば、そこに大きな隔たりがあることは明白である。今日熱心に中国医学を勉強する青年は甚だ多く、中医学院の生徒以外にも、多くの中国医学愛好者や西洋医学に従事している同志がおり、また中国医学文献の研究を志す青年もいる。彼らにとって、古典を読み文献を整理するための基礎知識とその研究方法を獲得することは焦眉の急である。こうした状況を鑑みて、北京中医学院医古文教研室が編集したのが、この『医古文基礎』である。
 古文を理解する力を早く養成するにはどうすればよいか。それにはどういった基礎知識を身につけたらよいのか。絶えず考え、模索すべき問題である。例文に語法の説明を加えるという従来の教授法では、範囲が限られているのみならず、咀嚼されすぎて、説明されれば理解できるが、説明なしでは理解できないことが多い。そのうえ学生が原文を消化吸収する力を鍛え、独力で研鑽し問題を解決する能力を育てるためにも不都合である。このため、1963年に工具書・目録学・版本と校勘・音韻学・訓詁学などの内容を加えて『古文入門知識』を編集し、基本的な訓練の強化を試みた。数年にわたって『古文入門知識』を副教材としたところ、かなりよい効果を収めることができた。さらに兄弟校での有益な経験を参酌し、整理・修正・拡充して本書を編集した。それは、中国医学古典の読解・整理に役立つことを目的とする。
 本書は上・中・下の3編からなる。
 上編は「文選」である。医話・医論・伝記・序文・内経・詩の6つに分け、洗練された、影響力の大きい、医学に関連深い代表的文章38編を収録し、医学関連書の文体を理解し、読解する能力を訓練するための導入部とした。
 中編は系統的な解説である。目録学・版本と校勘・工具書・句読・語法・訓詁学・現代語訳・古韻の8つの専門テーマを設けた。ここには、文献学・訓詁学と語法・工具書などの基礎的な知識が含まれている。これらは今までほとんど取り上げられることがなく、かなり難しく、水準が高い内容である。しかしながら、確実な研究基礎を築き、独力で研鑽し文献を整理する能力を養うためには、どうしても身につけなければならないので重点的に紹介した。それぞれのテーマの末尾に白文の練習問題を付し、学習効果を深め、古典に句読をほどこす能力を鍛えるための補助とした。
 下編は、虚詞要説・難字音義・古韻22部諧声表・中編の練習問題の訳文、である。虚詞要説では例文をあげて説明した。難字音義では難字の発音とその意味を明らかにした。古韻22部諧声表は調べるのに便利で時間が節約できる。練習問題の訳文は、白文を句読する際の参考とした。
 本書を編集するに当たり、陸宗達教授、任応秋教授および黄粛秋教授の御指導を賜った。また兄弟中医学院の多くの同志からも激励と協力が寄せられた。中医研究班での講義において得られた有益な意見も一部採り入れた。いずれもみな我々に多大な利益をもたらした。ここに謹んで感謝する次第である。しかしながら、浅学非才のため、欠点や不注意による誤りはきっと少なくなく、多くの読者からの御批判御示教を衷心より歓迎する。
 出版に際して、曹辛之同志に装丁の労をとっていただいた。とくにここに記して感謝する。

原 書 編 者


編訳者まえがき

「医古文」

 「医古文」は中国医学古典を読むための「語学」である。日本風に訳せば「中国医学古典学」になろうか。中国の人にとっては自国語の古文、私たちにとっては外国語の古文、それを読むための知識の提供が主たるテーマであるが、単に文章を読むことにとどまらず、辞典のこと、漢字のことなど広い範囲に及び、古典を読むために必要な総合的な知識が網羅されている。銭先生が序文でいわれる通り、「医古文」は多くの学生を育てた。近年、相継いで古典の活字本・現代語訳本が出版されているが、それを支えているのが「医古文」で育った学生である。現在の中医学の中心的な人材も「医古文」で育った学生が多数になりつつある。中医学の基礎体力は「医古文」で養成されていたといえる。わが国では「難しそう」を理由として古典は遠ざけられている。この古典アレルギーによって、大いなる知識の宝庫が埋もれているかと思うと残念である。なぜ難しいのだろうか。簡単にいえば、何のトレーニングもしていないからである。武器も能力もなく、素手で猛獣に向かっていくようなもので、敵わないのは道理である。古典アレルギーを治すには「医古文の学習」が最も有効だと考えている。

原塾と井上雅文先生

 昭和59年(1984)、島田隆司・井上雅文・岡田明三の3先生は、古典学習塾─原塾─を創設した。月曜日は『難経』(岡田)、火曜日は『素問』(島田)、水曜日は『霊枢』(井上)と、週1回の、今考えてみればハードな塾であった。井上先生は『霊枢』講座で『医古文基礎』を講義した。訓読しか(あるいは訓読も)知らない面々が、訓詁学だとか、音韻学だとか、新しい知識に驚き、圧倒された。先生は、誰より早く本書の重要性に気づき、誰より早く本書を題材にして講義したのである。かくして、本書はわが国でも第1の教材となり、少しずつ古典研究の世界に浸潤していった。学んだ者の数は中国には到底及ばないが、わが国でも『医古文基礎』で育った若者が相当いるはずで、今回の邦訳に参加した人の大半もその恩恵にあずかった者たちである。本書の邦訳の端緒は、すでに井上先生の講義に発していたといえる。先生の学識と先見性に脱帽する次第である。

『医古文基礎』

  『医古文基礎』は1980年の初版第1刷に始まり、最新のものは初版第6刷を数え、累計14万部に達している。いかに人口が多いといっても、この部数は驚異的である。中医学を目指す学生がこうした教材で学び、そして古典を学んでいるかと思うと、羨ましい限りである。近年のわが国の古典研究は、漢学の素養のある人に支えられてきた。最近はその人たちが少なくなり(皆無になり)つつあり、古典研究は重大な局面に直面している。本書がその対応策の1つになるだろうと思う。大多数の鍼灸学校では「医古文」の講座を設定していない。それを指をくわえて待っている時間的な余裕はないはずである。それよりもまず、本書で独学して、中国伝統医学の基礎体力を養うのが今のところの最善策である。その効力は、銭先生の序文に書かれている通りである。鍼灸学校や医科大学・薬科大学の漢方講座に、単に鍼灸・湯液の学問や技術だけでなく、教科として「医古文」が設定され、語学教育も重視されることを望むものである。
 本書は小冊子ながら内容が濃い。漢文を読むための知識に始まり、辞書類の使い方、版本や目録のことまで、幅広い知識が網羅されている。同系の書に、漢文を読むための知識を中心として編集され、内容がより専門的な、大型の『医古文』(人民衛生出版社)がある。専門性と分量からいって初学者には荷が重い。やはり、コンパクトで要領よくまとめられた本書が最適である。また、合理的な学問の方法も示されているので、回り道をしなくてすむし、迷路に入り込むこともない。いいかえれば、本書を学ぶことは、中国伝統医学を学ぶ近道だといえる。本書を訳出した最大の意義はここにある。

『医古文基礎』の構成と特徴

 原書は上編・中編・下編に分かれている。上編は文選(古典選集)で、医話、医論、伝記、序文、内経、詩の6部門を設定し、いろいろな文章を読むことを課している。中編は古代漢語を読むための基本知識を網羅し、総合的な知識の獲得を目的としている。下編は、虚詞の解説、難字の発音と意味、古韻22部諧声表、12種の文章(中編の各章末にある練習問題)の現代語訳、という構成になっていて、付録的な要素をもつ。その中でも虚詞の解説は大いに役立つ内容である。各編いずれも価値あるものだが、古代漢語を読むための基本知識が網羅されている中編を重点的に翻訳することにした。
 中編の内容は次の通りである。
   第1章 工具書の常識
   第2章 古書の句読
   第3章 語法
   第4章 訓詁学の常識
   第5章 古韻
   第6章 古籍の現代語訳
   第7章 目録学の常識
   第8章 版本と校勘
 特徴をあげれば次の通り。
(1)中国伝統言語学は、文字学(漢字学)・音韻学・訓詁学で構成されている。第4章の「訓詁学の常識」と第5章の「古韻」がそれに相当するが、文字学が設定されていないのは残念である。
(2)文字学・音韻学・訓詁学が古典の中身の学問とすれば、目録学・版本学・校勘学は外側の学問ともいえる。それを第7章・第8章に備えたのが本書の大きな特徴である。これらは、医学に限らず、中国古典を研究するために必要不可欠の基礎知識でもあり、用例が医学書から採用されていることを除けば、中国古典研究のための基礎を学ぶためには必修だといっても過言ではない。
(3)句読と語法学は、中国伝統言語学からみれば新しい内容で、とくに語法学は漢文を古代漢語(外国語)として扱うなら履修すべき学問である。
(4)第6章の「古籍の現代語訳」は私たちにはさほど重要ではない。

本書の構成

 以上の特徴を踏まえながら、第3章「語法」には下編の「常見虚詞解説」を組み入れ、第6章の「古籍の現代語訳」と各章末の練習問題を削除した。足りない「漢字学」は付録として追加した(段逸山主編『医古文』中の「漢字」の抄訳)。章の順序は基本的には原書のままとした。結果として次のような構成となった。
   第1章 工具書
   第2章 句読
   第3章 語法
   第4章 訓詁学
   第5章 古韻
   第6章 目録学
   第7章 版本と校勘
   付 章 漢字

参考書について

 本書は読者を初学の独学者に想定し、小型の漢和辞典を使いながら、何とか読み切れるような内容とし、専門用語はできる限りわかりやすい言葉に替えたり、注釈や補注をつけた。それでも難しさが残ったところがある。とくに「語法」と「古韻」の章である。『医古文基礎』は、当然のことながら、中国の学生を対象として執筆しているので、「語法」と「音韻」に関する基礎を省略している。それを補うためには、相当の紙幅と、それを遂行する能力が必要であるが、本書はいずれの条件も満たすことができないので、参考書を紹介することにする。その第1は、『中国語学習ハンドブック』(大修館書店)である。現代漢語から古代漢語までの基礎知識が網羅されているし、現代の文学・芸術、社会と生活などにも及ぶ知識が書かれているので役立つものと思われる。「音韻」だけでいえば『音韻のはなし』(光生館)があれば理解しやすくなるし、「語法」だけでいえば『全訳漢辞海』(三省堂)の付録「漢文読解の基礎」が役立つ。『虚詞』だけでいえば『漢文基本語辞典』(大修館書店)が有用である。参考書はいずれも書末に一括しておいた。

読者へ望むこと

 私たち、および私たちの仲間は、『医古文基礎』の原書を、中日辞典を片手に一字一字読み解いてきた。その結果、医古文学を学びとるだけでなく、さらに現代中国語に習熟することにもなった。つまり、『医古文基礎』の原書は現代中国語を学ぶ絶好の教材にもなっていたわけである。この日本語版は、その現代中国語を学ぶ格好の機会を奪ってしまった。これは大きな過ちだったのではないかと思っている。読むだけでも現代中国語には習熟しておいた方がよい。独学するなら、単純な方法であるが、適当な教材を見つけて一字一字読み解く方法をお薦めする。遠回りのようであるが必ず成果があり、のちのち必ず役立つはずである。
 医古文学は本書で語りつくされたわけではない。是非とも書末の参考書などにも目を通してもらいたい。現代中国語で書かれている参考書も多いが、ステップアップのためには読んでもらいたい。

荒 川   緑
宮 川 浩 也


凡例

(1)本書は、劉振民・周篤文・銭超塵・周貽謀・盛亦如編『医古文基礎』(人民衛生出版社)の中編の「第1章 工具書の常識」「第2章 古書の句読」「第3章 語法」「第4章 訓詁学の常識」「第5章 古韻」「第7章 目録学の常識」「第8章 版本と校勘」と下編の「常見虚詞選釈」、および段逸山主編『医古文』(人民衛生出版社)の「第2章 漢字(部分)」を訳出したものである。
(2)原書には( )内に注釈が施されていたが、分量が少ないので本文に組み入れることにした。本文に組み入れることができなかったものは(原注: )とし、不必要と思われるものは削除した(注音など)。
(3)翻訳にあたり、新たに( )内に訳注を補ったが、長文のものは脚注とし、分量が多いものは補注とし書末に付した。
(4)原書では出典を示すのに、書名だけだったり篇名だけだったりと統一されていない。本書では書名と篇名を併記することにしたので、書名あるいは篇名を補った。また、著者名も補った。この場合、訳注を表す( )を用いなかった。
(5)原書の引用文は次のように処理した。
 (1) 原文が必要であれば、訓み下し文と並記した。
 (2) 原文がなくとも差し支えない場合は、訓み下し文だけにした。
 (3) 原文にも訓み下し文にもこだわる必要がなければ、意訳文とした。
(6)書影1から書影9は原書では活字化されているが、本訳書では原本の書影を採用した。書影10は編者が補った。
(7)原書には、引用文等に誤字・脱文が散見する。明らかな誤りとみなしうるものは訂正した。その場合は訳注をつけなかった。説明内容に沿ったものであれば敢えて改めなかった。

中医学の基礎

まえがき

 日中の国交回復以来,伝統医学の分野でも交流が盛んになり,中国での伝統医学の在り方と中医学の活発な現況が知られるようになるにつれて,日本の医療従事者の間にも,中医学を学ぼうという機運が高まってすでに久しい。中医学は独自の体系をもっており,系統的に中医学体系を理解するためには,学習の入り口である中医基礎理論の習得が不可欠である。しかしながら,日本で中医学を学ぼうとする者にとって,系統的な教育を受ける機会は極めて少なく,その習得は各自の独習にゆだねられているのが現状である。このため,初心者にとってわかりやすく効率的に学べる基礎理論の学習書が強く求められている。
 1991年に東洋学術出版社から刊行された『針灸学』[基礎篇]は中医針灸学を学ぶ者が,基礎理論を学ぶ入門書として企画されたが,編集方針の上でも編集作業の進め方の上でも画期的な書であった。すなわち,日中両国で中医学・針灸学を教える立場にある編集スタッフにより,日本の初学者のために学ぶべき項目と順序が吟味され,日本側の要望にもとづいて,天津中医学院の教員スタッフが草稿を作成し,両者で検討を重ねた上で,東京衛生学園中医学研究室のスタッフにより翻訳され,最終的に兵頭明氏の監修により脱稿された。このようにすぐれた企画のもとに,ていねいに編集が進められた同書は,きわめて時宜を得た出版物として,広く針灸界に受け容れられ,版を重ねていると聞く。
 『針灸学』[基礎篇]の内容がすぐれており,入門者の学習に適していることに鑑み,筆者は針灸学を学ぶ者ばかりでなく,漢方薬を用いる湯液治療家にとっても基礎理論の教科書としてふさわしいものと推薦してきた。しかし,湯液治療にとって重要な外感熱病弁証の記述が不足しているなど,物足りない部分があるのは仕方のないことであった。
 『針灸学』[基礎篇]が高い評価と広範な支持を得たことにより,同書をもとにして,中医学基礎理論の書を再編集しようとする企画が持ち上がったのは,時代の要求に答える必然ともいえることであった。当初,その再編集の作業は,部分的な手直しをすれば事足りるとも考えられたのだが,再結集した編集スタッフの間では,折角新たに出版するのであれば,内容を全面的に見直し,さらにわかりやすさと読みやすさを追求した,より理想的な基礎理論書に仕立て上げようという欲張った方針が,一致した意見として採用された。
 『針灸学』[基礎篇]の編集スタッフのうち,日中それぞれの代表であった兵頭明氏と劉公望氏に加えて筆者と路京華氏が監修者として新たに参加することとなった。筆者は漢方治療を専門とする臨床家である。漢方医学を学んだ後,中医学を独習し,後に北京の中医研究院広安門医院に留学した。基礎理論は,主として中国の統一教材で自習したが,留学中に臨床研修のかたわら,中医研究院の冉先徳氏(四川の老中医,冉雪峰氏の子息)に統一教材の『中医基礎理論』を教材として,一対一の贅沢な講習を受けた。筆者の質問を冉氏に答えていただくという形で講習を進めたので,長年の疑念をいくつも解決できるなど,筆者にとっては有意義な学習体験であった。また,路京華氏は,高名な北京の老中医,路志正氏(筆者の留学中の恩師でもある)の子息であり,現在日本で中医学の普及と教育を主な仕事としている。路氏に監修をお願いしたのは,中医師としての路氏の特異な経歴による。文化大革命の教育破壊の被害世代に当たる路氏は,中医学院での教育を受けることなく,尊父路志正老中医に学んで中医師となり,文化大革命の終焉後,再整備された中医研究院の大学院に進み,最高峰の臨床中医学を学んでいる。すなわち,中医学院の統一教材を金科玉条とすることなく,『易経』や『黄帝内経』などの古典にもとづく基礎理論を身につけている。『針灸学』[基礎篇]の内容に満足することなく,厳しい視点で見直し作業を進める上で,路氏が大きな戦力となってくれた。
 編集作業は,兵頭氏・路氏・筆者があらかじめ原書の『針灸学』[基礎篇]の内容の問題点を吟味し,三者が集まって持ち寄った問題点を検討するという形で進められた。できるだけ早く基礎理論の学習を終えられるようにわかりやすい内容を追求するとともに,正確な内容になるよう心掛けた。原書は日本の初学者向けに大きな配慮が払われてはいるが,当然中国の統一教材を骨格としている。初学者向けの説明として,現代医学の知見を援用してあいまいな表現になったり,理論の整合性を追求するあまり『黄帝内経』などの記載と矛盾する無理な解説が施されるような部分も見られる。不正確で過剰な説明を削ぎ落とし,簡潔な表現に改める作業が主となったため,全体には贅肉を削る内容となった。また,全面的に書き改めたり新たに書き加える部分も三者で検討して,こちらの要望にもとづいて中国側に出稿してもらうか,兵頭氏があるいは筆者が執筆するかを判断した。中国からの新たな原稿は,兵頭氏が翻訳に当たった。
 時には劉公望氏の参加も得て,日本側の編集姿勢を理解していただき,このような検討会を10回重ね,ようやく全面的に見直すことができた。問題点ひとつの解決に,3人で多数の書を調べながら討論しても,結論を出せずに次回への宿題に残したことも少なくなく,路氏の指摘する問題点が,統一教材の常識にまみれた筆者の頭では理解できず,路氏の根気のよい説明でようやく問題が認識されたり,問題点が浮かび上がっても正確でわかりやすい説明に差し替えるのに四苦八苦したり,と作業は必ずしも順調ではなく,毎回毎回ヘトヘトに疲れ切ったことが,今では心地よい思い出としてよみがえってくる。原書に翻訳調の文体が残っていたため,日本文として読みやすくするため,まず出版社のスタッフに文体の全面的な訂正を委ね,最終的には校正段階で兵頭氏と筆者とで読みやすい表現を心掛けて大幅な修正を加えた。
 本書は,このようないきさつで成立した。監修者たちは誠心誠意取り組んだが,さらにわかりやすい書を目指すべきであろうし,まだまだ見直すべき内容も含んでいるだろう。諸賢のご批判を仰ぐ次第である。原書が針灸学の教材として広く受け容れられたように,本書も中医学の初学者や独習者に,中医学の体系を理解する基礎教材として活用していただければこのうえない喜びである。

監修者  平 馬 直 樹

やさしい中医学入門

はじめに

 私が今回この本を著述しようと考えたきっかけは,日本ではまだ中医学を学べるシステムが確立されておらず,かといって独学で学ぼうと思っても,初めての人に適したやさしい入門書が見当らなかったことがあげられます。
 よく現代医学はミクロを分析する医学であり,中医学は人体を全体的に見るマクロの医学だといわれます。私はこのマクロの医学を学習するには,マクロの観念である統一観念や系統観念が身につくように,常に全体のつながりを考えながら,各部分を学習することが必要だと考えています。
 何故なら,中医学の内容が豊富すぎるため,独学では全体のつながりからみて,重要な部分とそうでない部分が区別できず,興味のある部分は詳しく知っているが,そうでない部分はあまり知らないという人が多いように感じたためです。このような人が臨床にあたると,自分の知っている部分からしか判断ができないので,かたよった診断をしがちになります。
 例えば,病邪が人体を障害した場合の病証は実証であり,瀉法を施して治療することは知られていますが,これと同じような症状が出現していても,臓器機能が減退している場合の病証は虚証なので,補法を施して治療しなければなりません。しかし診断にあたって生体生理の知識は充分であっても,病邪の知識が不充分であると,虚実の判断ができずに,病証はすべて虚証にみえてしまいます。このことは私自身が中国で臨床実習した際に体験した問題であり,帰国いらい講座や臨床で指導してきた経験からも,日本で独学している人に共通した最も多い問題点であると思います。
 そこで私がベストと考える中医学の学習方法は,始めは最低限のことだけでかまわないから,とりあえず基礎生理から弁証までを通して学び,全体のつながりが分かってきたところで,内容を深めて再度基礎から学習し直すという方法です。
 本書は中医学の基礎生理を学ぶためのものですが,最初に中医学全体の構成を把握してもらい,臨床にあたるまでにどれだけの内容の習得が必要であるかを知ってもらうように配慮しています。そして基礎生理の学習については,中医学全体のつながりを考慮したとき,最低限必要だと考えられる範囲にしぼって学べるようにしたつもりです。
 初めて中医学に接する方々に,少しでもわかりやすく学習できる本になれば幸いです。

中医診断学ノート

はじめに

 私は1984年,中華人民共和国南京中医学院に留学しました。この本は,その際に受けた授業をもとに,「中医診断学」の内容をわかりやすく整理したものです。
 「中医診断学」は,中医基礎理論を臨床に応用するための橋渡しを担う学科です。中医学における診断とは,四診と弁証の方法によって疾病を認識するものですが,そのためには当然,中医基礎理論を理解していなければなりません。また,中薬学,方剤学も学習する必要があります。本書は,すでにそれらを習得した人を対象としていますが,基礎理論に関しては,必要と思われる箇所に,簡単な説明を加えました。本文中に記載した方剤に関しては,その組成を巻末に紹介してあります。
 授業について少し触れたいと思います。
 中医学院での教学方法は,系統的に教えることに重点がおかれ,概念を明確にし,比較・対照によって理解を促すという方針にのっとったものでした。毎回の授業に対しては,復習課題が与えられ,それらは学生間の討論によって相互に検討され,教師がそれを総括します。その上で,理解を完璧なものにするため,補習の時間が組まれていました。これは他の課目についても同じです。
 このような徹底した教学システムに加えて,指導する先生方の熱意はすさまじく,それを受ける学生の側もまた,極めて勤勉でした。まだ日の明けやらぬ早朝の校庭では,教科書を片手に,古典の条文やら,中薬,方剤の暗記に励む学生の姿が,あちこちに見うけられました。
 留学生に対しては,特別に配慮された指導が行われ,授業の際は私たち1人1人の隣に選ばれた優秀な学生がついて,学習の手助けをしてくれました。また,留学生だけを対象にした補習の時間ももうけられ,各科とも担当の先生が直接指導して下さいました。
 当時,日本人留学生は3人。それも,日本からは初めての留学生でした。私は,中医学の勉強を思いたつや,いきなり中国に渡ってしまったわけですが,このような恵まれた環境の中で勉強できたことは,とても幸運だったと思っています。
 留学から帰って始めに考えたことは,何とか,この中国での素晴らしい授業を再現できないかということでした。幸いにも,東洋学術出版社社長,山本勝曠氏がその機会を与えて下さいました。心より感謝申し上げます。さらに,編集,レイアウト等を含めて,思いどおりの本をつくらせていただけたことも,重ねてお礼申し上げます。
 中医学は,非常に実際的な学問だと思います。古い伝統医学が,より多くの人に実践できるよう体系づけられ,現在に活きていることに,私は敬服します。その意味で,この本も実際の応用に便利なように,複雑な内容をできるだけ整理したつもりですが,気持ちのみはやって,十分なものができたとは言えません。内容に関しても,理解不足の点がたくさんあると思います。今後の課題として,努力して勉強を続けていくつもりです。
 帰国後すでに2年を越す月日が流れました。南京の街を緑でおおう街路樹の美しさを,今でも忘れることができません。
 本書の出版にあたり,南京中医学院の諸先生方,特に,診断学の王魯芬先生,基礎理論の王新華先生,宋起先生,中薬学の陳松育先生,方剤学の恵紀元先生,張浩良先生,瞿融先生,共に学んだ83年級,84年級の同学たちに,深く感謝の意を表します。また,帰国後御指導いただく機会に恵まれました,胡栄先生,王昌恩先生にも,厚くお礼申し上げます。
 日中間の医学交流が,今後益々盛んになることを願いつつ……。

内 山 恵 子
1988年 春


本書を読む人に

内 山 恵 子

●内容について

 本書は,「四診」と「弁証」の2篇に別れている。四診篇は,文章による説明を極力避け,内容の簡略化を図った。弁証篇は,各証候の特徴を理解しやすくするため,概念,病因病機,症状,分析,治法,方薬等の項目に分けて,整理してある。その他に,鑑別のポイントとして,証候間の比較を試みた。また,臓腑弁証以後では,各病証の症状を表にまとめてあるので,各自で比較してみると良いと思う。
 授業では,四診については舌診と脈診,弁証については八綱弁証と臓腑弁証に力点がおかれた。六経弁証,衛気営血弁証,三焦弁証については,臨床における実用的価値からみて,他の弁証方法ほどは,重要視されなかった。本書もこれにしたがい,六経及び衛気営血弁証は,概略を説明する程度にとどめてある。三焦弁証については,衛気営血弁証と重複する点が多いため,また紙面の都合もあって省略した。

●中医学用語について

 中医学用語については,できる限り注釈をつけるよう心掛けた。その内容は,基本的には授業の際に受けた説明に基づいているが,他に,中医研究院,広東中医学院合編の『中医名詞術語選釈』も参考にした。読み方は,創医会学術部主編の『漢方用語大辞典』にしたがった。
 中医学の病名については,一部に簡単な注釈をつけ加えた。場合によっては,類似した西洋医学の病名を付記したが,これは,カッコをつけて区別してある。

●その他

 本文中に出てくる--→は,ある病証において,一般的な状況ではみられないが,はなはだしい場合に生じる症状の前につけてある。あるいは,単に症状の悪化を意味している場合もある。
 四診篇に出てくる“脈象の比較”の図は,劉冠軍編著の『脈診』に収載された28脈の模示図に基づいている。

●再版での修正部分

 再版にあたって,いちぶの誤字を修正した。また,末尾に方剤索引を新たにつけ加えた。

[詳解]中医基礎理論

日本語版のための序文

 私が東京で講義を行っていた1994年に,東洋学術出版社の山本勝曠氏の来訪を受けて初めてお会いした折り,同氏が,拙著『中医基礎理論問答』を日本の医学界の同道の士に紹介したいと考えていることを知った。これは中日の中医学交流にとって実に素晴らしいことである。山本氏は博識豊富で,長年来,中医学の学術交流と出版事業に尽力し,わが国の中医界からも高く評価されておられる方である。酒を酌み交して歓談し,伝統医学の発展と前途について思う存分話し合い,おおいに意気投合した。知り合ったのは最近でも,旧知の如く親しくなれたのは,これもまた人生の楽しみと言えよう。
 原著『中医基礎理論問答』は1980年に書かれた。本書は本科,研究科,西学中班(西洋医が中医を学ぶ班)の学生が抱いていた疑問に答え彼らの迷いを解くのに適したものであった。本書はまた当時の中医理論の教学に存在していた一部の概念や疑問点に対し,初歩的な検討と解釈を試みたので,中医学の教学の実践と理論研究に有益なものであった。1982年の出版以来,何回も増刷され,発行部数は10万冊を越え,国の内外に広く流布し,医学界の同道の士の推奨を博し,清新な観点で透徹した論述の優れた著作であるとのお褒めを戴いた。内容が不十分で名実が伴っていないのではと当初は思っていたが,確かに中医の教学と理論研究に対して一定の啓蒙作用と疑問を解く作用を果たしたことを鑑みるとき,その功績は決して無に帰すことはないと,今では,なんら臆することなく言うことができる。
 しかし,指摘しておかなければならないことは,本書を撰述した時期は,中医理論の整理の初期段階であり,その当時の情勢の影響を受けて,その思想観点の一部には偏った所が存在することが避けられなかったことである。特に陰陽五行学説の内包性に対して,まだその発掘と整理が充分なされていなかったことと,気一元論(元気論)などの重要な内容に言及しておらず,欠如させてしまったことである。したがって本書は内容において,前半は疎略,後半は詳細といった誤りを犯している。
 この13年来,中医理論は系統的な研究の面で著しい成果を収め,理論観点も絶えず深まり完成の域に近づいてきたので,今回の日本語版出版の機会に,緒論と陰陽五行の部分に対し,必要な拡充を行った。主要な補充は,中医学理論体系の中の唯物弁証観,中医学の基本研究方法,気一元論(元気論),陰陽五行学説の源流・沿革・発展,五行の制化と勝復調節,陰陽五行学説の現代的認識,陰陽学説と五行学説の相互関係及び総合運用などである。このように中国語版の不足を補ったことによって『中医基礎理論問答』は,日本の医学界の面前にまったく新たな姿で登場することとなった。中日両国の医学界の友人が,相互に切磋琢磨し,手を携えてともに歩み,中医学の理論体系の発展のために共同して奮闘努力する上で,本書はその一助となるであろう。

劉 燕 池
1995年8月 北京中医薬大学において


原著まえがき

 中医学の基礎理論を深く掘り下げて学習し全面的に把握することは,中医学のその他の各部門を学ぶための基礎となる。中医学理論の基本概念・基本内容・基本法則・基本方法を正確に理解し体得することはまた,中医学の基礎理論知識を的確に学ぶためのカギである。とりわけ学習過程において分からない問題を解決することは,学習に対する熱意を鼓舞し,学習の進度を速め,学習のレベルを高めるうえで,ことさら重要な意義を持っている。
 筆者は長年にわたって中医理論の教学と臨床実践に従事し,学生が提起した質問や疑問に対して答え,また世間の人が手紙で質問してきた基礎理論に関する問題に書面で答えてきたが,そうしたことを通じて,中医学の基礎理論における一部の概念や疑問点に対してはさらに研究を行い,討論を深める必要性があることを強く実感した。そこで,これまでの中医学院本科および西学中班(西洋医が中医を学ぶ班)の基礎理論の教学過程で,学生が提起した問題と一般の人が手紙で訊ねてきた問題の一部を集め,学院と教研室の関係各位の積極的な支援の下に,本書を共同で編纂執筆した。その意図するところは,中医理論の教学の中の一部の概念や疑問点に対し,一定の深みと幅をもった検討と解答を行って,学生,教師,及び中医理論を自習し研究している同道の士の学習の手助けとなり,おおいに益するものとなることにある。
 本書は中医学院本科や西学中班の教学指導の参考資料となるだけでなく,中医基礎理論を自習する者の補助参考書となるであろう。
 本書で取り上げている問題は一定の普遍的意義をもっている。また,その解答内容は当面の中医基礎理論教材に立脚しているだけでなく,中医理論体系を尊重し伝統的概念を明らかにするという基礎を踏まえている。さらに本書は一連の新たな見解や解釈を試み,できるだけ掘り下げた内容を平易な表現で示し,また全般的視野を持って特定の意見に偏ることを避けるようにしているので,中医学の基礎理論の問題を深く理解し把握するという目的に合致するものである。しかし,我々の教学レベルには限りがあり,医療経験も不足しているので,問題をはっきりさせて解答する点において,欠点や誤り,さらには曖昧な所が存在することは充分に考えられることである。したがって広範な読者諸氏のご批判とご指導を切に仰ぐものである。
 本書の執筆と編纂の過程で賜った,任応秋教授,印会河教授,程士徳助教授のご指導とご校閲に対し,ここに感謝の意を表する。

編 纂 者
1981年3月 北京中医学院において


本書の発行にあたって

 本書『詳解・中医基礎理論』は,『中医基礎理論問答』(上海科技出版社1982年刊)を底本として全文を翻訳したものである。ただし,巻頭の「緒論」と「気一元論・陰陽学説・五行学説」の部分は,本書主編者の劉燕池教授が,日本語版のために特別に全面的に書き改めたものを翻訳した。
 本書の原本が出版された80年代初期は,文革によるさまざまな制約から解放された中医派が,中医の再興を目指して最も精力的に活躍した輝かしい時代であり,歴史に残る優れた書籍が数多く出版されている。本書は,そうした活気に満ちた時代に,当時の最先端を行く執筆者たちが全精力を注いで書いた極めて意欲的な書籍である。
 本書は,創設されたばかりの大学院の学生向けに,中医学の真髄をより深く理解させるために編纂された中級用副読本である。初級用教材『中医学基礎理論』を学んだ学生たちが,貪るように読んだといわれる。教科書についで最も多く読まれた定評ある本である。
 初版原本の哲学部分は,文革時代の思考方法が色濃く残っていて,今日の時代思想と合わない表現が随所に見られたため,95年にちょうど来日された劉燕池教授に相談をし,新たに書き下ろしていただいた。原本よりも相当字数が増えたが,約10年間に発展してきた中国の研究成果が十分に盛り込まれており,新鮮な内容となっている。陰陽・五行学説を統合する形で新たに「気一元論」が加えられ,気の位置づけがより鮮明になった。五行学説の項は,これまでの平面的・静止的な五行関係が立体的・動態的なものとして描かれている。そのほか,全体を通じて大変充実した内容であるが,「症例分析」の項はとりわけ本書の特色をなすもう1つの部分だろう。中医学基礎理論を学んだあと,その知識を臨床にいかに応用するかは,われわれ日本人にとって一番の関心事であるが,このような問題に親切に応えてくれる書籍は残念ながら,中国ではあまり出版されない。一挙に高レベルな老中医の医案集になってしまう。多分,そのような初級から中級への過程は,大学の臨床実習において教師が丁寧に教えてくれるからだろう。われわれが接した数多くの書籍の中で,本書が唯一われわれの願望に応えてくれる書籍である。「症例分析」の項は,症例を挙げて,中医弁証論治の進め方を実に丁寧に解説してくれている。読者にとっては,この症例分析のモデルがきっと臨床へ進むにあたっての水先案内になってくれるであろう。
 本書は,複数の訳者が翻訳をし,浅川要氏が全体の統一と監訳を行ない,編集部が日本語表現において修正を加えた。

東洋学術出版社 編集部

中医弁証学

序文

 教材の制作は,中医高等教育事業の基本事業の1つであり,また資質の高い人材を育成する鍵となるものである。中医学院の創立30年来,中国では全国の統一教材を制定してきたが,これは中医学理論の系統的な整理および教育の質の向上に対して,非常に良い作用を発揮してきた。しかし社会の発展につれて,中医高等教育に対してより高い要求が課された。もともとの中医教材の学科構成は,基本的に宋代以来の学科分類にもとづいたものであり,ある種の自然発生的傾向と不合理性が存在することは免れず,すでに現在の教育,臨床,科学研究のニーズに適応できなくなっている。中医学科の分化の改革は,時代のニーズに応じるべき時期にきており,また建国以来の中医学のたゆまぬ発展も,学科の分化を可能ならしめている。
 1984年,我々は全学院の教員と学生により中医基礎学科の分化問題について,真剣な討論と研究を行った。その結果,まず中医学導論,中医臓象学,中医病因病機学,中医診法学,中医弁証学,中医防治学総論,中医学術史等の新しい中医基礎学科を提案し,関連する専門家の判断をあおいだ後,本学院の専門教師を組織して中医基礎学科系列教材の執筆に着手した。このプロジェクトは衛生部中医司の指導者の支持と承認を得ることとなり,2年余の努力により現在,この一系列の教材をついに世に問う運びとなった。
 この教材シリーズは次の10学科からなる。
  『中医学導論』は主として中医学科の性質,特徴,学科体系,中医学の古代哲学基礎などの内容を紹介している。
  『中医臓象学』は主として人体の組織構造と生理機能活動の法則を論述している。
  『中医病因病機学』は主として疾病の発生の原因と変化の一般機序について述べている。
  『中医弁証学』は主として中医弁証の理論と方法について紹介している。
  『中医診法学』は主として中医の疾病診察の一般法則と方法について述べている。
  『中医防治学総論』は主として中医の疾病予防と治療の原則および方法について述べている。
  『中薬学』は主として中薬の理論と応用知識について紹介している。
  『中医方剤学』は主として方剤の組成原則と成分,効用,適応範囲について述べている。
  『中国医学史』は主として中国医薬学の起源,形成と発展の史実について述べている。
  『中医学術史』は縦横2つの方面から中医学術理論の形成と発展法則について述べている。
 我々がこの教材シリーズを執筆した主旨は,学科の性質と研究範囲にもとづき,中医薬基礎理論の知識を系統的に分化,総合することにある。内容的には歴代の中医学の精華をできるだけ総合し,現代研究の成果を反映させるように努めた。さらに全国統一教材の成功した経験を取り込み,中医薬学の特色の保持と発揚に努めることにより,教育,臨床,科学研究のニーズを満たすように努めた。
 このような中医基礎学科の分化改革という仕事は,我々にとってはまだ初歩的な試みである。いろいろな点において,問題があることは避けられないことである。多くの読者からこの教材に対しての貴重な意見をいただけることを切望する。

上海中医学院
名誉院長 王 玉 潤
院長 陸 徳 銘


まえがき

 中医弁証学の起源は『内経』にあり,『傷寒卒病論』で成熟して今日に至っている。その歴史は2000余年におよび,たえず中医学の基本的な内容の1つとされてきた。しかしながら1つの独立した学科となったのは,近年において中医学科が分化するなかにおいてである。弁証学は,1つの中医基礎学科である。この学科は中医臓象学,病因病機学,診法学を基礎にして,中医弁証の理論と方法を研究する学科であり,臨床各科の弁証論治のためのものである。
 本書は本学院が執筆した中医基礎系列教材の1つである。本書は総論と各論からなり,総論では症,証と弁証という3つの基本問題について論述しており,弁証の理論的基礎,弁証の内容と方法および弁証の綱領である八綱について詳細に論述を行った。各論は病邪弁証,病性弁証,気血陰陽弁証,病位弁証,臓腑弁証,経絡弁証,六経弁証,衛気営血弁証,三焦弁証といった内容を含んでおり,260余りの証候について論述を行った。病邪弁証から始まり,簡単な内容から複雑な内容へと論述を進め順序だって学習が行えるように配慮した。それぞれの証については,その主症,症状・所見,証状分析,本証の進行と影響,関連する証候との鑑別,弁証ポイントが紹介されている。
 本書では八綱を弁証の綱領として位置づけ,臓腑弁証の内容を充実させており,さらに奇経八脈弁証をつけ加えている。それぞれの証候の主症をはっきりと提示し,証と証との間の関係と区別を明確にしている。内容を詳細で確実なものとし,臨床の実際に符号させ,臨床で活用できるように努めた。
 弁証学という新しい教材を執筆することは,初めての試みである。その内容は複雑であり,執筆にあたって若干の誤りは避けがたいところである。読者の批評ならびに指摘を歓迎する次第である。

編 者
1987年4月

中医病因病機学

序文

 宋鷺冰教授主編の『中医病因病機学』は,中医病因・病機学における学術成果を,系統的かつ余すところなく継承した著書であり,本学科における学術レベルの高さを示すものです。本書を広範な読者の皆様にご紹介できることは,本書のプロデュースに携わった者の一人として,喜びに耐えません。
 分化と統合とは,科学を発展させるために不可欠な要素であります。中医学は,『内経』および『傷寒雑病論』が登場するに及び,中国医学史上第一段階の統合を果たすとともに,天人相応論という総体論と,弁証論治とを統合することにより,科学的な医学体系を作り上げました。そして仲景以降,隋,唐に至るまで,科学・文化の発展にともない,中国医学は一貫して科学的分化を発展させてきました。その結果,『諸病源候論』のような,病因病機学の専門書を生み出し,13の臨床学科を創設しました。統合と分化は,中国医学の発展を促すとともに,これを地域的な民族医学から,東洋の医学へと押し上げました。
 ところが,唐,宋以降は,中薬学と温熱病学が発展したほかには,これ以上の細分化や高度な統合は見られなくなりました。中医学は,中国文化と共生してきたという歴史の制約を受けているために統合性は高いが,分化という面,特に理論面での分化は,立ち後れています。それが中医学の発展を遅延させる一因ともなっています。
 古代に形成された原初的理論を系統的に整理・研究し,専門書および新しい学科を創設し,中医学をさらに細分化することは,研究を促し,人材を養成して,中医学全体を発展させます。そしてこれこそが,本書を編集した目的であります。
 いかなる科学も,過去業績を継承することによってはじめて発展します。しかし,継承は目的ではなく,科学発展のための手段にすぎません。多くの専門家,老中医,青年中医が一堂に会し,テーマを選び,整理研究と討論を繰り返すことは,古代医学家と現代の専門家の経験を継承し,人材を養成するための有効な手段となります。『中医病因病機学』は,このような方法によって目的を達成しようとするものです。
 ただし,科学研究とは,とりもなおさず創造的な作業であります。中国医学を継承発展整理・向上させることは,長い年月を要する壮大な事業であり,本書だけで完成できるものではありません。したがって,本書は,千年の梅の古木に生えた若木のような,わずかな成長の兆しでしかありえません。私たちは園丁のような気持ちでその若木を守り,水を注ぎ,剪定し,科学というフィールドでたくましく育てていきたいと思います。

侯 占 元
1983年9月 蓉城にて

症例から学ぶ中医弁証論治

日本の読者諸氏へ

 このたび,拙著『症例から学ぶ中医弁証論治』が生島忍氏の翻訳により,日本の読者諸氏に読まれるはこびとなった。このことは中日両国の文化交流・友好関係を積極的に推進するものと信じる。この機会を借りて生島忍氏そして東洋学術出版社に対し,心からの感謝の意を表したい。以下日本の読者諸氏に私の考えをいくつか述べる。本書を読まれる際の参考にされたい。
 医聖・張仲景先師は『内経』,『難経』その他の医学理論を「勤めて古訓を求め,博く衆方を采る」とともに,自己の臨床経験に照らし合わせて,「弁証論治」なるものを提起した。この「弁証論治」とは一種の医学的思考方法であり,また一種の有効な治療体系でもある。さらに仲景自身の特徴と規則性を具備し,まさに中医学における精華である。弁証論治がうまく運用されてはじめて治療効果が高められ 疾病治療が行える。これに反して,弁証論治の法則を無視すれば,あたかも大工が準縄をなくしたごとくで,患者の病を治療することはできず,起死回生という神聖な職責をまっとうすることができない。
 独学で中医学を学ばれている方々に申し上げたいのは,中医の基礎理論を学習された後は,さらに進んで弁証論治のやり方を学ばれたい,ということである。もっとも,基礎理論が充分に把握できてはじめて,弁証論治がよく理解できるということはいうまでもない。なぜならば,弁証論治と中医理論は密接に関連しており,どこからどこまでがどっちと分けることができないからである。もしも中医理論の学習のみを重視して,弁証論治の学習がおろそかになると,中医理論の臨床における実際的かつ正確な運用はおぼつかなく,結果として治療効果は向上しない。またもし弁証論治の学習のみに努力が払われ,中医理論がおろそかにされると,今度は弁証論治の奥行が深くならず,正確な弁証論治はできず,さらには臨機応変な弁証論治の運用に支障をきたすようになる。よって弁証論治と中医理論は,表面上は2つのものであるが,根源は1つの関係にある。
 本書第7章の「弁証論治学習上の問題点」は,弁証論治の初学者に対して,どのようにしてこれを学習していけばよいのかについて,筆者なりの見解を示したものである。言い換えれば,弁証論治の入門章といえる。この章を学ばれた後,もう一度第1章から読み直していただければ,弁証論治の実際的運用がさらによく理解されよう。全体として本書は弁証論治の入門書という目的に沿って書かれてある。
 日本の漢方学習者から,「弁証論治と方証相対とはどう違うのか」との質問を受けたことがある。筆者は,両者は基本的には同一のものであると考える。いわゆる方証相対という考え方は,現代中医学にはない。また『傷寒雑病論』のなかにも出てこない。しかし後世の人びとは,学習と暗記に便利なように,某某湯(方)は某某証を主治するとか,某某証は某某湯(方)が主治する,といった方法が採られたため,「方証相対」という方法が次第に形成されていったと考えられる。それで,これも実際は「弁証論治」の範疇に属すものと考えられる。なぜなら,「証」というからには弁別・認識という思考過程を必要とするからである。桂枝湯を例にとってしめす。
 「太陽の中風,陽浮にして陰弱。陽浮は熱自ら発し,陰弱は汗自ら出づ。嗇嗇として悪寒し,淅淅として悪風し,鼻鳴乾嘔する者は,桂枝湯之を主る」とあるが,ここで述べられている桂枝湯の「方証」とは,仲景先師が「弁太陽病脈証併治」という診断基準にもとづいて,弁別・提起した証候とその治療法のことである。仲景先師が『傷寒雑病論』で「弁証論治」という臨床思考方法を唱えて以来,歴代の医家たちはこの方法を自分たちの臨床経験および医学理論に結びつけてきたため,弁証論治の内容は次第に豊富となり完成されたものとなった。中医学の精華である。
 いわゆる「相対」とは,機械的固定的な関係をいうのではない。例えば桂枝湯の方証中にはさらに,「桂枝は本(もと)解肌と為す。若し其の人脈浮緊に,発熱して汗出でざる者は,与う可からざるなり。常に須らく此を識り,誤らしむる事勿かるべきなり」とか,「若し酒客の病,桂枝湯与う可からず」などがある。これらから解るように,1つの薬方は1つの病証を治療するが,時・地・人などの要因によって薬方の使用は制限を受け,具体的な病情にもとづいて弁証論治を行ってはじめて,方と証とが相い応じて疾病が治療できると,仲景先師はすでに述べているのである。もし方と証とを機械的に絶対固定的なものとしてしまうと,人の命を危うくし,また壊病をつくる原因ともなる。

 清代の医家呉儀洛は,その著書『成方切用』の序文の中で,「仲景の時代から今日に到るまで,治病においては病機を審(しら)ペて病態の変化を察知せねばならないということに変わりはない。……病には標本・先後の違いがあり,治療においても緩急・順逆の相違がある。医の大事な点は,病態の変化をいちはやく察知して適当な薬を処方することである。かりそめにも1つの処方に固執して数知れない変化に対応しようとすれば,実証を実して虚証を虚し,不足を損ない有余を益することになり,病人を死に至らしめる結果となる」と言っている。
 私の個人的な見解を述べさせてもらうなら,中医学の学習研鑽には,いわゆる「方証相対」の方法を用いてもよい。この方法を用いると暗記やまとめに便利であるばかりか,学習や研究の助けともなる。しかし実地臨床においては,必ず「弁証論治」の法則を指導原則として,臨機応変にこれを活用していくことが肝要である。まさに古人の言う「薬を用いるは兵を用いるが如く」,あるいは孫子の言う「戦争にはきまった情況というものはない」という言葉で表現されるように,疾病治療には画一的で固定した処方などというものはない。そのため医者たる者は,『素間』『霊枢』を深く究め,医理に精通してはじめて,複雑に変化する病態がよく把握でき,理・法・方・薬の選択も適切となる。
 人類の疾病は宇宙間の万事万物と同様,それぞれに特徴があり,また非常に複雑でかつとどまることなく変化して行く。弁証論治の方法を用いることによって,疾病の認識と治療は行えるのであるが,人の居住場所・風俗習慣・体質などはそれぞれ異なり,また体質にもとづく病性の変化,風雨寒暑の影響などの違いも考慮に入れねばならない。そのため弁証論治を行う際には,「同じものの中に異なったものがある」とか「異なったものの中に同じものがある」といった情況もあり得るから,必ず詳細に弁別して混乱しないよう務めなければならない。
 弁証論治の運用面について言えば,歴代医家達の学術観点や学派の違いなどから,非常に多くのまたさまざまな経験が蓄積されている。それゆえ,弁証論治といっても,一種の絶対的画一的で融通性のないもの,とみなしてはならない。
 疾病は複雑で変化し易いが,しかし認識して規則性を求めることは可能である。弁証論治とは中医理論を指導原理として,陰・陽・寒・熱・虚・実・表・裏・真・仮・合・併・営・衛・気・血・臓・腑・経・絡などの各種病証について弁別してゆくものである。それゆえ弁証論治とはかなり厳格で規範性をもつものではあるが,臨床的によく見られる陰中に陽あり,陽中に陰あり,陰陽転化,寒熱錯雑,虚実兼挟,伝変従化,同中有異,異中有同,風寒暑湿,気至遅早,老幼壮弱などの複雑な状況をも注意して混乱なく弁別しなければならない。このように弁証論治もまた,人・時・地の制限を受けるから,融通性をもたせて活用すべきである。この辺のことが理解されれば,仲景先師の「思い半ばに過ぎん」の境地である。

 まとめると,弁証論治は中医学の精華であり,臨床的には疾病治療に有効な医療技術である。人類の知識は絶え間なく蓄積され,科学や医学理論も日増しに進歩しているのにしたがい,弁証論治の水準も次第に高まってきている。特に近代以来は,西洋医学の長所や科学技術もとり入れるようになった。それゆえ,弁証論治もとどまることなく進歩・充実・向上している。そして多くの医家たちによって実践され,補充・発展しており,人類の健康・長寿に貢献している。
 最後に,生島忍氏はじめ各位に対し,もう一度感謝を申し上げたい。
 浅学非才の筆者ゆえ,書中に欠点や誤りもあろうかと思う。読者諸氏の御批判・御教示をお願いする次第である。

焦 樹 徳
1988年12月 北京にて

いかに弁証論治するか 「疾患別」漢方エキス製剤の運用

序文

 胡栄先生(菅沼栄女史)が,東洋学術出版社から本書を出版されるにあたって,序文を書くようにと求められた。私と胡栄先生は,親と子ほどの年令差があるが,胡先生は私が中医学を学んだ教師(日本では恩師,中国では老師と呼ぶ)であり,とても序文を書くような立場ではないが,10年ばかりの長い交際であり,私の了解している先生の人となりや学識について紹介し,この書を読まれる方の参考にしていただければ幸甚と思い,拙文を草して執筆をお受けした次第である。
 胡栄先生は北京中医薬大学を優秀な成績で卒業された才媛である。附属の東直門医院で中医内科の臨床を研修中に,同じ学院に留学し卒業された菅沼伸先生と結婚され日本に来られることになったとき,中医学院の幹部や教授連から渡日を延期してもっと才能を伸ばしてはどうかと,惜しまれ,引きとめられたが,夫君の菅沼氏の引力のほうが強かったというエピソードも伝わっている。
 1980年,故間中喜雄先生を会長とする医師東洋医学研究会が,北京中医学院から故任応秋教授をはじめ有名な教授達を招いて中医学セミナーを開催したとき,菅沼伸先生は音吐朗朗とした名通訳で,私たちの聴講と中医学の学習をたすけられた功は大であった。
 その後,日本の医師,薬剤師,針灸師などの間に中医学に対する関心が高まり,胡栄先生を講師とするイスクラ産業の薬剤師向けに企画した中医学の基礎から臨床までの定期的な講習会が新宿で開かれ,私も参加して聴講した。胡先生には失礼ながら,来日後まだ日が浅く,日本語に少したどたどしさがあり,スライドもあまり綺麗とはいえなかった。だがしかし,先生の講義には熱意と迫力が感じられ,言葉やスライドの物足りなさを補なって受講者を惹きつけるものがあったと思われた。
 さらにその後,信濃町の東医健保会館で,故人になられた木下繁太郎先生や中村実郎先生らが世話人で運営されていた東京漢方臨床研究会(株式会社ツムラ後援)で,私も世話人に加えられ,聴講者の減少に対する対策について意見を求められ,中医の弁証論治をテーマにして,張瓏英先生にも講義をお願いしたこともあった。しかし当時の聴講者から中医学基礎理論につかわれる用語は理解しにくいという意見もあり,しばらく胡栄先生の系統的講義をお願いしようということになり,スライドを新しくしたり,講義内容の要点がプリントして配布されるようになった。やがて聴講者が増加して,毎回50名以上になり,会場から溢れるほどの盛況になった。
 豊島区でも,永谷義文先生らを中心とする中医学の勉強会を担当されていたこともあり,先生の日本語は急速な進歩を遂げられ,ときには早口で聴きとりにくいことさえあるほどになった。先生は2時間の講義のために,自宅で5~6時間以上をかけて準備され,その内容をノートにびっしり書き止めて持参されるという。先生の真面目な責任感と受講者の臨床に役立つ,わかりやすい内容にしようとする熱意が,講義をいきいきとした雰囲気にし,先生の人となりと相待って,講座を盛況にみちびいたと思われる。他の講習会に見られないのは,定刻の少し前から集まり始める受講者が最前列から着席し,開会の頃には最も後ろの席まで埋まるという状態で,受講者の熱心さを物語っている。
 本書にも紹介されているように, 先生は日本に来られてから,イスクラ関係の薬局で,薬剤師さん達のいろいろな相談に応じるうちに,日本の漢方の使いかたや,患者さんの特徴などを理解されるようになった。先生の体験は講義の中でもいかされ,中医学の生薬や漢方ばかりでなく,使えるようなエキス剤があれば,それを紹介するというように,日本の医師や薬剤師が日常の臨床で利用できるように配慮されている。本書の読者は随所にこの事実を理解されるだろうと思う。
 1980年に任応秋教授の陰陽五行学選についての講義を聴いたとき,カルチュア・ショックを感じたのは,私一人だけではなかったであろう。それから15年を経て,中医学の基礎理論,弁証論治,経絡学説,中薬学,方剤学などについて,未熟ながらも多少は理解し,日常の婦人科,とくに不妊患者の診察にかなり役立つようになっているように思う。
 長期間にわたって胡栄先生から受けた薫陶が,今後の私の中西医結合の臨床に大きな援助になることを確信し,この機会に心から感謝申し上げ,擱筆する。

産婦人科菅井クリニック
菅 井 正 朝
1996年4月1日


はじめに

 4年後,21世紀を迎えたとき, 日本における中医学の普及・応用はどうなっているだろうか? これを考えると私はとても楽しい気分になります。「光陰 矢の如し」,日本に来てすでに16年の歳月が経過しました。来日当初は,大変な緊張状態におかれ,とても生活を楽しむゆとりなどありませんでした。日本語も日常会話からではなく,中医学の翻訳・通訳の仕事をやるなかで,中医学用語から徐々に覚えていったのです。ですから来日2年後に,初めて中医学の講義を依頼されたときも,中途半端な日本語に自信がもてず,失敗が怖くてお断りしていました。しかし,受講する先生達から「日本語が話せないときは,中国語を書けばよい」と励まされ,なんとか講義をスタートさせることができたのです。
 あれから,講義や臨床相談の仕事をするようになって気づいたことは,日本で漢方を研究される先生は多いが,中医学理論の知識はまだ浅いということでした。
 複雑な疾患を,古文の条文にあてはめて解決しようとしても,治療は困難です。
 中医学の真髄は「弁証論治」に集約されています。「弁病」と「弁証」を結合することができれば,自由に臨床応用の巾を拡大することができるでしょうし,「小柴胡湯」の副作用問題などにも惑わされることなく,よい結果を得られるに違いありません。第一線で働く医師や薬剤師に,この中医学理論を伝えたいと,私は強く思うようになりました。
 本書は,参加者の要望にもとづいた漢方講座の講演内容と,『中医臨床』誌に執筆したものをまとめたものです。臨床各科のうち27疾患について,病症をどう弁証し,日本で入手できるエキス剤と中成薬を用いて,どう論治するかをのべました。私は,この本によって,まず弁証論治というシステムの流れを理解していただければと願っています。治療には,主にエキス剤と中成薬を使用するようにしました。本来,治療は漢方生薬を調剤して用いるほうがよいのですが,日本の臨床現場では,まだ無理な点が多いと考えたからです。しかし,将来,中医学の処方を自由自在に使えるようになれば,どんなに素晴らしいことでしょう。そんな21世紀を想起すると楽しくなってくるではありませんか。
 浅学な私の著作が,「拠磚引玉」(瓦から玉を引き出す)となって,先生方のご高見や,ご批判を得られるきっかけとなれば,なにより嬉しく思います。ぜひ,ご指導・ご鞭撻をお願いいたします。
 中国に梅を詠んだ有名な詩があります。「寒梅は美麗を競わず,ただ春を告げるのみ。山の花が爛漫と咲くとき,叢(草むら)にあってひとり微笑む」といった内容です。私の拙い著作が,日本の中医学普及に少しでも役だつようであれば,望外の喜びです。
 この本の出版にあたって,私の最も尊敬する菅井正朝先生に序文をいただきました。本文の基礎となった漢方講座に推薦していただき,誠意をもって私を励まし続けて下さった先生のご厚情に心から感謝の意を表したいと思います。

菅 沼 栄
1996年4月2日

漢方方剤ハンドブック

序文

 胡先生がこのたび,東洋学術出版社より,『漢方方剤ハンドブック』を出版されることになりました。本書は,東京中医学研究会での講義を下敷きにしてまとめられたものです。私は15年にわたって先生の講義を聴講し,御指導をいただいてきましたので,多少なりとも先生のお人柄や勉強に対する態度について述べることが,本書を読もうとされる方への予備知識になるのではないかと思い,拙文を顧みず,一筆啓上することにいたしました。
 東京中医学研究会は,昭和52年頃,豊島区長崎の医師・薬剤師の有志10名ほどが集まって,医師の黄志良先生を囲んで寺子屋式で針灸の勉強会を始めたのがそもそもの始まりです。当時は,漢方薬82処方が保険薬として認められて,1年目の頃ではないかと思います。私は日本漢方や中医学の勉強会をとび廻っておりましたが,系統だった勉強会はありませんでした。55年,黄先生の針灸学講義の最終回に,漢方82処方の中医学的概要の講義をお聞きしました。その後,昭和57年にツムラ順天堂(株)の紹介によって,胡先生とめぐり会うことができ,それ以来,先生の中医学講習会は今日に到っております。今日では,医師,薬剤師が常時20名以上出席する勉強会を催しています。
 胡先生は講義開始30分前頃には会場に来られて,会員の色々の相談に応じて下さいます。会員自身の健康は勿論,会員の患者についても御指示いただき,これは非常に助かります。なんと申しましても,どの疾患に対しても即座に方剤なり,生薬処方が解答される知識の深さ,応用力の柔軟さには驚くばかりです。先生の講義態度は実に真面目で,講義の内容も相当の時間をかけて準備されるそうです。内容は誠に有意義で豊富な内容です。教わっている者をぐいぐいと引きつける充分な力を感じます。私自身,胡先生の講義を聞いてはじめて,漢方はよく効くものだなあと実感するようになりましたし,漢方を使う楽しみを味わった気がいたします。講義時間も実に正確に終了されます。これも講義の準備が周到であること,不十分な終わり方をさけようとされる先生の真剣な態度のあらわれといえるでしょう。
 今回出版されます本書は効能にしたがって大分類,中分類と分け方剤名をわかりやすく解説されております。したがって,どんな病気にどの方剤を使用すべきか,一目で判断できるようになっています。臨床に応用し日常の診療にすぐに役立つことと思います。
 この機会をかりて東京中医学研究会で長期にわたり御指導いただいておりますことを深く感謝申し上げます。

東京中医学研究会元会長
永谷義文・遠藤延三郎
平成8年秋

中医対薬 ―施今墨の二味配合法―

日本語版序文

 我が模範であり恩師である施今墨先生は,生前に60年あまり医業に携わった。その医術は深く,治療効果は卓越し,旧時,北京四大名医として広く知られていた。
 『施今墨対薬』は『施今墨薬対』ともよばれる。1962年初夏,施先生の高弟である祝諶予教授の指導のもと,「対薬」に対し表の形式で整理を行った。これを施先生に校閲,修正していただき,お墨付きを得たのち,北京中医学院(北京中医薬大学の前身)において,『施今墨臨床常用薬物配伍経験集』という小冊子にまとめた。1963年には,医学雑誌『中医薬研究通訊』にその内容が載録された。その後,20数年の検証を経たのち,臨床経験を取り入れるなど手を加えて『施今墨対薬臨床経験集』を編集し,1982年10月に山西人民衛生出版社より出版した。同書は1982年度の全国優秀科学技術図書1等を獲得している。その10数年後,改訂・増補・再編集を行い,書名を『施今墨対薬』に改め,1996年9月,北京人民軍医出版社より出版した。同書は多くの読者を獲得し,1年あまりの間に3たび増刷を行い,読者の要望に応えた。
 隣国である中日両国の友好的な往来,学術交流は長い歴史を有している。唐代には鑑真が数々の困難を乗り越えて日本へ渡り,医術・仏教を伝えている。年月の推移にともない,こういった交流は日増しに増加している。今回,東洋学術出版社の山本勝曠社長の丁重なる要請を受け,本書『施今墨対薬』の日本語版を発行する運びとなった。中医事業を広く高揚し,人類に長寿・健康・幸福をもたらし,日本の同士および中医愛好者とのさらなる交流を深めるため,本書がいささかでも寄与できればこれ以上の喜びはない。

呂 景 山
丁丑仲秋 山西中医学院七蝸楼にて




 先輩(施今墨先生)は詳細な弁証にもとづき巧みに中薬を用いた。「臨床は戦いに臨む軍隊の様なものであり、兵隊の如く薬を用いるべきである。弁証を明確に行い薬物を慎重に選択してその効果を活かすことが必要である。医学理論を知らなければ弁証は困難であり,弁証が明確でなければ治療方法は立たず,薬物をただ書き並べただけでは効果は得られない」と言われた。
 古人の治療法は単味薬物から始まったと思われる。いわゆる単方である。その後、薬物を組み合わせて用いることを見出し単味薬物に比較して治療効果が強まることを経験した。その後,七方の分類が生まれるに至った。充分に薬物配伍の効果が経験,蓄積された結果である。
 施今墨先生は処方に常に二薬の組み合わせを用い薬物配合を応用した。配合により協同作用を示すもの、副作用が抑えられるもの、長所を引き立たせるもの、相互作用により特殊な効能を示すものなどがあり、これら全てが対薬と称される。私は施先生の処方から百数十種の対薬を集めて北京中医学院で講義していた。呂景山は当時学生でその後、私の助手になり施今墨先生の臨床に立ち会う機会を得た。その後に研究,整理,注釈を加えて対薬の効用を説明する臨床的に有用な本書を著した。北斉の除之才は『雷公薬対』を基にさらに書き加えて『薬対』を著し薬物配合応用の意味を示したが,呂景山の著作は現代の『薬対』ともいえよう。
 対薬に関する知識を必要とする人は多いので、この本が出版され、広い範囲の医療関係者に役立ててもらえることを嬉しく思う。

祝 諶 予
1981年3月 北京にて


自序

 「対薬」は「薬対」とも呼ばれる。その起源はいつ頃であるか未だ定説はない。歴史唯物主義と弁証唯物主義の観点にもとづいて,漢代以前からすでに多くの経験が蓄積されてきた。『中薬概論』では「薬物は単味から複合へ,そして複合から方剤が形成された。これは発展の過程である」と述べている。文字に記載されたものを見てみると,最初に『内経』の半夏米湯(半夏と米の配伍)の胃不和,睡眠障害に対する治療が見られる。また,後漢張仲景『傷寒雑病論』には統計にもとづけば147対が見られる。後世になり薬対は1つの学問に発展した。それを扱った専門書籍には『雷公薬対』『徐之才雷公薬対』『新広薬対』『施今墨薬対』などがある。
 『雷公薬対』について『漢書・芸文志』に記載は見られない。梁朝『七録』の中の『本経集注』陶弘景序文に「桐(桐君)・雷公に至り初めて著書に記載した。『雷公薬対』4巻では佐使相須を論じた」という記述がある。また,『制薬総訣』の序で陶氏は「その後,雷公・桐君はさらに『本草』の内容を加えた。後の『薬対』では主治が広範囲になり種類も豊富になった」と述べている。しかし,惜しいことにこれらの書籍はすでに失われて,現在見ることのできるのは5対のみである。
 『徐之才雷公薬対』は『新唐志』によると2巻あったがすでに亡失した。北宋・掌禹錫は「『薬対』は北斉時代の尚書令,西陽王であった徐之才が著したもので,多くの薬物を君臣佐使の配伍法,毒性,配合禁忌,適応症に分類して記載したもので2巻ある。これまでの本草はよくこれを引用するが,治療における薬物の用い方が詳細に記されているからである」と述べている。
 『新広薬対』については,宋代『崇文総目輯釈』3巻に『新広薬対』3巻,宋令?撰との記載があるのみである。『宋史・芸文志』には宋令?『広薬対』,『通志・芸文略』には3巻,逸と記載されている。
 元代以降は目録学上,薬対に関係する記載は見あたらない。すなわち薬対に関する専門書はすでに亡逸してしまったと思われる。
 『施今墨薬対』は1958年北京中医学院第一教務長であった祝諶予教授が我々を引率して下京西鉱務局医院で実習を行った際に,詳しく講義した「施氏薬対」100余対を整理して書籍にしたものである。

 1961年卒業実習の際に祝先生は私の指導教官であった。豊富な臨床経験の指導を受け,時には施今墨先生の臨床にも同伴して指導していただいた。先生の指導のもとで薬対は100余増えた。これら2人の先生に校閲をお願いし先に『施今墨臨床常用薬物配伍経験集』をまとめることができた。この本は広く大学生,同学者に受け入れられた。増版を行うほどの反響を受けて翻訳もされ広く読まれるに至った。
 その後,先生の指導のもとで勉学,臨床を積み重ね,理論との結合をさらに実践した。経験蓄積と資料収集を重ねて1978年に『施氏薬対』を執筆した。祝諶予,李介鳴両先生の校閲,指摘を得て『施今墨対薬臨床経験集』に改名して世に問うた。この本も広く多数の読者,専門家,教授からお褒めの言葉を受けることができた。
 中医の大先輩である葉橘泉教授は『施今墨対薬臨床経験集』は興味深い実用意義のある学習資料であり,中薬と方剤学の橋渡しになる」と述べた。周風梧教授は「北斉代にすでに徐之才の記した『薬対』があったが,惜しいかな紛失してしまった。呂景山先生は施先生および諸先輩の経験を整理してこの書物を著した。本書は南北朝から現在に至るまでの千四百多年に渡る薬物配合に関する知識経験伝達の空白を埋めるとともに,今後の発展を促す意味で臨床において極めて重要な指導書である。祖国の豊富な伝統医学に1つの意義のある貢献をするものである」と述べた。李維賢教授は「薬対」は新興学科であり薬対学と称するべきであると考えている。李教授は「薬対学は薬物学と同じではない。薬対は簡単な配合のみで薬方(方剤)とも異なる。薬対学には方剤学のような配合の完全性はない。薬物学から方剤学を学んだのみでは,方剤学を離れてよい処方をなすことはできない」と述べている。葉廷珖教授は「本書は施先生の薬対配合を集めて詳しく解説したもので,その数も多く分類も詳細になされて調べるにも便利である。薬物単味の効用,配合による効能および臨床応用まで記載されて,系統的かつ科学性を持ち合わせている」と述べている。唐代・孫思の『千金方』には「大医になるには素問,甲乙,黄帝針経……本草,薬対および張仲景,王叔和の著書を熟読しなければならない」という記載も見られる。
 本書が世に問われて10余年になる。その間多くの読者に受け入れられ,専門家および政府からお褒めの言葉を受けることができた。1982年全国優秀科学技術書一等賞,1983年山西省科学技術成果二等賞を受けた。また,中華人民共和国建国35周年に中国革命博物館の重大なる成果の陳列に加えられた。

 各界人の言葉に答え,中国医薬学の発展を継承するため筆者はさらに改定を加えてここに『施今墨対薬』を編纂した。
 本書の編集,改定の過程で多くの人から支持と協力を得た。とくに祝諶予先生,李介鳴先生には多くの指摘,指導を受けた。ここに深く感謝の意を示したい。

呂 景 山
1995年10月 太原にて


施今墨先生の紹介

 施今墨先生は1881年3月28日生まれで,出身は浙江蕭山県,1969年8月22日に亡くなった。元の名は施毓黔,医者になった後に改名して施今墨となった。
 施今墨先生は母が病気がちであったために幼年期にすでに医学を志し,伯父で河南省安陽の名医であった李可亭先生から中医学を学んだ。
 父が山西で仕事をしていたので1902年に山西大学に入学した。1903年に山西法政学堂,1906年には北京京師法政学堂に転入した。学校では法律を学びながら中医学も学習した。1911年に京師法政学堂を卒業した。
 1913年山西に戻り医者として臨床に携わった。医業を自分の一生の職業と決心して1921年に再び北京に戻り,臨床に専念し医術の研鑽を積み重ねた。その後,施今墨先生の名は全国に知れ渡るものとなり北京四大名医の一人に数えられるまでになった。近代の著明な中医学者となったのである。
 施今墨先生は臨床に携わるとともに,中医教育の改革にも携わった。1932年には私財で北平に華北国医学院を設立し院長に就任した。医学院では中医基礎および臨床過程のほかに,西洋医学の解剖・生理・病理・細菌学・内科・外科・日本語・ドイツ語などの過程を設けた。これは当時の医学界にとって画期的なことであった。施今墨先生は自ら教壇に立ち,学生実習を指導した。医学院設立10余年の間に600~700人の学生を育成し,数10年にわたって学外においても多くの中医学の人材を輩出した。そのほかに,先生は1931年中央国医館副館長を任せられ,1941年には上海復興中医専科学校の理事長,あわせて北京・上海・山西・ハルピンなどの中医学院設立にも協力した。講義・研究などを通じて多くの中医学の後継者を育成し,その貢献には突出したものが見られる。
 解放後,農工民主党に入党し,中国人民政治協商会議の第2~4回全国委員会委員に選出された。また,中華医学会副会長・中医研究院学術委員会委員・北京医院中医顧問などを歴任した。
 施今墨先生は学術的に中西医結合を提唱し,30年代すでに「中医学を進歩させるには西洋医学の生理・病理学を参考にする以外に道はない」と明確な指摘をしていた。また,中医学の病名を統一すべきであるとも考えていた。20年代の診療に西洋医学の病名を応用して中医弁証との結合を試みた。血圧計・聴診器・体温計などを診断の補助に用いたがこれは当時とすれば珍しいことであった。また,中成薬の創製においてもこれまでの伝統を破り,気管支炎丸,神経衰弱丸など現代医学の名称を採用した。これら成薬は有効性が高く国内外から多くの支持を受けた。
 施今墨先生は祖国伝統医学理論への造詣が深く『内経』『難経』『傷寒』『金匱』『本草』および金・元・明・清代の医家を深く研究し,「傷寒」「金匱」の諸処方を熟知して証に応じた活用を行い,しばしば著明な効果が認められた。先生は中医を温補派と寒涼派などの門派に分けることには反対であった。また,中医と西洋医の区別についても同様であった。すべては治療を受ける病人が主体であり,治療効果を高めるためにそれぞれの医家のすぐれたところを融合し自己の経験を交えて己の見解,新しい考え方を提示した。学術面では先生は独特の見解をもち,「気・血は身体の物質的基礎であり,実が重要である。それゆえ弁証では,陰陽を総綱とし,表・裏・虚・実・寒・熱・気・血を八綱とする」と認識していた。これは祖国医学基礎理論の八綱弁証における新たな発展であり,祖国の医療業務に対する突出した貢献であった。1981年には中華全国中医学会および農工民主党が施今墨先生の生誕100周年記念会を行い,生前に成した偉業を高く評価した。

アトピー性皮膚炎の漢方治療

◎本書について

漢方の飛躍的発展の息吹き--アトピー性皮膚炎への果敢な挑戦--

■新しい疾病との対決のなかで,漢方は発展する

 漢方医学は,歴史の遺産を漫然と引き継ぐことによって,生命力を与えられたのではない。その時代が直面した新しい難治性疾患と対決し,これを克服することによって,はじめて飛躍的発展を遂げ,漢方医学としての価値を獲得したのである。
 漢方の歴史には4つの大飛躍の時期がある。1つは2000年前の『黄帝内経素問・霊枢』が書かれた秦・漢時代。この時期に,人体の生理・病理学と診断・治療学を含むほぼ完璧な医学体系が形成されたことは,歴史の驚嘆に値する。ついで後漢時代に傷寒という新しい急性感染性疾患の流行のなかで,『傷寒論』という医典が誕生する。3番目の飛躍は,金元時代である。やはり時代の新疾患との戦いを通じて多くの学派が台頭,病因・病機学説の深化が進み,漢方は飛躍的に向上した。近くは明清時代に温病という急性疾患が流行し,これとの戦いのなかで温病学説が出現した。これらは漢方の歴史における4大飛躍とされる。
 いま,5番目の飛躍の時代を迎えようとしている。エイズや癌,アトピー性皮膚炎や花粉症,喘息,アレルギー性鼻炎……など,これまでに人類が体験しなかった新しい疾患が出現し,医学はこれらとの不可避的な戦いを余儀なくされている。漢方が今後も生命力をもちうるかいなかは,これらの疾患との戦いを抜きにしてありえない。


■アトピー性皮膚炎という疾患

 アトピー性皮膚炎--現代社会が生んだこの疾患は,拡大の一途をたどり,ますます難治化しつつある。病態は複雑・多様で,変化が多く,繰り返し再発する頑固な疾患である。体質素因と環境素因,そして飲食物・ストレスなどさまざまな複合因子が複雑にからみあって形成された,歴史に先例のない疾患である。ステロイド剤の乱用によって病態は輪をかけて複雑化している。この疾患においては,中国にもまだ参考にしうる治験は多くない。もはや既成の硬直した発想や方法によっては,解決できなくなっている。西洋医学も日本漢方も,そして中医系漢方もともに試練を迎えていることにおいて,例外ではない。

■中医系漢方の挑戦

 現代中医学がわが国に導入されて20年。中医学を学ぶ若いグループが全国に澎湃として興り,すでに日本漢方の構成部分として定着している。いま,かれらが最も情熱を燃やしているテーマが,アトピー性皮膚炎の治療である。
 本書は,アトピーと苦闘を続けてきたかれらの最新の業績を収録したものである。
 中医学の最大の特徴は「弁証論治」である。そして「弁証」の核心は,症・病・証をもたらした「病因・病機」(病因と病理機序)を正確に把握することにある。病因と病理機序を分析できてはじめて治療方針がなりたつのである。やみくもに方剤を投与するだけでは,有効な医学とはいえまい。まして「病名漢方」では,とてもこの複雑で変化の激しい疾患に対処することはできない。

■病態分析の深化

 中医系漢方においても,教科書に記載されている分類法や治療法を短絡的に当てはめる方式では,アトピーには通用しない。多様な皮膚所見と変化する病象を説明できる理論と分析力が求められているのである。
 湿疹型アトピーと乾燥性紅斑型アトピーの違いをどう説明するのか,局部と全身の異なった病態をどう説明するのか。外因と内因の関係,風・熱・湿・燥・オの挾雑,虚と実,熱性と寒性,気分と血分の見分け方,五臓のどの臓腑がポイントなのか,それらはどのように転変するのか--病因・病位・病性・病勢,機転を判断しなくてはならない。本書の各論文を見れば,各執筆者がいかに緻密な病態分析を行っているか,いかに高度な治療を行っているか,を感動をもって見ることができよう。

■斬新な理論構築と豊富な治療方法

 平馬直樹氏・伊藤良氏の総論は,現段階のアトピーに対する日本の中医治療を高度に概括したものであり,すでに一定の法則性が見つけだされている。また江部洋一郎氏の「経方理論」や岡田研吉氏の精神疾患からのアプローチのように,大胆かつ斬新な理論構築も試みられている。
 病態分析とともに,治療方法も多様化している。薬物の分析・選択・配合の方法が急速に進歩するとともに,軟膏・クリーム剤・湿布剤などの外用薬や浴剤も開発されている。また本書では文献数が少ないが,針灸もアトピーに対する症状改善作用と免疫力増強作用があり,有効な治療方法となっている。
 新しい病象に対する新しい診断学・治療学の誕生。アトピー性皮膚炎への挑戦は,単にアトピー性皮膚炎の治療にとどまらず,漢方治療全体のレベルを急速に向上させている。アトピーに較べれば,喘息はすでに御しやすい疾患となったといわれるゆえんである。
 本書は,こうした理論構築と治療経験を集約したものであり,現時点における中医系漢方の臨床レベルを示す記録である。「最先端をゆく漢方治療」といっても過言ではないだろう。われわれは,本書に収録された文献は,中医学の先輩である中国に対しても誇りうるものであると確信している。本書を土台にして,さらに多くの臨床家がアトピー攻略の経験を蓄積してゆくことに期待したい。

■中医臨床シリーズ

 本シリーズは,今回の「アトピー性皮膚炎」を第1冊目として,今後,年1~2回のペースで引き続き疾患別の業績を収録してゆく予定である。今回,ご執筆いただく機会のなかった先生方もぜひ次回には,執筆者としてご参加いただきたいと思う。

(『中医臨床』編集部)

【中医臨床文庫1】風火痰瘀論

日本語版序文

 拙著『風火痰オ論』は1986年,北京において,人民衛生出版社より出版されました。出版後,全国の中医学界から好評を得たことから,同出版社は本書を日本の出版社に推薦し,日本語版出版の運びとなりました。筆者はこれを光栄に思い,日本語版の出版を心待ちにしていた次第です。
 中国医学は日本の医学界と古くから関わりを持っております。いまを遡ること西暦6世紀,中国の漢・唐代を境に,両国の医学界は頻繁に往来するようになり,中国医学は徐々に日本に浸透して行きました。唐代の鑑真が扶桑(日本の別称)に渡り医学を伝えたことも,両国間の交流の1つの証といえます。中国医学は日本で「漢方医学」と呼ばれながら,日本の医学の一翼を担ってきたのです。
 中国の金元代(1115~1368年)の偉大な医学者・朱丹渓の理論は,15世紀に日本に伝えられ,安土桃山時代(1568~1594年),江戸時代(1600~1867年)に最盛期を迎えました。なかでも,田代三喜(1465~1537年)に師事して大陸医学を学んだ曲直瀬道三は,医学教育にも力を入れ,丹渓学説の普及に貢献しました。
 丹渓学説を貫く中心命題は「風・火・痰・オ」です。筆者は長年丹渓学説を学び,臨床に取り入れ応用して参りました。本書はその経験の集大成といえます。本書の日本語版出版により,日中の医学界の交流が深まり,丹渓学説がさらに日本で理解され,浸透することを切に願っています。日中両国の友好と学術交流がこれからも永遠に続くことを願い,私の序文といたします。

章  真 如
1997年(丁丑)春月
中国武漢市中医病院にて

痛みの中医診療学



 痛みは,さまざまな病気の上に現れる1つの臨床症状です。痛みは多くの場合,猛烈な,あるいは持続的なものとして肉体や精神を損傷し,人々の心身に大きな影響を与えます。痛みで最も多くみられるのは,頭痛,腰痛,四肢の関節痛などですが,最近は悪性腫瘍や癌の発病率が高くなったことから,末期癌に伴う癌性疼痛に苦しむ人々も少なくありません。そのため,痛みにたいする研究や治療は,早急に行われなければならない重要な課題となっています。
 痛みに関する中医学の診療は歴史が古く,紀元前3世紀に書かれた最古の医学書『黄帝内経』には,さまざまな痛みにたいする診断や治療の方法が記載されています。また,時代と共に培われてきた豊富な経験と研究によって,痛みに関する中医学の診察法・診断法・治療法は次第に完成されたものとなり,今日では治療法の多さと同時に副作用の少ないことで理想的なものとして注目されています。
 もちろん西洋医学で用いられる鎮痛剤はすぐれたもので,高い効果が得られます。しかし,それらは痛みそのものを止めることを目的としているため,痛みを引き起こす病態を変えることはできません。また,鎮痛剤に過敏な人,副作用が出る恐れのある人,慢性疼痛のため長期に用いなければならない人などにたいする使用は困難とされています。よって,これらの西洋医学の弱点を補うものとして中医学の治療が必要不可欠であり,高い治療効果が期待できるのです。
 現代中医学は,西洋医学のすぐれた最新の検査技術や診断技術を用いて明確な診断をしたうえで,中医学の整体観や弁証理論にもとづいて痛みを治療することを重視しています。すなわち,中医学では痛みそのものをみるのではなく,痛みを引き起こす疾患の病態を把握し,証候と体のバランスの状態を総合的にみて,いくつかのタイプに分けて治療をするのです。このような治療法は,痛みを抑えるだけでなく,血液循環の改善,炎症と腫瘍の抑制,体力の増強,免疫の調整などの効果もあります。西洋薬の鎮痛剤を併用する場合には,鎮痛剤の減量あるいは廃薬などの効果も期待できます。また,針麻酔の発達は,中医学の疼痛と鎮痛原理の研究をさらに発展させ,鎮痛効果を高めるうえで重要な役割を果たしています。
 日本では漢方医学が浸透しており,漢方エキス製剤を用いての疼痛治療にも一定の成果があげられています。しかし,「方証相対」あるいは「方病相対」の考え方にもとづいた薬の使い方が多く,体系的な漢方医学としての「中医学」の弁証論治によって疼痛を治療することは少ないようです。
 私たちはこのような現状をふまえ,中医学,日本漢方医学,西洋医学の結合によって痛みにたいする治療効果がより高まることを切望し,本書を著しました。
 総論では痛みにたいする中医学の診察法,診断法,治療法をわかりやすく整理し,できるだけ現代医学的な解釈を試みました。生薬の部分では,現代薬理学の研究成果も紹介しています。
 各論では現代医学の診断にもとづいた中医学の弁証論治を中心に,証候の変化や患者の個人差,特殊性などにも注意を払い,それに応じて加減した処方も加えました。また,日本の現状に合わせて,漢方エキス製剤の使用法も証候に分けて紹介しており,臨床における実用性をとくに重視しました。
 本書は,医師や薬剤師のための疼痛診療専門書を意図したもので,中国で出版された『中医痛証診療大全』『中西医臨床疼痛学』『中医臨床大全』『中医痛証大成』『新編中医痛証臨床備要』など多数の書籍や論文を参考にしました。さらには著名な老中医の経験や日本の漢方医の治療経験も参考にしています。

 本書が中医学や漢方医学を学ばれる医療関係者のお役に立ち,ひいては疼痛で日々苦しんでおられる多くの患者さんの治療に貢献できれば幸いです。
 本書の内容につきましては十分に検討しましたが,不備な点につきましては多くの方々のご叱責,ご助言をいただけることを期待しています。
 ご指導やご助言をいただいた熊本大学医学部の三池輝久教授,岩谷典学講師,江上小児科の江上経諠院長,肥後漢方研究会の藤好史健会長,久光クリニックの久光正太郎院長,熊本芦北学園の篠原誠園長,水俣協立病院の藤野糺総院長に深く感謝の意を表します。
 また,編集にあたってお世話になった株式会社鶴実業の水崎三喜男社長,株式会社ツムラ熊本営業所の坂口宏所長,カネボウ薬品株式会社熊本出張所の佐藤俊夫所長に心から感謝しております。
 出版にあたり,大変お世話になった東洋学術出版社の山本勝曠編集長と皆様および編集協力の名越礼子先生に厚く御礼申し上げます。

編著者:趙基恩・上妻四郎

老中医の診察室

はじめに

 一九七八年の秋『上海中医薬雑誌』が復刊した。復刊に先立って主幹の王建平氏から難病の治療過程を題材にした文章を書いてほしいという依頼があった。中医学の弁証論治の思考過程や中西医結合の診療の優越性を示した内容の文章を、中国伝統の物語風のスタイルをとって各章に分けて書いてはどうかということだった。そしてさらに科学的な裏付けをもたせ、一般の人が読んでも理解できるような文章にして欲しいということだった。症例、治療過程、用薬、治療効果は、すべてカルテにもとづいた実在のもので、記録に忠実かつ信憑性のあるものをという条件も示された。要望にこたえて執筆に入った。症例はすべて私が体験したものである。ストーリーにはいくらかフィクションを持たせてはあるものの、いずれも事実に沿って書き綴ったものである。本書に紹介した症例の大方は、私自身が主治医として治療にあたったが、そのうちの二症例は恩師の金寿山教授が主治医として治療にあたっている。また第一回の麻黄加朮湯を用いた大葉性肺炎の治療を担当したのは、曙光病院の中医学の名医・劉鶴一先生であり、第二回の真武湯を用いたて心不全の治療のさいに、外来で処方されたのは?池教授、病棟での主治医をつとめたのは李応昌先生である。私は当時、病棟で入院患者の治療を担当していたため、患者の病状については熟知していた。
 本書の主役は鍾医師であるが、「鍾」という姓は、恩師の金寿山教授の名前にちなみ、尊敬の念をこめてつけたものである。主治医の応医師は李応昌先生を記念して名付けた。またこの小説を『医林?英』と命名したのは、これは私ひとりの医療体験ではなく、「医林」つまり、多数の中医師による心血の結晶であることを伝えたかったためである。
 本書は発刊以来、中年・青年層の中医師からひろく読まれてきた。一九八一年の秋、私は中医学の講義の依頼を受けて日本へ赴いた。その折りに日本で出版されている月刊誌『中医臨床』に『医林?英』が訳載されていることを知った。学術講演のさいには私は『医林?英』の作者として紹介され、熱烈な拍手で迎えられた。これを機会に『中医臨床』の主幹・山本勝曠氏および訳者の石川英子(ペンネーム石川鶴矢子)さんと面識を得て、異国の友人と文を交わすようになった。
 一九八三年、『医林?英』(二十回)は、湖南科学技術出版社から単行本として出版され、一九八五年には版を重ねている。一九九四年の初夏には、台湾へ講義に赴いたが、そこでは思いがけないことに、二十四回分を収録した『医林?英』にめぐりあったのである。それも一九八四年から一九八九年にかけて三刷も出版されていたのである。『医林?英』が台湾の中医学界からも歓迎を受けていることがうかがわれよう。こうした事実は私にとって大きな励ましとなり、いっそう真剣に臨床に対処し、理論を探究し、著作に心血を注ぎ、第三十回を書き終えた次第である。学術書の出版は難しいと言われているが、人民衛生出版社のご配慮によって、ここに『疑難病証思辨録』と書名を改めて出版される運びとなった。そのご好意に感謝し、ここに本書出版のいきさつを述べて、序にかえたいと思う。もしも天が私に時間を与えてくれるならば、二十一世紀の初頭には四十回分をまとめて本にして、医学界に捧げたいと願う次第である。

柯 雪 帆 七十歳
一九九六年十一月
上海天鑰新村にて

中国医学の歴史

序文

 傅維康教授により主編された『中国医学の歴史』は、中国医薬学の起源とその発展過程を原始・上古から清代に至るまで系統的に論述し、各時代の歴史的背景を記した労作である。
 原著は漢字にして四十万字余り、これにこの度の編訳書には挿画・写真が二百余枚も加えられ、巻末には詳細な歴史年表も付されている。
 本書では、長年にわたる中国医学史研究上の成果を見事に反映させつつ、近代から現代にかけての考古学上の新発見や、著者自身の独自の研究結果が加えられている。
 そのことによって、『中国医学の歴史』はここ四十年来、中国医薬学史を扱った専門書の中でも、特に水準の高いものとなっており、他の医学史の書物と比べて、本書は歴史資料の取捨選択や編纂にいくつかの明白な特色を有している。
 たとえば、読者が古代人類の疾病に認識と理解を深めやすいように、原始人の口腔・外傷・産婦人科・小児科の分野に関して、馬王堆の帛書、雲夢秦簡、張家山と武威漢簡などの考古学上の発掘や、人類学上の研究成果をふんだんに採用している。
 さらに、李約瑟氏の著作『中国科学技術史』に記された中医薬の研究結果と、日本で発見された『小品方』の残巻の内容、その後の中国国内での研究業績が十分に引用されたため、西晋・東晋・南北朝時代の中国医学史の内容が大いに補強された。
 本書を主編された傅維康教授は中国医学史の研究歴四十年に及び、この間中国全国大学博物館専門委員会の首席主任委員を歴任され、現在、中華医学史学会の副主任委員の要職にあられる。
 その著書には『杏林述珍』、主編に『中国医学史』や『中薬学史』などの医学史に関する専門書があり、国内外の医学史学界において高い評価を受けておられる。
 この書の中で傅維康先生は、かって進化論のダーウィンが記した『中国古代百科全書』とは『本草綱目』のことであり、またダーウィンが「鳥骨鶏」や「金魚」について論述したものも、その内容は『本草綱目』からの引用であったことを立証している。さらに、「弁証論治」という中医学上の用語は、清代の徐大椿による『外科正宗』の中で最初に用いられていることを考証している。
 この『中国医学の歴史』の編纂に参画された他の編者は、いずれも中国医薬学史の教育と研究の経験深い教授、助教授、研究員の方々であって、本書が高い水準と評価をかち得ているゆえんである。
 このたび、日本側で本学の客員教授川井正久先生および、川合重孝先生、山本恒久先生の手によって、この書が日本語に翻訳され、山本勝曠氏が社長を務められる東洋学術出版社の御高配によって、日本語版として出版の運びとなったことは、中日医療交流の発展・拡大の面からも慶賀に耐えない。
 ここに上海中医薬大学を代表して、中日両国の関係各位に心からの祝意と感謝を表し、序に代えたい。

上海中医薬大学 学長
施 杞
一九九六年四月一日


まえがき

 中国医薬学は、その永い歴史の中で、病気に苦しむ人々の治療において常に顕著な効果を発揮し続けてきた。この医学は、今後も中国民族の子々孫に至る遺産である一方、世界全人類のためにも保健、医療、福祉に対して大いなる貢献をなし続けることであろう。
 本書は、過去に中国の人民と医家達が疾病と戦う中で、どのような出来事があり、どのように成果を収めてきたか、そしてどのような理論を構成したか、などを歴史資料に基づいて忠実に記述したものである。
 編集に当っては、各時代の特徴を把握して、適確な見出しにまとめ、全体を合理的に順序立てて、学習しやすいように配慮した。
 その内容は、中医学、中薬学に止まらず、鍼灸、推拿、養生など博く中医学の各専門分野を網羅しつつ、精彩な写真、挿画を数多く採用して読者の理解を助けている。本書は、中医学、中薬学とその歴史の学習や研究のみならず、中国の自然科学史の資料としても十分に役立てて頂くことができると確信している。
 最後に、この書の編集に際しては、王慧芳、楊学坤の両先生、また写真撮影に当っては趙世安、施毅の両氏に特別の御尽力を頂いたことを記し、衷心より謝意を表する次第である。

傅 維 康
一九九四年二月

中医免疫学入門



 国内では近年,中医理論と現代免疫学とのかかわりがますます重要視されるようになり,いずれの定期刊行物や内部資料にも報告がみられる。ここに初めて,劉正才先生と竜煥文先生が1976~1981年の度重なる総括を国内の大量の文献と結びつけて編集し,中医および免疫を研究する諸氏の参考に供するはこびとなった。
 本書は次の3つの部分からなる。
1.中医学の免疫学に対する認識――理論面で中医と現代免疫学の基本知識を結びつけ,多くの臨床と実験結果を解析している。
2.中薬と免疫――免疫反応におよぼす中薬の影響を数多く記録している。
3.よく見られる免疫疾患の治療――中薬による免疫疾患の治療成績を紹介している。
 このように,本書の内容は豊富で,今後の中医免疫学の発展に一定の役割を果たすであろう。

中国医学科学院
謝 少 文
1982年8月 北京にて

経方医学1―『傷寒・金匱』の理論と処方解説

 


  


 漢方医学の理論的骨子をなすものは陰陽五行説と呼ばれる。古来,人体の生理・病理は,抽象的な要素を多分に含むこの理論を用いて説明されてきた。一方,人体の生命現象は,実際には個々の具体的な要素の集積から成り立っている。すなわち,中国伝統医学の特徴の一つは「抽象的な理論を用いて具体的な生命現象を説明する」ところにある。
 ところで,このような漢方医学の人体観を,抽象理論ではなく,具体的な要素を用いて具体的に説明することができれば,診断はもとより,用薬の方法,治療の細部にわたって,容易かつ確実な臨床が展開できるであろう。本書は,そのような観点で書かれた,最初の,そして唯一のものである。
 著者の江部洋一郎氏は,二十余年にわたる研究の過程で,「経方理論」と自ら呼ぶところの一大体系を樹立した。その江部経方理論は,『傷寒論』を中心とした中国医学古典にもとづいて創案されたものである。特に『傷寒論』『金匱要略』の条文,処方などが,後世説明されているような抽象的なものではなく,きわめて具体的な現象を基礎として作られたものであるという見解のもとに組み立てられている。
 この理論は,現在の漢方医学のいわゆる常識とは無縁のところに存在しているようにみえる。しかし,過去におけるさまざまな学説をまったく無視したところに成立したものかというと,氏が参考にしたかどうかは別として,必ずしもそうではない。
 中国伝統医学理論のかなりの部分を否定した後藤艮山は,一元気という形而上の概念を形而下の現象の説明に応用することによって,一気留滞説という新たな生理病理論を打ち出した。その彼にして,もし具体的な気の動きについて把握するところが何もなかったとすれば,治療上,大きな困難を抱えたはずである。彼が見ていたものは何だったのか。気の実質的な動きであったとすれば,今から三百年も前に,江部氏が見たものと共通の現象を何らかの方法で把握していた人がいたということになる。
 吉益東洞はどうであろうか。現在の日本の漢方医達は,彼の方証相対論のみを重視し,本来の理論的支柱であった万病一毒説を取り上げることはなく,一方,中医学の立場からは,日本の漢方医学をゆがめた張本人として非難されている。いずれも一面的にすぎると言わざるを得ない。
 東洞は,陰陽も虚実も伝統医学的な意味での用い方はしていない。虚は補い,実は瀉すのが基本治療原則であるが,東洞の場合,虚を補うのは穀肉果菜であり,病気の場合は身を瀉すのみであるという。
 もし彼に気・血・津液の代謝・循環が何らかの方法によってその一部でも把握できていたとすれば,虚実よりももっと具体的な言葉で表現することが可能であったかと思われる。その方が正確であるからである。彼は,しかしそうせずに,得られた(あるいは得られるべき)結論のみを記した。そのために,おそらくはかなり具体的に把握していたであろう彼の生理学・病理学は,ついに誰にも伝えられることなく終わった。
 江部経方理論は,虚実をこれまでの伝統医学理論の文脈では使用しない。これは,気・血・津液の代謝・循環を正確に把握すれば,その異常によって発生する病態を,虚実という言葉で表現する必要性がなくなるからであるが,同じことは東洞にもあてはまる。本書の観点から東洞をみれば,これまでとまったく異なった東洞像が浮かび上がってくるであろう。
 さらにこの理論において画期的であるのは,人体の外殻の構造を明らかにし,気がどこで産生され,どこをどのように流れるかを具体的に示していることである。これらに関しても,江部氏と認識の方法が異なるものの,例えば,王清任や唐宗海における「膈」の研究,永富独嘯庵における「胸」の重視,味岡三伯や岡本一抱における「胃」の論説の展開など,氏の理論につながる先人達の興味深い足跡がある。
 本書の述べるところは,基本的には『傷寒論』と『金匱要略』の処方解説であり,総論で示されている人体の構造や生理学の理解は,各論で示される処方解説を読解するうえで必須のものである。
 この第1集では,桂枝湯一処方にほとんどのページを費やしている。これは,桂枝湯が『傷寒論』中最も基本となる処方であると同時に,経方理論上の気のダイナミズムを理解し,この理論を支配している一般的な法則をみていくうえで,最も適切な処方であるという理由にもとづく。本邦で最初に本格的な『傷寒論』研究に入った名古屋玄医が,自らの扶陽抑陰説を具現化するに当たって最も重視したのがやはり桂枝湯であったことを考えると,理論こそ違え,この処方の重要性がよく理解できよう。
 処方解説のなかで用いられている薬物学は,『神農本草経』と『名医別録』にもとづき,しかも経方理論からみた役割が具体的に明確に述べられている。ここでは,古典の記載のもつ意味がパズルを解くように次々に明らかにされて,全体像としての証につながっていく過程が示されている。これまで,ある程度大まかな,そして多くは抽象的な認識(もちろん間違ったものであるという意味ではない)で理解していた薬物の効能を,まったく別の視点から,特に作用の方向性に重点を置きつつ,細部にわたって一つ一つ解明しているという点で,これは革命的な薬物学である。
 江部経方理論が,外来診察中に診た患者さんの手足の冷えの形態の違いに気付くところから出発していることは,すでに1992年の氏の発表論文(衛気の流れの異常と冷え症について,THE KAMPO No.57&58, 1992)に述べられている。
 このことでわかるように,氏は,日常的にごくふつうに見られる人体の生命現象にヒントを得て,しばしば普遍的な法則を導き出している。そのようなアイディアにみちた眼は,本書の全篇にわたってみられる。
 例えば,体内を走っている気は,循環していて行けば必ず戻ってくるものであり,それを前提としてどの部位でどのようにブロックされるとどうなるかということを明確にしている。具体的には,レイノー症候群にみられるわずかな色の違いからこのことを例証しているが,これなどは氏の細かな観察眼のたまものである。また,太陽病の初期には悪寒と発熱が同時にみられるが,これは皮と肌の2層における別々の病理変化が同時に発生しているが故に起こる現象であるという説明に,目から鱗が落ちる思いをした人も多いでああろう。
 本書は,氏のこれまでの臨床研究の集大成である。上述のような数々のアイディアや新知見を盛り込み,『傷寒論』を臨床的見地から入念に検討し,体系化して成立した。その途上で横田静夫氏という強力な共同研究者が現れ,江部氏の天才的な頭脳から飛び出してくる理論を一つ一つていねいに検証し,これが本書の成立に大きな力となった。氏が院長をつとめる高雄病院のスタッフ達の協力も特筆すべきものである。

 江部経方理論は二千余年にわたる漢方医学の歴史に新しいページを開くものである。これまでとはまったく異なった観点から人体の生命現象をみているとはいえ,一般的な中国伝統医学理論と矛盾する存在ではない。われわれは,この理論を得ることによって,漢方医学を新しい眼で眺め,より深く理解できるようになるであろう。そして本書の出現は,今後の漢方医学に飛躍的な発展を促すことになるであろう。

  1997年7月1日
安井 廣迪



 


まえがき

 本書は『傷寒論』と『金匱要略』の処方解説を意図するものである。
 後漢末(AD200年頃),張仲景により『傷寒雑病論』が編纂されるが,幾多の伝写を経て,宋代(11世紀)に『傷寒論』と『金匱要略』として刊行された。それ以降,とりわけ『傷寒論』については数多くの注釈書が世に送り出されている。
 しかし我々は,それらのいずれにも満足することができなかったのである。どの注釈書にも,体系としての『傷寒論』をトータルに説明しつくす理論が存在していないのである。つまり注釈書にある生理・病理・薬理では,『傷寒論』の処方が創出されるはずもないのである。まさしく『傷寒論』は知られてはいるが,認識されているとはいえない書物なのである。
 数年前より,我々は『傷寒論』の簡潔な条文と処方の背後に内在する生理(機能的な人体構造論),病理および薬理の体系を経方理論と呼び,それを再構築する作業を続けている。この作業の一定の到達点を示すというのが本書の目的である。
 本書は,処方解説を軸に展開されているが,あちこちに散在する構造や生理についての見解は,処方解説の準備であるのみならず,本書の主題そのものをなしている。つまり,処方解説は経方理論の論証という側面をもっているのである。読者はどこまでも『傷寒論』の処方を作り出すという立場から本書を読んで欲しい。
 漢方における処方の自由は,経方理論の上にのみ可能であるというのが,我々の信念である。

著 者
1997年3月3日



第2版の発行にあたって

 第2版では,文章表現上で若干の訂正を行った。また,76頁から始まる「腹診」の部分は,第1版を全面的に書き改めた。そのため,頁数は第1版に比べて大幅に変更され,全体で16頁の増頁となっている。

著 者



第3版の発行にあたって

 第3版では,第2版の誤りを正し,不足を補った。さらに,第2版発行後に深めた認識(「営衛不和」「四逆湯と白通湯」「亡陽」「伏陽証」等)をまとめ,附録とした。

著 者

経方医学2

まえがきと謝辞

  『経方医学1』に引き続いて『傷寒論』と『金匱要略』の条文と処方の解説を行なう。
 今回はノートを基にして,それに加筆するという形を採ったので,より簡潔な記述になっていると思う。
 本書を通して経方理論の具体的展開を理解していただくとともに,日常の診療において経方理論を活用されんことを期待している。
 本書の出版に当ってお手伝い下さった九州の山口恭廣,小山季之,鍵本明男の諸先生,北海道の諸岡透先生と奥様,東洋学術出版社の山本勝曠氏に感謝する。

著 者
2000年7月13日

経方薬論

前言

 『傷寒論』『金匱要略』の処方を理解するための本草書は基本的には存在しない。
 『神農本草経』『名医別録』にしても参考にすることは可能ではあるが,直接的に『傷寒論』『金匱要略』の処方の理解の役には立たない。したがって『傷寒論』『金匱要略』の処方を理解するためには,処方そのものから各生薬の効能を導き出す必要がある。微力ではあるが,このような観点から『経方薬論』を著した。

1)生薬の効能については,『傷寒論』『金匱要略』の処方中の効能を主とし,それ以外にも重要と思われるものは記載した。また『傷寒論』『金匱要略』において多用される生薬についてはそのベクトル性,作用する場所などについて比較的詳しく解説した。

2)張元素『珍珠襄』(南宋),王好古『湯液本草』(元)などにより提唱された生薬の「引経報使」に対しては,われわれは否定的見解をとる。確かな根拠によって帰経学説が提唱されたわけではなく,また少なくとも『傷寒論』『金匱要略』の処方を理解する上では,帰経学説は役に立たないので記載はしない。そのかわりに前述したごとく,生薬の作用する場所については可能なかぎり記載した。

3)効能についてその主たるものを中心とし,その結果生じる二次的効能については区別して記した。たとえば黄連について,一般の中薬学の本では,①清熱燥湿,②清熱瀉火,③清熱解毒などの効能が記されているが,「清熱」のみを記した。少なくとも燥湿の目的のみで黄連を使用することはあり得ない。また黄連阿膠湯においては,むしろ滋潤作用を発揮する処方であるので燥湿作用は矛盾してしまう。「瀉火」「解毒」についても概念が明確でなく基本的にははぶいた。少なくとも清熱の結果,瀉火,解毒するのであり,瀉火,解毒の語を用いなくとも処方上不便はないものと考えた。

4)『傷寒論』『金匱要略』における生薬理論と『神農本草経』,あるいは『名医別録』のそれとは当然異なっている。したがって『本経』『別録』の薬能をそのまま『傷寒論』『金匱要略』の処方にあてはめることはできない。しかし数ある本草書の中では時代的に一番近いものなので,『傷寒論』『金匱要略』の処方を考える上での参考になるので記載した。
 『神農本草経』は比較的原文に近いとされる森立之の原文を句読点を含めてそのまま使用し,『名医別録』は『名医別録(輯校本)』(人民衛生出版社)より転写した。各生薬の《本経上》は『神農本草経』上品を表わしている。同様に下段《別録上》も『名医別録』上品である。

著 者

中医伝統流派の系譜



 東洋学術出版社の山本勝曠先生や戴昭宇先生、柴崎瑛子女史の協力により、このたび『中医臨床伝統流派』の日本語版を上梓できますことは、私の大きな喜びとするところであります。現在、中医学教科書にのっとった現代中医学が日本において急速に広まりつつありますことは、中日文化交流史上画期的な出来事といえます。ただし、ここで考えてておかなければならないのは、教科書とは規格化されたものであり、基礎や教室での教育に重きを置くものだということであり、したがって教科書だけに拘泥すれば、個性溢れる中医学の活力を損ないかねないということです。教科書とは、結局は初心者のための入門書でしかなく、中医学という宝庫を発掘整理するためには、より高度な知識と能力が要求されます。そこで日本における中医学のレベルをさらにステップアップさせるために、ともに中医学を学ぶ日本の友人たちに、各伝統流派の学術上の特徴と各流派を代表する医学者の独自の経験を紹介しなければならないと思うようになりました。なぜならば、中医学の発展史を知らなければ、中医学の現在と未来を見通すことができず、各流派の長所と欠点を理解しなければ、その中から最適な治療を選択することができないからです。また古代の名医たちの個性豊かな書籍を読むことがなければ、伝統的中医学の豊富な学術内容を知ることができないからです。
 それはとりも直さず、『黄帝内経』から現在に至るまで、連綿と続く書籍という宝庫であります。
 (原文序)
 この小冊子が中日医学の交流に貢献できるよう、心から望んでやみません。

南京中医薬大学教授
黄 煌
二〇〇〇年一月三〇日




 中国の伝統医学には約三千年という悠久の歴史がある。日本もまたそれを学び約千五百年にわたり伝統医学を培ってきた。この中国伝統医学を現在中国では中医学と呼び、日本では漢方と称している。
 ひとくちに中医学、漢方といっても、一様のものではない。中医学というと、整然とした揺ぎない理論に裏打ちされた医学のように思っているむきもあるが、決してそうではない。長い歴史を通じて試行錯誤がくり返され、多種多様の学派が形成され受け継がれてきたのである。日本も同じで、もとよりいわゆる復古的傷寒論を奉ずる古方派だけが日本漢方ではない。中国でも日本でも過去、さまざまの時代にさまざまの学派が現われ、著述がなされ、膨大な文献が蓄積されてきた。伝統医学の研究や実践において医史文献学的な知識が不可欠であるゆえんはここにある。
 一九八二年、私は初めて中国を訪れた際、北京中医学院中医各家学説教研室教授、故任応秋先生の知遇を得、以後何度も御指導を仰ぐ機会に恵まれ、中国伝統医学における各家学説なる学問の重要性を痛感した。すべてものごとを認識し理解するということは、分類するということから始まる。私は従来、中国伝統医学を書誌学的手法をもって検討してきている者であるが、以来、各家学説に対する思いは頭から離れることがなく、中医各家学説を説いた日本語版の書が出ることを待望し続けてきたのだが、久しく叶わなかった。
 このたび順天堂大学医学部医史学研究室の酒井シヅ教授のもとに留学中の南京中医薬大学の黄煌先生が日本の東洋学術出版社より御高著『中医伝統流派の系譜』を出版される運びとなり、すでに活字化されたゲラ刷を私のもとに携来され、不肖私に序を需められた。さっそく拝見して、はからずも長年の念願が叶えられることを知ったのである。
 本書は従来の中医各家学説を礎としつつも著者独自の卓見をもって再構築し、整理された斬新な書であり、日本で初めて出版される各家学説の書である。しかも中国のみにとどまらず、日本・朝鮮の医学にまで言及してある。私はゲラを拝読して教えられるところが多くあった。日本でこの書が出版される意義はきわめて大きい。
 本書は中国伝統医学の本質を学ぶうえで恰好の書である。日本の一読者として本書をお薦めすることができることは、私にとって光栄なことであり、求められるままあえて序文を固辞しなかったゆえんである。中国伝統医学、漢方に興味をもたれる方々が、一人でも多く本書を読まれることを願ってやまない。

北里研究所東洋医学総合研究所
小曽戸 洋
二〇〇〇年十月


はじめに

一、本書出版の主旨
 いわゆる流派とは、学術や芸術分野での派閥のことである。中医学には、個別的・経験的・地域的という固有の特性があるために、中医学に携わった歴代の名医たちは、複雑に入り組んだ数多くの流派に分かれている。しかし、後世流派の名称が統一されず、流派を区分するための基準さえも確立されなかったために、便宜的に以下のような区分方法が用いられている。
 たとえば使用薬剤の薬性が寒熱攻補のいずれにあたるかによって、「温補派」「攻下派」「寒涼派」「滋陰派」などの流派が分かれる。また使用する処方の新旧によって、「経方派」と「時方派」あるいは「古方派」と「後世方派」とに分かれる。またどの医学体系を崇拝するかによって、「傷寒派」「温病派」に分かれたり、その流派が活動した地域によって、「易水学派」「丹渓学派」「河間学派」「孟河医派」「呉門医派」などに分かれる。あるいは特定の医学者の姓氏を冠した「李朱医学」「葉派」「曹派」、医学分類を名称に用いた「新安医学」「呉門医学」「嶺南医学」などがある。また家名を冠した「金元四大家」、「孟河四大家」の丁家・費家・馬家・巣家などや、得意とする専門分野名をつけた「紹派傷寒」「竹林寺婦科」などがあり、このほかにも『傷寒論』の配列に関する解釈の違いによって、「錯簡派」「維護旧論派」に分ける場合もある。また近代では、中医論争における意見の違いによって、「改革派」と「保守派」および伝統的中医学に一歩距離を置く「中西匯通派」などがある。
 このように名称が統一されておらず、区分方法も一定していないという状況は、各医学者の学説を正しく認識評価するための妨げともなり、各医学者の臨床経験を共有および活用する際にも悪影響を与えかねない。このような現状を鑑み、中医学流派を概観するための小冊子を出版することの意義は大きいと思われる。

二、書名について
 書名については、以下の二点を説明しなければならない。
 第一は、「中医流派」と名づけた点についてである。中医学流派には、その診療体系に明確な特徴があり、その点で歴史上学術に影響を与えた名医たちは多い。しかし中医学には、総体観、内治を重視するという特徴があるので、本書では、考察範囲を内外科に限定した。小児科、婦人科、五官科、針灸、整骨、推拿、外治、養生を専門とする流派については、本書では言及していない。また、ここで取り上げている医学者たちはみな臨床家であり、それぞれが臨床についての独自の見解をもち、真摯に診療に取り組む名医たちの一群である。したがって、文献研究や純粋な理論研究分野の流派については、本書では取り上げていない。
 第二に、「伝統」と名づけた点である。すなわち伝統流派とは、文字通り伝統的中医学に位置を占める流派のことであり、歴史上に名を残している流派のことである。したがって、現代中医学が本世紀に入って発展する過程で形成された「中西医結合」などの流派もその一つに数えられるが、これらの流派はまだ発展段階にあり、実践を積むなかで歴史的評価を待たなければならない。

三、流派の区分について
 流派とは、自然発生的に形成されたものである。ただしそれが存在するためには、歴史によって認定されなければならず、さらには第三者によってその学術傾向をもとに区分され命名されなければならない。また流派が成立するための基本条件としては、流派を代表する人物と著作がなくてはならない。このほかにも、以下の四つの条件を備えている必要がある。
 (一)共通する研究対象  (二)近似した学術思想と学説 
 (三)類似した診療体系  (四)各医学者間での学術の継承と発展
 師伝と地域性は、中医臨床流派が形成されるための重要な要素であるが、流派を区分するための唯一の基準ではない。たとえ師伝関係がなくとも、あるいは同一地域に限定されなくとも、学術面での継承と発展さえあれば、一つの流派に帰属させることができる。したがって学術の継承と発展は、はるか遠い関係の弟子や私淑者、あるいは純粋に学術上の継承者であってもかまわない。

四、命名方法
 各流派の呼称の多くは、第三者や後世の人々によって、その流派の学術上の特徴が認められ評価された結果つけられたものである。本書では、各流派の命名に当たり、まずその流派の学術上の特徴を優先させることを基本原則とした。なぜならば流派を区分する目的は、各流派の学術思想および経験を利用するためであり、したがって学術上の特徴を名称として用いないならば、その流派に対する後世の評価をねじ曲げ、誤解を招きかねないからである。第二に、各流派の自己評価を尊重することとし、その流派の代表的人物や著作名、およびその学術論点から命名した。第三には、学術界で広く認められている命名方法や歴史的に習慣となっている呼称を参考にした。
 たとえば「通俗傷寒派」という呼称は、その代表的人物である兪根初の『通俗傷寒論』という書名と、現代の趙恩倹が用いた名称(『傷寒論研究』天津科学技術出版社、一九八七)を参考にしている。また「経典傷寒派」という呼称は、温熱病治療には『傷寒論』で十分に対応しうると主張するこの流派の特徴を考慮したうえで、通俗傷寒派と区別するためにつけたものである。
 「温疫派」「温熱派」「伏気温熱派」という呼称は、主にその研究対象からとるとともに、各流派の代表的著作から命名した。呉又可の『温疫論』、葉天士の『温熱論』、柳宝詒の『温熱逢源』がそれである。
 「易水内傷派」「丹渓雑病派」という呼称は、中医高等学校教材『中医各家学説』にある「易水学派」「丹渓学派」という名称を参考にするとともに、「内傷は東垣に法り、雑病は丹渓を宗とす」という歴史的に確立された評価にもとづいたものである。
 「弁証傷寒派」という呼称は、もともと『中医各家学説』のなかで「弁証論治派」と名づけられた流派である。しかし弁証論治は中医学のきわめて根源的な特徴であり、これを名称とすることは漠然としすぎている。そこで、『傷寒論』があらゆる疾病に適応しうると強調するこの流派の特徴を考慮し、ここでは「傷寒」という名称を用いた。これは「易水内傷派」や「丹渓雑病派」と区別するためだけでなく、「通俗傷寒派」「経典傷寒派」と対比させるためである。
 「経典雑病派」という呼称は、この流派が漢唐時代の経典を重視していることを考慮するとともに、「丹渓雑病派」と区別するためのものである。
 外科三派の名称は、その学術上の特徴と代表的著作名からとったものである。すなわち「正宗派」「全生派」「心得派」という名称は、それぞれ陳実功の『外科正宗』、王洪緒の『外科証治全生集』、高秉均の『瘍科心得集』に由来している。これらの名称は、現代の劉再朋がすでに一九五〇年代に命名したものでもある。
 民間医学とは、正統医学に相対した言葉であり、中医学の一部である。この流派は、独特の疾病認識と治療手段を有しているので、一つの流派として認識することができる。
 日本漢方と朝鮮医学の流派については、その国の命名方法にしたがった。

五、各流派の学術上の特徴と代表的人物
 学術上の特色とは、その流派に属する医学者グループ全体の特徴であり、臨床診療をも特徴づけるものである。
 では、その特色とは何であろうか? まず第一には、医学思想とその認識方法における特色であり、次には、研究対象に対する総合的な認識である。それはつまり、病因病機に対する認識、弁証綱領に対する認識であり、どの問題を重視し、どのような治療法を得意とするかなどに関わる認識である。さらには処方時の態度、特色、つまりどの方剤を頻用するか、臨床においてどの技術を得意とするかなどの特徴に関わってくる。
 一方、代表的人物とは、その流派に属する医学者個人の特徴ではあるが、その医学者の生涯、著作、学術思想、臨床上の特色を紹介することは、その流派独自の多彩な学術内容を紹介することに他ならない。ただし本書においては、その医学者の流派における地位と学術上の功績を紹介するにとどめ、その全貌を系統的に紹介することはしていない。

六、外感熱病流派についての評価
 「通俗傷寒派」とは、広義傷寒の研究、つまり外感熱病全体の弁証論治法則の研究を主要テーマとする流派である。したがって研究の範囲が広く、関係する病種も多いので、彼らは『傷寒論』の六経弁証体系を骨幹としつつも、個別疾病の研究を重視するとともに、後世の経験方を集めて『傷寒論』を補充し、独自の診療体系を構築した。これは、きわめて賢明な選択であり、このような思考方法は、外感熱病に携わる伝統的中医学の根幹に通底する考え方であるといえる。そこで若き中医師たちには、これら通俗傷寒派の代表作を通読することを、また一部の作品については精読することをお勧めしたい。たとえば清代の兪根初の『通俗傷寒論』は、内容も豊富であり、実用的でもあり、この流派を代表する重要な著作である。そして通俗傷寒派を学習研究する目的は、外感熱病の診療法則を把握するためだけではなく、さらに重要なことは、『傷寒論』に対する認識を深め、読者自身の弁証論治能力を高めることにある。 
 「経典傷寒派」とは、後世の温病学説を否定し、『傷寒論』をかたくなに守り、経典方を実効性があるとして推奨した流派である。しかしこの流派の著作を読む場合には、その歴史的背景を考慮に入れておかなければならない。清代末期、世の中には温病学説が流行し、『温病条弁』や『温熱経緯』などの著作が当時の中医学入門のための必読書とされていた時代である。ところが『傷寒論』と温病学説とでは理論上の違いがあるために、一部の医者たちからは、『傷寒論』が時代遅れの書であるとみなされていた。もちろん、このような傾向が中医学の発展に悪影響を及ぼすことはいうまでもない。そこでこのような状況を打開しようとした陸九芝たちは、その著作の中で『傷寒論』を学習するように強く提唱し、『傷寒論』の弁証体系が外感熱病に十分に有効であり、臨床において実績を残している点を強調した。
 その後、西洋医学の伝入にともない、中医と西医の間での論争の開始を契機に、中医学界は過去を反省し、中医学の科学化をスローガンとして掲げるようになった。その彼らの見方が、温病学説のなかには非科学的な部分が多いというものである。
 このような流れの中で、_鉄樵・陸淵雷・祝味菊たちは温病学説のなかの問題を極力あばき出し、それによって中医学の改革を推進しようとしたのである。したがって経典傷寒派の著作を読むときには、その臨床経験を吸収するのはよいが、その思想にはむしろ距離をおいたほうが賢明である。このことは、温病学説を正確に認識するためにも、また『傷寒論』の科学性を理解するためにも重要である。経典傷寒派の数多い著作の中でも、私が精読をお勧めするのは、祝味菊の『傷寒質難』である。
 通俗傷寒派と経典傷寒派は、ともに『傷寒論』を基本理論として仰ぎ、六経弁証が外感熱病に対して有効であることを強調する点では共通している。ただし温病学説に対処するときの態度には、前者が寛容で温病学説を臨床において消化吸収し、六経体系の中に取り込んでいるのに対して、後者は誤りであるとして否定し、排斥する態度を示すという違いがある。また前者の著作の多くが臨床実践に着目し、受け入れやすい、つまり「通俗」であるのに対して、後者は理論に重きを置き、かたくなに『傷寒論』、つまり経典を守っている。
 温疫派、温熱派、および伏気温熱派とは、一貫して温熱病を研究対象としてきた流派である。いわゆる温熱病とは、その多くが西洋医学でいう急性伝染病や感染性疾患であり、全身症状が強く、特異な発病経過を有し、生体に対し重篤な損傷を与える疾患である。温熱病は種類が多いために、どの温熱病を対象とするかによって、いくつかの流派に分かれてきた。
 「温疫派」は、急性あるいは爆発性伝染病の治療を得意としており、温疫の病因が特異であると主張している。治療においては、基本病機の把握を重視し、白虎湯、承気湯、黄連解毒湯など、清熱・瀉下・解毒の薬剤を一貫して用い、その量もしばしば常識の範囲を超えている。しかし、彼らの実践経験は、現代の臨床においてもその正当性が実証されており、たとえば一九五〇年代、石家荘地区の中医が大剤の白虎湯で流行性B型脳炎を治療して著効を得、その経験は全国に広められた。また一九八〇年代には、南京中医学院の科学研究班が桃核承気湯を主体とする中薬製剤で流行性出血熱を治療して、治療期間を短縮し死亡率を低下させられることを実証した。このほかにも、黄連解毒湯・承気湯・白虎湯が急性伝染病および感染症に有効であるとする症例が、数多く報告されている。この結果をもとに、多くの温病研究家が、温病学説とその経験を研究し活用するよう提唱している。
 温疫派に比べ、「温熱派」の理論はより系統的である。衛気営血弁証・三焦弁証は、この流派が規範とする診療体系であり、彼らは舌診を重視する。また治療においては先後緩急を重視し、臓腑気血表裏深浅を診断して治療法を選択する。そして透熱転気・清営涼血・養陰生津・芳香開竅・化湿通陽などの治療法を提起し、温疫派の治療を補っている。とくに温病で治療過誤などにより危険な状況に陥ったり合併症を併発したような症例に対しては、温熱派は豊富な経験を有している。温熱派が常用する犀角・地黄・赤薬・牡丹皮・丹参・紫草などには、それぞれ程度の差はあるが、強心・解熱・抗DICなどの薬理作用があることが現在確認されている。また芳香開竅作用のある安宮牛黄丸を動物実験した結果、鎮静・鎮痙・解熱・消炎・蘇生・保肝作用があるだけでなく、多くの実験結果が、安宮牛黄丸には細菌性毒素による脳損傷に対し、脳細胞を保護する作用があることを物語っている。
 今日、中国高等中医院校で使用されている『温病学』という教科書は、温熱派の学説を中心に構成されている。ただしここで注意しておかなければならないのは、温熱派の諸氏がその著述中で衛気営血・三焦弁証などの新学説を強調し、『傷寒論』にない新しい療法や温熱派のいう「軽霊」な方剤を提唱するのをうのみにし、初心者が『傷寒論』の学習をおろそかにしたり、清熱瀉下解毒など、温病の基本的な治療を粗略にしてはならないということである。また温熱学説は温疫学説と同様に、一部の温熱病の一般的病変法則を表現しているにすぎず、その応用範囲は限られていることを、読者は正しく認識しておかなければならない。
 「伏気温熱派」は、温熱派の別派あるいは分派と考えることができる。したがって柳宝詒の温熱論は、葉天士と同じではない。葉天士が提唱した新感温病は、病勢が表から裏へ、すなわち衛から気へ、営から血へと進むのに対し、柳宝詒が提唱した伏気温熱では、病勢は裏から表へ、つまり三陰から三陽へと外達する。そして葉氏の弁証が衛気営血から逸脱することがないのに対し、柳氏の弁証は六経から逸脱することはない。したがって両者の間には、明らかな学術上の違いがみられる。では『温熱逢源』の説く伏気温熱病とは、いったい現代の何という伝染病に当たるのであろうか? それをここで断言することは難しいが、それが何であろうと、柳氏の学説の存在意義をおとしめるものではない。なぜならば柳氏の温熱病に対処するときの考え方は、ただ単に病因の特異性を追求するのではなく、『傷寒論』から出発し、体質の虚実に着目しているからである。そして虚しているものには補托し、病勢を三陰から三陽に外達させて虚を実に転化させる。そしてその後に初めて、清熱や攻下を行うのである。このような治療法は、病邪の力量と生体の抵抗力とを比較した上で考えられたものであり、終始一貫して攻撃療法を施す温疫学説よりも、弁証論治の色彩の濃いものとなっている。したがって『温熱逢源』を読むということは、柳氏のこのような思考方法を吸収するということであり、このような法則や方薬の使い方は、温病だけでなく、普通の感冒による発熱や慢性病にも使うことができる。たとえば老人や虚弱体質の人の感冒・微熱・関節痛・心臓病などにも、柳氏の助隠托邪法は適している。
 周知のように、中華民族の歴史のなかで、伝染病は一貫して民族の存続にとっての脅威であり、数え切れないほどの「温疫」の大流行は、当時の社会、政治、経済に莫大な被害を与えた。そのため歴代のあらゆる医学者たちがこの大災害を撲滅しようと努力したが、中医学は伝染病と感染症の原因である細菌、ウィルスおよび寄生虫の存在をついに発見することができなかった。そのために、現代医学のような予防医学大系を築くことはできなかったが、幸いなことに、中医学は弁証論治という思考法と豊富な実践経験により、治療の主体を患者自身に転嫁させるという方法を編み出した。すなわち患者自身の抵抗力を高め、生体内の環境を整えることによって、死亡率を低下させ、民族の繁栄に少なからず貢献したのである。またこのような中医学の特性は、今後も人類と各種伝染病や感染症との戦いにおいて、大いに貢献するに違いない。
 振り返ってみれば、この数十年というものは、現代医学の普及に伴い、中西医結合による伝染病や感染症の治療が主流となり、抗生物質や全身支持療法の応用も不可欠である。しかしそのうえに中医の弁証論治が加われば、治療効果をさらに高めることは間違いのない事実であり、そのような症例も国内で多く報道されている。もちろん中医の伝統的投薬手順や薬物の剤型にも改革は必要であり、近年、伝統方剤から製成された安全で有効な注射剤や点滴が、相次いで登場している。たとえば安宮牛黄丸から製成された注射液、「醒脳静」は、高熱・中枢神経感染症による混迷・肺性脳症・急性脳血管疾患などに対して有効であることが証明されている。また生脈散をもとに開発された生脈注射液は、中毒性ショック・心原性ショックに有効である。一九八〇年代以降、中医学界は再び急性疾患の研究に取り組み始め、多くの中医急性症研究機構や雑誌、学会などが出現し、中医学校でも急性症に関する講座やカリキュラムが開設されている。このように、現代医学の理論と技術を導入することにより、伝統的中医学の研究を続けていけば、必ずや新たな中医学流派が生まれるであろう。

七、内傷雑病流派に対する評価
 内傷雑病とは、慢性疾患に対する伝統的な呼称である。それはまた単に内傷、あるいは雑病とだけ呼ばれることもあるが、それぞれが意味する内容はやや趣を異にしている。たとえば内傷という呼び名は、慢性病が臓腑気血の虚損と機能失調を主な病理変化としている点を強く示唆するのに対して、雑病という名称は、慢性病の臨床症状が複雑で、病因や経過がわかりにくく、虚実寒熱表裏が判断しにくい点を強調している。伝統的に内傷雑病を研究した流派には、おもに易水内傷派・丹渓雑病派・弁証傷寒派と経典雑病派がある。中医伝統内傷雑病学は、これら四大流派の学説によって構成されている。
 「易水内傷派」の起源は、金元時代の易水という河川の周辺に起こった「易州張氏学」にさかのぼる。その後この流派は、李東垣・薛立斎・趙献可・張景岳などの医学者たちの出現によって発展し、明代にはすでに成熟期に達していた。そしてその学術が中医伝統内傷雑病学の主流となっていったのである。
 では、彼らの学術内容をみていこう。この流派では、臓腑気血の虚損という病理変化が強調され、臨床においては補益法を得意とした。そしてなかでも特に彼らが温補脾腎法を得意としたことから、後世「温補派」「補土派」と呼ばれるようになった。また、彼らは『黄帝内経』の蔵象学説にもとづいて病理変化を解釈し、処方にあたったので、この流派を代表する人物はみな五行学説や陰陽学説を理論的根拠とした。
 このような彼らの傾向は、臨床経験を総括し、病理現象を解釈し、新方を創り出すには便利であったが、この哲学理論によって医学理論に取って代わらせることは科学原則に反するものであり、その結果医学実践の深化を妨げ、同時に初心者の入門を困難にした。したがって内傷雑病派のさまざまな著作を読むときには、五行生克・昇降浮沈・引経報使・陰陽水火などの学説に惑わされず、学習の重点を臨床経験に置くべきである。なぜならば内傷雑病派には、虚損性疾病についての豊富な経験があるからである。たとえば張元素・李東垣の養胃気・昇脾陽などの治療法や、補中益気湯・清暑益気湯・半夏白朮天麻湯・薛立斎の帰脾湯・補中益気湯・六君子湯・十全大補湯の応用経験、趙献可の六味丸・八味丸などの応用経験、張景岳の治形_精法や左帰丸・右帰丸などは、いずれも高い臨床効果を示している。しかし内傷雑病は種類が多く、病理変化も虚実が併存したり内傷と外感が錯綜したりと複雑であるので、ただ単に「虚」とか「内傷」とかいう側面だけで疾病をみるのは、明らかに一面的である。したがって初心者の入門書としては、この流派の著作は不適切であるといわざるをえない。
 「丹渓雑病派」の起源は、元から明への転換期にさかのぼる。この流派を代表する人物には、朱丹渓とその弟子たちがいる。彼らが雑病の治療を得意としていたことから、この名称が付けられた。丹渓雑病派は、易水内傷派に比べれば、補益だけにはこだわらず、生体内の気血津液のバランスの調整に着目し、痰や_血などの病理産物の除去を重視した。たとえば長期化した疾患や難病を目の前にした場合、ほかの易水内傷派の奥義が補脾・補腎であるのに対し、丹渓雑病派の奥義は、治痰・治_である。彼らのこのような学説と経験は、実際的で臨床に即しており、道教的要素が少ないので、初心者にとってもとっつきやすいものとなっている。ただし、丹渓雑病派が易水内傷派よりは新味を打ち出しているとはいえ、結局はこの一派の見解にすぎない、張仲景医学と同列に論じることはできない。その意味では、金元医学を学習する前に、『傷寒論』『金匱要略』という基礎を学習しておくことが必要である。
 「弁証傷寒派」が形成されたのは、清代である。彼らの主張によれば、『傷寒論』理論とその薬剤の使用方法は、外感病に用いられるだけでなく、内傷雑病にも用いることができるという。そしてその根拠となっているのが、『傷寒論』が本来は傷寒と雑病の両方を論じた書であるという説であり、それを根拠に彼らは弁証論治の「応用法」を人々に示した。その内容は、以下の通りである。
 六経弁証に含まれる表裏寒熱虚実陰陽という八綱は、生体反応をまとめ極限まで簡略化したものである。また方証とは、証を具体的かつ客観的に分類した基本単位であり、方証こそが『傷寒論』の基本精神である。そして、『傷寒論』方を内傷雑病に使うことは、その理論の合理性を証明することになるというのである。弁証傷寒派のこのような学説は、金元医学に比べれば厳密であり、正確な思考法を人々に提示し、いかに弁証論治するかを教える役割を果たした。したがって弁証傷寒派の学説は、初心者が入門するために非常に適しているといえよう。もちろん実際には、内傷雑病の臨床に、『傷寒論』の百あまりの処方では十分ではなく、易水内傷派や丹渓雑病派の経験方など、後世の経験方を取り入れる必要がある。したがって弁証傷寒派の著作を読む目的は、『傷寒論』の学術的価値を認識し、弁証論治の基本知識と技術を把握し、『傷寒論』にある主要方剤の方証とその応用方法を十分に理解することにある。
 「経典雑病派」とは、漢唐医学を根幹とする学術体系である。その内容は豊富かつ系統的であり、中医伝統内傷雑病学の正統派である。この流派が成立したのは清代であり、濃厚な復古主義と反金元明医学主義とに彩られている。彼らは弁病することを主張し、各疾病ごとの専用処方と専用薬剤を設けるよう提案しており、弁病の前提としての弁証を行った。また彼らは方剤と薬物の研究、総合療法を提唱しており、彼らの学術には経験主義、実証主義という特徴がある。経典雑病派と弁証傷寒派とでは、ともに古医学を推奨しているという点では共通しているが、その学術の起源を比べれば、前者が『金匱要略』と『千金方』をもとにしているのに対し、後者は『傷寒論』をもとにしている。また学術内容についていえば、前者が弁病に傾いているのに対して、後者は六経弁証と方証を重視している。したがって前者は経験主義の色彩が濃いのに対して、後者は理論的色彩が濃い。だがいずれにしろ、この二大流派はともに中医学を構成する重要な一部であり、代表する人物の著作は是非とも通読するべきであり、またいくつかの書籍については手元に常備し、時々参考にする価値も十分あると思われる。
 以上四大流派の学術思想と臨床技術は、後世さまざまな発展を見せた。たとえば王清任の活血化_法や葉天士の養胃陰法などは、その顕著な例である。現代の名老中医の多くも、これら流派の経験を継承し、臨床に活用しているし、幾多の名医たちが才能を開花させてきた経緯をみると、多くの流派の経験を吸収することが必要であることがわかる。中国において高等中医教育が発足して以来、現代中医学は、伝統的中医学の体系化、規範化を追求し、多くの理論的かつ実用的な中医内科学教科書や著作を出版してきた。ただし、全体的にみれば、易水内傷派と丹渓雑病派の学説がしめる比重が大きく、弁証傷寒派と経典雑病派の学説がしめる割合は不足している。また経験方の紹介は多いが、『傷寒論』の弁証論治技術に対する訓練は十分ではない。そしてこのような現状が新時代の臨床家の育成を妨げていることは明らかである。そこで筆者が主張したいのは、弁証傷寒派と経典雑病派の代表作を精選し、若き中医師たちのための参考資料を制作するとともに、これら流派の学術を研究し活用しなければならないということである。

八、民間医学派に対する評価
 民間医学とは、民間に流布した大衆的な自己保健法であり、教科書に載ることもなく、経典理論によって解釈されたり、そのなかに取り込まれることもなかった。この民間に流布された民間医学を正統な教科書とを比べてみると、内容が豊富で通俗的であり、変化に富むので、人々からは特殊な療法とみなされてきた。民間医学には、つぎのような特徴がみられる。
・非論理的である。伝統的中医理論はいうに及ばず、現代医学理論でも、民間医学の効能を的確に解釈することはできない。
・技術が通俗的である。材料は現地で調達し、手技が簡単であり、その地の生活と自然に根ざしている。
・効果が一定しない。治療効果に再現性がなく、取扱者や施術者の経験によって異なってくる。そのほかにも効果に影響を与える要素は数多くある。たとえば内服薬についていえば、薬物の品種・産地・採集時期・加工法・製作法・剤量・服用法、そして患者の個体差などである。
・口伝によって伝播された。経験に裏打ちされたこれらの技術は、文字によって正確に表現されることもなく、規格化されることもなかった。したがってこの医学の伝播は、伝統的な師伝や家伝によるものが多く、個人的な実践体験が口伝えや身をもって伝えられたものである。
 中国の民間医学の源流は、はるか古代にさかのぼることができる。『内経』『傷寒論』『金匱要略』『肘後備急方』『千金方』『外台秘要』などの古代医学書にも、かなり多くの民間療法や経験方が記載されており、それら民間医学の精華は、中医学に欠かせない重要な部分を構成している。歴史的にみても、多くの医学者たちが民間医療を学習、採用して、名をなしている。たとえば金元四大家の一人、張子和は、民間医療をまとめて運用した医学者として知られているが、有名な彼の攻邪論と汗吐下三法は、民間医学の理論と治療法から創り上げたものである。また清代の外治法専門家、呉師機は、膏薬などの外治法によって内外の疾患を治療したが、その著書である『理_駢文』は、古今の外治法を集大成したものであり、今日に至るまで影響力を行使している。歴史上、民間療法の大部分を担ってきたのは鈴医であり、彼らは笈を背負って各地を周遊し、医療を施した民間の医学者である。
 長い間、民間医学の学説は、正統な中医学界からは無視され続けてきた。鈴医たちは浮浪の徒かなにかのようにみなされ、その医療経験は一顧だにされなかった。しかしこのような偏狭な見方は、中医学の発展を阻害するものである。民間医学もまた伝統的中医学の重要な一部であり、人民大衆の健康を守るという意味では、正統医学には真似できない功績をあげている。また時代の流れにつれ、民間医学にも変化が現れ、保健、予防へとその目標を転換していった。さらには管理面での規格化や法制化を進め、運用時の安全性と科学性を重視するようになり、市場経済化が促進されつつある現在、民間医学の開発と利用が注目されている。このような昨今、医学に従事するものは、民間医学の医療経験を発掘、研究し、さらに現代科学の手法を利用して発展させなければならない。

九、日本漢方流派に対する評価
 日本漢方とは、日本化した中医学であり、李朱医学を中心とする後世方派にせよ、あるいは『傷寒論』を骨幹とする古方派にせよ、いずれもその流派を代表する人物が中医学の理論と経験を日本の現状に適応させて創り上げた、新しい流派である。そこには、民族、伝統文化の違いから、それぞれの流派によって伝統理論の吸収の仕方や利用方法に違いがみられるが、これはいたって正当なことである。なぜならば、一つの学術観点は一朝一夕にできあがるものではなく、幾多の討論や紆余曲折を経、多くの人々の努力によって成し遂げられるものだからであり、一つの学説や流派を安易に否定することは、科学的態度とはいえない。したがって中医学を研究するためには、日本の古方派や後世方派、また本書では紹介していない折衷派の研究は、欠かすことのできない要素である。現に日本漢方は、かつて中国の近代的『傷寒論』研究や中医学を科学化しようとする思想潮流を大いに促進する役割を果たしており、近代の中医学者、_鉄樵・陸淵雷・章太炎・閻徳潤・葉橘泉や、名中医の岳美中・胡希恕などにも影響を与えている。今後、中日中医学界の学術交流の深化により、中医学に対する理解が深まり、そこから世界に通用する新たな現代中医学の体系が創り出されていくものと確信する。

中国気功学

日本語版出版によせて

 このたび東洋学術出版社より,拙著『中国気功学』が翻訳・出版され,日本の気功愛好者に紹介されるはこびとなったことに対し,中国の気功研究者として心から感謝の意を表します。
 気功は民族文化遺産の中でもとくに中国独自のものとして異彩を放っており,ことに医療気功は中国伝統医学を構成する重要な一部分であって,5000年の歴史をもっています。中国気功はその悠久の歴史の中で,豊富で多彩な内容を形成してきました。歴史の発展過程において,身心の健康に有益なありとあらゆる自己鍛練の方法および理論が絶えず吸収・融合されつづけてきており,人びとの医療保健の面に大いなる貢献をはたしてきました。
 気功とは,
 (1)姿勢調整・一定の動作--「調身」
 (2)呼吸鍛練・内気運行のコントロール--「調息」
 (3)身心のリラックス・意念の集中と運用--「調心」
の3つの要素を総合したものであり,体内の気を練ることを主眼とする自己身心鍛練法です。
 鍛練を通して元気を増強し,臓腑の機能を調整し,体質の改善をはかり,人体に潜在する能力を発揮させることによって,病気の予防・治療および益智延年の効果を得ることができます。気功学とはこの自己身心鍛練の方法,プログラムおよび理論を研究する学科であるということができます。
 気功の特徴は,意と気を結合させながら鍛練を行うという点にあり,それは病気を予防・治療する方法を,1人ひとりが身につけるという独特の医療保健措置であるということです。
 そこである程度の功法を学ぶ必要があるわけですが,功法をいっそうよく体得し,理解して,運用できるようになるためには,気功師も気功愛好家も,気功に対して全面的に理解を深めなければなりません。そうすることによってムダな労力をはぶき,能率よく修得することができるのであって,本書を執筆した目的もここにあります。
 近年来の気功師・気功愛好者による日中間の相互交流,さらには多くの人々の努力により,中国気功が急ピッチで日本に広まると同時に,日ごと市民権を得つつある状況は誠に喜ばしいかぎりです。
 本書が日中交流のひとつの賜として,広く日本の気功研究者ならびに気功愛好者の方々に奉献されることを期待しております。

馬 済 人
1987年 中国上海市気功研究所にて




 もとより上海市気功療養所は,当時全国に3つしかなかった気功の専門研究機関のひとつとして,臨床的な実践をはじめ原理の探究,功法の研究,人材の養成などの面でかなりの貢献をはたしていた。また気功関係文献の整理,教材の作成,気功知識の普及などの活動も数多く行ってきた。実際このような業績があったにもかかわらず,その後気功は厳しい弾圧を加えられ,打撃を受け,気功療養所もその活動を中断せざるをえない時期があった。
 現在,気功およびその治療方法が再評価されるようになり,慢性疾患患者,長寿法を研究する人々,気功愛好者,気功研究家といった人たちからは,気功について系統的にまとめた本を望む声が高まってきた。適当なテキストがあれば,それによって気功への理解をいちだんと深め,学習・体得・運用できるようになるであろうし,ひいては人びとの健康づくりに役立たせることができるだろう。また人びとの体質を強化し,病気を予防し,老化を防ぎ,人に潜在する有用な能力を発揮させることができるだろう。--私も上海市気功療養所の古参として,さらに中国医学科学院の特別研究員・上海市気功療養所所長・陳濤氏の助手としての立場上,やはり心中穏やかならず,絶えず思案にくれていた。
 世間の要望に答えて『中国気功学』の編纂を思いたって以来,各方面の意見を虚心に傾聴し,いく度かの修正を加えた末,やっと本書ができ上がった。
 この『中国気功学』は上海市気功療養所編の『気功療法講義』を元本としている。臨床経験を基礎とし,唯物弁証法と唯物史観の視点に立った論述を心がけており,さらに同系諸機関で発表された信頼度の高い資料を取り入れた。全10章とかなり大部の書籍になり,取り上げた問題も多岐にわたっている,まったくの気功専門書である。この本が中医学院で気功の教材として使われるばかりでなく,各種気功勉強会や,気功研究グループで読まれたり,さらに気功愛好者の参考書や,気功研究所で臨床ハンドブックとして利用されることを望みつつ執筆したのであるが,その目的にかなうものとなったかどうか。読者の鑑定に委ねることにしたい。
 気功は悠久の歴史をもっている。発展の過程で大量の文献が著わされており,古典や医籍の中にも多くの記載をみることができる。その功法と理論は,4部書『経』『史』『子』『集』や道教,仏教,儒教とも密接な関係がある。さらに気功自身が,古今たくさんの流派を生み出してきた。したがってそれらすべてを篩にかけ,本当の精華というべきものを選びとってこそ,気功およびその療法を普及させ,ひいては人びとの健康に奉仕させることができるようになると考えている。
 本書の編纂にあたって,上海中医学院院長・黄文東教授ほか,各関係の諸先生方から熱情あふれる支援と励ましをいただいた。さらに本書の完成は次の方々の応援なくしては考えられない。ここに紙面を借りて感謝の意を表したい。
        閻啓民(陜西中医学院・副院長)
        劉元亮(陜西中医学院経絡研究室:主任)
        柴宏寿(上海中医研究所・医師)
        黄健理(上海中医学院付属曙光医院・龍華医院医師)
        邵長栄(右・副主任医師)
        戚志成(医師)
        夏詩齢(医師)

1982年6月 上海にて
編著者記す

内科医の散歩道―漢方とともに

はじめに

 今から二十年前、病院勤めの頃のこと。
 「あの心筋梗塞の患者さん、どうしても、胸の痛みが止まりません。モルヒネまで注射したんですが……」
 若いドクターの求めにかけつけた。患者さんは目をつりあげ、七転八倒! 今にも自分は死ぬんではなかろうか―という恐怖と闘っている。彼の肩に手を置く。
 「これくらいの病気で、あなた、死ぬもんですか。たいしたことありません」と私。
 「えっ? 私、助かるんですか。そうですか、助かるんですか……」
 それから一分もたたぬ間に、彼、スヤスヤ眠り始めた……。
 今、開業して十七年目。心臓内科を看板として働く私に、多くの患者さんが教え続けてくれたこと、それは、病を治す上でどんなに心の持ち方が大切であるかであった。夜、眠れなくても、残りの少ない寿命、神が私に時間をくれていると告げた御老人。耳鳴りすら天上の音楽と表現した人。病の受けとり方が、なんとプラス思考、感謝の心に満ちていることか。
 私自身、四十歳代のころ三昼夜、一睡もせず、重症患者さん達を見守った月日があった。こんなに過労、俺、なが生きは出来まいと思っていた。ところが有難いことに、白髪が生え、皮膚にポツポツ老いのしみをみるとしにまで生きながらえている。
 遺伝子工学の権威、村上和雄教授は、彼の著書、『生命の暗号』(サンマーク出版)の中でこう述べている。「イキイキ、ワクワク」する生き方こそが、人生を成功に導いたり、幸せを感じるのに必要な遺伝子をONにしてくれる―というのが、私の仮説なのです=と。この彼のいう人生を成功に導いたりという言葉の中には、癌発生を抑制する、という意味すら含まれている。私は更に広く考え、心の感動こそが、癌を含め、いろんな難治性慢性の病を克服するための一番大切な条件と信じ実践してきた。
 拙著『野草処方集』(葦書房)が、世に出て十年の月日が経った。育んで下さった天籟俳句会の穴井太師、出版にさいし細く検討して下さった久本三多氏、もうこの世の人ではない。八千五百部、という望外の発行部数を支えていただいた方々にはどう感謝の気持ちを伝えたらよいのか解らない。
 豚もおだてりゃ木に登るとか。皆様の励ましの言葉に、つい浮かれて、新しい書を世に出すことになった。本書は、西日本新聞に一年間、毎週木曜日、五十回にわたって連載させていただいた『内科医の散歩道』―中国医学と共に―そのものである。私如き一介の町医者にこのような機会を与えて下さった西日本新聞社、当時文化部部長の原田博治氏に、また、天下の大新聞への連載に尻込みする私にムチを入れて前に進めて下さった地下の穴井太師、校正の労をとって下さった藤本和子さん、身に余る推薦文を寄せて下さった学友の菊池裕君、後藤哲也君、さらに、共に漢方を学ぶ九州中医研の諸兄姉、共に野山を歩く牛山薬草研究会の皆様、共に漢方を実践する任競学中医師に、そして、私を励まし育てて下さる多くの方々に感謝の意を表する。

 蟻と人 同じ生命よ 花の下

ひろし
平成十二年十一月三日

わかる・使える漢方方剤学[時方篇]

まえがき

 この本は,私が理想とする「方剤学の教科書」を形にしてみたものです。私は中国にいる間,学部の学生だった頃も,大学院の学生だった頃も,ずっと「系統的理解が得られる教科書」をさがし続けました。しかし,見つけることはできませんでした。それでも「きちんとした理解を得たい」という願望は消えず,自分で研究を始めたのです。

 方剤学の教科書とは「履歴書の束のようなもの」に過ぎないと,私は考えています。どんなに有能な管理職でも,履歴書をみただけでは,その人材を適材適所で使いこなすことなどできないと思います。それは方剤も同じです。「その方剤は,どんな理論に基づいて作りだされたのか」「その理論は,どのように生まれたのか」「その手法や理論は,その後どのように受け継がれたのか」「現在はどういう位置にあるのか」などなど,1つの方剤を理解するには,その周辺の事情をたくさん知る必要があります。
 しかし主要な文献だけでも数百冊はくだらない中医学の世界では,それは「1人の人間の人生では足りない」ほどの作業となります。それでも可能な限り,以上のような内容を盛り込み,読んだ後で「よく分かった」と実感できるような本を作りたいと努力しました。

 中医学を学ぶには,まず歴史・理論・古典そして薬・方剤,それから臨床各科……というのが正統な順となります。しかし本書はいきなり「方剤」という窓口から入れるようにしてあります。それは読者として「臨床の現場にいる医師や薬剤師」を念頭においているからです。西洋医学を学んできた人たちにとって,それが一番入りやすい切り口であろうと考えました。
 しかしその上で,あくまでも中医学の立場にたって,なるべく分かりやすく解説するという作業は想像以上に難しいものでした。本書の内容も,不勉強や経験不足から生じる限界や偏りは隠すべくもありません。とても「理想の教科書」と自讃できるものではありません。しかし少なくとも「履歴書の束からは脱皮したもの」として,本書を世に送り出したいと思います。

 本書は,今後『わかる・使える漢方方剤学』シリーズとして出版していく中の[時方篇]です。[時方篇]はこの1冊で完結しますが,さらに[経方篇]を数冊の本としてまとめる予定です(「時方」「経方」の意味は,凡例を参照してください)。
 本シリーズが,漢方製剤や中薬を積極的に使いたいと思っている医師や薬剤師の方の一助となれれば幸いです。

小 金 井 信 宏
2003年3月

定性・定位から学ぶ中医症例集

序章 気血水火弁証と定性・定位

シンプルでわかりやすい弁証方法

 中医学の診療においては「弁証論治」の方法論が重視されている。なかでも病態の識別を行う「弁証」の作業が中医的診断のポイントである。患者の病態の総合的な特徴を把握するためには,ある時期,ある段階における「証」を構成する病因・病性・病位・病機などを弁別することが必要となる。
 従来から使われてきた病因弁証・八綱弁証・気血津液弁証・臓腑弁証・経絡弁証,さらに『傷寒論』体系の六経弁証,温病学体系の衛気営血弁証・三焦弁証などは,病因・病性・病位・病機などのどこに力を入れるかがそれぞれに異なり,1つの方法だけで弁証の全プロセスを完成させるのは困難である。そのため,煩雑さに悩まされながらも,いくつかの弁証を併用する方法をとってきたのである。
 しかし,中医学の初心者が,それぞれの弁証方法を熟知したうえで自在に応用できるようになるのには並大抵ではない努力と時間が必要である。弁証の煩雑さにとまどい,途中で挫折してしまう人も多いだろう。
 「あらゆる弁証の方法を1つにまとめることはできないか?」
 これは,中医学の研究や教育,臨床に携わる多くの人々がずっと関心をもってきたテーマである。私自身も,多くの患者さんや医師,学生たちと接しながら,このテーマについて真剣に取り組んで来た。その結果,「気血水火弁証」という新しい弁証体系を編み出したのである。
 この気血水火弁証は,「定性」「定位」を判断することによって病性・病位を明確にすると同時に,病因・病機も合わせて分析することができる。つまり,従来の弁証のプロセスと違って,他のさまざまな弁証方法を使わずに気血水火を主とした弁証システムだけで多くの外感病や内傷病の証を決定できるものである。あまり時間をかけずに身につけられるのがこの気血水火弁証の大きな特徴で,簡便で実用的な弁証システムといえる。


火の概念と気血水火弁証

 気血水火弁証では,まず気・血・水(津液)・火のそれぞれの特性を明白にさせなければならない。
 気・血・水が生体の生命活動の基本的物質だということはよく知られているが,火も生命活動に欠かせない生理的物質であるということは,意外に知られていない。古くは『黄帝内経』に「少火生気」という論述がみられるように,火は太陽のように命のエネルギーとしての役割を果たしている。また,陰陽理論によれば,火と気は陽に属し,血と水は陰に属するとされている。火と気(陽気)は,人体の各器官や組織の機能を温煦・推動・激発する働きをもつ。火と気は,生理的に相互化生・相互促進の関係にある。火は気に化生し,気は火を養う。気の中に火があるからこそ温煦・推動・激発の働きが生まれるのである。
 また,中医臓腑理論に命門説がある。命門説では「命門の水」と「命門の火」が生命力である元陰・元陽(先天的陰精と先天的陽気)に化生する重要性が強調されている。
 気は温の性質,火は熱の性質とはっきりと区別され,陽気がとくに強いところは火に属し,陽気が概して弱いところは気に属するとされている。つまり気の概念をそのまま火の概念に重ねることはできない。
 病理学的には,火と気にも大きな隔たりがあり,陽虚証と気虚証に分けられている。
 火の病理的変化は複雑であり,虚火・実火・陰火・鬱火・肝火・心火などがあげられるが,それは生理的な火とは区別すべきである。火の病理的な状態を弁別するのは,これから論じる気血水火弁証の一部の内容となっている。

気血水火弁証と定性・定位

 気血水火弁証は,まず病機(疾病の発生・発展と変化に関わる病因病理)分析を通じて,証(病態の特質)の構成因子である病性(主に寒熱と虚実)・病位(主に表裏・臓腑・経絡)を弁別するものである。
 すべての疾患の発生・発展・変化の過程においては,正気と邪気との争い,体内の気・血・水(津液)・火の質量と機能の失調がもっとも基本的な病機といわれている。正気とは,われわれの生体を構成し,生命活動を維持するのに不可欠なものであり,生理的な物質である気・血・水(津液)・火が正気の中核をなす。一方,邪気とは,われわれの身体に病苦をもたらす諸種の有害因子(六淫・七情・食積・痰飲など)を指している。それらによって生体の陰陽失調や臓腑・経絡などの機能の失調が導かれ,寒熱や虚実などのさまざまな病態が現れるのである。この寒・熱・虚・実のどれに属するかという病態の特性を同定する作業を「定性」または「定性弁証」という。
 また,病態は必ず体のどこかに現れてくるので,その部位を同定する必要がある。表・裏・臓腑・経絡などの部位の識別の弁証プロセスを「定位」または「定位弁証」という。
 気血水火弁証では,病性・病位の弁別を中心としながら,病因・病機の分析についても同時に行うため,病因・病機・病性・病位という証を構成する要素に対する考察はすべて含まれることになる。つまり気血水火弁証を行うだけで多くの疾患の弁証ができるわけである。
 しかし,気血水火弁証の「定位」または「定位弁証」では,もともと八綱弁証(表裏・寒熱・虚実・陰陽)や臓腑・経絡弁証の内容も取り入れているため,当然それらに対する理解も要求される。たとえば,八綱弁証中の表裏の項は「定位弁証」に属し,寒熱・虚実・陰陽の弁別は「定性弁証」に属する。また,臓腑弁証は「定性+定位」の弁証方法である。気血水火弁証が主に八綱弁証と臓腑・経絡弁証を中心としているのは,弁証の簡便化をはかるためである。

「定性」「定位」から弁証へ

 気血水火弁証の臨床的応用においては,病因・病機に対する分析と同時に,(1)「定性」を行う,(2)「定位」を行う,(3)弁証を行う,という3段階の手順を踏む。
(1)「定性」を行う
 まずは病態が気の病気か,血の病気か,水の病気か,あるいは火の病気か,それらを弁別してから,虚実寒熱の弁別を行う。虚性か実性か,寒性か熱性か,これは病態に関する最も基本的な特性であり,基本となるものである。虚実寒熱の判定は,補法・瀉法・温法・清法などの治療法則の選択に直接つながるため,けっして間違ってはいけない。定性弁証は最も重要なものである。
(2)「定位」を行う
 臨床においては,患者の主訴や症状,望聞問切から得た所見をもとにそれらの関連性を弁証をするが,病位を探るには主に臓腑に着目しなければならない。臓腑は生体の中心的な存在であり,とくに五臓を中心とした臓腑によって,全身の組織器官や機能はすべて統括されている。また,気・血・水・火の生理的または病理的な変動も臓腑を中心として現れてくる。このため,気血水火弁証における「定位」の作業は,臓腑とつなげて考えなければならない。しかし,ひとりの患者が同時にいくつかの疾患や症状をもっていることも少なくない。そういう場合は,症状や所見の相互関係を明確にさせて,最も重要な病態の特質を把握し,中心となる臓腑を特定すべきである。定位の目標が定まらなければ,弁証があいまいになり,治療にも影響する。
(3)弁証を行う
 弁証は,定性・定位を主軸にすえて,病因・病機に対する分析,主症状・随伴症状の把握,それぞれの症状や所見の関連性なども考慮しながら進めていく。一例を見てみよう。
 たとえば,「病気の性質は陰虚・血・気滞。ただし,主に陰虚が強く,血は副次的であり,気滞はまだ軽い。部位は心・肝・腎と関わるが,現在は腎を主とし,肝と心はそれに準じる」というような場合の弁証結論は,「腎肝心陰虚,血気滞」となる。

外感病における気血水火弁証の応用

 さまざまな疾患は中医学的には外感病と内傷病に大別できる。内傷病が七情の過用やよくない生活習慣に起因する慢性疾患が主であるのに対して,外感病は外から邪気が生体を犯すために起こるもので,経過が短く,発熱が多くみられる。急性・感染性疾患を主とするため,外感熱病ともいう。その病因は六淫(風邪・寒邪・暑邪・湿邪・燥邪・火邪)が主である。このような外感熱病の弁証に関しては,気血水火弁証をすると同時に,表裏の弁証や初期・中期・末期の3期に対する弁別も加えた「三期表裏の気血水火弁証」の体系を用いる。

症例から学ぶ中医婦人科-名医・朱小南の経験【はじめに】

はじめに

 父である朱小南は,本名を鶴鳴といい,1901年に生まれ1974年に永眠しました。幼少時の10年間,南通の私塾で勉強した父は,その後祖父である南山公について医学を学びました。そして研鑽を重ねた結果,20歳で上海に開院し,内科・外科・婦人科・小児科に携わり,中年以降は婦人科を専門とするようになりました。また1952年10月には,上海中医門診所(第五門診部の前身)に,婦人科の特別医師として迎えられました。
 診療にあたって父が心懸けたのは,疾病の根源を究明して臓腑の気を調整することであり,とくに肝の調整を第一としました。また婦人科疾患には微妙な点も多いので,詳細に観察して適切に診断を下すよう心懸け,必ず処方を的中させたといいます。
 1936年,父は祖父を助けて新中国医学院を創設し,人材を養成して全国各地に送り出しました。1961年ごろ,多くの同学者たちの提案を受け,私たちは父の治験例の収集と整理・浄書を開始しました。その大部分については,当時父が自ら目を通し,選別校正を行いました。1974年に父は病没しましたが,1977年に私たちは治験の整理を再開し,父の普段の会話や論述を加え,上海中医学院の『老中医臨床経験彙編』に収めました。
 このたび北京人民衛生出版社のご厚意により,この単行本を出版する運びとなりました。しかし私たちの未熟さゆえ,少なからず錯誤や欠落もあろうかと思われますので,貴重なご意見・ご教示をお待ちしております。

朱 南 孫
1980年6月


本書を読むにあたって

 本書は,『朱小南婦科経験選』(朱南孫・朱榮達整理,人民衛生出版社1981年刊)を底本として翻訳したものである。

 19世紀後半から民国時代(1911-1949)にかけて,上海で活躍した婦人科専門の中医家系として,陳氏婦人科・蔡氏婦人科・朱氏婦人科の3つの家系が知られている。本書の原作者である朱小南先生(1901-1974)は,朱氏婦人科2代目の名医である。
 朱氏婦人科の特徴は,まず細かい問診を重視する姿勢があげられる。朱小南先生は父である朱南山先生とともに,明代の張景岳の「十問歌」に倣い,「婦人科における十問訣」を作り出した。また,朱小南先生は切診や脈診も重視し,按腹により妊娠やチョゥカなどの有無を判断した。
 さらに,朱小南先生は女性の生理病理の特徴を踏えた弁証論治,具体的には中医学の気血理論・臓腑理論・経絡理論を有機的に結びつけ,婦人科診療における奇経八脈の重要性を強調し,それを臨床に活用したことが注目される。衝脈・任脈・督脈・帯脈・陽キョウ脈・陰キョウ脈・陽維脈・陰維脈という「奇経八脈」の生理病理と婦人科疾患の診療との関連については,朱小南先生によって初めて体系化されたともいえる。特に,衝脈・任脈・帯脈などの奇経と女性の経・帯・胎・産との関連や,脾胃・肝腎などの内臓との関連,また,そのほか多種類の生薬の帰経および経穴との関連,各奇経と関連した病機や疾患に関わる弁証治療について,独自の理論を作り上げ,臨床研究を行った。その内容と特徴は,本書にも大いに反映されている。
 本書は「医論」と「医案」の2部から構成されている。「医論」には,朱小南先生の中医婦人科に対する考え方が示され,今日の婦人科診療に役立つポイントと心得が凝縮されている。さらに,本書に記された多くの具体的な「医案」を通して,朱小南先生の診療に対する姿勢や先生が説いた医説に対する臨床的な検証を読み取ることができ,先生の弁証論治を臨機応変に活用する発想とプロセスを知ることができる。平易な解説には興味深い理論や見識が秘められており,医論の内容に対する格好の参考例ともなっている。中医婦人科の学習は,医案より多くのヒントが得られるだろう。
*本文中(  )で表記しているものは原文注であり,〔  〕で表記しているものは訳者注である。

編 集 部

わかる・使える漢方方剤学[経方篇1]【まえがき】

まえがき

 この本は,私が理想とする「方剤学の教科書」を形にしてみたものです。私は中国にいる間,学部の学生だった頃も,大学院の学生だった頃も,ずっと「系統的理解が得られる教科書」をさがし続けました。しかし,見つけることはできませんでした。それでも「きちんとした理解を得たい」という願望は消えず,自分で研究を始めたのです。

 方剤学の教科書とは「履歴書の束のようなもの」にすぎないと,私は考えています。どんなに有能な管理職でも,履歴書をみただけでは,その人材を適材適所で使いこなすことなどできないと思います。それは方剤も同じです。「その方剤は,どんな理論に基づいて作りだされたのか」「その理論は,どのように生まれたのか」「その手法や理論は,その後どのように受け継がれたのか」「現在はどういう位置にあるのか」などなど,1つの方剤を理解するには,その周辺の事情をたくさん知る必要があります。
 しかし主要な文献だけでも数百冊はくだらない中医学の世界では,それは「1人の人間の人生では足りない」ほどの作業となります。それでも可能な限り,以上のような内容を盛り込み,読んだ後で「よくわかった」と実感できるような本を作りたいと努力しました。

 中医学を学ぶには,まず歴史・理論・古典そして薬・方剤,それから臨床各科…というのが正統な順となります。しかし本書はいきなり「方剤」という窓口から入れるようにしてあります。それは読者として「臨床の現場にいる医師や薬剤師」を念頭においているからです。西洋医学を学んできた人たちにとって,それが一番入りやすい切り口であろうと考えました。
 しかし,そのうえで,あくまでも中医学の立場にたって,なるべくわかりやすく解説するという作業は想像以上に難しいものでした。本書の内容も,不勉強や経験不足から生じる限界や偏りは隠すべくもありません。とても「理想の教科書」と自讃できるものではありません。しかし少なくとも「履歴書の束からは脱皮したもの」として,本書を世に送り出したいと思います。

 本書は,『わかる・使える漢方方剤学』シリーズ中の[経方篇1]です。先に出版された[時方篇]を合わせたシリーズとして日本で使用されている主要な方剤を紹介していきます(「時方」「経方」の意味は,凡例を参照してください)。
 本シリーズが,漢方製剤や中薬を積極的に使いたいと思っている医師や薬剤師の方の一助となれれば幸いです。

 また[経方篇]では承淡安『傷寒論新註』の内容を中心に,個々の湯証にたいする針処方を提示し,簡単な解説を加えています。つたない解説であるとは思いますが,中医学を学び,臨床に活かしたいと思っている針灸師の方の参考となれれば幸いです。

小金井 信宏
2004年4月

中薬の配合【まえがき】

初版まえがき

 中薬が臨床で使われる場合,その多くは「薬の組み合わせ」として使われます。それは何の意図もない羅列ではありません。そうした組み合わせはどれも,明確な意図のもとに緻密に構成されているものなのです。そして薬を合わせて使う方法には,長い歴史があります。
 古代の書物である『神農本草経』名例は「薬には七情というものがある……薬は単味で使用することもできるが,多くは合わせて用いる。そして合わせて使う場合,薬同士には相須・相使・相畏・相悪・相反・相殺などの関係が生まれる。薬を使おうとする者は,こうした七情について総合的に理解していなければならない。相須・相使の関係で薬を使うのはよいが,相悪・相反の使い方をしてはならない。しかし有毒薬を使う場合は,相畏・相殺の関係で使うこともできる。そうでない場合は使ってはならない」と述べています。また「薬は君臣佐使を明確にして,適切に使うべきである」「薬には陰陽に従った子母兄弟による合わせ方もある」という論述もあります(『本草綱目』序例)。これらの論述は,薬の合わせ方に関する最初の規範といえるものです。
 『黄帝内経』には,酸・苦・辛・鹹・甘・淡による五味を重視した薬の組み合わせ方が述べられています。それは辛甘による発散,酸苦による涌泄,鹹味による涌泄,淡味による滲泄などを,五臓の病証に応じて使い分ける方法です。金代の劉完素はこの方法を発展させ「物にはそれぞれ性が備わっている。方剤を組成するとは,必要に応じてこの性を制御したり,変化させたりすることで無限の作用を引き出すことである」と述べています。
 全体の流れとしては,まず『黄帝内経』『傷寒論』などの経典が,薬の組み合わせに関する比較的完成された理論や法則を提示しました。そこには四気五味・昇降浮沈・虚実補瀉などの内容が含まれています。その後,『黄帝内経』や『傷寒論』の提示した方法を基礎として,臓腑標本・帰臓帰経・引経報使などの学説が起こりました。歴代の本草書や方書が述べている理論や,現代の中薬学・方剤学などの内容は,どれもこうした理論や学説をもとにして,さらに発展を加えたものです。前者と後者の違いは,前者が単味薬の特性を中心とする理論・方法であるのに対し,後者は方剤の組成法に重点を置いた理論・方法であることです。そして本書の内容は,両者の中間に位置するものといえます。具体的には,薬の合わせ方を中心として,薬を運用する際や方剤を組成する際の内在的な決まりごとについて述べています。それは中薬学の内容と方剤学の内容を柔軟に結びつけ,実用性を重視してわかりやすくまとめたものです。そしてそれらの内容は,すべて私の臨床経験の結晶といえるものです。ただし執筆にあたっては,多くの大家が残した理論や方法を借りて説明をしています。そうした内容も,次の世代へきちんと伝えたいと思うからです。特に『本草綱目』『本草綱目拾遺』『名医方論』などの内容について多くを述べています。清代の厳西享・施澹寧・洪緝菴らがまとめた『得配本草』も,薬の組み合わせに関する専門書ですが,組み合わせ方を紹介しているだけで,その背景となる理論や機序などについてあまり解説をしていません。これでは深い理解を得ることはできません。
 本書は,筆者の長年にわたる臨床や教学の経験と,歴代の用薬法に関する研究をまとめたものです。その内容は,中薬の運用法について理論から実践までをわかりやすく結びつけたものとなっています。そしてそこには歴代の大家の成果や民間に伝わる方法などが十分に反映されています。薬の組み合わせ方に関する,完成度の高い実用的な参考書といえます。具体的には「四気五味」「昇降浮沈」「虚実補瀉」「臓腑標本」「帰経引経」「方剤組成」などの角度から解説をしています。いずれの場合も,中薬理論と臨床実践を有機的に結びつけたうえで解説を行うことに努めました。
 個人の能力の限界や時間的制約などもあり,本書の内容にはまだ足りない部分も多くあります。また数々の疑問点も存在することと思います。本書を読まれた方には,ぜひ忌憚のないご意見をお寄せいただきたいと思います。それらの貴重な意見を参考にして本書の内容を修正し,さらにレベルの高いものに作り変えていくことができれば幸いです。
 この本を読まれる方にお断りしておきたいことが2つあります。1つは本の中で引用している方剤についてです。『傷寒論』『金匱要略』『本草綱目』『証治準繩』『景岳全書』や現在の教科書などから引用した方剤については,紙幅の都合もあり,多くの場合出典を明記してありません。もう1つは薬の用量についてです。本の中で紹介している用量は,原則として原書に記されている用量です。それはその時代の単位ですので,実際に使われる場合には,現在の用量に換算してから使用してください。
 本書の出版にあたっては,病身にもかかわらず原稿の監修作業をしてくださり,さらに本書の出版を薦めてくださった顧問の由崑氏に,心よりお礼を申しあげます。また人民衛生出版社の招きに応じてお集まりいただき,内容の修正のために多くのご意見をいただいた専門家の諸氏にも感謝の意を表したいと思います。さらに出版にあたっては,題字を中医司長(中央官庁における中医管理局の局長)である呂炳奎先生に書いていただくことができ,身に余る光栄であると感じております。

丁 光 迪
1981年11月

医古文の基礎 【略歴】

編著者略歴

劉振民(りゅう・しんみん)
 1935年江蘇省生まれ。1959年華東師範大学中文系卒。同年北京中医学院医古文教研室に入る。「文選」と「版本と校勘」を担当し、当時は講師。現在、北京中医薬大学教授。著書に『実践与探索』『中医師資格考試必読医古文』などがある。


周篤文(しゅう・とくぶん)
 1934年湖南省生まれ。1960年北京師範大学中文系卒。同年北京中医学院医古文教研室に入る。「目録学」と「工具書」を担当し、当時は教研室主任。現在、中国新聞学院教授。著書に『宋詞』『宋百家詞』『中外文化字典』などがある。

銭超塵(せん・ちょうじん)
 1936年湖北省生まれ。1961年、北京師範大学中文系卒。陸宗達教授に師事し、文字学・音韻学・訓詁学・考証学を学ぶ。1972年北京中医学院で「医古文」を講義する。「語法」と「古韻」を担当し、当時は講師。現在、北京中医薬大学教授。博士課程指導教授などを兼務する。著書に『黄帝内経太素研究』『内経語言研究』『傷寒論文献通考』などがある。

周一謀〔周貽謀〕(しゅう・いつぼう)
 1934年湖南省生まれ。1960年、北京師範大学中文系卒。「訓詁常識」と「古籍の語訳」を担当。現在、湖南中医学院教授。著書に『中国医学発展簡史』『偉大的医学家李時珍』『歴代名医論医徳』『馬王堆医書考注』などがある。

盛亦如(せい・えきじょ)
 1935年浙江省生まれ。1959年、華東師範大学中文系卒。中国中医研究院で中医文献研究に携わり、「常見虚詞」を担当。現在は北京中医薬大学教授。全国高等中医薬教育研究中心特約研究員を兼務する。共著に『中国医学史』『中医与中国文化』などがある。

段逸山(だん・いつざん)
 1940年上海市生まれ。1965年、復旦大学漢語言文学専業卒。高等中医薬院校教材『医古文』(人民衛生出版社)の主編。現在、上海中医薬大学教授。同大学図書館館長。医古文教研室主任。

趙輝賢(ちょう・きけん)
 高等中医薬院校教材『医古文』の副主編。漢字学を担当。

編訳者略歴

荒川緑(あらかわ・みどり)
 1958年生まれ。1986年、東洋鍼灸専門学校卒。日本内経医学会医古文講座講師。代表的論文に「『素問識』引用文の検討」があり、編著に『翻字本素問攷注』がある。

宮川浩也(みやかわ・こうや)
 1956年生まれ。1981年、東洋鍼灸専門学校卒。日本内経医学会会長。北里研究所東洋医学総合研究所医史学研究部客員研究員、大東文化大学人文科学研究所学外研究員。代表的論文に「『史記』扁鵲倉公列伝研究史」があり、編著に『素問・霊枢総索引』『翻字本素問攷注』などがある。

2006年11月22日

名医の経方応用-傷寒金匱方の解説と症例

この本を推薦します


東京臨床中医学研究会
平馬直樹


 張仲景の著したとされる『傷寒論』と『金匱要略』は,弁証論治の聖典として,中国でも日本でも重視されてきた。この両書に収載される処方,すなわち経方は,歴代の医家に使い継がれて,現代の医療にも大いに活用されている。経方は打てば響くようなはっきりとした治療効果があり,経方の運用に習熟することは,治療技術の向上に必須のことといえる。  本書の特徴は,経方諸方剤(約160方)を桂枝湯類・麻黄湯類・瀉心湯類など類方ごとのグループに分類し,順次解説を施していることで,このような整理法は,吉益東洞の『類聚方』,徐霊胎の『傷寒類方』と同様のもので,こういう書を座右に置くことは,『傷寒論』の六経の伝変に対応する用薬法と,『金匱要略』の各篇の治療方針のあらましを身につけている者にとって,臨床の応用にすこぶる便がよいといえる。東洞の『類聚方』やその解説書である尾台榕堂の『類聚方広義』が江戸時代以来広く読まれているのも,臨床応用に便利だからである。本書は同類の経方解説書にくらべて,解説がていねいで,ことに処方の構成生薬一味一味に詳細な説明が施されている。例えば,「四逆湯」の項に附子の解説が付されているが,経方の附子の運用が古典医書の記載,著者の経験も含めて全面的に述べられており,教えられるところが多い。  各方ごとに,適応証・方解・応用が述べられ,すぐに臨床に役立てられる。また,適宜症例が付されているが,収録される症例は222例に及び,症例ごとに簡にして要を得た考察が加えられているのがありがたく,これらをじっくり味読すれば,経方の運用能力に大いに裨益するであろう。  この書は,高名な上海の老中医である姜春華教授の講義録を整理・加筆して編まれた。著者の姜春華教授は,臨床にも著述にも,また腎の本質の研究など,研究指導の面でもすぐれた業績のあるオールラウンドの名中医で,『傷寒論』研究にも造詣が深い。本書では,方解などに清代の柯韻伯・尤在涇・喩嘉言・王旭高ら,近代の陸淵雷・祝味菊ら多くの『傷寒論』研究者の学説が紹介され,歴代の研究成果が密度濃く凝集されている。臨床応用は主に姜教授自身の臨床体得にもとづいて記載されており,簡潔ながら的を突いた味のある解説となっている。通読しても経方の応用能力を向上することができるであろうし,診察室に備え,必要に応じて引いても便利である。  このような良書が翻訳され和文で読めることは,たいへんありがたい。名古屋の漢方界の重鎮,故・藤原了信先生,藤原道明先生と天津から来日されている中医師・劉桂平先生のご努力で翻訳された。3先生の労に感謝したい。藤原了信先生は,日中の医学交流や中医学の日本への導入に熱心に取り組まれた先駆者であられたが,本書の上梓を前に急逝された。まだまだ漢方界のために活躍していただきたかったが,返すがえす残念でならない。先生の遺作となった本書は,これから日本の漢方家に学習され,活用されていくことであろう。経方運用の座右の書として,すべての漢方臨床家に本書を推薦したい。

訳者からみる著者・姜春華
――西洋医も納得させた名老中医――

名古屋市立大学薬学部客員研究員
劉桂平


 姜春華先生は1960~80年代に活躍した著名な老中医の1人である。中医学を継承し,なおかつ発展させるというバランスがうまく取れた先生で,革新派に属される。伝統中医学の長所を生かしながら,新しいものを創造していくことを重視され,特に肝疾患の治療と活血化?の研究で有名である。  姜先生は,早くも60年代から,弁病と弁証の結合を提唱されていた。疾病を正しく認識するには患者の症状や舌,脈の分析だけでは不十分だという。たとえ弁証論治に従って治療し,症候が改善しても,検査値の異常が改善していない場合もある。例えば,慢性腎不全の治療で,むくみや尿不利などが完全に解消されたとしても,検査をすると尿蛋白が続いているといったことがよくある。そのため,先生はより確かな臨床効果を得るために積極的に西洋医学の検査技術を導入された。  姜先生が勤務されていた上海第一医学院附属病院は西洋医学のレベルも高く,院内の西洋医を納得させるだけの治療効果を上げる必要があったという。そのためには客観的な証拠である西洋医学の診断が不可欠だった。そして,先生は西洋医学で治らない患者ばかりを治療して,なみいる西洋医らを驚かせる実績を上げ,全国からの注目を集め,非常に高い評価を得たのである。  例えばこんなことがあった。あるとき,肝硬変による腹水のために入院してきた40代の患者があり,西洋医学のさまざまな治療を試みたが,まったく効果がみられなかった。その患者は姜先生が診察されるまでは病状が悪化する一方であったが,先生が診察されて,十棗湯(『傷寒論』)と下?血湯(『金匱要略』)の合方方剤を用いたところ,腹水を便とともに排泄し,尿量も増え,病状を劇的に改善させることができた。その後,肝脾を整える処方を応用したところ,最終的に自覚症状もなくなって,この患者は無事に退院していった。このような治療経験が数多くあったのである。姜先生は西洋医とともに共同して研究した期間が長く,中医学の真髄を西洋医にも理解しやすいように中医学教育や臨床・研究に務められた。  本書は,『神農本草経』や『名医別録』などの文献を引用しながら生薬の効能と処方を詳しく分析して,さらに現代薬理学の研究成果も加えて処方の総合的な効果を明らかにしている。また,経方の理論を解説するだけでなく豊富な症例をあげることで,実践を通じた処方の理解と応用方法にヒントを与えてくれる。本書を読めば,『傷寒論』と『金匱要略』の処方を組み立てる発想を十分に理解できるばかりでなく,姜先生の経方の活用方法に学ぶことで,煎じ薬はもちろん,日本のエキス剤処方も柔軟に応用できるようになるはずである。

名医の経方応用-傷寒金匱方の解説と症例

著者略歴


姜 春華(1908~1992)
 姜先生は江蘇省南通県の中医の家庭に生まれ,幼い頃,父の青雲公医師に師事した。20歳のとき上海で開業し,その後,上海の著名な中医である陸淵雷先生の指導を受けた。臨床実践を重ねながら系統的に『黄帝内経』『傷寒論』『金匱要略』『温病学』などの中医経典を勉強し,同時に西洋医学の教育を受けた。当時瘟疫が流行したが,姜先生は貧しい患者を多く救ったことにより,高く賞賛された。
 上海医科大学中山医院の中医学教授として,中医学の臨床と西学中(中国医学を学んだ西洋医師)の教育に50年余り携わった。理論的にも臨床的にもレベルが高かった。
 姜先生は中医学・西洋医学の両方に精通していたが,中国伝統理論を重視したうえで西洋医学の長所を吸収することを提唱し,特に「弁証論治は中医学の真髄」であり,「弁証と弁病の結合が必要」であると強調していた。
 臨床においては,肝臓病・腎臓病・心血管病・呼吸器系統の疾患の豊富な治療経験をもっている。また腎の本質と活血化についての研究ですぐれた業績を上げており,『腎本質研究』と『活血化研究』の二書を主編している。主な著書に,『中医治療法則概論』『傷寒論識義』『中医病理学』などがある。あわせて全国の医薬雑誌に,三百余編の論文を発表している。衛生部から金賞を受賞。国家科学委員会中医専門部会員・中国中西医結合研究会顧問・上海市中医学会名誉理事長を務めた。(劉 桂平)


訳者略歴

藤原 了信
1935年 愛知県生まれ。 1959年 名古屋大学医学部卒業。 2004年 死去。生前は,本山クリニック藤原内科名誉院長・中部漢方臨床研究会代表。
藤原 道明
1965年 愛知県生まれ。 1989年 藤田保健衛生大学医学部卒業。 2001年 学校法人後藤学園非常勤講師。 現 職 本山クリニック藤原内科院長。     学校法人藤田保健衛生大学客員助手。
劉 桂平
1959年 中国天津市生まれ。 1978年 天津中医学院中医系入学。 1983年 天津中医学院中医系卒業,天津市西青区中医医院内科医師。 1987年 天津中医学院大学院修士課程修了。天津中医学院内科講師。 1993年 来日。名古屋市立大学薬学部客員研究員。 著 書 『針灸学』[基礎篇](共著)(東洋学術出版社)  『脾虚証の現代研究』(共著)(天津科技翻訳公司出版社)

2007年06月07日

宋以前傷寒論考

 はじめに

小髙 修司 

 
 司馬遼太郎が、『葉隠』の訳注を書いた奈良本辰也と「日本人の行動の美学」というタイトルの対談を行っている。その中に「極端論でなければ旧来の思想は破れません」という発言がある。平板化し画一化した、ある意味で近代的合理主義ともいえる朱子学を打ち破ろうとしたのが『葉隠』であるし、別の言い方をすれば朱子学以前の日本人を知る手だてとなりうるのが『葉隠』であると発言している。そして『葉隠』の原点は口述者である山元常朝の「狂」にあるというのである。
 岡田研吉と牧角和宏という二人の「狂」が長年にわたり集積した膨大な資料に、螳螂の斧を以て風穴を開け、二人の考えていることの何分の一かを見通せるようにしよう、そして江湖に広く知らせようと企て、『葉隠』の筆記者であった田代陣基のような立場で、別の意味での「狂」である私が、資料の抜粋・整理を試みてきた。そしてこのたび、鼎談と各人の論文とをまとめ、本書を上梓するにいたった。
 本書の意図するものは、宋以前における医学・薬学、特に『傷寒論』の真の姿はいかなるものであったかを探ることにある。それはつまり原義的意味における復古であり、目指すものは真の古方派であるともいえよう。その真意は従来の中国医学、日本漢方のあり方考え方を否定するものではなく、宋以前には一般的でありながら、歴史の中で埋没してまった医学薬学の理論を発掘することで、それらを含めたより広い理論にもとづく、今以上に臨床的な効果を出しうる医学の形成にある。

 平成十二年(二〇〇〇)の春節より始まった「森立之『傷寒論攷注』を読む会」において、岩井祐泉先生による『傷寒論攷注』の講義の後に、岡田、牧角が長年に渡り収集した資料を発表し討論することが毎回行われている。その課程で徐々に現代の中医薬学の一般的な知識が、必ずしも古代(宋以前)のものとは一致しないことが明らかになってきた。特に中国医学の最も重要な古典であり、現代中医学の知識の基礎である『傷寒卒病論集』が、宋代に大幅な改訂を受けていることがさまざまな傍証を通して明らかになってきた。
 一方、生薬学においても森立之により復元された『神農本草経』、さらに『名医別録』などに見られる薬効と現代中薬学の知識は必ずしも一致しておらず、その理由にはさまざまな要因が考えられ、基原植物自体が変化してきている可能性を含め検討した。その結果、古代において苦酸薬を祛風清熱疾患に多用したグループの存在が浮き彫りになり、現代につながる辛温薬を多用するグループとの抗争、そして後者の勝利が宋版『傷寒卒病論集』の改訂に大きな影響を与えたことが指摘できよう。
 個々の方剤が生薬の組み合わせで成り立っている以上、その薬効に相異があれば、方剤が創案された時点と、その方意が異なってしまうことも十分考えられる。構成生薬の古典的薬効を再考して検討することによって、方剤の臨床上の適応疾患に、現在考えられている以上の効能・効果が考えられることになった。臨床応用の幅を広げるためにも、古典の理解を深めることは非常に重要である。

2007年06月11日

[CD-ROMでマスターする]舌診の基礎

 「望而知之謂之神」(望診で病の因を知ることができるのが優秀な医者である)

 これは,私が中医学の道を歩み始めたときに真っ先に学んだ『黄帝内経』にある言葉です。その後,中医診断学を専門として,研究や臨床に携わり,ますますこの言葉の重みを感じてきました。
 古今東西の医学の淵源を探ってみると,最初の診断術は患部を含むからだ全体を観るものでした。ところが,近代科学技術の発展にともない,西洋医学はいつの間にか患者を観る代わりに,検査機械に頼って病を診ることが多くなりました。患者が「3分くらいの診療のあいだ,医師はパソコン画面のカルテを見ながら問診をしたり説明をしたりしたが,最後まで自分の顔をよく見ていなかった」と不満をこぼすことも少なくありません。確かに時間の限られた数分の診療では,じっくり患者を観察することは難しいかもしれません。しかし,患者の生の状態を自分の目でよく観察しなければ,機械的検査だけでは測れない病の真実を見落してしまうのではないかと思っています。
 中医学は,からだ全体の繋がりを非常に重視する医学です。ですから,病の診断は患者が診察室の戸を開けて入ってくる瞬間の望診から始まります。患者の体格,歩き方,姿勢,そして顔色,皮膚や毛髪の状態など。なかでも舌の色や状態をじっくり観察する舌診が望診術の基本となります。
 舌はその組織的構造の特徴から,敏速かつ忠実に体内の状況が反映されます。そのため昔から舌は「内臓の鏡」と呼ばれ,「健康のバロメーター」として知られています。正しく診断ができ,早く治療効果を得るためには,いかに舌を的確に観察し,病のサインを迅速かつ正確に読み取れるかが大切です。しかし,実際にその術をマスターすることは容易なことではありません。言葉で舌の様相や色調に対する指導を受けていても,実際の舌を見なければ理解できないところがあるうえ,臨床の場で舌診の経験を積み重ねなければ,舌に含まれる豊富な情報を的確に捉えることはできません。私はここ20年あまり,中医診断の講演を続けてきましたが,いつも舌の様相や色調などを説明する難しさを感じてきました。そのため舌の写真が豊富にあり,さらに症例も付加された教材が必要だと痛感していたのです。
 以前より,東洋学術出版社の山本勝曠社長から舌診の本を書いてみないかとお話しをいただいていました。数年をかけ,かなりの数の舌の症例写真が集まったので,このたびこれまでの自分の研究や講演の内容と合わせて,本書を作ることを決意しました。
 本書と付属のCD-ROMの制作・出版にあたっては,東洋学術出版社の山本社長の深いご理解と,井ノ上匠編集長のたいへんなご助力をいただきました。特に本書にCD-ROMを付けて,その中に多数の症例付きの舌の写真を収め,自由に検索,学習ができ,間違いやすい舌の区別や弁証論治のトレーニングもできるようにしようとの有益なご提案もいただきました。付属CD-ROMの制作ははじめての挑戦でしたが,井ノ上編集長のご尽力もあり,ようやく予想以上のすばらしい教材ができるに至りました。改めて東洋学術出版社の山本社長,井ノ上編集長には心より深く感謝申し上げます。また,中国や日本で舌の写真を快く撮らせてくださった多くの方々の協力なしには,本書は誕生しませんでした。本当にありがとうございました。さらに,公私にわたりさまざまな励ましとご助言を賜りました上海中医薬大学の費兆馥教授にも心より御礼を申し上げます。
みなさまが望診の最も重要な部分である舌診をマスターされる際に,本書と付属CD-ROMがお役に立てば何よりうれしく思います。
 最後にこの本を手にされたみなさまに,次の言葉を送らせていただきます。

    望―知―謂―神

高橋楊子 
2007年3月 
桜の満開を待つ季節に 

 

[CD-ROMでマスターする]舌診の基礎チラシ

チラシ

2007年06月12日

いかに弁証論治するか【続篇】――漢方エキス製剤の中医学的運用

 序文


 胡栄(菅沼栄)先生が東洋学術出版社より「いかに弁証論治するか」続篇を出版されるにあたり,序文をと求められました。胡先生のわかりやすい講義と的確な観察眼,そして謙虚かつたのしいお人柄に惹かれておりますので,僭越を承知の上で筆をとらせていただきました。
 私は西洋医学を標榜している開業医ですが,日常西洋医学のフイルターにかからない身体の不調を訴える患者さんが多くおられます。血液検査,CT,MRIをもってしても異常が見つからず,自覚症状は全く消えずという場合に,中医学が解決法を与えてくれた症例を何度も経験しました。その際に西洋医学的な診断法では治療の道筋が見えてきませんので,中医学の眼で弁証する必要があります。が,ネイテイブな中医学者でないものにとって,それはなかなか難しいことであり,私もついつい西洋医学の病名を元に漢方の処方を考えてしまいます。
 しかし,この本は「病名」または「症状」からいくつかの処方に絞りこみ,そこに中医学の簡単な中医の弁証を加えれば正しい処方にたどり着けるという誠に親切な造りになっております。
 つまり,最初西洋医学の頭でアプローチしてから,途中で中医学に自然に切り替えることができるわけです。また,日常の臨床で頻繁にお目にかかる疾患が前版同様に勢ぞろいしております。
 この「いかに弁証論治するか」続篇は,西洋医学を学んだ医師が正しく漢方薬を処方するのに必須の入門書となると確信しております。

2007年5月1日
本阿弥医院  本阿彌 妙子 

  序文


 この度,東洋学術出版社より『いかに弁証論治するか』続篇を出版されるにあたり,著者である胡栄先生から序文を求められ,浅学非才の身である私がとても序文を書くような立場ではなく迷いもしたが,先生と私は公私共々長いおつき合いをさせて頂いており,胡栄先生のひととなりを私なりに御紹介することで読者の皆様に少しでも役立てればと思い,お引き受けすることにした。
 そもそも私と胡栄先生との出会いは10数年前に遡る。当時私は母校である日本医科大学の学生で,大学のセミナーで現在同大学の微生物免疫学教室主任教授かつ東洋医学科の部長であられる高橋秀実先生から,東洋医学についての手ほどきを受けた。その際に中国医学が実際の医療としてどのように使われているのかを見学する機会を得たのだが,そこで初めて私は胡栄先生と出会ったのである。当時の胡栄先生はあちこちで講義をされ医師や薬剤師に処方のアドバイスをなさっていたが,患者さんの状態に応じて自由自在に処方を加減していく様子を拝見したときには思わず息をのんだものである。それからというもの,ことあるごとに私は胡栄先生の講義を拝聴し,医師になってからは実際の患者さんの相談をさせていただくようになり,その度に中国医学の奥深さに感銘を受け,この医学が現代の病にも十分に効果を期待できる医療であることを実感するようになったのである。また胡栄先生は西洋医学に対しても非常に理解を示され,東西の域を超えて柔軟性をもって一つの病態に取り組み,医療が患者本位のものであるべきことを示されてきた。このため私は胡栄先生から中国医学だけでなく医師としてのあるべき姿を学ばせて頂いたように思う。このように記すと,胡栄先生がなんだか学問一筋で生真面目な印象を与えてしまうかもしれないが,普段着の胡栄先生はユーモアたっぷりのおおらかな方であり,近視が進んだといってはりきって高額なコンタクトレンズを購入されても,めんどうくさいといって結局ほとんど装着することもなく,あいかわらず見えないまま歩かれるため道に迷うこともしばしばで,それを方向音痴の私のせいになさって笑ってすましておられるといった調子である。いずれにしても私の知っている胡栄先生は常に自らが学び,そして教えることに喜びを感じていらっしゃる御様子で,ご家庭をおもちの身でありながら全国津々浦々御講義に奔走される日々を送られ,中国医学を広めることを御自身の使命と考えていらっしゃるようである。もちろん今日までそのように御自身の仕事に使命と誇りをもち情熱を注ぎ続ける事ができるのは,2人3脚で歩んでおられる現在の夫君,菅沼伸先生の存在があることを,私は一種の羨望をもって証言させて頂きたいと思う。
 ところで胡栄先生は北京中医薬大学を優秀な成績で卒業され,その将来を嘱望された才媛であられるにもかかわらず,同学院に留学されていらした先述の菅沼伸先生と出会われ日本に来られたことは有名なエピソードである。そして来日後は異文化という壁にぶつかりながら数々の困難を乗り越えて,日本における中国医学の普及に励まれてこられた功績は,今日の日本の医療の中に確実に浸透しているように思われる。昨今,西洋医学一辺倒であった日本の医学教育の中に,東洋医学をカリキュラムの一部に組み込むことが国策として決定されたこともその良い例ではないかと思う。またこれからの医療実践者は,生体を科学的に細分化してとらえると同時に,想像力を駆使して統合的にとらえる力を養うことが大切ではないかと感じている。その結果,患者を生体として注意深く観察すると同時に,人として心を持って接することが医療においては必要不可欠であることに気付かされるのである。そしてこの統合的にとらえる力こそ中国医学の得意とするところであり,その陰陽五行学説に基づいた哲学は,肉体と精神は切り離されることがないことを示唆しているのではないかと思う。
 本書は私が中国医学の「いろは」もわからぬうちから愛読した書であり,医療に携わる今日においてさらに役立つ書の続篇である。一学徒として自信をもってお薦めする優れた臨床中医実践本である。幅広い層に読まれ,今後の総合的な医療の一助となること,そして病で苦しまれる多くの患者が一人でも多く苦しみから解放されることを願っている。
 最後に公私共々いつも温かく見守ってくださり,そしてこのような機会を与えて下さった胡栄先生に心から感謝の意を表し擱筆したい。

2007年5月10日
日本医科大学微生物学免疫学教室
  日本医科大学付属病院東洋医学科
  髙久 千鶴乃 

  まえがき


 日本に来て28年の歳月が過ぎました。来日にあたって母校の教授に「日本に行けば中医学の力を発揮する機会はほとんどないだろう。ましてや日本は男尊女卑の国だから,家に閉じこもってしまうことになるかもしれない。それでもいいのか?」と言われ,不安を感じていたことが今でも鮮明に思い起こされます。
 しかし,幸いにも,2回の産休(4カ月)を除き,多くの素晴らしい先生方に知遇を得て,中医学の講義,漢方相談に充実した毎日を過ごしてきました。

 健康への関心が高まる中で,自然界の薬物を使用した漢方は,安全度が高いとして年々注目を集めるようになり,利用者も増加傾向にあります。私も日々活動する中で,20年前に比べて,中医学に対する認識は確実に高まってきていると実感し,心から喜んでいます。

 中医学は『黄帝内経』『本草』『傷寒論』などの古典に基礎におき,その後の歴代医家達の臨床経験にもとづく学説を,理論的,系統的に集約した学問です。そして,これらの膨大な学説を学ぶために,老中医達が結集して,大学で学ぶための統一教材が作られました。統一教材は基礎部分を基準化し,難解な古典理論の理解を助けるうえでも大きな役割を果たしていますが,なんといっても中医学の真髄は臨床にあります。千差万別の臨床場面で,教科書どおりにいかないところは多く,試行錯誤するなかで,自分の応用力と決断が試される点が一番おもしろいところでもあります。

 今回の出版は,1996年に出版された『いかに弁証論治するか』の続篇であり,初回の本に入らなかった28疾患を選びました。疾患は極力,臨床で多く見られるものを優先して選び,日本で入手できるエキス剤や中医方剤を重点的に用いて,中医学の「弁証論治」の思考に沿って進行するように心掛けました。
 前回と同じく,日本の多くの先生方に,中医学を理解して頂きたいという一心で,できるだけ忠実に,わかりやすくをモットーに執筆いたしました。しかし,まだ不十分な箇所も多く散在していると思われます。どうか忌憚のないご批判,ご鞭撻を頂けたら幸いです。

 出版に際し,25年続いている東京中医学研究会の会長本阿彌妙子先生と日本医科大学の髙久千鶴乃先生に序文をお願いしました。お忙しい両先生に貴重な時間を割いて頂き,また貴重な助言をくださったことに,心から感謝を申し上げます。また出版の機会を与えていただいた東洋学術出版社と,原稿整理を手伝くださった坪田さんにお礼を申し上げます。

 最後に,来日後,常に私を温かく見守り励ましてくださり,日本の中医学普及のために多大なる貢献をされた,故菅井正朝先生,故永谷義文先生,故遠藤延三郎先生,故本阿彌省三先生にこの本を捧げ,喜んで頂きたいと思います。そして外科医であった父の墓前に報告できることを,嬉しく思います。

2007年春
     菅沼 栄(胡栄) 


2007年12月20日

脈診

 脈診は,切診とも称し中医臨床の四診(望・聞・問・切)の最後に位置するものである。これは中医臨床における疾病の診察・病状の分析・病機変化の検討・弁証論治方案を制定するための重要な診察法の1つであり,古より長きにわたり臨床医家が重視してきたものである。歴代の多くの著名な医家は生涯にわたりその道を研究し,脈診の体験を書物に著し説を立て,後世の人に学習しやすいように残した。しかし,脈学診法の内容は広くて深く,流派は数多くあり,その源は深くその流れは長い。そのため脈診の文献や書籍は各種あり,学習の参考を提供しているが,初学者にはその要領を掌握することは容易ではなく,はなはだしくは入門しようにもできない。そのため,はじめて脈診を学びその難しさを知りあきらめたり,あるいは生半可な知識を求めるだけの者は数知れない。たとえ長期間臨床に従事している医家でもその道に精通している者の数は多くない。
 このたび山田勝則氏が執筆した本書『脈診―基礎知識と実践ガイド―』は,「脈理」「脈診」「病脈」の3篇で構成されている。本書の編集過程では努めて追求探索を行い,収集された古代脈診学の精華を基礎として,一家に偏ることなくまた一流派の見解を支持することなく,数年を経て幾度となく原稿を改変し,合わせて個人の臨床体験や脈診方法を集約し,それを結合させて本書となった。本書全体は厳格に中医学の伝統的な理論を遵守しており,また古いもののなかから新しいものを作り出している。そして脈診の学習中に多くの初学者が入門途上で感じる戸惑いやわかりにくい問題を,わかりやすく内容のある表現で解釈している。本書はとりわけ各種脈象の形成医理(脈理)および脈診過程での細部にわたる要点を分けて論述しており,そこでは精密周到であり,筋道をはっきりさせ,帰納を首尾一貫させ,一目瞭然とし,読んでイメージを生み,比喩も妥当であるように努めている。つまり本書全体は「簡明扼要,易学易記」(簡単明瞭で要点をおさえ,学びやすく記憶しやすい)ということができ,実に初学者の参考にするには得難いものである。
 そのほかに本書最後の付録篇では,初学者の臨床応用を強化するため,特別に臨床でよくみられる「相兼脈」の主症と主病を例としてあげている。これは本書でおのおの分けて論述した脈象を有機的に関連させて一体と成ったもので,この「相兼脈」を使うことでさらに実際の臨床に近くなるよう,ここでは臨床で実用的な価値のある代表的な例をあげて説明している。もしきちんと本書を閲読し,書中で述べている各種脈象および「相兼脈」形成の医理を仔細に会得し,臨床での脈診を反復して体験すれば,やがて脈診を自在に運用できる境地に進むことができるであろう。脈診を学ぶことは,疾病の診療技術を向上させることに対してとても大きな助けとなる。

何 金森   2007年11月 中国上海中医薬大学にて

   

  まえがき

 「脈診の勉強をしたのになぜか臨床で使えない」と悩んでいる人が多いのではないでしょうか? 実は私もその1人だったのです。しかし,使えない理由はそれほど複雑なことではなく,次の3点だったのです。
 
●その1:さまざまな脈が現れる理由を正確に理解できていない。
      (脈理の知識不足)
●その2:脈象を判断するときの拠りどころがはっきりしていない。
      (脈象の基準がない)
●その3:病脈と病気の関係をすぐに忘れてしまう。
      (暗記依存型)
 
 いかがでしょうか? いくつか思い当たるところがあったのではないでしょうか。この理由を解決するのが本書の目的です。解決すべき内容が多すぎるようですが,互いに関係しているところもあるため心配ありません。それでは,その解決法を説明します。
 
解決法 その1
 脈理の知識不足の解決法は,中医学の基礎理論を理解することです。基礎理論さえ理解していれば脈理は簡単です。本書では脈と関係のある基礎理論を利用して説明しているので,基礎理論の復習にも役立つことでしょう。
 
解決法 その2
 脈象の基準がないことの解決法は,基準をはっきりさせることです。本書では,例えば脈の太い細いは何をもって決めるのか,また脈流の滑らかさや渋滞をどのように判断するかなど,それぞれ基準を設けて説明しています。ですから,この基準を把握すれば脈象判断は明確になります。
 
解決法 その3
 暗記依存型の解決法は,脈理を理解することです。そうすれば暗記する必要はなくなります。例えば,脈が浮いてくる理由を理解していれば,それに対応する病気は自然と選択できます。ですから,ここの解決法は脈理をしっかりと理解することです。
 
 さて脈診という膨大な内容も,以上の解決法を行えば,難しい脈診の世界も意外と身近なものになることでしょう。
 本書の内容は私の浅い臨床経験によるものですので,どれだけみなさんの参考になるか心配ですが,もし多少ともみなさんの臨床のお役に立てば幸いです。
 最後に,監修していただいた上海中医薬大学・何金森教授に感謝いたします。浅学な私が脈診を語ることができるのは,何金森教授のご助力があったからです。本書の原稿段階で先生から多くのことを学び,本書の内容を豊富にすることができました。(山田勝則)

2008年05月22日

『[実践講座]中医弁証』

 「中医は難しい。優秀な中医師になるのはさらに難しい」といわれる。この難しさは,わが国の伝統医学があまりにも広く深いことによるのかもしれない。歴史も長くその知識は海のように広く,医家学派や古典の文献も非常に多いため,伝統医学の理論をしっかりと身につけ把握することは確かに並大抵のことではない。これが難しさの第一の原因であろう。
 またさらに難しいのは,中医をしっかり学ぶということは,豊富な知識を把握するだけでなく,長期にわたる臨床の積み重ねや奥深い研究が必要だということである。その経験や研究があってこそ,はじめて理論と実践を融合して正確に弁証し治療することができるようになる。これが難しさの第二の原因である。臨床にのぞむ医学生が病気を診断できず,正確な弁証論治ができなければ,たとえどれほど理論がわかっていても,テストで高得点をとっていても,いったん臨床の場に立てばきっと手も足も出せないだろう。
 今日の中医薬大学の教育課程では,必要に応じて臨床実践のカリキュラムを組むことはなかなか難しく,また専門的に系統だった弁証を,すじみちを立てて考える訓練をするような科目もないというのが現状だ。それではいったいどのようにして理論から実践に導けばよいのであろうか。それには,私は本書『[実践講座]中医弁証』が非常に適していると思う。
 本書は理論と実践を結びつけ,またその距離を縮めてくれるかけ橋になる。本書は臨床でよくみられる症状を選び,医師が目の前の患者に対し「望・聞・問・切」の四診,および弁証論治を行うという形式をとっている。これは,初学者が患者を目の前にしてどのように臨床の情報を集めればよいのか,またどのように中医の整体観念を運用して弁証・分析していけばよいのかという問題を解決するのにぴったりである。読者がそれぞれの臨床症例において,実際の診療過程を再現しやすいよう,また医者が弁証するときどのように考えて組み立てていくかを適時提供し,弁証論治によって導き出された結論に対しても随時分析・解説を加えている。本書は中医学の特徴を出しつつも,現代医学の病症とも密接に関連づけているため,的確で実用性も高く,また発想も面白く斬新なので,初学者が理論から実践に向かううえで,有効で新しい道筋を提供しているといえよう。
 読者は本書を通じて,短時間のうちに臨床における情報集めの初歩的な方法や,臨床の際の弁証論治の立て方や分析の仕方を理解することができる。そのため診療においてどのように考えればよいかという能力をつけると同時に,今まで学んできた理論や知識を確固としたものにできるので,理論と実践を融合した本当の意味での一貫性が生まれるのである。本書は中医学習者の臨床診療能力と理論のレベルを確実に高めてくれる良書である。
 著者は長年にわたる中医の教育と臨床経験を通して,中医学習者が早急に解決しなければならない問題がわかっているので,その問題を本書の切り口として執筆にあたった。この点から,本書が読者に大きな収穫をもたらし,また中医教育界からも必ずその有用性を認められるに違いないと確信している。

王 燦輝  2004年10月 南京にて

 

  まえがき

 「診」とは診察・理解のことであり,「断」とは分析・判断のことである。つまり「診断」とは病状の情報を集め,帰納・分析し,そこから患者の病症の性質を識別し判断を下すということである。弁証論治は中医の真髄であり,本書が読者に紹介しているのは,まさにこの中医診断に欠くことのできない弁証を立てるすじみちなのだ。
 周知のとおり,正確な診断は正確な治療の前提となる。筆者は長年教壇に立ち,また臨床で学生たちを見てきたなかで,つねに感じることがある。それは,非常に勉強熱心で試験の「カルテ分析」を得意とする学生でも,はじめて臨床の場にのぞみ,複雑な病症や断片的でとりとめのない患者の返答に出合うと,どうすればよいかまったくわからなくなるのだ。彼らにいわせると「患者が自分たちの前に座っているとき,自分たちは表面上は落ち着いた顔をしているけれども,心のなかでは患者よりも慌てていて,次はどうすればよいのか,何を話せばよいのかもわからなくなっている。なぜなら,臨床の病症はどれも教科書に書いてあるような,系統的で典型的な症例ではないのだから」ということなのだ。学生たちは今まで学んだ知識をいかに使って,さまざまな患者のごく簡潔な主訴からどのように「診」と「断」を行っていくべきかという問題につねに深く困惑している。確かに「どんなにその航路が遠くても,いつか必ず向こう岸につく日がくる」という言葉があるように,しっかり勉強し積極的に実践を重ねていけば,経験が蓄積されるにしたがい習熟できる日がくるであろう。しかし,どのようにすればその過程を少しでも縮めることができるのだろうか。
 まさに,こういった臨床医師になろうとしている学生や,はじめて臨床に立った青年医師,あるいは中医愛好家の要求が本書のテーマの選択を促したのである。中医薬大学の学生がこれまで学んできた知識や理論を,複雑で変化の激しい臨床のなかでより有効に運用し,臨床の仕事に従事した際にもより早く適応して臨床の弁証分析能力をさらにアップできるようにと,われわれは長年にわたって教育と臨床の仕事に携わってきたメンバーを集め本書の執筆にあたった。
 本書はある情景を設定して診断を行うという形式をとっている。臨床でよくみられる症状を選び,診察という場面のなかで,医師が患者に対し実際に弁証論治を行う過程を文章にして表している。さらに医師の弁証論治の立て方や分析の仕方,結論の導き方などを,医師が実際に臨床の診断を進めていく過程に沿って1つ1つ読者に示していく。本書は本篇・副篇の2部に分かれ,本篇はさらに4部に分かれている。臨床でよくみられる約60症例を,医師が実際に診断していく形式によって表している。途中,要所ごとにどのように分析しているのかというすじみちを示し,「望・聞・問・切」の四診によって臨床に必要な資料を集めた後,その病状を記録し,証や診断の結論を導き出し,治療法則や方剤を決定していく。そして,なぜこの結論が導き出されるのかという解説・分析を加えている。1つの症状に対し,いくつか症例をあげ,毎回,小まとめとしてその症状によくみられる証の種類や特徴,また鑑別などを論述している。最後に代表的な古代文献の摘要を少々加えてある。初学者が臨床でよくみかける症候の実用的な知識を確立できるようにと,数十例の四診の情報が揃った比較的簡潔な症例のカルテを付録として掲載した。読者には,要求にしたがい,まず自分で考え診断分析を導き出したあと,答案を参考にするようにしていただきたい。
 本書の100以上の症例を通じて,読者は比較的短時間に,初歩的な弁証診断の過程,およびその組み立て方を理解し把握することができるであろう。もちろん本書では,1つ1つの診断過程ごとに,まるでとても親切な先生がそばにいて,手とり足とり「これはどうするべきか,どう考えるべきなのか,なぜこうしなければならないのか,こう考えなければならないのか」を教えてくれているかのように書かれてはいる。しかし読者には本書を読みながらも,できるだけ自分で考えるようにしていただきたい。思考することを通して,前半部の模擬中医診断では自分の診断能力を高めることができ,また後半部の自己トレーニングテストでは,学んだ知識をより確実なものにすることができる。そうなれば,臨床の場でも弁証診療能力の面で比較的大きな向上がみられると信じている。またこれはわれわれ執筆者全員の願いでもある。ただはっきり言っておきたいのは,ページ数に限りがあるため,本書で重点的に紹介しているのは,臨床においてどのように必要な情報を集めたらいいのか,また弁証を分析する方法とその組み立て方であって,現代医学の技能や知識,および「病」の診断については重点をおいていない。そのほか口語の特徴と一般の文書体の形式ともに持ち合わせなければならないため,模擬診断過程の医師と患者の対話についても,われわれ執筆者が一部修正を加えている。
 著名な温病学者であり,全国の名老中医でもある王燦輝教授がお忙しいなか本書のために序文をくださったことに心から御礼を申し上げる。また,南京中医薬大学副校長・江蘇省中医院院長である劉瀋林教授もご多忙のなか本書の監修を担当してくださったことに心からの感謝の意を表したい。そして本書の執筆中,われわれを励まし支持してくださった方々にもこの場を借りて御礼を申し上げたい。筆者は本書が出版されたのち,各方面からの御意見・御指摘をお待ちしている。今後,われわれが再版するにあたって,よりよいものができるよう本書の誤謬・手抜かりや不完全な点などおおいに指摘していただきたい。

楊 亜平

 


2008年08月01日

『医学生のための漢方医学』【基礎篇】

緒 言

 漢方医学は,紀元5世紀に大陸から導入されて以降,1500年余りにわたって日本人の健康を支え続けてきた。明治維新後,新政府の政策を受けて正統医学の地位を失ったとはいえ,明治末期から昭和初期にかけての復興運動によって伝統の復活の試みがなされ,今日の隆盛を見るにいたっている。
 この動きはたんに日本に留まらない。中国伝統医学は,アメリカ合衆国を始めとする諸外国でもCAM(補完代替医療)の一つとして急に注目を浴びるようになったし,いまでは世界中で盛んに実践され,研究されている。ただそれらは中国の中医学であり,日本の漢方医学ではない。
 漢方医学は,古代中国にその端を発する中国伝統医学の日本における一発展型であるが,国際的に見た場合,その理論は孤立して存在し,また18世紀以前のこの医学の形とも異なっていて,現在標準とされている漢方医学の知識を身に付けただけでは,中国伝統医学本来の形や国際的な立場におけるこの医学の位置付けを理解できない。
 わが国では,1976年以来,医療用漢方製剤の普及により漢方薬が一般の西洋薬と同じように取り扱われるようになり,この医学が世界の中でどのような位置を占めているかということとは無関係に,多くの医療機関で使用されている。これからは,ここで培われた経験と実績をもとに,国際標準である中医学の弁証論治システムと,日本固有の漢方医学の方証相対システムの双方を理解できる新たなシステム作りが必要となるであろう。
 筆者は,そのような時代の到来を予測し,日本の漢方医学を世界に飛躍させるために必要な知識を,今後の日本の漢方医学を担っていくであろう若い医学生諸君に身に付けてもらいたいという強い願望をもって,本書を作成した。作成に当たっては,全体的な構成を国際標準である中医学に置き,日本の漢方医学のもっている優れた部分を適宜その中に組み込み,最終的には臨床において必要な中医学と漢方医学の最低限の知識が得られるように工夫した。もとより,中国では5年もしくは7年の歳月をかけて大学で習得する内容を,この小冊子1冊で伝えうるものではないが,現在出版されている諸種の漢方関係の書物を読むだけの基礎知識は十分身に付くはずである。
 実際,このテキストを用いて行っている「医学生のための漢方医学セミナー」では,約1週間の日程の最後にワークショップの時間を設け,参加した学生さんたちに症例を提示し,診断から治療まで弁証論治システムを用いてシミュレーションしてもらっているが,全員ほぼ正解に近いところまで答えられるようになる。本書の知識があれば,卒業してからどのような形で漢方医学を実践することになっても,この知識を利用して自分で自分の道を切り開いていくことができるであろう。
 かつて日本では,医家の家庭においては,幼少期より医学の学習を始め,20歳代半ばを過ぎてようやく一人前とされた。現在は18歳で医学部に入学し,しかもその知識は主として西洋医学に関するものである。いささかスタートが遅いとはいえ,本書を出発点として,国際的な場で通用する漢方医学を身に付けてくれる人が一人でも多く現れてくれることを希望する。
 本書は,1995年に「医学生のための漢方医学セミナー」の試用教材として出版したものを,現在の状況に合わせて訂正・加筆したものである。当時の筆者のなぐり書きともいえる手書きの原稿を丁寧に本に仕上げてくださったのは医聖社の土屋伊磋雄氏であった。氏は,試行錯誤を繰り返す小生の原稿を一つ一つチェックして形を整え,最終的に使いやすいテキストを作成してくださった。改めて御礼申し上げたい。このテキストは,その後,このセミナーで使い続けられ,参加学生たちに好評であった。筆者としては,しかしまだまだ不十分で直すところがたくさんあると考えていたが,これを見た畏友・江部洋一郎先生から,間違いは後で正せばよいから早く正式に出版して世の中に出すべきだとの助言を頂き,東洋学術出版社の山本勝司社長のご協力を得て出版の運びとなった。
 このたびの出版は,第1章の「漢方医学の現況」を全面的に書き直したのを始め,いくつかの文章を変更し,あるいは図版も含めて新たに書き下ろし,サイズをA4変形判として外見も一新した。これらの作業に全面的に取り組み,筆者のわがままを丁寧に拾い,素晴らしい誌面を作り上げてくださったのは坂井由美さんである。はじめての共同作業であったが,ごく短期間の間に,特に大きな困難もなく進められたのは坂井さんのおかげである。そのご努力に対し,心より感謝申し上げる。


2008年8月1日  
安井 廣迪

2009年06月09日

『[標準]中医内科学』

まえがき
 国家により執筆・編集が組織され,審査・決定された高等中医学教育機関の教材は,初版発行後,現在までにすでに二十数年を経ている。その間に,すでに何度か改訂を経て再版され,系統的な中医理論の整理,教育秩序の安定化,および中医教育の質の向上におおいに貢献してきた。しかし中医薬学の絶え間ない発展に伴って,すでにこれまでの教材では当面の教育・臨床・科学研究の要求に対して,十分に適応できなくなっていた。
 そこで教材の質を高め,高等中医薬教育事業の発展を促進するために,衛生部は1982年10月に南京において全国高等中医学教育機関の中医薬教材の編集・審査会議を開いた。
 そこではじめて全国高等中医薬教材の編集・審査委員会が設立され,その下に32学科の教材編集・審査部会が設けられた。そして新たに修正された中医・中薬・針灸の各専攻科のカリキュラムにもとづいて,教科ごとに教育指導要綱の改訂が行われた。各教科の教材編集・審査部会は,新教育指導要綱の要求に沿って,新教材の編纂に真摯に取り組んだ。各教材の編纂にあたっては,1982年4月に衛生部が衡陽で開催した「全国中医医院および高等中医教育工作会議」の精神を貫き,旧版教材の長所を取り入れ,各地の高等中医学教育機関の教員らの意見を総合した。この教材シリーズでは,努めて中医理論の科学性・系統性・完全性を保持し,理論と実際とが結びつくことを原則とし,継承から発展へとつながるよう配慮した。また,教材の内容の深さ,広さの面においては,すべてにわたって本課程の性質・役割を出発点として,実際の教育上の必要性に合致し,各学科の発展にふさわしい科学水準を兼ね備えることを目指した。本教科の基礎理論に関しては,基本的知識と技能について比較的全般にわたって詳述し,また同時に各教科の教材間の不必要な内容重複や脱落をできる限りなくした。編集・執筆担当者らの努力と全国の中医学教育機関の支援によって,新教材を次々と編纂し終えることができた。
 本教材シリーズは,医古文・中国医学史・中医基礎理論・中医診断学・中薬学・方剤学・内経講義・傷寒論講義・金匱要略講義・温病学・中医各家学説・中医内科学・中医外科学・中医小児科学・中医婦人科学・中医眼科学・中医耳鼻咽喉科学・中医傷科学・針灸学・経絡学・腧穴学・刺灸学・針灸治療学・針灸医籍選・各家針灸学説・推拿学・薬用植物学・中薬鑑定学・中薬炮製学・中薬薬剤学・中薬化学・中薬薬理学などの32科目からなる予定である。このうち,いくつかの教材ははじめて編纂されるものだが,多数は旧教材,特に第二版教材を基礎として補足・修正を行い,編纂している。したがってこの新教材は,いくつかの旧版教材の編纂者たちの苦労の成果を内包しているといえる。
 教材は社会主義の専門的人材を育成し,知識を伝えるうえで重要な媒体となるため,教材の質の良否は直接人材の育成に影響を与える。それゆえ,教材の質を高め,絶えず磨きをかけながら改正していくことが必要である。本教材シリーズにはまだいくつか不足している点があるのは避けられない。各地の中医薬教育に携わる教員および読者の方々が,本教材を使用するなかで検証を行い,さらなる改訂に向けて貴重な意見を寄せてくださることを希望する。その結果,本教材シリーズがより一層科学性を増し,より教育効果の高い高等中医薬教育教科書として,わが国社会主義の四つの近代化建設と中医事業の発展の需要に応えられることを期待する。


                       全国高等中医薬教材編集審査委員会 
                                      1983年12月 
 

本書の編纂について(原著)
 本書は,衛生部の高等中医薬教材編集審査委員会が組織し,編纂・審査・決定された,全国高等医薬学教育機関の中医・針灸専攻科における使用教材である。
 本書は,主に中医内科学の基礎理論,よくみられる内科病証の基礎知識および弁証論治の規則について解説したもので,全体を総論と各論の二部に分けて論じている。総論では,気血・風寒燥火・湿痰飲・六経・衛気営血および各臓腑の病因病機の基本的概念と,内科の治療原則およびよく用いられる治法について,それぞれ解説している。各論では,よくみられる内科病証49種*についてそれぞれ章を設け,さらにその後ろに関連する疾患の解説を付して紹介しており,各章は概論・病因病機・弁証論治・まとめ・文献摘録の項目に分けて論述している。いくつかの章には,あわせて類証鑑別の項目を加えている。また,本書の巻末には,方剤一覧を付した。
 本書の執筆・編集の担当者は,以下の通りである。

総論・淋証・癃閉…………………………………………上海中医学院 蔡 淦
感冒・咳嗽・肺痿・肺癰・哮証・喘証・肺労・肺脹・痰飲…南京中医学院 周仲瑛
心悸・胸痹・不寐・厥証・鬱証・癲狂・癇証………………北京中医学院 董建華
胃痛・噎膈・嘔吐・呃逆・泄瀉・痢疾・霍乱・腹痛・便秘…湖北中医学院 熊魁悟
脇痛・黄疸・積聚・鼓腸・頭痛・眩暈・中風・痙証………河南中医学院 李振華
水腫・腰痛・消渇・遺精・耳鳴耳聾・痿証………………福建中医学院 趙 棻
自汗盗汗・血証・痹証・虫証*・癭病・瘧疾・内傷発熱・虚労
                             ………成都中医学院 李明富
  
 最終的に,上海中医学院の張伯臾が全章の内容審査・校閲を行った。

 編集・審査の過程において,上海中医学院の胡建華・周珮青,北京中医学院の陳光新らがわれわれの要請に応じて原稿統一などの作業に加わってくださった。ここに謹んで感謝の意を表する。
 私たちの能力および時間的な制約のために,本書に欠点や誤りがあることは避けられない。各大学・学院で本書が使用される際に得られた経験を,絶えず総括・収集・報告して,貴重なご意見としてお寄せいただきたい。それによってさらなる修正を加え,内容をより向上させていくことができるであろう。

                                           編 者   
                                        1984年9月 

* 日本語版では,臨床で応用する機会がほとんどないと思われる虫証を割愛した。したがって,全48章からなる。

2010年04月16日

『漢方診療日記―カゼから難病まで漢方で治す―』



『漢方診療日記』風間医院



 みなさん、当医院にようこそ。毎日漢方医学にひたりきって、嬉しそうな顔をしている私は、小さな町のホームドクターです。いろいろな訴えをもって来院される患者さんの前で、毎回どう処方したらよいのやらと、本当に悩みます。悶え苦しむ私の姿が、一日の診療のなかで何度も見られます。当院スタッフである妻や薬剤師のYさんには、ときどき私の大きな溜息が聞こえるようです。

 これから皆さんに、当院の診療風景や治療内容を見ていただき、ぜひ皆さんからも教えていただいて、一緒に学んでいければ最高です。そろそろ開院の時間ですね。診療を始めましょう。

2011年03月15日

[新装版]実践漢薬学

新装版発行の辞


 本書は平成16年刊『実践漢薬学』(医歯薬出版株式会社)の新装版である。再刊にあたっては,旧版の不備を訂正し,難解といわれる東洋医学用語の解説をより充実させた。執筆意図と本書の特色は,旧版の序に記したのでここに再録する。特に漢薬の類似点と相違点の比較は他書にはない特色と自負している。漢薬一味一味の理解は,エキス剤を含めた方剤の深い理解に役立つといえる。東洋医学診療に本書を活用していただければ望外の喜びである。

  平成23年 元旦
清純なる光に 永遠の輝きを祈し日に
三浦於菟 


序(旧版より抜粋)


 薬を用いるは,兵の如くせよ。人口に膾炙されたこの言葉を引用するまでもなく,漢薬の効能を自家薬籠中の物とする事が,臨床に於いて重要であることは言うまでもない。一人一人の性格を知ることが,方剤という集団の理解につながり,的を得た運用を可能にするからである。漢薬の効能の理解は,漢方エキス方剤の理解にも役立つ訳である。
 たが漢薬の学習には,困難さを伴う事も事実であろう。その原因として,常用だけでも約100種という漢薬の多さ,独特の東洋医学用語の難解さ,理解しやすい漢薬学書の少なさなどがあげられよう。本書はこれらの原因を克服すべく書き記した漢薬の入門書であり,臨床の場ですぐに役立つ実践書である。
 入門書として必要なことは,理解が容易なことである。そのために以下に配慮した。翻訳調を廃し自国語を用い,筆者の自らの言葉で簡潔な記述を心がけた。適時東洋医学の病態理論を解説した。学術用語には本文中や巻末に解説を設け,更に分類表や図などを多用することで理解を容易にしたなどである。
 実践書で重要な事は,その病態にどの薬物が適当かを判断できる事である。そのためには,それぞれの漢薬の効能や性質などの特徴を理解把握する必要がある。そこで本書では,各漢薬の類似点と相違点という観点から解説することで,漢薬の特徴の明確化を試みた。具体的には,表形式を採用し類似薬物の類似点・相違点を記述する,各漢薬の特徴を一言で言い表す,漢薬効能をまとめて比較するなどである。本書は,筆者が臨床で使用しても充分に耐える書物を目指したつもりである。
 ここで本書の成り立ちにつき説明したい。本書の土台は,筆者が留学していた南京中医学院(現南京中医薬大学)での中薬学教研室陳育松先生の中薬学の講義とその講義録である。この講義録を基とし,平成10年3月より行った日本医科大学東洋医学科月例研究会の実践漢薬学の講演資料を作成した。この講義資料は『漢方研究』紙上ですでに発表した。この講義録と講演資料を大幅に加筆修正し,さらに南京中医学院編の中薬学の教科書を底本として参照しつつ出来上がったのが本書である。
 本書は,筆者の南京中医学院への留学がなければ完成せず,いわば陳育松先生を初め多くの南京中医学院諸先生方との共著ともいえるものである。親愛に満ちたご指導を賜った諸先生方に,衷心より感謝の念を捧げたい。

平成15年10月24日
江南の地,南京の空を思わせる碧空の日に記す
三浦於菟 


2011年09月14日

『[新装版]中医臨床のための中薬学』

はじめに


 中医学の弁証論治は日常の臨床において不可欠であり,学習を深め経験を重ねるにつれて重要性がよくわかり,認識が深まるとともに治療効果も高まっていくことは,紛れもない事実である。病因・病機を把握したうえで当面の病態を明確に弁明し,弁証にもとづき予後もふまえたうえで的確な論治を行うことが理想であり,確実かつ十分な治療効果をあげるには,適切な薬物を選択して治法に則した適確な処方を組むことがとくに大切である。そのためには,薬性理論を把握したうえで,個々の薬物の効能と適用を十分に知っておく必要がある。
 中医学は西洋医学とはまったく系統の異なる医学であり,臨床という具体的な場から抽出され,数千年の歴史的な検証を通じて取捨選択を受け,抽象することにより体系化された「治療医学」とみなすことができる。進歩した現在の西洋医学であっても包括しきれない巨大な内容をもち,実際から出発して抽象を重ねた体系であるために,医学的認識としては西洋医学よりもはるかにすぐれた「将来の医学」といえる姿を備えており,「偉大なる宝庫」と呼ばれるゆえんである。このような中医薬学を,単に西洋医学的に解釈し評価して使用しても,新たな治療手段が加わるだけで,中医学のもつ本来の内容や価値は利用されないままであり,大きな意味は持ち得ない。中医学を真摯に研究し学習して正しく把握し,臨床を通じて十分な成果をあげることが,新たな観点に立脚した医学としての新展開をもたらし,新しい医学の創造につながると考えられる。
 1979年に神戸中医学研究会が翻訳上梓した中国・中山医学院編『漢薬の臨床応用』は,その当時の日本においては非常にすぐれた画期的な漢薬(中薬)の解説書であり,熱狂的に迎えられて版を重ねてきた。中医薬学の初学者にとっては現在でも十分に価値があり,当書によって目を開き中医学の研鑽を積んでこられた諸氏も多いと聞く。ただし,中医学の学習がある水準にまで達すると,当書が西洋医学的にかなり咀嚼されているために,かえって日常の中医臨床と結びつけ難く,困惑することに気づく。中医学の理論にのっとった中薬の解説書が望まれるゆえんである。


 本書は,『中薬学』(周鳳梧主編,山東科学技術出版社,1981年),『臨床実用中薬学』(顔正華主編,人民衛生出版社,1984年),『中草薬学』(上海中医学院編,商務印書館,1975年),『中医方薬学』(広州中医学院編,広東人民出版社,1976年)の記載を主体に,他の中薬関係の書籍を参考にして編集している。内容は以下のようである。
 総論では,中薬の簡潔な歴史から始まり,薬物の治療効果と密接に関わる薬性理論(四気五味・昇降浮沈・帰経・有毒と無毒・配合・禁忌)を述べ,薬材の加工と薬効の改変に関連する炮製・剤型の具体的内容と意義を示し,さらに用量と用法を解説している。
 各論では,薬物を主な効能にもとづいて章節に分類し,各章節に概説を付すとともに,それぞれの薬物について,さし絵を付し,[処方用名][基原][性味][帰経][効能と応用][用量][使用上の注意]を述べ,適宜に関連する方剤例を示している。なお,中薬の効能と適用については,経験にもとづいた独特の薬効理論と特殊な中医病名が総括されており,的確な解説や解釈ができなかったり,誤った解説をしたり,応用の記載が欠落している可能性があるので,とくに[臨床使用の要点]の項目を設け,中医学特有の理論を示している。これが本書の特色であり,最も重要な部分であるところから,とくに点線で囲み強調している。
 なお,薬物の[基原]については金沢大学薬学部・御影雅幸教授の参加をいただき,現在の日中両国の現況をふまえたうえで,従来には見られない斬新な解説を行っている。さし絵は和漢薬研究所・橋本竹二郎氏の労作である。


 本書の主な内容は,1992年の出版以来,幸いにして多くの読者を得て版を重ねており,われわれのめざした方向は正しかったと考えている。しかしながら今なおわれわれの経験や水準に限りがあるために,誤りや未熟な点が混入していると思われる。読者諸氏の御批判・御訂正をいただければ幸甚である。


神戸中医学研究会 

2012年02月21日

『[新装版]中医学入門』

新装版 はじめに


 本書は中医学の入門書としてすでに多く読者を得て,これまで中医学への道案内としての役割を果たしてきた。今回,第3版を上梓するにあたり,なるべく重点を押さえながらも分厚くならないことを心がけ,スリム化をはかった。さらに図は簡明でわかりやすいことをむねとし,入門者でも中医学的な考え方に入っていきやすいように要所で挿入した。過去に偉大な医学者たちが時代時代で様々な研究を重ねて臨床に基づいた理論を構築補強し,現代の中医学界でもこの流れは絶えることなく進行中であるが,いまなお中医学を学んできた医師にとってさえ疑問に思われるところが依然として多い。本書は,現時点で矛盾が少なく臨床で有用な理論を心がけ,理論倒れにならないように検討を加えた。第1版,第2版では現代医学的解釈に力をさいたが,やはり本来の中医学的な観点に基づいてよりわかりやすく説明することの方が入門する諸兄のために有益であると考え,これまでよりも中医学入門書としての原点にもどって記載したつもりである。内容的には弁証論治にいたる基礎,とくに最も中医らしい考え方である陰陽論,人体を構成する基礎物質に対するとらえかたなどは旧版とは一新している。弁証論治の応用については多くのページを割いていないので,本書で興味をもたれた方は是非とも次のステップに進まれてより上級の書物で学んでいただきたい。
 本書によって一人でも多くの読者が中医学に対する興味をもち,もう一つの治療手段として継続して学ぶきっかけになることを心から願っている。なお,本書に対する批判や疑問は当然あるとおもわれるが,さらによりよい入門書に育てていただくために是非建設的なご批判をいただければ幸甚である。

 2012年

神戸中医学研究会


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第2版 はじめに


 漢方薬が日常の診療に定着した現在,中医学も市民権を得つつある。中医学はとりつきは面倒であっても,根気よく学習すれば必ずそれだけの成果が得られるために,次第に受け入れられ滲透したと思われる。
 現在の中国では,教科書的なレベルのものはもちろん,各種の専門分野の深いレベルに至るまで,さまざまな中医学関係の書籍が次々と刊行されて,新たな発展の趨勢を示すとともに,古典の復刻も漸増しており,中国の厖大な歴史と底力をみせつけられる感がある。
 中医学は,自然界と調和しながら生命活動を営む存在として人体をとらえ,生理的・病理的な現象を注意深く観察したうえで,自然界の現象になぞらえて意味づけし抽象するとともに,自然界の事物を用いて治療を行い,抽象した内容ならびに治療の適否などを判断・評価・修正しながら次第に認識を深めてきた。そのために,「生きもの」としての人体を総合的・全体的にうまくとらえ,自然界の事物である金石・草根木皮を用いた,自然で無理のない「治療医学」の体系を形成している。医学上のさまざまな認識は,書籍として後世に残され,少なくとも2000年の歴史的経過を経て,歴代のさまざまな医家が批判・訂正・賛同・強調を行いながら評価し,現在に至っている。それゆえ,現代の場においても十分評価できる内容であることは疑いない。ただし,漏れなくすべてを継承できているわけではなく,価値ある認識が埋もれている可能性が大いにあり,新たな実践による新たな認識を得るとともに,「温故知新」による発展を心がけるべきであり,より高度の「中医学」の完成をめざす努力がはらわれることを期待している。
 西洋医学は分析的で細分化した物質面での実証を重んじ,個々の臓器・器官・組織のふるまいをもとに人間の全体を機械論的にとらえ,個別よりも普遍性に重点をおいている。それゆえ,外科や救急医学のように人間を機械として扱う面では高度の成果をあげてはいるものの,現実に悩める「生きもの」としての個人にとっては,大きな救いになるとは言いがたい。診断医学としては優れているが,「治療医学」の体系としては非常に幼稚であり,純粋な結晶といった自然界には存在しない薬物を使用して副作用を不可避的にかかえたり,いつまでたっても当面手に入れた「手段」に依存するだけの行きあたりばったりの医術しか行えていない。今後は巨大な砂上の楼閣にならないような方向性をみつけるべきであり,その大きな助けとして「中医学」が存在すると考えている。
 本書は第1版と同様に,中医学という医学大系を,できるだけ本来の面目を保ちながら整理し,西洋医学的な解釈を加えて,医師・薬剤師のための入門書とすることを意図している。中医学と西洋医学では切り口が全く異なるので,西洋医学的な病理の解釈や病名には不備が多いと考えられ,第2版編集にあたって十分配慮を加えたが,その面ではご容赦願いたい。中医学の観点に主体をおいて,医学の認識を変更し修正していく方が,今後の実りが大きくなると考えられる。できれば,本書をきっかけに中医学に本格的に参入されることを望みたい。
 神戸中医学研究会は既に20年を越える歴史をもち,この間真面目に研鑽を積んできたつもりであり,本書が医学の発展に寄与できるように念じている。ただし,なお認識の誤りが存在する可能性は否定できないので,多方面からご批判をいただければ幸いである。

 1999年

神戸中医学研究会


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第1版 はじめに


 中国の伝統医学は,現在は「中医学」と呼ばれ,我国の「漢方医学」と源を一にするものである。中医学では,統一体としてとらえた人体を基本にすえ,さまざまな病態に数多くの治療を行うことにより,歴史的な経緯を通じて評価を加えながら発展して来た治療主体の医学体系である。人体の生理・病理・病因・病態そして薬理なども,ある程度の観念論をもとにして治療実践から逆に創りあげて来た様相がみられ,また実体的な験証もあまり行われておらず,このことが現代医学を修めた我々にとって難解さを感じさせる原因となっている。しかしながら,治療を通じたアプローチであるがゆえに,分析的・細分化的に進行して来た現代医学が求め得なかった全体観を持つことができ,診断と治療の直結という有利な面も生じている。少なくともこの面に関しては,医学の将来に対し大きな展望を与えるものと確信している。
 最近の中国におけるさまざまな研究から,中医学の提示しているものが単なる観念論や対症療法ではなく,人体のもつ本質的な機能や状態をうまくとらえ,これを改変しうる体系的医学であるという証拠が示されつつある。今後の研究の進歩とともに,ますますこの面での評価が高められるものと考えている。
 日本においても「漢方医学」としての古い伝統があり,数多くの先人が中国の伝統医学を輸入し継承発展させ,現在も続いて存在している。ただし,体系的医学としての認識は十分でなく,社会的・歴史的な条件の制約もあって,日本流の解釈となってしまっており,中医学とはやや様相を異にしている。とくに,生理・病理・薬理に関する基礎理論があいまいで,中医学の基本とする「弁証施治」はほとんど行われてはいない。こうした面から,一部の人達から「対症療法」にすぎないという評価を受けることにもなっているものと推察される。
 本書は,中医学という医学体系を,できるだけわかりやすく整理し,かつ現代医学的解釈を加えて,医師・薬剤師のための漢方医学入門書とすることを意図したものである。基本にしたものは,「中医学基礎」(上海中医学院編・神戸中医学研究会訳・燎原書店),「中医学基礎」(北京中医学院主編・人民衛生出版社),「中医臨床基礎」(翟明義編・河南人民出版社),「中医基礎学」(浙江省〈西医学習中医試用教材〉編写組・浙江人民出版社),「新編中医学概要」(広東省衛生局他編・人民衛生出版社),「中医学」(江蘇新医学院編・商務印書館),「実用中医学」(北京中医医院他編・北京人民出版社)で,このほか種々の論文を参考とした。
 我々の中医学および現代医学に対する認識は不十分なものであり,当然多くの誤りがあるものと考えられる。また,現代医学的な解釈についても推論にすぎない面が多い。本書は中医学を現代医学に応用するための初歩の試みであると考えている。多方面からのご批判をいただければ幸いである。

 1981年7月

神戸中医学研究会

2012年04月12日

『中医内科学ポイントブック』

はじめに


  私が中国で高校を卒業した1973年は,ちょうど文化大革命が実施されている最中でした。当時,大学の学生募集はほとんど中止されており,そのため私はすぐに大学へ進学せず,1976年にしばらく地元の中医病院に勤めることとなり,老中医の弟子になりました。私と中医学とのかかわりはそのときから始まりました。
  1978年3月,南京中医学院(現在の南京中医薬大学)に入学し,1982年12月に卒業してからは,揚州市立中医医院内科で臨床に従事してきました。その間,学校で学んだ中医内科学の知識は臨床実践のなかで展開されていき,重要なポイントが頭の中で絵を描くように徐々にイメージ化されていきました。その内容を整理してまとめ上げようとしましたが,当時は臨床の仕事が忙しく,なかなか完成に至りませんでした。
  1996年に日本に来てからは,日本医科大学で呼吸器内科疾患と肺がんの研究をしながら,いくつかの学校で中医学講師として中医内科学や中医学全般の講義をしてきました。その講義原稿を作るときに気がついたことがあります。それは,中国の中医内科学の教科書は中国教育部と衛生部の指導によって現在までに7版が出版され,各版で使用される病名は時代の変化に合わせながら部分的に修正されたり,付け加えられたりするなかで,その内容は次第に膨大なものになっているということでした。しかも,中国語の表記には難解な専門用語や古文などが使われており,微妙な語感を自分で悟るしかない部分もあり,外国の学習者が内容を正確に理解するうえで障害となっていました。そこで,日本の読者にとって理解し記憶しやすいように,一目瞭然でわかるハンドブックのようなものを作りたいと思うようになりました。
  たまたま手にした内山恵子氏の『中医診断学ノート』(東洋学術出版社)を読み,中医内科学の内容もそのようにわかりやすくまとめることができれば学習者の参考になると考え,大学時代の中医内科学ノート,長年の臨床で得た心得や講義のレジメを整理し,関連参考書などを参照しながら,その内容を一見して理解しやすいように図や表を中心にして解説してみました。
  著者の中医学と日本語のレベルから,必ずしも理解と表記に至らない点が多々あると思いますが,中医学学習者の参考に供することができれば幸甚です。
  本書の出版にあたり,来日して以来ご指導を賜り,一方ならぬ御世話をいただいた留学先の日本医科大学内科学呼吸器・感染・腫瘍部門講座名誉教授の工藤翔二先生,教授の弦間昭彦先生,元助教授(現がん・感染症センター都立駒込病院呼吸器内科部長)の渋谷昌彦先生をはじめ,教室の先生の方々に心より感謝を申し上げます。
  また長い間,中医学の講義などにおいてアドバイスをいただき,たいへんお世話をいただいた長野県看護大学人間基礎科学講座(基礎医学・疾病学)教授の喬炎先生,本書の執筆に際して,いろいろと貴重なご意見をいただいた高橋楊子先生,日本語の表記にご指導いただき,編集にお骨折りいただきました東洋学術出版社の井ノ上匠社長にこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。

2012年 春
鄒 大同

2012年11月01日

[新装版]中医臨床のための方剤学


はじめに

 1992年にわれわれが出した『中医臨床のための方剤学』は漢方製剤を用いる臨床の医師や薬剤師など多くの関係者の方々の支持を得て,広く臨床の場で必須の書物として利用していただいてきた。このたび東洋学術出版社から改めて出版していただく機会を得たので全面的に各項に検討を加えている。
 その骨格,意図については初版からのものを受け継いでおり,新版を上梓するにあたってもこれまでと同様に原典の記載を重視している。方剤はいったん臨床に用いられると当初の適応症以外にも用いられ,おもわぬ効果を得ている。しかし,可能な限り直接原典にあたり方剤の創製された意図を明確にすることによって,さらに応用が拡がるものと思われる。したがって,現在あまり用いることの少ない方剤でも広く応用の期待がもてるものは,よく使われる処方で抜けていたものと同様に積極的にとりいれた。研究会で学んできた張錫純や鄭欽安の処方や,基本方でありながら不足していた傷寒論処方についても今回新たに加えている。原典の記載については原則として読み下し文としたが,現代的な読み下し方もとりいれてわかりやすさを心掛けた。一部は翻訳をして読みやすくした部分もある。
 薬用量については原典に記載のないものもあり,原典に記載された量でも固定したものと考える必要はない。症状に応じて臨機応変に変えるべきものである。個々の薬量についてはすでに改訂版を上梓した『中医臨床のための中薬学』などを参考にしていただければ幸いである。
 まだわれわれの知識レベルに依然として限界があるために,なお多くの誤りと不足があると思われる。忌憚のないご指摘をいただき今後さらによいものをめざしたい。
 なお参考文献として,以下の書籍等を用いた。
『中医大辞典』方剤分冊(人民衛生出版社,1983年)
『中国医学百科全書』中医学(上)(中)(下)(上海科学技術出版社,1997年)
『中医名詞述語精華辞典』(天津科学技術出版社,1996年)
『中華古文献大辞典』(医薬巻)(吉林文史出版社,1990年)
『傷寒論辞典』(劉渡舟主編,解放軍出版社,1988年)
『中医臨床のための温病条弁解説』(医歯薬出版株式会社,1998年)
『医学衷中参西録を読む』(医歯薬出版株式会社,2001年)
『黄帝内経詞典』(天津科学技術出版社,1991年)
『黄帝内経素問霊枢訳釈』(竹原直秀著,未出版)
『傷寒六経病変』(楊育周,人民衛生出版社,1992年)
『金匱要略浅述』(譚日強,医歯薬出版株式会社,1989年)
『方剤心得十講』(焦樹徳,人民衛生出版社,1995年)
『古今名医方論釈義』(高暁峰ほか,山西科学技術出版社,2011年)

 2012年10月

神戸中医学研究会


第1版 はじめに


 方剤は,現代医学のように純粋で単一の薬理作用をもつ薬物を生体の特定のターゲットに作用させるのではなく,多彩かつ複雑な薬能をもつ個性的な薬物を組み合せることにより,特定の病態を根本的に解消させる意図をもっており,この意図がそれぞれの方剤の「方意」である。
 中医学は数千年にわたる臨床経験を通じて治療医学の体系を形成しており,弁証論治が大原則になっている。弁証においては,四診によって病変の本質である「病機」を分析する。すなわち,病因・経過および当面の病態の病性・病位・病勢ならびに予後などの全面的な分析である。論治においては,弁証にもとづいて最適な治療の手順と方法,すなわち「治則・治法」を決定し,さまざまな薬物を適切に組み合せて治法に則した方剤を組成し,これによって治療するのである。根拠と理論(理)・治療の法則と方法(法)・投与する方剤(方)・使用すべき薬物(薬),すなわち「理・法・方・薬」として総括されている弁証論治の過程において,具体的な治療手段になるのが方剤であるから,方剤の適否が治療効果に影響を与えるのは当然である。たとえ弁証論治が正確であっても,方剤の組成が適切でなければ,十分な効果を期待することはできない。
 方剤を組成するうえでは,個々の薬物の性能を熟知することは当然として,経験に培われ歴史的に検証されてきた薬物の配合の原則・理論・知識を知る必要があり,これが「方剤学」の内容である。弁証論治の先駆であり「方書の祖」と称される漢代の《傷寒論》が,約二千年の長きにわたって聖典として学習されて応用され,そこに提示されている方剤が今日なお有効であるように,古今を通じて名方といわれ有用とされている著名な方剤をとりあげ,具体的な配合の模範・典型として分析し研究することが,方剤学においては非常に有益である。
 本書は,方剤学の基本理論・原則および基礎知識などを総論で述べ,各論では具体例として典型・模範となる方剤の分析を行っている。方剤は清代・汪昂の分類方法に倣って効能別に21章節に分類し,各章節の冒頭で効能の概要・適用・使用薬物・注意と禁忌などを概説したうえ,個々の方剤について詳述している。なお,日本で保険適用になっている方剤はすべてとりあげている。
 各方剤については,「効能」すなわち中医学的薬効と「主治」すなわち適用を示したうえで,「主治」で示された病態についての「病機」を分析し,それを「方意」と結びつけ,その方剤がなぜその病態に適用しどのような治療効果をあらわすのかを説明している。すなわち,本書の重点は病機と方意の有機的結合にあるといえる。なお,効能・主治・病機・方意は,近年に西洋医学的概念に則って創成された方剤を除き,すべて中医学の理論と概念にもとづいているために,現代医学的に解釈しきれるものではなく,強いて解釈すると大切な面が欠け落ちる可能性を大いにはらんでいる。我々が『中医処方解説』で試みた現代医学的解説は,初学者が中医学に馴じむという目的においては,十分に評価し得ると自負してはいるが,中医学本来の価値を活かし切れてはいないという反省にもつながった。本書を上梓する意図はここにある。
 本書では,方剤の元来の構成意図や適用を尊重し,解明するために,できるだけ原文の引用を行っている。さらに,現代中医学的な解釈と古人の考え方のずれから,汲みとれる有益な面も多いと考え,古人の解説文も挿入している。いずれも意味が分りやすいように読み下し,[参考]の部分に掲載している。
 なお,本書に示した薬物の分量は,時代によって多くの変遷が認められるように,一定不変と考えるべきではなく,一応の目安とみなして,病態に応じ増減させるのが当然である。方剤を構成する薬物についても,主要な薬物以外は臨機応変に加減変化させるのが通常である。
 参考文献としては,「方剤学」(許済群ほか,上海科学技術出版社,1987年),「方剤学」(広州中医学院主編,上海科学技術出版社,1981年),「中医治法与方剤」(陳潮祖,人民衛生出版社,1975年),「中医臨床のための病機と治法」(陳潮祖(神戸中医学研究会訳),医歯薬出版,1991年),「傷寒六経病変」(楊育周,人民衛生出版社,1991年),「傷寒論評釈」(南京中医学院編,上海科学技術出版社,1980年),「金匱要略浅述」(譚日強(神戸中医学研究会訳),医歯薬出版,1989年),「温病学釈義」(南京中医学院主編,上海科学技術出版社,1978年),「温病縦横」(趙紹琴ほか,人民衛生出版社,1987年),その他を使用させていただいた。
 我々の知識レベルに限度があるために,なお多くの誤りが存在すると考えられ,読者諸兄の御批判をいただければ幸甚である。

 1992年4月

神戸中医学研究会

2013年05月16日

名医が語る生薬活用の秘訣

推薦の序


 1980年代は現代中医学の日本への導入の黄金時代であった。日中国交回復前後から始まった先人たちの努力を引き継ぎ,80年代に入り,ありがたいことに私たちはその恩恵を享受することとなった。当時60代であった全盛期の老中医たちが相継いで来日し,日本で中医を学ぶ者を直接指導していただく幸運に恵まれた。張鏡人(上海),鄧鉄涛(広州),陸幹甫(成都),柯雪帆(上海)らの諸先生で,振り返ってみると,私たちは最高レベルの先生に習うことができたのだとつくづく思わされる。
 なかでも何度も来日され,熱心に指導してくださったのが焦樹徳老師(中日友好病院・北京)であった。北京中医学院時代の教え子の兵頭明氏が私たち中医学徒と焦老師を繋げてくれた。京都の高雄病院や東京での勉強会で,一日中あるいは泊まり込みで講演,質疑応答,私たちの症例報告の講評,患者さんに来ていただいての症例検討と濃密なスケジュールをこなし,私たちに真摯に向き合って教えてくださった。この熱心な生徒たちを北京にも呼びたいということで,1986年に中日友好病院で日中学術交流会を準備してくださった。矢数道明先生を団長に参加したが,ここでも焦老師の友人の多くの老中医の知己を得ることができて感激した。私の北京留学時代にも何度かお目にかかり,留学先の広安門病院の老中医の路志正先生に私の教育を託してくださった。温厚なお人柄も魅力があり,来日の際には拙宅にも来ていただいたことがあり,心の通じた恩師だった。焦老師こそ日本の中医学の偉大な教師であったと思う。
 焦老師の専門領域の一つは痹証(リウマチ性疾患)であった。焦老師の講義には日本では流通していない海風藤・伸筋草などが登場して戸惑ったが,幸い本書の原書『用薬心得十講』が出版されており,これを入手して学ぶことで,見知らぬ生薬の使い方にも得心できた。こうして接した本書は臨床に密接に結び付いた生薬の効能と配合を教授する珠玉の宝物で,中薬学の教科書の知識を臨床に活かす格好の手引きとなった。
 本書は中国でも版を重ね,読み継がれている。それは薬物の臨床応用,すなわち弁証論治において薬物を組み合わせ,随証加減する知識を与えてくれる書として,本書がきわめて有用だからに他ならない。各論の各薬物の解説では,その薬物の効能が簡潔にピシッと示され,次いでそのいくつかの効能を活かすための配合が丁寧に述べられている。例えば第3講・瀉利薬にある「沢瀉」の項を見ると,その効能は「肝・腎2経の瀉火,膀胱の逐水である」として,その効能を得るための7通りの配合の例が示されている。学んで応用してみると臨床の場面に役立つことが一目瞭然である。
 中薬学の教科書で同じ分類項目(例えば利水薬・補益薬など)に属していても各薬物には個性があり,またいくつもの顔をもち,それぞれいろいろな場面に応用できる。それは薬物の配合により発揮される。本書は臨床の場面に応じた配合の例が豊富で適切である。中薬学の教科書を学び,その知識を臨床に活かす次のステップの学習に,本書が役立つ。
 まず,ご自分の使い慣れた身近な薬物から学んでみることをお勧めする。その場合,例えば沢瀉を学ぶとき,同じ分類の茯苓・猪苓・車前子・滑石なども同時に読み進み,使用に当たっての鑑別点を学ぶとよいだろう。また,第1講と第10講の総論部分も味わい深い。初心者には得心がいかない部分もあるかもしれないが,本書を臨床に活用しながら,繰り返し総論部分も読み返していただきたい。弁証論治にもとづく用薬の神髄がおぼろげにも理解されるのではないだろうか。
 本書を愛し,その恩恵を受けたひとりとして,日本語に翻訳され,多くの方に学習されることになるのがたいへん喜ばしく思われる。本書を手に取る皆様が,本書の知識を臨床の場面に活用して,弁証論治の能力を向上されることを期待して推薦の序としたい。

日本中医学会会長
平馬直樹


2014年03月04日

問診のすすめ―中医診断力を高める

序にかえて― 問診から始めよう


 中医学では四診合弁を重要視する。四診をフル活用し総合的に診断せよ,という意味である。総合的といっても,それぞれの診断法が同じ立ち位置にいるわけではない。また,同じ構造を有するわけでもない。
 考えてみれば道理であるが,四診のうち問診のみ異なる特徴を有する。その特徴をひと言でいえば,言語往来の原則に尽きる。問いに対して相手が答えるという,いわばキャッチボール式の情報収集法である。
 この相互性は,ほかの三診にみられない特徴である。問診以外の診断法,たとえば脈診や舌診などは,術者のもつ理論で相手の情報を汲み上げている。当然ながら,理論が稚拙だと情報を収集することができない。
 その点,問診は術者自身の学識の高さを問われない。何とありがたいことか,初学者が主体とする情報収集法としてはうってつけではないか。もちろん,問診それ自体の作法や,相手への説明力などの諸問題が内在し,中医用語と日常用語との乖離を埋める力,言葉の行間を読む力,瞬時に相手の思いを察する力などは不可欠であろう。研修生や学生に接していると,カルテを取るという作業に没頭するあまり,患者の話を聞き漏らすという事象にたびたび遭遇する。
 自らの努力で知り得た理論や知識が,問診の稚拙さゆえに活かされないケースを見るのは余りに忍びない。これが本書を手がけた動機である。
 特に自覚症状・既往歴・家族歴などにおいては問診の独壇場であり,問診レベルの向上により,本人のもつ諸知識に統一感が生まれ,飛躍的に弁証力が上がることもまれではない。
 『素問』徴四失論に「病を診るにその始め,憂患飲食の失節,起居の過度,あるいは毒に傷(やぶ)らるるを問はず,此を言ふを先にせず,卒(には)かに寸口を持つ,何(なん)ぞ病能く中(あた)らん」(病気を診断するのに,その発症時期,悩み苦しみ,飲食の状態,生活のリズム,あるいは中毒ではないかなどを聞かずに,問診に先んじて脈診をとる。こんなことで,どうして正しい診断ができるだろうか!)という下りがある。
 本書はこの精神に即しながら,「いかにして問診レベルを上げるか」をテーマとした。これは人見知りで,頭の回転の遅い筆者の課題であった。
 今回,過去に習ったこと,感じたことを思い出しながら整理した。幸いなことに,家内邱紅梅(きゅう こう ばい)から意見をもらう。第5章および第6章ジョイント問診の項では,本当にジョイント(共同執筆)してくれた。夫婦をやって20年以上経つが,はじめてのジョイントではないだろうか。愚鈍な筆者から見ると才女すぎて「歩く中医書」に見える家内であるが,義父邱徳錦(小児科医)から受け継いだ「常に何事にも全力を尽くしなさい」という言葉を大事に守っている姿勢には,人として頭を垂れるしかない。妊娠年齢の平均が40歳を優に超える臨床歴を多数もつ助っ人の参入は心強い。
 全体を通してみると,中医用語にどこまで統一感をもたせるかに難儀した。極力,初学者がわかりやすいように平明な中医学用語を心がける。病理に関しては最も適当と思われる語句を選択し,証名に関しても気血津液弁証,経絡弁証,臓腑弁証,病邪弁証内にとどめ,六経弁証,衛気営血弁証などは後ろに括弧付けする。
 最後に,頭の回転以上に筆の遅い筆者と飽きずにお付き合い下さった東洋学術出版社 井ノ上匠社長,編集に尽力下さった桑名恵以子様,校正に関するご助言をいただいた三旗塾前橋倶楽部代表 北上貴史先生,三旗塾 松浦由記絵先生,山口恵美先生および河本独生先生には,この序文をもって御礼の言葉に代えさせていただくこととする。

2014年3月
金子 朝彦

2014年04月03日

中医臨床のための温病学入門

はじめに


 温病学は,漢代・張仲景の《傷寒論》を基礎にして発展した外感熱病の新体系である。主として寒邪襲表・化熱入裏および寒邪傷陽の病機を分析し体系化した《傷寒論》とは違い,温熱あるいは湿熱の邪の侵襲による傷陰耗気の経過を解析しているところから,「温病学」と称される。《傷寒論》が張仲景個人の独創による著作であるのに対し,温病学は明代に展開し清代に隆盛して体系化が進み,多くの精英が切瑳琢磨することによって次第に形成された学理であるところが大きく異なっており,現代に至ってもなお成長を続けつつある。
 歴代の多くの医家が,聖典である《傷寒論》を一貫して尊崇し継承しながらも,社会条件や機構の変遷ならびに文化圏の拡大などさまざまな要素が加わるなかで,《傷寒論》の理論や理法方薬では実際の臨床に対応しきれない状況に数多く直面し,具体的な現象の細緻な観察と自己の臨床経験にもとづいた新たな理論や理法方薬を提示し,多くの批判を受けながら他家の知見や解釈をとり入れ,歴史的な評価を経て次第に「温病学」を体系化し,《傷寒論》の束縛から脱脚した新たな学説を形成したのである。それゆえ,実際の臨床において対象になる外感病の範囲は,《傷寒論》よりはるかに日常的かつ広範であり,病態把握や理法方薬もより具体的で理解しやすく,季節と密接な関連をもった病態分類と相俟って,身近な理論体系となっている。また,自然界の気候を含めた病因と人体の両面に対する鋭い観察と病態把握の深さ,人体の内部状態と病邪の相互関係にもとづいた治療の方法論と有効な治療手段などを考え合せると,現代医学の感染症に対する認識や治療手段をはるかに凌駕する高次元の医学であることが感得できる。
 歴史的に《傷寒論》の解釈と運用に重点をおき,他の学術の受け入れにさほど熱心でなかった日本においては,温病学も等閑視されて馴染みが薄いが,わが国の気候環境で発生する外感病をみると,「温病学」の理論と方薬の方がより実際的で無理がなく,効果もすぐれている。知識を吸収して損はなく,逆に《傷寒論》をさらに深く理解するうえで益するところ大であると言える。
 中医学を学ぶ者にとっては,新たな外感熱病の理論体系を会得するにとどまらず,中医理論そのものの理解を深めてさらなる発展への足がかりとすることができる。とくに興味深いのは《温病名著》であり,時代を画した名医の立論と注解,ならびに「選注」として示された秀才達の批判・反論・肯定・強調・解説・展開・付説などを熟読玩味することにより,中医学独特の思考方法や認識の真髄に触れるとともに,新理論の確立への途径を理解することができ,大きな啓示を得ると確信している。


 以上は1993年に上梓された本書の旧版にあたる『中医臨床のための温病学』の「はじめに」の部分である。これは20年以上経過した現在も特に改めるところはない。旧版はすでに絶版となったが,幸いに再版を望む方が多いとの声をいただき東洋学術出版社のご厚意で今回新たに上梓することになった。本書は総論と各論に分かれ,できるだけ読みやすくすることを目指した。旧版ではさらに「温病名著(選読)」を設けたが,新版ではこれを割愛し比較的コンパクトに温病の全体像を読み通すことができる書物とした。名著の抜粋を各論のそれぞれの章の最後に引用してあるので,興味のある読者諸氏は是非読んでいただければ幸いである。
 総論では,温病の概念と基礎理論および基本的な弁証論治を示している。
 各論では,風温・春温・暑温・湿温・秋燥・伏暑および温毒の七種を章別に論述し,各章ではまずその病変の概念・病因・病機・弁証の要点を述べている。ついで弁証論治においては,「衛気営血」の区分に大別したうえで,その病変の特徴にもとづいたよくみられる証型を提示した。各証型については,〔症候〕〔病機〕〔治法〕〔方薬〕〔方意〕を示し,適宜に他の証型との区別や関連を述べた。さらに,小結(まとめ)を行ったのち,末尾に関連する文献を読み下し文で付加している。
 温病学の用語は紛らわしいものも多く,文章のみでは難解で混乱しやすいので,旧版よりも図表を増やし理解の助けとした。
 本書は,「温病学」(孟樹江主論,上海科学技術出版社,1985)を藍本とし,「温病縦横」(趙紹琴ほか,人民衛生出版社,1987),「温病学」(南京中医学院主編,上海科学技術出版社,1979),「温病学」(張之文主編,四川科学技術出版社,1987年),「温病学釈義」(南京中医学院主編,上海科学技術出版社,1978),「温病学講義」(成都中医学院主編,医薬衛生出版社,1973),「暑温と湿温の証治について」(張鏡人,THE KANPO Vol 9.No 1,1991),「温病条弁白話解」(浙江中医学院,香港新文書店,発行年月不明),「温病条弁新解」(呉鞠通,学苑出版社,1995年),「湿熱条弁類解」(趙立勛編著,四川科学技術出版社,1986),「中国医学百科全書・中医学(下)」(《中医学》編輯委員会,上海科学技術出版社,1997),「傷寒六経病変」(楊育周,人民衛生出版社,1991),「金匱要略浅述」(譚日強〈神戸中医学研究会訳〉,医歯薬出版,1989)などを参考にし,当研究会での討論をふまえたうえで,編集・構成したものである。
 現代医療の感染症治療の現場には,つぎつぎに新薬が登場して薬剤の種類は増えているが病原菌もしたたかに耐性を獲得して新たな攻撃をしかけてくるために未だに完全勝利を得るには至っていない。こうした状況をみても温病治療の考え方および治療法を理解し,さらに発展していくことが今後とも重要であることは言を俟たない。本書がそのためにいささかでも寄与できることを願う。本書の至らぬところも多々あると思われる。読者諸兄のご指摘,ご批判をいただければ幸甚である。


2014年2月      
神戸中医学研究会

2014年11月11日

『中医臨床のための医学衷中参西録 第1巻[傷寒・温病篇]』

はじめに


  本書は,近世の名医・張錫純の著作《医学衷中参西録・全三冊》(河北科学技術出版社,1985年)を参照して翻訳・編集したものである。翻訳本は2001年に本会より既に一部が医歯薬出版より出版されたが現在絶版となっている。希有の中医学書であると同時に臨床医学の啓蒙書でもある本書をより多くの読者に知っていただくために,今回全面的に翻訳をしなおし,張錫純自身が執筆した本文と書簡をほぼ収載して読者の臨床の役に立ちやすい組み立てとした。原著は時代順に書かれており,同じテーマであっても張氏の経験から訂正を加えている箇所が多いので,翻訳も原則として時代順に配した。ただ,テーマについては利便性を考えて,大きく傷寒・温病と内傷雑病(薬物講義を含む)に分け,最後に基礎理論および書簡とし,三部に分ける。本巻ではそのうちで傷寒および温病にあたる箇所を時代順に抜粋して翻訳した。
  張錫純は,字を寿甫といい,河北省塩山県の人で,1860年〔清・咸豊10年,日本の万延元年〕に生まれ1933年〔民国22年,日本の昭和8年〕に没した近世の名医である。豊かな教養人であるとともに,「読まない書物はない」と称されるほどの広汎な中医学の学識と,これにもとづく独自の深い認識をもっており,明快な理論のもとに病因・病機・病態および治法方薬についての解説を行った。
  自序にもあるように知識層の家系に生まれ,幼児期から父親の薫陶を受けて育ち,長じて2度の科挙の試験に挑んで失敗したのち,「良相為らざれば,必ず良医為らん」との祖先の垂訓を守って医学の道へ入った。1918年に奉天〔瀋陽〕の立建中医院・院長に就任し,系統的な臨床経験を積むと同時に,多数の論文を医学雑誌に投稿して名声をあげて,当時の「名医四大家」の一人にあげられ,張生甫・張山雷とともに「名医三張」とも称された。1926年に天津に居を移し,中西医匯通医社および国医の通信教育学校を設立し,多くの後継者を養成した。書中に多くの受業〔師に対する弟子の自称〕が登場するのはこのためである。日中は診療し夜間は著述にいそしむ生活を続け,1933年8月8日74歳で病逝した。真面目で熱心かつ慈愛に満ちた人物であることが,自序,経歴および書中の記述からくみとれる。
  自著に「衷中参西」と名づけたように,張錫純は中西医匯通派〔中西医結合派〕と目されている。アヘン戦争以降に欧米列強の侵入を許し半植民地と化した中国では,医学においても西洋医学の影響を受けざるをえなくなったことを反映している。書中に「西洋薬が中国に入って以降,維新主義者は競争してこれに走り,守旧主義者は汚らわしいもののようにみなすので,ついに互いに牴牾〔くい違い〕を生じ,終いには交流し難くなっている。私は凡才であるが,日常の用薬に喜んで多くの西薬の長所を取りいれて中薬の短所を補って,当初から両者に敷居をつくらない。したがって,拙著を衷中参西と命名した。西洋医学の用薬は局部治療で病の標に重点があるが,中医学の用薬は原因治療を求め病の本に重点がある。結局,標・本は当然兼顧すべきで,難治の証に遇った場合は,西薬でその標を治し中薬で本を治せば必ず捷効するはずで,臨床でも確かに手応えを感じている」と述べ,当時の中国での医学界の状況を示すとともに,中・西両医学の特徴を分析している。すなわち,迎合して無批判に西洋医学を取り入れるのではなく,「衷中」すなわち中医学という確固たる土台のもとに,「参西」すなわち西洋医学の学説・化学・薬物などを積極的に学んで有益なものを採用し,中医学をより発展させようとの意図である。
  しかしながら,当時の西洋医学は今日からするとかなり未熟で,治療面でもみるべき所が少なく,当時の薬物も現在では過去の遺物になってしまっており,さらには中医学に立脚する著者に西洋医学に対する誤った理解や牽強附会がみられるために,本書では西洋医学に関連した記述を一部割愛した。また現代医学での治療が確立して,漢方薬での治療が行われないものでは,訳注として説明を加えた。しかし,当時の考え方を知るうえでの重要な資料でもあるので,ほぼ変更を加えずに記載している。本書は現代西洋医学を充分に学ばれた読者を対象としている。水銀製剤や鉛含有物質など現在では治療に用いることは許されないものもあるので,理解してお読みいただきたい。


  《医学衷中参西録》は1918~34年の16年間に次々と刊行され,全七期30巻からなっている〔1957年に遺稿が第八期として加えられた〕。発行の状況は以下のようである。


第一期 各種病証と自製新方 1918年出版。
第二期 各種病証と自製新方 1919年出版。
第三期 各種病証と自製新方 1924年出版。
 以上は,前三期合編上下冊・8巻としてまとめられ,1929年出版。
第四期5巻 薬物解説 1924年出版。
第五期上下冊・8巻 各種医論 1928年出版。
第六期5巻 各種症例 1931年出版。
第七期4巻 傷寒論病証 1934年出版。


  この後,全七期30巻に第八期を加え,《医学衷中参西録》上中下の三冊本が,1934年に河北人民出版社から刊行され,これが現在に至っている。
  以上のように,原著は約16年にわたり次々と増補改訂しながら書かれており,後になって病証を総括したり新たに医論を補充したり,同じ病証の症例を追加するといった配慮がなされているので,相互に参照することが理解を深めるうえで最も望ましい。
  本書によって新たな深い認識が得られ,臨床での成果がより高められることを期待している。


凡  例


1.本書は《医学衷中参西録》上・中・下冊から抜粋し編集しなおしており,当然配列が異なるので,各項に「第○期×巻」と表示して原著を参照しやすくしている。


2.現代文として意訳し,適宜に「 」でくくったり,訳注を附して理解しやすくしており,不必要と考えられる西洋医学的記載は一部割愛した。


3.( )内は張錫純自身の原注であり,〔 〕内は訳注である。


4.自製方剤については,組成と関連部分を罫で囲み,見分けやすくしている。


5.『傷寒論』の条文については,条文をできるだけ訳注のなかに加えた。条文番号については張錫純の用いた番号の他に,《傷寒雑病論》(日本漢方協会学術部編・東洋学術出版社)で用いられている番号を(***)として記載した。


6.巻末には,中医用語・方剤名・薬物・傷寒論条文の索引を附した。


〔参考文献〕
中国医学大辞典:謝観等編纂,中国書店,1990年
中医大辞典(方剤分冊):中医大辞典編輯委員会編,人民衛生出版社,1983年
本草経義疏:王大観主編,人民衛生出版社,1990年
中薬学:顔正華主編,人民衛生出版社,1991年
医史手帳:安井広迪編著,日本TCM研究所,1993年
傷寒六経病変:楊育周著,森雄材・安井広迪訳,人民衛生出版社,1992年
中医名詞術語精華大辞典:李経緯等編纂,天津科学技術出版社,1996年
傷寒論浅注:陳修園著,陳紹宗等校注,福建科学技術出版社,1987年
傷寒論辞典:劉渡舟主編,解放軍出版社,1988年
金匱要略浅述:譚日強編著,神戸中医学研究会・名古屋中医学研究会共訳,医歯薬出版株式会社,1989年


張錫純 自序


  人生には大きな願力〔願いと努力〕があればこそ,偉大な建樹〔功績〕が残る。一介の寒儒で,起居する草茅にはこれといった建樹はないが,もとよりその願力は尽きえない。老安友信少懐〔《論語》老はこれを安んじ,友はこれを信じ,少きはこれを懐けん〕は孔子の願力である。まさに一切の衆生をして皆仏と成らしめんとは如来の願力である。医は小道ではあるが,実は済世活人の一端である。したがって医を学ぶものにして,身家温飽をなさんと計るは則ち願力小さく,済世活人をなさんと計るは則ち願力大である。そしてこの願力が私にあるのは,また私だけの願力ではなく,実は受け継がれてきた祖訓である。私の原籍は山東諸城にあり,明代に直隷塩山の山辺務裏に居を移し代々儒学者を生業とした。先祖は三公〔官僚としての最高位の三つの官職〕を友とし編纂された系譜を受け継いでいるが,垂訓はここにあって,凡そ後世の子孫は,読書のほかに医を学ぶべしと謂う。つまり范文正公〔北宋の政治家,文人〕の「良相たらずんば,必ず良医たれ」の意である。錫純が幼時読書を学んだ先厳〔亡父〕丹亭公は,かつてこの言葉を述べて錫純に教えた。やや年長になると,さらに方書を授け,かつ大意を指し示した。通読のあいまにはここで遊び,多くの良いものを得て,さらにまた祖訓をまもった。ただ当時まさに挙子〔科挙試験受験者〕の勉学をしていたので,これにまだ大きな力を割けえなかった。のちに二回の秋闈〔秋の科挙試験〕に不合格となり,壮年であったが続ける気を失った。そこで広く方書を求め,古くは農〔神農,農業と医薬の神であり,《本経》と略称される《神農本草経》を著したとされる〕軒〔黄帝,軒轅の丘に住んだとされ,《内経》の中心人物〕から,最近の国朝〔清〕の諸家の著述にいたるまで合計するとあらかた100種以上の書籍を読み調べた。《本経》と《内経》は,開天辟地の聖神と医学の鼻祖が貽したもので,これこそ淵海〔内容が深奥,広範であること〕な医学と知った。漢末になると張仲景が現れて《傷寒論》《金匱要略》を著し,《本経》《内経》の功臣となった。晋代の王叔和〔《脈経》を著し,当時すでに散逸していた張仲景の《傷寒雑病論》を撰輯した〕,唐代の孫思邈〔中国史上最初の医学百科全書である《備急千金要方》《千金翼方》を著す〕・王燾〔膨大な前人の医書を編輯し理論研究と治療方剤をはじめて統合整理し《外台秘要》を著す〕,宋代の成無己〔《内経》に基づいて《傷寒論》を分析注釈し,《注解傷寒論》を著す〕,明末の喩嘉言〔《傷寒論》の条文を分類整理研究して《尚論篇》を著す〕らも,やはり張仲景の功臣である。国朝には医学が発展して人才が輩出し,張志聡〔《素問集注》《霊枢集注》などを著す〕・徐大椿〔《医学源流論》《神農本草百種録》などを著す〕・黄元御〔《素霊微蘊》《傷寒懸解》《金匱懸解》などを著す〕・陳念祖〔《神農本草経読》《傷寒論浅注》《金匱要略浅注》などを著す〕らの諸賢は,いずれも張仲景および淵源をなす《本経》《内経》を踏襲しており,したがって彼らの著した医書はいずれも正統な医学である。ただし,晋・唐から現代にいたる諸家の著述はよくできてはいるが,いずれも瑣末にいたるまで旧態の伝承に汲々とし,初めから日進月歩して中華医学を進歩させようという意図がない。古を師として貴ぶということは,古人の規矩準縄に縛られることではなく,それを手段として自分の性霊〔心の霊妙な働き〕を瀹い神智〔精神と知恵〕を益することである。性霊・神智が活発になり充溢すれば,さらに古人の規矩準縄を貴んで取り上げ,これを拡充し,変化し,引伸触長〔意味を推し広め同類のものに出会えばそれらすべてに及ぼす〕して,古人が『後世の者たちもなかなかやるものだ』とし,畏れいるようにすべきである。世の中のことはいずれもそうあるべきで,医学だけが違うはずはない。私,錫純はこうした考えで,何年もたゆまず医学を研究し,たまたま人のために処方をすると,すぐに得心応手〔思い通りの結果が得られる〕し,宿痾の病を挽回することができた。先慈〔亡母〕の劉太君〔身分の高い婦人に与えられる称号〕が家におられたころ,私は親孝行するいとまがなくなることを恐れて,あえて軽々に他人の往診には応じなかった。たまたま急症であるからと診察の求めがあっても,みだりに遽しく応じるようなことはなかった。先慈は『病家が医者を待ち望むのは,水に溺れるものが援けを求めているようなものです。あなたが治せるのなら,急いで往って救けておあげなさい。しかし,臨床では十分に注意し,鹵莽〔粗雑〕なことをして人を害さないように慎まねばなりません』といわれたので,『唯唯〔はいはい〕』と教えを受け,以後臨床家としてほとんど1日たりと休むことなく,今日まで10余年に至る。ここに十数年の経験の方で,多くの効果があった頻用処方を集めると,ちょうど大衍〔五十〕の倍数である。方後には詮解と重要な医案をつけ,また同時に西洋医学の説と方中の筋道を対比して明らかにし,集めて八巻として《医学衷中参西録》と名づけた。ある人は,ざっと目を通して「あなたの書物を読むと,先人が指摘していないことを啓発しており,誠に医学の進歩である。しかし,今般あらゆることが西欧化しており,編中では西洋医学の説を採用したとはいえ,あまり西洋薬を採り入れてないので,恐らくはこの道は最高峰に達してはいない」と問う。そこで「中華の苞符〔河図洛書〕の秘は,三墳〔古代の書〕より啓き,伏羲の《易経》《神農本経》《黄帝内経》がこれである。伏羲が画いた《易》は,文字ができる以前から存在し,従って六十四卦はその象に止まるが,しかしながらよく万事万物の理を包括し,文王,周公,孔子がこれを解明したとはいえ,なおまだ余蘊がある。《本経》《内経》が包括する医理は,極めて精細で奥が深く,ずば抜けて量りがたく,やはり《易経》が万事万物の理を包括するがごときである。周末の秦越人〔扁鵲〕より後,歴代の諸賢は,いずれもそれぞれに新しい考え方があるが,三聖人が《易経》を解明したことと較べれば実際及ばず,したがってその中には余蘊がなお多い。私は古人より後の時代に生まれたので,古人が完成できなかった仕事を完成させねばならず,古いものを助けて新しいものにし,わが中医学の輝きを全地球上に喧伝できなければ,それは私の罪である。私,錫純は毎日このことを心にとめて,老いを忘れてたゆまず努力を続けている。これまで西洋医学を渉猟したが,実はまだその薬物を一つひとつ試験する暇がない。さらにその薬の多くは劇薬であり,また臨床で安易に試しえないので,多くの西洋薬を採用できていない。しかし,本編で取り入れた西洋医学は医学理論を採用しただけではなく,常にその化学理論を採り入れ,方薬の運用には中西医学を融合させて一体化し,その薬を採用した場合にも,記問の学〔いい加減な理解でやたら講釈するような学問態度〕としているのではない。ただ学問の道は,年毎にあらゆる分野で重要な進歩があり,この編が既に完成した後も,西洋医学を広範に読みあさって,さらに信ずるべき説と用いるべき方を採用し,試して確実に有効ならば,続編にする。志があって未だ至らぬ事でも,志さえあれば必ず成就する。

巳酉孟春塩山張錫純寿甫氏書于志誠堂


例言〔前三期合編の凡例〕


1.薬性を解明した初めの書は,《神農本草経》である。この書は文字が使われるようになった最初の書(《易》はそれ以前に存在したが,そのころはまだ文字はなかった)であり,簡策〔簡も策も古代に文字を書くのに用いた竹片。簡策は書籍の意〕の古さがわかる。この書には合計365味の薬が記載され,その数は1年間の日数をあらわす。これを上中下の3品に分け,上品は養生の薬,中品は治病の薬,下品は攻病の薬としている。各品の下には,すべて詳細に気味と主治を記し,気味を明らかにすることにより主治の理由も示している。また,薬性が独自の良能を具備し,気味から外れるものもあるが,古聖はすべてを知り尽してこれら一つひとつを明らかにしており,医学における天地開闢の鼻祖といえる。後人は識見が浅薄なために,薬が独自の良能を具えていても,気味から推し量れなければ,すべて削除し記載していない。たとえば,桂枝は上気吐吸(吸っても下達せずに吐出する,すなわち喘の不納気である)に非常に効果があり,《本経》に記載があるが,後世の本草には記載がない。また,山茱萸は寒熱往来(肝虚が極まった場合の寒熱往来)に非常に効果があり,《本経》に記載があるが,後世の本草には記載がない。このようなことは枚挙に暇がない。私はこれらをみるたびに深く嘆き惜しみ,そのため本書で薬性を論じた箇所ではすべて《本経》に従い,後世の本草は軽軽に採用していない。どの臓腑どの経絡に入るかの明確な記載がないと疑うものがあるが,どんな病を主るのかを知らずして,薬力がどこに至るかを知ろうというのか。つきつめれば,服薬すれば薬は気血に随って流行し至らない所はない。後世,詳細に臓腑経絡に分けるのは,かえって学ぶものに拘墟〔見識が浅く浅薄なこと〕の弊を残すように思われる。


2.明解な医学理論は《黄帝内経》に始まる。この書は黄帝と臣下である岐伯・伯高・鬼臾・雷公の間の問答形式で書かれており,《素問》と《霊枢》に分かれる。《素問》の要旨は薬による治病にあり,《霊枢》の要旨は針灸による治病にある。ただし,年代が非常に古いので欠落がないとはいえない。古代の相伝は口授によることが多く容易に亡失したので,晋代の皇甫謐〔《甲乙経》を著す〕はこの書は不完全であるといい,宋代の林億はこの書には偽托〔偽作〕があるのではないかと疑っている。さらに仲景は《傷寒論》の序で「《素問》9巻を用いて文章を書いた」と述べているが,現在《素問》は24巻あり,その中には偽托があることがわかる。しかし,その核心部分は聖神の残した言葉であることは確実で,断じて偽托者の為せるわざではない。たとえば,針灸による治療は今では世界中で認識されているが,もし古聖が始めていなければ,後世に創造できたであろうか? 西洋医学で詳しく解剖を講義するものが創造できるだろうか。《内経》を読む方法とは,ただ信じうる部分を詳しく研究して会得することであり,そうすれば無限の法門〔勉学に入る順序方法〕を開くことができる。信じられない部分は,後世の偽托かもしれないので,論及しなくてもかまわない。これは孟子のいわゆる「書尽くは信じ難し」の意である。現在西洋的な方法を重視するものは,《内経》の信じるにたる部分の研究に努力せず,信用し難い部分を極力指摘するのみである。その意見を推し進めると,《内経》の真本はとうに失われており,世に伝わるものはすべて偽托であることになる。こんな理屈があるだろうか? われわれすべての同胞はみな黄帝の子孫であるにもかかわらず,先祖が後人に与えた典籍を慈しみ一層大切に保存しようともせず,些細な瑕疵をいい立てて破棄してしまうのは,まったく嘆かわしいことである。したがって,本書の各門中では《内経》にのっとって述べた部分が非常に多いが,《難経》《傷寒論》《金匱要略》などのように《内経》にのっとった後世の医書も時に採用している。


3.本書に記載した方剤の多くは私が創製したもので,時に古人の成方を用いた場合でも多くが加減している。方中に独自の見解をもっている場合には,その方も一緒に載せて詳細に解説した。また各門の方の後に西洋医学の常用方,および試して実際に効果があった西洋薬を付録として記した。臓腑経絡を論じる際に,多く道家の説を併せて採用したのは,もともと授受があるからである。また時に西洋医学の説を採用したのは,解剖で実際的な考証があるからである。


4.古人の用薬の多くは,1度に大量を煎じて3回に分けて服用させ,病が癒えれば必ずしも剤を尽くさず,癒えなければ必ず1日ですべて服用させる。この方法に今の人々が注意をはらわなくなって久しい。私は傷寒・瘟疫とすべての急性疾患には必ずこの方法を用いる。これらの証の治療は消火に似ており,水をぶっかけると火勢はやや衰えるが,次々に水をかけつづけなければ火の勢いが再び熾んになり,それまでの効果がまったくなくなる。他証の治療では,必ずしも1日に3回服用する必要はないが,朝夕各1回服用(煎じた残渣をもう1度煎じて服用するのは1回とみなす)して薬力を昼夜継続させると,効果が早く現れる。


5.裕福な家では服薬する際に次煎〔二番煎じ〕を用いないことが多いが,元来は次煎を止めてはならないことを理解していない。慎柔和尚〔明代の僧。《慎柔五書》を著す〕は陰虚労熱の治療に専ら次煎を用いた。次煎は味が淡で能く脾陰を養う。「淡気は胃に帰す」と《内経》にも記載がある。「淡は能く脾陰を養う」の意味は,もともと「淡気は胃に帰す」からきているが,その理由を理解していないものが多い。徐霊胎〔清代の医家。徐大椿〕は,「洪範〔天地の大法。書経の洪範を指す〕は五行の味について『水は潤下を曰い,潤下は鹹を作す。火は炎上を曰い,炎上は苦を作す。木は曲直を曰い,曲直は酸を作す。金は従革を曰い,従革は辛を作す』というが,いずれもそのものの本味を述べている。土については,その文を変え『土は稼穡〔種まきと収穫〕を爰け,稼穡は甘を作す』とする。土は本来無味であり,稼穡の味を借りて味とするのである。無味とはすなわち淡であり,したがって人の脾胃は土に属し,味が淡であるものはすべて能く脾胃に入る」と述べる。また,陰虚の治療で重要なのは専ら脾であることも理解していないものが多い。陳修園〔清代の医家,陳念祖〕は「脾は太陰,すなわち三陰の長である。故に陰虚を治すには,脾陰を滋すことを主にすべきで,脾陰が足りれば自ずと諸臓腑を灌漑する」と述べる。


6.白虎湯中に用いる粳米は,古方では生を用い,現代でも生を用いる。薏苡仁・芡実・山薬の類も,粳米と同じである。諸家の本草では,「炒用」と注釈するものが多いが,炒用は丸散についてのみである。現在では湯剤に用いる場合にも必ず炒熟するのは理解し難い。専ら健脾胃のみに用いるなら炒してもよいが,止瀉利に使用するなら炒してはならない。生は汁漿が稠粘なので腸胃に留恋しうるが,炒熟したものは煮ても汁漿はないからである。滋陰に用いるなら淡滲を用いる,すなわち炒熟すべきでないことは,極めて明白である。


7.現代の党参は古代の人参であり,山西地方上党の山谷に生育するので党参という。山西の五台山に生えるものは最も優れ,特別に台党参という。現在の遼東人参とは本来種が異なり,気温・性和であり,実際に遼東人参より使用しやすく,さらに非常に廉価で貧しいものでも服用でき,誠に済世の良薬である。現在は遼東地方でも党参が多く,すべてが山西産ではない。しかし必ず党参の皮には横紋があり,胡萊菔〔食用の人参〕の紋のようで胡萊菔の紋よりさらに密ならば野山に自生する党参であり,これを人参の代用にすれば非常に効果がある。横紋がなければ,その地方独自の栽培であり,使用に堪えない。また,本書で用いる人参はすべて野党参で代用してもよいが,遼東で栽培した人参を代用してはならない。遼東で栽培した人参は俗に高麗参と呼ばれ,薬性が燥熱であるから軽用すべきでなく,傷寒・瘟疫の諸方中に使うのは最もよくない。また潞党参は,皮の色が微紅で,潞安の紫団山に生育するので,紫団参ともいう。潞党参の補力は台党参に匹敵し,薬性が平で熱性ではないので,気虚有熱に最も適する。


8.黄耆を湯剤に入れるなら,生用すなわち熟用となり,必ずしも先に蜜炙する必要はない。丸散剤中で熟用すべき場合は,蜜炙すればよい。瘡瘍の治療では,丸散でも炙用すべきではない。王洪緒〔清代の医家〕はこのことを《証治全生集》で詳しく述べている。「発汗には生を用い,止汗には熟を用いる」という説に至っては,まったくでたらめである。気分の虚陥が原因で汗が出るものは,黄耆を服用すればすぐに止まるが,陽強陰虚が原因で汗が出るときは,黄耆を服用すればかえって大汗が出る。気虚で逐邪外出できない場合は,発表薬と同服すれば汗を出すことができる。したがって,止汗するか発汗するかは生か熟の違いではなく,いかにこれを用いるかによる。


9.石膏は寒で発散に働くので,外感実熱の治療には金丹の価値がある。《神農本経》には「微寒」とあり,薬性が大寒ではないことがわかる。さらに「産乳を治す」とあるので,薬性が非常に純良であることがわかる。世人の多くは大寒と誤認して煅用するために辛散の性質を収斂に変えてしまっている(豆腐の製造に少し加える石膏を必ず煅くのは,収斂したいからである)煅石膏を外感実熱に用いると1両用いても傷人するのは,外感の熱は散じるべきで収斂すべきではないからである。大量に煅石膏を用いて治療を誤ると,過ちは煅いたためで石膏のせいではないことがわからず,逆に「石膏は煅用してもこれほど猛悍であるから,煅かなければおして知るべしである」といい,ついには生石膏を怖がることになる。そこで思い切って用いてもせいぜい7~8銭に止めるが,石膏の質は非常に重く,7~8銭でも一撮みに過ぎない。極めて重症の寒温証を挽回するのに微寒薬一撮みでは,とうてい効果を期待できない。そこで私は外感実熱の治療には,軽証でも必ず1両程度,実熱が熾盛なら大量3~4両使用することが多い。薬を茶碗数杯に煎じて3~4回に分けて温飲させるのは,病家の疑いを免れたいためと,薬力をできるだけ上焦にとどめて寒涼が下焦を侵して滑瀉を引き起こさないようにしたいからである。石膏を生用して外感実熱を治療するなら断じて人を傷害するはずはなく,さらに思い切って大量使用すれば断じて熱が退かないはずはない。ただし,薬局で細かく挽いた石膏は煅石膏が多く,処方箋に明確に生と書いても煅石膏を充てることが多い。もともと備蓄してあるものが煅石膏であるうえに,さらに薬局自ら慎重になっているのが原因である。したがって,生石膏を用いる場合は,はっきりと整った石膏塊を購入すべきで,細かく挽くところを自分で監視しなければ確実ではない。
問い:同じ石膏なのに,なぜ生は能く散じ,煅けば性質が散から急に斂に変わるのか? 答え:石薬の性質は草木薬とは異なり,煅いたものと煅かないものでは常に性質が際立って異なる。丹砂は無毒であるが,煅けば有毒になる。石灰岩を煅くと石灰になり,燥烈の性質が急に現れ,水を注ぐと火のように熱くなる。石膏はもともと硫黄・酸素・水素・カルシウムが化合してできたもので,煅けば硫黄・酸素・水素がすべて飛んでしまい,残ったカルシウムは変成して石灰になり,異常に粘渋になる。そこで焼洋灰は必ず石膏を多用するが,洋灰〔セメント〕を服用できるだろうか。したがって,石膏を煎じて缶の底に残渣が凝結するなら煅石膏なので,その薬は絶対に服用すべきではない。


10.細辛は「1銭以上服用してはならない」との説があり,後世の医者にはこれを否定する者が多いが,この説は元来おろそかにすべきでないことを知らないのである。細辛に限らず花椒・天雄・生半夏のように,味が辛で同時に口がしびれるような薬は,たいていみな弊害がある。口をしびれさせるものは肺もしびれさせ,肺がしびれると呼吸がすぐに停まる。かつて胃中が冷えたので花椒約30粒を嚼服して飲みこむと,すぐに気が上達しなくなるのがわかり,しばらくして呼吸がようやくもとにもどった。そこで,古人は主君を諌めると禍が生じることを恐れ,花椒を搗いて携帯する〔花椒を口に含んで痺れさせ不用意に諌めたりしないようにする〕ことがある意味を悟った。これからみても用薬には慎重であらねばならない。


11.半夏は降逆止嘔の主薬であるが,現在薬局では白礬で製している。降逆気・止嘔吐に用いると服用後に逆に症状がますます劇しくなる恐れがあるのは,明礬味が吐き気を誘発するからである。私は半夏で嘔吐を治療する際には,必ず微温水で半夏を数回洗って明礬味をすっかり洗い流すように努めている。しかし,洗う際には含まれる明礬量を考慮して決められた量以外に多少の半夏を加えておき,きれいに洗い流して晒し干ししたものがもとの分量に足りるようにする。薬局の質のよい清半夏は明礬が比較的少ないが,用いる際にはやはり洗うべきである。利痰の目的なら,清半夏を洗わなくても構わない。


12.竜骨・牡蛎は収澀を目的とする場合は煅用してもよい。滋陰・斂火あるいは収斂に兼ねて開通(竜骨・牡蛎はいずれも斂して能く開く)が目的なら,煅いてはならない。丸散中に用いるなら微煅してもよい。現在,すべて煅を用いているがもってのほかである。


13.山茱萸の核〔種〕は小便不利を来たすのでもともと薬に入れるべきではない。しかし,田舎の薬局で売っている山茱萸は往々にして核と果肉が半々で,甚だしい場合は核が果肉より多いことがある。処方中に「核をすべて除く」と明確に注意書きをいれても,やはり除去していないことが多いので,治療の妨げになること甚だしい。本書では山茱萸を大量に使用した重篤な証の治験例が非常に多い。私は使用時に必ず自分で点検するか,核をすべて除く必要があると説明して病家に点検させ,除いた分量をまた補うようにすると,間違いが起きない。山茱萸の効用は救脱に長じているが,能く固脱する理由は酸味が極めて強いことにある。しかし,嘗めると時々酸味がほとんどないものがあり,こうした山茱萸は使用に堪えない。危急の証には,必ず嘗めて酸味が極めて強いことを確かめてから用いなければ,優れた効果が得られない。


14.肉桂は気味ともに厚く,長時間煎じるのが最もよくない。薬局では搗いて細末にしてあるものが多く,数回沸騰させると薬力がすぐに減じ,数10回も沸騰させるとなおさらである。石膏は気味ともに淡で石質であるから,細かく搗いて煎じなければ薬力が出ないが,薬局では細かく搗いてないものが多い。そこで私は,石膏は必ず細末に搗いてから煎じ,肉桂は粗皮を除去するだけで塊のまま煎じる。肉桂や石膏に類する薬は,肉桂・石膏にならうのがよい。


15.乳香・没薬は生用が最もよく,カラカラに炒してはならない。丸散中に用いる場合は,まず挽いて粗い粉末にし,紙を敷いた鍋に入れて半ば溶けるまで焙り,冷ましてから挽いて細末にする。これが乳香・没薬から油分を除去する方法である。


16.威霊仙・柴胡などは本来根を薬用とする。薬局のものには必ず茎や葉が混在しているので,医者に選別する知識がないと事を誤る可能性がある。細辛の葉の効用は根と比べようもないので,李瀕湖〔明代の医家,李時珍〕も《本草綱目》で「根を用いる」と述べている。樗白皮と桑白皮は,いずれも根の皮を用いるが,それが本物か否かは最も弁別し難いので,使用する場合は自分で採取するのが確実である。樗根白皮は大いに下焦を固渋する。一方,皮付きの樗枝を煎じた湯は大便を通じる。俗伝の便法では,大便不通に節の長さが1寸ほどの皮付きの樗枝7節を湯に煎じて服用すれば非常に効果がある。その枝と根の性質はこのように異なるので,使用にあたっては慎重でなければならない。


17.代赭石は鉄と酸素の化合物で,性質は鉄錆と同じであり,もともと煅くべきではない。徐霊胎は「これを煅いて酢に浸けたものは傷肺する」と述べている。本書の諸方中にある代赭石は,すべて生代赭石を細かく挽いて用いるべきである。


18.薬には修治していなければ絶対に服用してはならないものがあり,半夏・附子・杏仁などの有毒薬はすべてこれである。古方中の附子は,たまたま「生用」とあっても実際には塩水に漬け込んだものであり,炮熟した附子ではないが,採取後すぐ使用するのではない。このような薬物は,方中にどのように炮製するのか明確な注がなくても,薬局では必ず修治して無毒にしてある。本来毒がない薬物で,もともと生用してよいものは,本書の方中で修治についての明確な注がないものは,すべて生用すべきである。本書の処方を用いる場合は,薬の本来の性質を失うような別の修治を加えてはならない。


19.古人の服薬方法は,病が下にあれば食前に服用し,病が上にあれば食後に服用するのが決まりである。後世の人には,「服薬すると必ず脾胃が消化したのちに薬力が四達する。病が上にあって食後に服用すれば,脾胃は必ずまず宿食〔前からの食物〕を消化し,その後に薬物を消化するので,速さを求めても逆に遅くなる」というものがある。この説は理屈に合うようでも,間違いであることを知らないのである。薬力が全身を行るのは,人身の気化を借りて薬力を伝達するのであって,ちょうど空気が声を伝えるようなものである。両方の間に空気がなければ,どこで声を発しようとその場で止まる。人身の気化をなくせば,脾胃が薬物を消化しても全身に伝達できない。人身の気化の流行にはもともと臓腑の境界はなく,咽を下った薬物はすぐに気化とともに行り,その伝達速度は極めて速く,あっという間に全身に行き渡る。ただし,空気が声を伝えるのは速いが,遠く離れるほど声はだんだん小さくなる。このことから気化による薬の伝達を推測すると,遠く離れると薬力は次第に減退する。したがって,病が下にあれば食前に服用し,病が上にあれば食後に服用するのは,薬を病変部位に近づけさせて直達する力を最も速くさせるためである。


20.湯剤では薬を煎じる液量が少ないのはよくない。少ないと薬汁の大半が煎じ渣の中に残る。滋陰清火の薬では,特に薬汁を多くして煎じなければ効果がない。したがって本書では,重剤を用いる場合は必ず煎汁を数杯として数回に分けて服用する。また,誤って薬を煎じ過ぎて干上がった場合に,水をもう1度入れて煎じても薬は本来の性質を失っており,服用すると病は必ず劇しくなるので,廃棄すべきで服用してはならない。


21.煎じるときに突沸しやすい薬は,医者があらかじめ患家に伝えておくべきである。たとえば,知母は5~6銭になるととろ火で煎じても突沸し,1両にもなると煎じることはできない。しかし,知母は最も容易に煎じ終えることができるので,まず他薬を煎じて10数沸させ知母を加えて蓋を開けっ放しにしたまま数沸させれば湯ができる。山薬・阿膠などの汁漿の薬,竜骨・牡蛎・石膏・滑石・代赭石などの末に搗いた薬は,いずれも突沸しやすい。煎薬は初めに沸き立つときが最も突沸しやすいので,煎じて沸き立つころに,あらかじめ蓋を開けて箸でかき混ぜるとよい。初めの沸き返りが過ぎ,その後も沸いておれば蓋を開けたままで差し支えなく,沸かないときに初めて蓋をして煎じるとよい。危急の証では,安危はその薬1剤にかかっているので,もしこれを下男や下女に押しつけ,薬を煎じる際の沸出をはっきりといっておかないと,事を誤ることが多い。したがって古の医者は,薬餌は必ず自分の手で修治し,湯液を煎じるにもやはり必ず自分で監視していた。


22.本書に収載されている諸方で,方中の重要な薬物の性味・能力を確実に知らないならば,四期の薬物学講義に収載された薬の注解を詳しくみるとよい。私は諸々の薬物について,巴豆や甘遂のような劇薬といえども,必ず自分で嘗めて試験している。用いた薬は,すべて性味・能力について深く知りぬいており,諸家の本草にある以外の新たな知見も加えている。


23.古方の分量を今の分量に換算する場合に,諸説があって意見が一致しない。従来私は古方を用いるのにもともと分量には拘泥しないが,たまたま古い分量を使用する場合は陳修園の説を基準にしている。(詳しくは麻黄加知母湯の項にある〔陳修園は古方を用いる場合は必ずしも古いものに拘泥する必要はなく,《傷寒論》《金匱要略》の方中の1両は今の3銭に換算できると述べている〕)


24.本書の諸方は,数種類の古方を除いた160余方が私の創製である。これはうぬぼれで新奇な異論を述べて古人に勝とうとしたいのではない。医者は人の命を救うものであるからこつこつと天職をまっとうすべきであり,難治の証に遭遇しあれこれ成方を試して効果がなければ,苦心惨憺して自分で治法を考案せざるを得ない。創製した処方が有効で,何度も用いてすべて効果があれば,その方を放棄するに忍びずに詳しく記録して保存した。これが160余方であり,努力を惜しまず人命を救おうという熱情に迫られ,日ごと月ごと累積して巻帙をなしたのである。


例言〔第五期の凡例〕


1.この編は各省の医学雑誌に掲載された論文を集めたものである。初回出版は民国17年(1927年)であるが現在絶版である。ここで又数年集めた各地域の医学雑誌に掲載された約六万余字の医論をこの五期に加えたので増広五期と名付けた。


2.この編の論文では,こちらの篇とあちらの篇とで重複がおおいのは,そのもとになっている雑誌がもともと同一ではないからである。今集めて一つの編とし,重複を除いた節にしたいが,全篇の文章の筋道や文の流れがいずれも損なわれるので,旧のままとした。どうかお許し願いたい。


3.諸論文の著作は,医学雑誌を読んで触発されたり,読者の質問であったり,時の情勢でその論証であったり,新聞社から意見を求められたもので,元来各疾患全体を論じた文書ではない。


4.諸薬について私が多く生用を好むのは,生薬の本性を残したいからである。石膏については硫黄・酸素・水素・カルシウムが化合したものであり,これを煅くと硫黄・酸素・水素は飛んでしまい,涼散の力が急に失われて,残るカルシウムが煅かれて洋灰に変わるので,断じて服用すべきではない。したがって本篇中では生石膏が人を救い,煅石膏が人を傷ることを繰り返し述べ,生命の関わる非常に重大なことであると再三にわたって注意している。また代赭石は鉄と酸素の化合物で,その重墜涼鎮作用は降胃止血に最もすぐれ,さらによく血分を生じ,気分を少しも傷らない。薬局で売る代赭石は必ず石炭の火で煅いてあるので,鉄と酸素が分離しているため血を生じることはできず,さらに酢で焼き入れするため,薬性が開破に変化して,多く使用するとすぐに泄瀉をきたす。また赤石脂については元来粉末で,宜興茶壺〔江蘇省宜興で作られる素焼きの急須で最高の茶道具とされる〕はこれを素焼きにするが,その性質は粉末と同じく粘滞で,細かい粉末にして服用すると胃腸の内膜を保護し,大便滑瀉の治療によいとする。天津の薬局ではあろうことか赤石脂を細末にし水を加えて泥状にして小さな餅状に捏ね,石炭の火で煅くので宜興の壺瓦〔素焼き土器〕となんら異ならない。もしこれを末にして服用すれば必ず脾胃を傷る。また山茱萸は性質が酸温で補肝斂肝に働き,肝虚自汗を治し,脱寸前の元気を固め,実際に極めて危険な症候にある人命を挽回する。薬局で多く用いている酒に浸して黒く蒸したものは,斂肝固気の力が急減している。このようなものは実際枚挙し難く,私が薬をしばしば生用するのは,本来の薬性を残すからである。


5.医家が常用する薬を,私が通常用いることはなく,常用しない薬を私は好んでよく用いる。なぜなら用薬には治病を宗旨とし,医者は処方に通常は薬品二十余味に至り,その分量はほぼいずれも2~3銭の間で大差はない。すなわち病を治癒させるのが,どの薬かも理解していない。しかし,私が臨床を始めたころは,通常証に合った薬を選び,一味を大量に用いて数時間煎じ,徐々に服用させて,つねに極めて重症の病を挽回し,さらにこうして実際の薬力を確かめることができた(拙編中に,一味の薬を大量に用いて危険な証を挽回したものは非常に多い)。そこで常用薬ではないのに,私がしばしば用いるのは,かつてこれを用いて実際に効果を得たからである。常用薬であっても,私が一度も用いていないのは,以前に用いて実際の効果がなかったからである。何事も必ず実際に試せばわかるので,敢えて人の話の受け売りはしない。


6.中医理論はもともと西洋医学理論を包括するものが多い。《内経》に論じられる諸厥証のように,「血の気と並びて〔類経:並は偏盛なり〕走く」〔《素問》調経論〕,および「血の上に菀し,……薄厥をなす」〔《素問》生気通天論篇〕,肝当に治すべくして治さず「煎厥」〔《素問》脈解篇〕になるのは,西洋医学でいう脳充血である。中医学では「肺は百脈を朝〔謁見する〕す」〔《素問》経脈別論篇〕といい,《難経》には「肺は五臓六腑の終始するところたり」というが,これは西洋医学の動脈および静脈の循環である。しかし古代人の用語は茫漠とし実際の解剖の裏付けはないので,記載があっても明確ではない。さらに中医学の治病はつねに病の由来を深く追求するがこれが病の「本」を治すことであり,西洋医学の治病はその局部の治療に努めるが,これは病の「標」を治すことである。危急の証および難治の証に遭遇すれば,西洋薬でその標を治すのは差し支えなく,中薬でその本を治せば必ず速い効果がえられる。したがって西洋薬の薬性が和平に近く,その原物質が確かなものなら中薬と一時併用するのは差し支えがない。原物質がよくわからず,中薬との併用禁忌のおそれがあれば,数時間の時間をあけて前後でこれを用いてもかまわない。


7.およそ薬性が和平なものなら多用すれば必ず奏効する。地黄・山薬・山茱萸・枸杞子・竜眼肉などがそうである。石膏は,《本経》でもともと微寒といい,やはり和平の品であるが,もし寒温大熱に遭遇すれば人命を挽回する見地から,時として多用せざるを得ない。私の処方をみて一剤で通常7,8両に至るので,その分量が多すぎると畏れて敢えて軽々に使おうとしない人は,いずれもまだ薬性を理解していないからである。


8.編中の多くの書簡では起結〔手紙文の起語と結語〕を略したが,起結は世事の挨拶であり,医学的には益するところはない。内容について私の創製した処方については,加減が詳細なものはこれを記録し,通り一遍なものならやはり省いた。というのも本編には至るところで事実であることを証拠立ててあり,三四句間でも読むものが役立てたいと望めば,実際に臨床で実施できる。


9.各地の薬局で販売する薬は,すべてに違いがある。戊午〔西暦1918年〕私がはじめて奉天に赴任し,方中に白頭翁を用い,でてきた薬を点検すると白頭翁は白いキノコで下の2分ほどに根がついている。薬局に「この根っこは何をつかったのか?」と質問すると,「その根は漏蘆です」と答えた。これ以降,あちらの土地の臨床では,白頭翁を用いるときは,すべて漏蘆と処方する。またかつて赤小豆を処方して,できてきた薬を点検すると想思子であったのは,これを紅豆とも呼ぶことによる(唐の王維の詩に「紅豆は南国に生ず」の句がある)。これを薬局に質問すると,「処方箋にただ赤小豆と書いてあればすべてこれを出す」という。これ以降,再び赤小豆を用いるときは,必ず赤飯にいれる赤小豆と処方する。また丙寅〔西暦1926年〕に天津に行き,䗪虫を処方してでてきた薬を点検すると,黒色光背甲虫である。薬局に質問して「䗪虫すなわち土鱉虫になぜこんなものが出てくるのか?」というと,薬局の主人は「この地方では䗪虫と土鱉虫は別物です」といった。その後䗪虫を処方したいときには,処方に必ず土鱉虫と書くように改めた。また鮮小薊を使いたいがまだなく,便宜上の処置として薬局にある乾燥したものを代用にして,でてきたものを点検すると,あろうことか食用の曲麻菜で,これは大薊である。薬局に質問すると,この地方ではもともと小薊を大薊といい,大薊を小薊というのだと知った。これ以外の錯誤をすべて列挙するのは難しい。したがって,慣れない土地での臨床では,処方に際して自ら薬味を点検すべきことが,第一の重要事項である。


10.学問の道は,重要なことが年毎に進展し,精通すればますます真髄を求める。私はかつて胸中の気を元気としたが,後になって元気は臍にあり,大気が胸にあると知り,かつて心中の神明を元神としたが,後になって元神は脳にあり,識神が心にあると知った。この編の論説では,時に前の数期とは異なる記載があるが,この編のものが正しい。


例言〔第六期の凡例〕


1.石膏はもともと硫黄・酸素・水素・カルシウムが化合してできており,生で用いるべきで煅いて用いるべきではない。生用すれば薬性は涼でよく散じ,煅用すれば洋灰〔石灰〕即ち鴆毒〔鴆は猛毒をもつ毒鳥〕となり,断じて用いてはならない。


2.赤石脂はもともと陶土である。津沽〔天津〕の薬局ではよく水をまぜて焼いて陶瓦にして丸散に入れるので必ず脾胃を傷る。したがって津沽で赤石脂を処方するときには必ず生と書いておく必要がある。しかし生赤石脂と本書中に記載しにくい。症例中の赤石脂はすべて生なので生の字を加えるまでもない。


3.杏仁の皮は有毒であるが,桃仁の皮は無毒であるから,桃仁は皮付きで用いるべきで,その色は赤くて活血の効能がある。しかし,薬局で皮のついた杏仁を間違って入れるおそれがあるので,症例中の桃仁も皮を去ると処方しているが,桃仁であることに間違いなければ皮付きを用いるとさらによい。


4.䗪虫は即ち土鱉虫で,これは《名医別録》にもある。しかし津沽の薬局ではあろうことかこれを2種に分けるので,処方に䗪虫とすればすべて偽である光背黒甲虫を充てるので,土鱉虫と書いて処方しなければ本物の䗪虫がでてこない。そこで症例中の䗪虫を用いるときには,すべて土鱉虫と処方した。


5.鮮小薊根は肺病治療の止血には最もよいが,症例中に用いていないのは薬局には新鮮な小薊根がないためである。もし近隣の山野で自分で新鮮なものを自ら採取できれば,肺病および吐血薬中に加える。小薊についての知識がなければ,第四期薬物講義にかつてその形状を詳しく記述している。


6.すべての症例中で大剤を用い数回で服用とあれば,その方を用いるときにはやはり必ずその服用方法に準ずるのが穏当である。また病人の家族にも方法通りに服用するように必ず命じておくべきで,おろそかにしてはならない。病が癒えれば薬はすぐに中止して必ずしもすべてを服用する必要はない。

2015年01月26日

『再発させないがん治療 ~中国医学の効果~』

 いまや日本人の半分はがんに罹り,3分の1はがんで死ぬ時代になってしまいました。ついこの前までは3分の1ががんに罹るといわれていたのに,急速な増加率です。
 なぜ,これほどまでにがんが増えているのでしょうか?
 特殊なものを除いて,ほとんどのがんは遺伝とは関係ありません。家族にがんの方が多く出るとすれば,それは生活習慣が似ていることが原因です。そうなのです,がんは「生活習慣病」というべきなのです。
 したがって,現代日本でこれほどがんに罹る方が急速に増えてきているということは,多くの日本人の生活習慣が誤っているといえます。具体的な問題点は本論のなかで順々に述べていきます。
 近年,セカンドオピニオンを活用することが広まり,自分の受けている医療が的確なものかどうか,より良い医療を求める風潮が盛んになり,大いに結構なことだと思います。しかしその多くは,当然ながらというべきか,同じ領域の治療経験が豊富な専門医,つまり同じ西洋医学の範疇で意見を聞くものがほとんどでしょう。私は西洋医学だけでなく,東洋医学などより広範な知識を持つ方が相談者になるべきだと考えています。
 とはいっても,東洋医学の専門知識,それもがん治療に関わるものを持っている方というのは,現在の日本にはほとんどいないのですから,現実にはなかなか難しい話です。現在,大学医学部の教育のなかに,東洋医学の講座が含まれるようになっているので,将来はこういった専門知識を持った医師が増えてくることに期待したいと思います。
 私は中国医学の専門医,それもがん患者を多く診るようになってからすでに20年を超えます。そこで本論に入る前に,中国医学が一体どれほどがん医療に貢献できるのかを話しておきたいと思います。ただし西洋医学がよく行う治療成績を統計として処理すること(EBMといわれる実証主義)は,中国医学の場合あまり意味がないと考えています。なぜなら,同じ病名・進行度であっても,人間にはすべて個体差があり,中国医学はその個性を際立たせ,そこを見て治療を行うという特色があるからです。
 したがって,本論のなかでがんに対する東洋医学の基本的な考えを述べ,さらに種々のがん症例を呈示していきますが,同じ病気であってもその治療法がそのまますべての患者に当てはまるものではないとお考えいただきたいと思います。
 私の経験では,手術後に「これでがんはきれいに取れましたよ。ひと安心ですね」と主治医に言われた患者さんで,術前もしくは術後あまり時間が経過しないうちに当院を受診し治療を始めた場合,ほぼ再発を防ぐことができます。ただしこちらが指摘した従来の誤った生活習慣を見直し,正しい生活をしていただき,きちんと服薬してもらうことが必要条件です。
 通常のがんの場合,「5年生存率」という言葉があるように,初回治療後5年間再発転移がなければ,そのがんは治ったものとみなせますが,私は特にはじめの2年間が重要だと考えています。これを過ぎれば当院の治療薬も従来よりも種類を減らしたり,薄めて服用したりすることも可能になります。
 次に腫瘍マーカーが上がってきて,どこかに再発転移が疑われる状況にある場合ですが,CT・MRI・エコー・シンチなどでも再発部位が明らかにならないときであっても,当院の治療で腫瘍マーカーの数値が下がっていくようならば,順調な経過をとることも可能です。
 最も問題なのは,初回治療でがんはなくなったと言われたにもかかわらず,誤った生活習慣を従来のまま続け,数年後に再発転移が明らかになった場合や,さらにはがんが発見された時点ですでに遠隔転移がみられるいわゆるステージⅣの状態で当院を受診された患者さんの場合,完璧に治すことはできないと思います。ただ,西洋医学で予想される以上に延命に寄与したり,QOL (生活の質)を向上させたりすることはできます。
 これは私の治療技術が未熟なせいですから,今後とも日々治療成績の向上に向けて努力して,近い将来にはいま以上に治療成績を上げることを誓いたいと思います。
 話は変わりますが,近年,うつ病になる人が増え,しかも自殺に走る方がかなりの数にのぼっており,社会問題になっています。うつ病ほどでなくても,情緒不安定で,不安感を覚える方は非常に多いようですし,もちろんがん患者さんは,常に再発の不安を抱いている方がほとんどです。誰しも時には情緒不安定になることがあるものですが,かつての日本人は大事にならないうちに平常心を回復することができました。しかし,どうも近年はうまくブレーキを掛けることができず突っ走ってしまったり,向精神薬を用いたりしてもなかなかうまく社会復帰できない人が増えているようです。
 中国医学の考えでは,心身ともに正常に活動するためには,エネルギー源となる「気」の量が充分にあり,しかもその流れがスムーズであることが必要です。現代の日本人は全般的に,この気の量が不足し,流れも滞りがちであることが様々な問題を引き起こしていると思いますし,もちろんこれが身心の脆弱さの原因でもあります。
 本書では,がんをメインテーマとして取り上げながら,現代の日本人が抱える幅広い問題についてもあわせて考えていきたいと思います。がんの予防法は他の疾患の予防法にもつながると考えるからです。
 それでは本論に入っていきましょう。

2015年06月10日

『臨床に役立つ五行理論―慢性病の漢方治療―』 推薦の序

推薦の序


 『臨床に役立つ五行理論 ―慢性病の漢方治療―』を推薦致します。
地球上に生活するすべての生体は,自然の恩恵を受けている。
 自然界の五行,木火土金水を人体の五行に当てはめてみると,まさに四季・天候・暑さ・寒さ・湿度などの巡りによって,その時期の疾病が発生しやすいことがよくわかる。
このたび,土方康世先生が五行五臓の相生・相克によって,様々な慢性疾患の診断と治療を大変わかりやすく解説された。
 二臓の母子関係の相生相克だけでなく,三臓が影響し合っている様子が図示されているので,どの順番で治療すればよいかがよくわかる。1つの疾病が多くの臓器と関連していても,その原因と目される臓から現症を呈する臓へと移行することが判明すれば,おのずと処方も決まってくる。
 症例を通した解説は先生ならではのもので,その解釈は斬新である。先生は中医学の大家ではあるが,漢方を志すものであれば,中医学,日本漢方に関係なく,この理論を日常の診療に役立てることが必要だと推薦申しあげる次第である。

日本東洋医学会
名誉会員
二宮 文乃




推薦の序


 中医学は東洋医学を学習しやすいように,古典を重視しながら歴代の医家の学説を取り入れ,系統的に理論づけられて完成した医学です。中国では中医薬大学で使用される「統一教材」としてまとめられています。基礎の解説書として統一することで,難解に感じられる東洋医学を整理しやすく,また初学者にとっても把握しやすいという利点があります。日本においても中医学に対する認識が高まり,中医学を学ぶ先生方も増えており,たいへん嬉しく思っています。
 『傷寒論』などの古典においても,「病」「証」「症」それぞれを説明する条文がありますが,日本では条文どおりに方剤を投与することが多く,一般に「方証相対」と言われています。これが有効なこともありますが,複雑な臨床症例に対しては無効なこともあります。その理由は,原文の条文だけでは,その「病」「証」「症」の基礎理論・病因病機(発病の原因・発病の機序=病理)に対する説明が不足しているためだと考えられます。
 そこで,中医学の弁証論治*を学習することによって,思考法や視野が広がり治療法を見つけやすくなります。弁証論治の具体的な流れは,「理(弁証)→法(論治=治療原則)→方(方剤)→薬(生薬)」ともいわれ,正確に弁証論治を行うためには,中医基礎理論・中医臨床・方剤学・生薬学を併行して学習する必要があります。
 *弁証論治:中医学の診断方法(望・聞・問・切の四診)を運用して患者の複雑な症状を分析し,それを総括して,いかなる性質の証(証候)であるかを判断するのが【弁証】で, さらにその証に対する治療原則にもとづいて,治療方法を確定するのが【論治】です。
 確かに中医学で用いられている中医用語と,弁証論治の考え方には理解しにくい部分があります。しかし,臨床医である土方康世先生の著書はまさに,具体的な弁証方法を丁寧にまとめた臨床に役立つ参考書で,特に中医学の根源でもある『黄帝内経』の五行学説・臓腑学説を軸に,千変万化の臨床症例がわかりやすく整理されています。本書は中医学の弁証論治の考え方を学習するうえで役に立つはずです。
 私は5年前に静岡伊豆漢方勉強会で,土方康世先生に出会いました。静岡の先生方からも土方先生は中医学に精通した先生だと教えられましたが,なにより土方先生の中医学に対する熱意にたいへん感動し,刺激を受けました。土方先生は学んだ中医学の理論を,すぐに臨床で実践する頭脳明晰な学者であり,心より敬服しております。
本書の特徴は主に以下の4つです。
1.難解な中医学の用語を簡明に説明しながら,図を多く取り入れているので,中医学の初学者でも活用しやすい。
2.臓腑学説の理論だけでなく,五臓の相互関係を重視する五行学説を利用して,「相生」「相克」「相乗」「相侮」の関係を具体的な症例を通して詳しく説明しています。臨床においてうまく弁証できない難治症例に遭遇しても,治療方法が見つけやすく,有効処方を選択しやすくなります。
3.各症例の考察では,診断のポイントを明らかにしながら簡明にまとめられています。
4.読者自身の症例を分析したり,整理したりするときに,本書の弁証分類法を参考にすることができます。

 今から36年前,私は中国の北京から日本に来ましたが,来日当初,母校である北京中医薬大学の先生方から「日本に行けばこれまで学んできた中医学を学べなくなるが,それでもいいのか」と言われ,そのことをいつも気に掛けていました。しかし,日本に来て36年の歳月が過ぎ,その間,ずっと中医学の仕事に囲まれ,日本の医療関係の先生方とともに中医学を勉強できることに,心から感謝しています。
 中医学を学んできた一人として,日本の医療関係者に中医学の素晴らしさをわかりやすく伝えることに大きく貢献されている土方康世先生に感謝申しあげます。中医学が日本の医療現場でさらに普及し,応用され,人びとの健康・養生に貢献できることを心からお祈り致します。

中医学講師
菅沼 栄

『臨床に役立つ五行理論―慢性病の漢方治療―』 本書を読むにあたって

本書を読むにあたって


1.本書は,五行理論の特に相生・相克・相乗・相侮の関係を,臨床において応用した筆者の経験をまとめたものです。


2.五行説は,古代中国の基本哲学であり,宇宙の森羅万象を木・火・土・金・水の5種類の行に分類し,それらの相互関係の法則性を見出して体系化されたものです。現代科学の目からみると五行は非科学であり,漢方臨床家においても五行を忌避する方は少なくありません。しかし五行の相関理論は中国伝統医学の発展過程で中核的理論として取り込まれており,五臓の生理病理を把握するうえで五行の理解は欠かせません。


3.五行の相関には,正常な状態の相生・相克関係と,病的な状態の相乗・相侮関係があります。実際の臨床においても,肝(木)が盛んとなって脾(土)を克する(討ち滅ぼす)相乗関係の木乗土,心が盛んになり過ぎて,本来心(火)を克する腎(水)を受け付けない相侮関係の火侮水はしばしば見られます。
本書では一般に空理空論と思われがちな五行理論にスポットを当て,五行に熟知すれば臨床に役立つことを,筆者の臨床経験にもとづいて紹介しています。特に筆者は慢性疾患に有効であると述べています。


4.もちろん筆者自身が強調しているとおり,五行理論のすべてを人体に当てはめることはできません。しかし人の病態に五行理論を当てはめて考えることは難治病を治療する糸口となる可能性があります。


5.本書の中核を為すのは,第3・4章の筆者の症例分析です。収録した26症例すべてに五行図を使って各臓の相関を図示しており,ひとめで各症例における五臓の相関関係を理解できるようになっています。図中には便宜的に肝①・心②・脾③・肺④・腎⑤と各臓ごとに番号をふってありますが,番号自体に意味はありません。

6.症例のなかには煎じ薬を使ったものもあります。それらについては各症例の最後に[エキス剤で代用するなら]という項を設けて,代用処方を呈示してありますので参考にしてください。


7.巻末の附表は,神戸中医学研究会編著『中医学入門[第2版]』(医歯薬出版株式会社)などを元に一部改変して筆者が作成したものです。五臓各臓の弁証論治を一覧にしたもので,病態がどの臓に属するのかを決定する際に参考になるので,附表を見ながら本書を読み進めていただくと理解しやすいでしょう。なお表に記載されている症状はあくまでも主症状であり絶対的なものではありません。


編集部

2015年08月03日

『中医臨床のための医学衷中参西録』 第2巻[雑病篇]

はじめに


 本巻は清代の名医張錫純の著作《医学衷中参西録》の中核をなし,われわれ一般臨床医にとって身近な臨床雑病をとりあげる。雑病には内科・小児科・婦人科・泌尿器科・外科・耳鼻科・眼科・精神科などを含み,本書中には日常診療で参考になる記載が臨場感をもって語られている。
 とりあげた症例では,しばしば患者自身の言葉がありのままに記されており,日常臨床における患者自身の訴えを聞くことの大切さに改めて気付かされる。現代医学では病名をつけることに意が注がれて,患者が何に苦しんでいるのかを知ろうとする努力にやや欠けるきらいがある。また客観的なデータを重視するあまり患者の訴える言葉に充分な関心が払われていないことは反省すべきであるように思える。
 耳を傾けて患者の話を聞く問診は臨床医学の第一歩である。現代は情報の時代で,医学もさまざまな情報の洪水である。医療現場では一人の患者からあらゆる情報を取り出そうとする。血圧を測り,尿を調べ,採血をし,レントゲンを撮り,超音波でさぐり,カメラを入れ,それでも足りずにさらに高度なMRIや最新の検査手段を追い求める。遺伝子レベルの診断が脚光を浴び,治療もよりいっそう高度でかつ高額になる。もちろん臨床検査は重要であるが,医師はまず患者の言葉に充分にかつ丁寧に耳を傾けることから始めなければならない。患者の言葉が病の原因がどこにあり,取り除かねばならない苦痛が何によるものなのかを教えることは多い。張氏の症例にも,「そんなことは自分の病気にとって重要なことではないと考えていた」と患者が言ったとある。よく話を聞き,かつ重要な情報を聞き出すことは,今最も医師に求められる能力の一つであり,そうした情報を得てはじめて分析が可能になる。
 張氏は懇切に患者の話を聞き,脈診や舌診をはじめとした身体所見を分析し,矛盾点があれば考えぬき,迷った挙句についに診断に至る過程を詳細に記録している。治療にあたっても非常に細やかな気遣いをしている。薬を服用すると起きうることをあらかじめ知らせるなど,患者や家族に合わせて細かい説明をする。薬の内容をそのまま伝えると患者の家族が恐れて飲ませないと予想すれば,少し工夫を加える。薬の味にも非常に注意を払い,吐き気のある患者にはそれを助長するような薬を避け,少しでも薬の味を嫌がる場合は苦心して味のない薬による治療を考える。また貧しい人々には高価な薬を避け,日常のありふれた食物を用いての治療にも言及する。さらに広い中国での薬局事情を述べ,薬の確かめ方や,ときには製剤の仕方まで詳しく記載している。さらに治癒後の養生が必要な場合にはよく言い含めておくことを忘れない。こうした治療者としての彼の態度が,現代でも真に尊敬できる中医師として,当時の医師ばかりでなく,現代の医師にも光彩を放つ存在にしている。
 現代の医学教育で中医学を取り入れながら現代医学を学ぶことは決して無駄ではない。専門医ばかりの養成では大多数の一般患者は救われない。国民にとって日常的に頼れる身近な医師が増えることが望まれる。
 現代医学が最も得意とする分野は,人間としての患者の姿がみえない領域に多い。もちろんそれらが非常に重要な分野であることに異論はない。事故などの救命救急治療や,診断・治療が射程距離に近づいてきた先天性疾患などは輝かしい分野である。しかし一方で,より膨大な数の人々が苦しみ,その治療を望んでいる臨床雑病を,よく話を聞き,その発症の原因を考えて納得のできる治療を施す医師がまだ不足している。そうした医師を目指す人々にとって本書は極めて有益であると信じる。


神戸中医学研究会


2016年06月01日

『臨床家のための中医腫瘍学』 はじめに


はじめに


 私が中国の大学を卒業した1982年には,がんの入院患者は現在ほど多くありませんでしたが,病院で内科の臨床に従事しているうちに,患者数が徐々に増えてきました。内科病棟には抗がん剤治療を受ける患者や末期がんの入院患者が多くなり,生薬の煎じ薬や中成薬をよく使用するようになりました。また,大学を卒業した翌年,母が乳がんになったことをきっかけとして,がん治療に取り組み始めました。
 1996年に来日してからの9年間は,日本医科大学で肺がんの研究に携わり,動物実験や分子生物学の研究を通じて,がんに対する認識を深めてきました。
 国立がんセンターがん対策情報センターの推計によると,日本人が一生涯のうちに何らかのがんになる割合は,男性で49%,女性で37%とされています。つまり「日本人男性の2人に1人,女性の3人に1人ががんになる」と言うことができます。科学の進歩により,がんの研究も進み,早期発見と治療に関してはさまざまな成果が上げられています。しかし,がんの発症原因については未解明の部分が多く,病因に沿った治療はできません。また,現在の標準的治療法である手術・放射線・抗がん剤による治療では,多くの患者が完治できないのが現状です。手術できる範囲は限られており,放射線や抗がん剤には副作用の問題もあります。ですから,がんに対しては,総合的な治療が必要になってきます。
 中国では,伝統医学における先人たちの経験と智恵をがんに対する補完医療の1つとして,広く用いています。ただ,先人のがんに関する経験は各古典医籍に分散して記録されており,がんのみを扱った古典医籍はありませんでした。しかし,この30年,中国各地の病院に中医腫瘍科が次々と設立され,基礎研究や臨床研究が盛んになり,中医腫瘍学が体系化される時代となってきています。その成果は,中国国内だけでなく海外の専門誌でも発表され,教科書や専門書も多く出版されています。
 私は,日本の各地で中医腫瘍学や中医内科学の講義をしてきましたが,その講義原稿が徐々に増えたので,今回それを入門者向けに本書としてまとめました。私自身の臨床・研究・教育の経験を整理し,さらに古典や関連の最新文献も参考にしながら,初学者が中医腫瘍学の全体を理解しやすいように工夫したつもりです。
 現在,中国と日本では,医療制度の違いにより,がんに使用できる漢方薬の種類も異なりますが,本書では中国における中医腫瘍学の歴史と現状を紹介しました。
 日本語の語学力不足のために,理解しにくい点も多々あるかと思いますが,いくらかでも読者の参考に供することができれば幸甚です。
 本書の出版にあたり,日本語の記述についてご指導いただき,編集にお骨折りいただいた東洋学術出版社の井ノ上匠社長と編集担当の麻生修子氏にこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。


2016年 春   鄒 大同

『臨床家のための中医腫瘍学』 凡例


凡 例


1.本書は著者の臨床経験・研究内容・講義資料を整理し,専門誌や関連書籍などを参考にしながら作成した中医腫瘍学の入門書である。

2.総論では,中医腫瘍学の歴史・病因病機・中医学的診断と治療・西洋医学的治療の副作用対策・常用漢方薬・経方の運用・「癌毒」対策・食養生・未病と予防などについて検討した。

3.各論は,各種のがんに対する概念・関連する西洋医学の知識・中医弁証論治・養生・予防などで構成した。治療の項では常用中成薬・単味生薬・経験方・鍼灸療法・薬膳などについて述べた。

4.方剤の出典と組成は,該当頁の関連する内容の後に記述した。日本では原処方を加減しないで使う場合が多いため,方剤の加減はしていない。

5.中成薬については,中国で使用している名称とその使用量を記載した。主に,林洪生主編『腫瘤中成薬臨床応用手冊』(人民衛生出版社)を参考にした。

6.経験方については出典を明記し,中国で使用している薬用量を記載した。

7.各論部分の著名な老中医の医案については,老中医本人あるいはその直弟子が専門誌に発表した論文や著書の中から厳選し,説明を加えた。

8.病名別の証型分類と対応する方剤を「『同病異治』の主な方剤」として巻末にまとめた。

9.がんによく用いる方剤を「『異病同治』の主な方剤」として巻末にまとめた。


2016年09月01日

『中医オンコロジー ―がん専門医の治療経験集―』 推薦の序

推薦の序


 このたび畏友・平崎能郎君が2年間に渡る中国留学の総まとめの1つとして,花宝金著『名中医経方時方治腫瘤』を翻訳出版する運びとなった。この翻訳書は単に原文を日本語に翻訳したものでなく,平崎君の見解も加えられたもので,「訳著」と命名するにふさわしい内容である。ともかくその快挙に心からなる賛辞を贈りたい。
 日本漢方は江戸時代の中期に古方派と称される一群の医家が登場し,中国の医籍『傷寒論』『金匱要略』を再評価することから始まった。この集大成を吉益東洞(1702-73)が成し遂げたが,その方法論の根幹は方証相対論である。私はこの日本漢方と現代西洋医学を融合させた和漢診療学を提唱し,実践している者の一人である。方証相対を確立した吉益東洞は陰陽五行論を完全否定したが,それは当時の医界が金科玉条としていた陰陽五行論との思想闘争であったから,必然的なものであったと理解される。しかし方証相対論の最大の欠点は,なぜそうであるのかという疑問を持つことを拒否し,『傷寒論』『金匱要略』を主体とする方剤を過剰に重視し,ともすればその範疇の中だけに留まってしまうという学問的態度を形成したことである。これでは本書で花宝金先生が展開されているような経方と時方を駆使した「中医オンコロジー」の世界は見えてこない。
 本書の訳著者である平崎能郎君は,私が富山医科薬科大学(現富山大学)医学部和漢診療講座で教授の職にあった時に,和漢診療学の修得を志ざし入局した東京大学卒業の偉才である。今から18年前のことであるが,どこかに土の香りがする元気な若者であった。その後,2005年に私が千葉大学に和漢診療学講座の開設のために移籍した際に,彼はこの新たな講座を立ち上げることに参画してくれた盟友である。私の信条は西洋医学の知にも十分な理解を持ってこそ和漢診療学は形成されるというものであるから,平崎君にも西洋医学での博士号取得を考えた。千葉大学では免疫学の研究が最先端レベルであったことから,免疫学教室の中山俊憲教授にお願いして,大学院博士課程でご指導頂いたのである。この新しい環境に取り組んだ平崎君の努力は凄まじく,瞬く間に免疫学領域の博士論文を完成したのである。
 平崎能郎君は本来リベラルな性分であり,「常に患者に対しベストを尽くしていれば特に形式や思想に拘る必要はない」というもので,これは私の信条にも一致するものである。この信条の下に私の門下生の多くが海外留学を経験しているが,平崎能郎君は留学先として欧米を選ばず中国を選んだ。彼は2006年頃から独学で中国語を習得し,2014年から,中医科学院広安門病院に留学したのである。
 中国医学は歴史も長く,使われる生薬の種類も豊富で,その辨証論治は理論的に完成しているかのように思われる。私は平崎君が渡航する際に彼の推薦状を作成したのであるが,その際に「日本漢方は修得したか」と尋ねたところ,彼は「日本漢方の奥は深いので一生かけて研究するつもりです。今回はその源流を探りに行きます」との弁明であった。もしこのとき彼が傲慢に「修得した」と答えていたら,推薦状は書かなかったかも知れない。彼の目指す所は表面的な中医理論ではなく,長い歴史の中で積み重ねられて来た膨大な経験の奥にある「暗黙知」であると私は考えている。
 本書における症例は皆素晴らしく経過の良いものである。考察における中医学の理論は一部論理の空回りに傾き賛同しがたい点もあるが,概ね中国医学の利点を臨床に最大限に活かしたものであると言える。平崎君のコメントも日本の医師の視点から書かれており,本書を身近なものに感じさせる。また生薬解説では,英文になっていない中国での実験エビデンスも引用されており,これを手がかりに日本での研究が進むことを期待している。巻末の「中国の医療事情」は中国の社会事情を反映しており,本書を一層身近な内容にしている。広く同学の士に本書を推薦し,序に寄せる言葉としたい。


2016年8月  医療法人社団誠馨会
千葉中央メディカルセンター
和漢診療科 部長 寺澤 捷年



『中医オンコロジー ―がん専門医の治療経験集―』 序




 現在の中国では,世界の他の地域と同様に,がん患者は年々増え続けており,その治療も時代の要求に合わせて,めまぐるしく発展している。がんの集学的治療の必要性が叫ばれて久しいが,中国では中医学がすでに集学的治療の一部となっている。
 また,昨今は患者主体の医療としてテーラーメイド治療が注目されているが,中医学はまさしく先哲の作り上げてきたテーラーメイド医療であり,その歴史は長く,症例経験も豊富である。中医治療は中国古来の和諧の精神にもとづいており,がん治療においても,担がん患者の体内の腫瘍と生体の抵抗力に中薬が作用し,平衡状態に導くといった働きをもたらす。
 西洋薬による治療は,がんを攻撃することに主眼をおくため,しばしば過剰医療を引き起こす。そこで中薬治療を併用すれば,この「過ぎたるは及ばざるが如し」の状態を未然に防ぐことができる。早期のがんに対しては西洋医学の治療で腫瘍を取り除き,中医治療でがん体質を改善する。また進行期以降のがんに対しては,中医治療で症状を緩和し,生存期間を延長し,高いADL(日常生活動作)レベルでの担がん生存を実現する。このように,集学的治療のなかで中医治療が果たす役割は大きい。
がんの中医治療学(以下,中医オンコロジー)は,今日まで発展を遂げてきている。ここ30年の間は,扶正培本を治療の基本に,担がん生存を目標とした治療にもとづく臨床および基礎研究を積み重ねてきている。担がん生存の目標とは,腫瘍は消滅していないが増殖は遅く,患者が長期に生存していて,かつQOL(生活の質)が保たれていることである。
 中医オンコロジーの特徴には,症状の軽減,QOLの改善,放射線療法・化学療法・分子標的薬治療の副作用軽減なども含まれている。また,中医オンコロジーの中核となる理念に「未病を治す」という考え方がある。がん治療においては,発病の予防,進行や転移の抑止,寛解後の再発防止が,この考え方にもとづくものである。
 中薬による腫瘍治療の効果は,日増しに国内外の専門家から注目されるようになってきている。なかでも世界規模の研究所であるアメリカ国立がん研究所(NCI)の補完・代替医療センターからは少なからざる関心を持たれている。最近では中薬とがんに関する学会が,アメリカ国立衛生研究所(NIH)によって何回も開催され,現状と植物薬の臨床効果および基礎研究の方法論に関して議論されている。中薬による腫瘍治療は,次第にEBM・個の医療・標準化を目標とするようになっている。すなわち中薬の薬効の評価体系を苦心して完成し,中医オンコロジーの基礎理論を絶え間なく作り出し,基礎研究では免疫学・遺伝学・分子生物学などを取り入れ,従来の簡素な抗がん生薬実験から細胞・遺伝子・分子のさらに深いレベルでの研究へと発展しつつある。
 2006年には,がんは「コントロール可能な慢性疾患」に位置づけられ,前世紀の「いかにがんを見つけて,いかに消滅させるか」という考えから,21世紀的な「分子標的治療と腫瘍のコントロール」へと発想が変化してきている。中医オンコロジーもこの方向を目指しており,人類の健康に大きく貢献し,なおかつ治療の国際標準を変革する契機となるよう,チャレンジし続けている。
 本書では,中国でがん患者に対して行われている中医オンコロジーの臨床の実際を紹介したいと思う。原書『名中医経方時方治腫瘤』(中国中医薬出版社)の日本語翻訳に際しては,2014年よりわれわれの研究グループに参加している平崎能郎が一人で行った。彼は,真面目で誠実な性格であり,われわれの真意を失わずに,わかりやすく適切な表現を用いて翻訳したことと思う。本書により,日本のがん患者に福音がもたらされることを願っている。


2016年5月  花 宝金



『中医オンコロジー ―がん専門医の治療経験集―』 はじめに

はじめに


 私は,日本の医学部を卒業したあと,漢方医として日本国内で診療をしてきましたが,2014年からは北京の中国中医科学院広安門病院腫瘍科に博士研究員として在籍しています。広安門病院には,進修医制度というものがあり,中国各地から経験を積んだ医師が著名な老中医のもとで勉強するために来ています。そのなかには,西洋医学で専門をもつ医師も多くみられます。
 中国では,がんに対して治癒を目指す中医治療が行われていて,学問として成立している―この事実は日本では一部を除いてあまり知られていません。多くの人は,いかがわしい詐欺まがいの治療だと思っているのが現状でしょう。日本では,がんの治癒や長期の担がん生存を目標として,天然薬物を最大限に応用する腫瘍治療は,積極的には行われていませんから,中国での中医腫瘍治験を紹介することは有意義であると思うようになりました。新たながん治療選択肢の可能性を医学的に示したいという気持ちがわいてきたことが,この本を出版しようとした動機のひとつです。
 本書は,『名中医経方時方治腫瘤』(花宝金ほか編著,中国中医薬出版社,2008年)の症例部分を翻訳・編集したものを中心に,新たに解説などを加筆したものです。この本には,現代の中国各地で,がんの中医治療を行っている名医の治験が集められています。掲載した症例は,経過の良いものばかりですが,「チャンピオンデータだけを示している」「西洋医学的な評価が不十分」(これは医師の責任というよりは社会的背景によります。詳しくは「中国の医療事情」の項に記しました)という非難は覚悟のうえで,治療手段の限られたがんに対する新たな可能性を提示する目的で紹介するものです。
 また「中医学は再現性の低いEBMである(中医学の各々の症例は過去の経験という証拠に基づいたEBMではあるが,その再現性は低い)」と,故・山本巌氏が述べていますが,中医診断名や弁証論治は絶対的なものではなく,診断する中医師の学術的背景や患者の状況により変化するものです。本書においても,そのような曖昧さや多様性を含むものであることをご了承いただきたいと思います。
 編著者の花宝金氏は,広安門病院腫瘍科で長年にわたって中薬による腫瘍治療の臨床と基礎研究に携わってきました。現在は同院の副院長を務め,院内外の中医診療環境の向上に多くの貢献をしています。諸流派の腫瘍治療の考え方を1冊にまとめるという難しい作業を成し遂げたのは,花氏の温厚な人柄と幅の広い交流によるものです。また,花氏は中医腫瘍治療の現状を俯瞰的にみることのできる立場にあることから,本書のために,中医腫瘍治療に関する総論として「中医学によるがん治療の現状と未来」を書き下ろしていただきました。
以下に,いくつか,本書を読むうえで,あらかじめ知っておいていただきたいことを述べます。
・症例提示の後には原書に記載されている考察以外に,日本人医師としての視点からCommentや用語の補足説明を加えました。
・各症例には提示した中医師の名前(敬称は省略)を記載し,巻末にはその中医師の略歴や学説などを記しました。
・各項のはじめには,臓腑別のがんについての総論を入れていますが,それは私が他の中医学書籍も参考にしてまとめたものです。あくまでも各症例を読むときの中医学的な思考方法への導入であり,当然のことながら一般化できるものではありません。
・本書に登場する抗がん生薬のなかで,代表的なものに関しては,古典と臨床および実験データを中心に紹介しました。中医学はエビデンス性に乏しいと思われがちですが,中国国内では科学的な実験手技にもとづいたエビデンスが構築されており,海外でも多数の論文が専門誌に掲載されています。また,これらの抗がん生薬は,創薬のターゲットとなるデータベースとして世界中から注目されています。
・巻末には,中国の医療の周辺に関する情報を記載しました。中国の中医事情に詳しくない読者は,はじめにここを読んで,中医診療のイメージをもったところで症例を読み進めると,より理解が深まることと思います。
 本書の翻訳には,約2年の時間を要しました。中国語と日本語の意味の乖離に閉口しながらも,できるだけ平易にするように努めたつもりです。本書が皆さまの日常診療の参考になれば,この苦労も報われることと思います。


2016年5月  平崎 能郎



2016年11月11日

『[新装版]中医臨床のための舌診と脈診』 はじめに

はじめに


  1989年に上梓した『中医臨床のための舌診と脈診』は,多くの医師や医療に携わる方々の支持を得て,臨床の場で利用されてきた。
 このたび東洋学術出版社から改訂版を出す機会をいただき,全面的に各項に検討を加えたが,その骨格・意図については,初版のものを受け継いでいる。
 舌診については初版の参考写真の弁証を検討し直し,記述内容の再検討を行った。舌診は,現在一般化したデジタルカメラやタブレット等で簡便に管理できるようになってきたため,さらなる症例の蓄積が行われ解釈の発展が期待される。しかしながら舌写真の撮影・保存・再生において未だ一定の撮影方法や再生条件が確立されていないため,条件を揃えて比較することが困難である。今後は機器や撮影方法の発展とともに新たな診断技術とするための研究がなされることを期待している。
 脈診については数千年前からさまざまな記述がなされているが,同じと思われる脈においても年代や医家により説明が異なることも多い。脈診は本来実技によって修得していく手技であるが,理解を助けるため初版では脈波図を用い現代医学的解釈により簡便に説明できないかを試みた。しかしながら,やはり本来の中医学的観点を主眼とするほうが望ましいと考えこの点の変更を行っている。
 中医学の基礎理論に関しては本研究会の『[新装版]中医学入門』を読まれ,臨床の場において中医の四診合参をよりいっそう確かなものにするための参考にしていただければ幸甚である。
 なお,われわれの知識レベルに限界があり,掲載した症例の数も十分とはいえない。誤りや不足については,読者諸兄の忌憚のないご意見をいただければ今後の参考にさせていただきたい。


2016年10月 神戸中医学研究会



2017年10月26日

『中医皮膚科学』 推薦の序

 
推薦の序


 日本の漢方医学における皮膚科領域の治療は,全身状態や皮膚の病態に応じて,いくつかの処方を効果的に使用する形をとっている。それらは,江戸時代から昭和期にかけての膨大な経験を基礎として発展し,現在も西洋皮膚科学の精華を取り入れて,新たな分野を切り開きつつある。
 もちろん,そのような状況下でも,私たちは,宋代の『済生方』の当帰飲子,明代の『外科正宗』の消風散,『万病回春』の清上防風湯など,皮膚疾患専門の処方を駆使して治療を行っている。しかしながら,日本においては,江戸時代中期に出現した古方派(特に吉益東洞)の出現以降,全ての疾患を『傷寒論』『金匱要略』の処方で治療するという理念のもとに,これらの処方の応用技術が広範に普及した。その後の折衷派の時代においても,その理念は受け継がれ,皮膚科領域でも,多くの後世方の応用の指針が世に出された。華岡青洲(1760-1835)が十味敗毒湯や紫雲膏などを,福井楓亭(1725-1792)が治頭瘡一方を創案するなど,さまざまな処方も新たに開発された。
 一方,中医皮膚科学は,このような日本の漢方皮膚科学とはかなり異なったものである。周知のごとく,皮膚科学は,古代より外科学の一分野として発展してきた。現代の中医薬大学の標準教科書である『中医外科学』の各論は,第1版から第8版まで一貫して「瘡瘍」「乳房疾病」「癭」「瘤,岩」「皮膚及伝播疾病」「肛門直腸疾病」「泌尿男性疾病」「周囲血管疾病」「その他」の項目を立てて論じているが,この中に含まれる半数以上が皮膚科もしくは皮膚科関連疾患である。
 ここに書かれている疾患名の多くは,明清代に確立されたものであり,現在の日本の皮膚科の疾患名とはほとんど一致しない。WHO・WPROが2007年に制作した『伝統医学国際標準用語辞典』の外科部分を見ても,そこに記載された用語が,どのような病態を意味しているか,ほとんどの日本人は理解することができないであろう。
 一方,日本で現在用いられている皮膚科の疾患名や症候名は,その多くが中国の古医書に記載されている単語を基礎に,各疾患のドイツ語やラテン語の意味を日本語に翻訳して名付けられたものである。湿疹の「疹」,痤瘡の「痤」,酒皶の「皶」,天然痘の「痘」はもちろんのこと,腫瘍の「瘍」は,「癰」や「癤」を含む皮膚の化膿性疾患の総称であった。現代皮膚科学の用語は,実は中国にその端を発するものが多いのである。その点では,日本の皮膚科学も中国と同じ基盤に立っているといえる。
 中医皮膚科学と漢方皮膚科学の間には大きなギャップがある。これらの知識を結合するにはどうしたらよいか。そう考えていたところ,実に良いタイミングで,村上元先生が,中医皮膚科学を専門に記述した『皮膚病中医診療学』(人民衛生出版社,1995)を和訳し上梓されることになった。これまで『中医内科学』など,数多くの中医学の教科書を和訳出版している東洋学術出版社からの出版である。聞けば,長年にわたって中医学の普及に努めてこられた同社の山本勝曠前社長の勧めによるとのことである。
日本における中医皮膚科のテキストとして本書が選ばれた理由は,第一に,教科書レベルで必要とされる西洋医学的な知識の基礎の上に,中医学の論理で病因病機に基づいた治療を載せているという点であろう。日本の臨床家にとって,この点は絶対に欠かせないからである。
 この利点を生かして,村上先生と編集部がタッグを組み,翻訳出版に際して,いくつかの工夫を加えている。読みやすい頁作りはもちろんのこと,中医学独特の病名に対しては,すべて対応する西洋医学的病名の日本語とラテン語の病名を明記してあり,西洋医学的知識のある人に,より理解できるように配慮してある。例えば,「面遊風」が脂漏性皮膚炎,「纏腰火丹」や「蛇瘡串」が帯状疱疹であることなどを知れば,中医皮膚科学の病名理解がどのようなものか推測できるであろう。
 本書は,それだけでも辞書的な価値があるのみならず,それらの病因病機・弁証論治を明確に解説しているため,多少の中医学的知識があれば,治療の基本的な理解ができるように作られている。村上先生は,なおこれに,新たに「現代医学の概念」の項を設け,読者がより理解を深めることができるように解説を加えている(これは原書にはない)。さらに,これら弁病・弁証による漢方薬を用いた治療のほかに,これまでの経験方,外用薬を用いた治療,鍼灸,耳鍼などが幅広く紹介されており,この1冊で中医皮膚科学の幅広さを知ることができる。
 日本の多くの臨床医にとって,ここに記載されている各皮膚疾患の治療が,いかに自分たちの臨床に役に立つかということは,極めて重要である。弁病と弁証は,すでにこれまでに身につけた方法で理解はそう困難なものでないと思われるが,皮膚の症候を分析して弁証につなげる作業は,やはりある程度の訓練がいるであろう。また,多くの読者は,代表処方として紹介されている処方に戸惑うかもしれない。エキス製剤でそれぞれの処方に近いものを作ろうと試みても,無理なものも多いからである。
 また,日本の皮膚科医は,標準治療としての西洋医学的治療を十分視野に入れ,ある場合は漢方薬単独で,ある場合は西洋医学的治療と併用して治療を行う。本書は,当然ながらそういう統合医療としての考え方には触れていない。
 ともあれ,中医学の世界でしか理解されていなかった中医皮膚科学が,西洋医学的基礎を持った日本の臨床家や研究者の手の届くところに提供されたことの意義は大きい。上述したように,各疾患の診断から治療に至る過程は日本の漢方医学における皮膚科臨床とはかなり異なっている。しかし,本書は,日中におけるその違いを際立たせるのが目的で出版されたわけではなかろう。翻訳に当たった村上先生が「日常の診療に弁証・弁病というアプローチを取り入れて,難病との格闘に大いに利用してほしいとと思う」と述べておられるように,限られた処方しか用いることのできない大半の日本の臨床医が,本書を読むことによって,それらの処方の臨床応用の方法論を身につけるようになることこそが,最終的な目標であろう。
 本書は,本邦で初めて翻訳された,体系的な中医皮膚科学の教科書である。日本の漢方皮膚科治療との違いは大きく,埋めなければならないギャップは多い。本書は,そのために大きな役割を果たすであろう。


2017年4月
安井 廣迪



『中医皮膚科学』 凡例

 
凡 例


 ・本書は,『皮膚病中医診療学』(徐宜厚・王保方・張賽英編著,人民衛生出版社,1997)を原本としている。
 ・日本語版では,原本の各論の章立てを内容別に再編した。
 ・各論の雀卵斑・毛孔性苔癬・破傷風・熱傷の節,および附3「生薬一覧」は日本語版用に加筆した。
 ・各論中の「現代医学の概念」の項は日本語版用に加筆した。
 ・各論24章の生薬の説明に,薬効増強のための配合例などを日本語版用に加筆した。配合例の多くは『張志礼皮膚病臨床経験輯要』に拠っている。
 ・各論の「節」にあたる見出しでは,西洋医学的病名(別名)-[中医病名または中国語の病名]-英文またはラテン語の病名-(略語)の順に示した。
 ・本文中の〔 〕内および欄外の脚注は,村上元・田久和義隆によるものである。
 ・本文中の生薬名に*がついているものについては,附3「生薬一覧」に解説を掲載した。
 ・原著の誤植と思われる点については,第2版を参考に訂正したが,判断がつかなかったものについては脚注として残した。
 ・体穴については新表記を採用した。耳穴については原著に新旧名称が混在しているため,本書においてはそのまま表記した。なお,附4「耳穴分布図」は,『針灸学』第2版(人民衛生出版社,2012)を元に作成した。
 ・日本語版制作時の再編集・加筆および本書全体の翻訳のまとめは村上元が行った。
 ・各論は,村上元・田久和義隆・守屋和美・宮本雅子・赤本三不が分担して翻訳した。
 ・総論・各論第23章・各論の鍼灸に関する部分の翻訳は田久和義隆が担当した。
 ・外用療法の用語は,中国語をそのまま訳語としたものもあり,それらの意味を以下に示す。
  【外敷(がいふ)・調敷(ちょうふ)】新鮮な薬草を搗いて泥状にしたものや,乾燥した生薬の粉末を酒・蜂蜜・食酢で練ったものを患部に塗布する。
  【湿敷(しつふ)】生薬の煎液にガーゼを浸したものを患部に当てる。
  【敷貼(ふちょう)】滅菌ガーゼに軟膏を広げて患部に塗布する。生薬の粉末を軟膏の上に撒布することもある。
  【外摻(がいさん)】外用の粉末剤と軟膏を混ぜて瘡面を覆う方法。あらかじめ塗布した軟膏に後から粉末剤を加える方法と,軟膏に混ぜてから塗布する方法がある。黄連膏などが多用される。
  【外搽(がいた)】新鮮な植物の茎などに生薬の粉末をつけて,軽く擦りつけるように塗る。あるいは,生薬の粉末を油で丸状にしたものを薄手のラミー生地で包み,患部を軽く湿らせる。
  【搓(さ)】搓剤(薬粉を油脂で丸状にしたもの)を患部に手掌で擦りつける。
  【撲(ぼく)】軽くはたきつける。
  【浸泡(しんほう)】浸す。
  【外洗(がいせん)】洗浄する。
  【淋洗(りんせん)】薬液を繰り返しかけて洗う。
  【浸洗(しんせん)】患部を生薬の煎じ液に浸した後に洗浄する。
  【熏洗(くんせん)】患部または全身を薬液の蒸気で温め,その後に浸洗法を行う。

2017年10月30日

『中医臨床のための常用生薬ハンドブック』新装版 はじめに

 
新装版 はじめに


 1987年に上梓した『中医臨床のための常用漢薬ハンドブック』は多くの読者を得て臨床,あるいは学習の場において広く利用されてきた。
 このたび東洋学術出版社から新装版を出す機会をいただき,全面的に検討を加えた。基本的なレイアウトは初版のものを受け継いでいるが,ハンドブックとしてよりわかりやすいように心がけた。
 1.生薬のイメージがつかみやすいように蜂蜜を除く各生薬にはすべてイラストおよび基原を載せた。
 2.生薬の名称は保険薬価収載名を基準とし,それ以外は一般に通用している名称とした。
 3.初版と同様に生薬は五十音順に配列し,検索しやすくしている。
 4.各生薬の効能上の共通性を把握できるように,「薬効別薬物一覧表」を載せた。同一の生薬でも多くの効能をもつものは多項目に重複して組み入れた。
 5.保険適用の生薬一覧と薬価を収載した。
 6.薬用量については原典に記載のないものもあり,記載のあるものでも固定したものと考える必要はない。症状に合わせて調節すべきである。
 7.中国と日本で名称の混乱がみられるので十分に注意されたい。
 
 文献としては,『中草薬学』(上海中医学院編・商務印書館,1975),『中医治法与方剤』(成都中医学院方剤教研組編・人民衛生出版社,1975),『中薬方剤学(上・下)』(山東中医学院中薬方剤教研室編・山東人民出版社,1976),『扶正固本与臨床』(哈荔田・李少川主編・天津科学技術出版社,1984),『中薬的配伍運用』(丁光迪著・人民衛生出版社,1982),『用薬心得十講』(焦樹徳編・人民衛生出版社,1977)を主体とし,その他を参考にしている。
 
 本書よりさらに詳細に調べていただくには『[新装版]中医臨床のための中薬学』(神戸中医学研究会編著・東洋学術出版社刊)を参考にしていただきたい。
 われわれの知識には今なお限界があり,誤りや未熟な点もあると思われる。本書をよりよくするためにも読者諸氏のご意見・ご訂正をいただければ幸いである。


神戸中医学研究会



『中医臨床のための常用生薬ハンドブック』 凡例

 
凡例


 1.薬物は五十音順に配列している。
 2.修治や部位の違いによって効能が異なる同一あるいは同種の薬物は,ひとつの項目にまとめたうえで対比している。
 3.薬物名は保険薬価収載名を基準とし,それ以外は一般に通用している名称とした。
 4.個々の薬物は以下の要領で解説している。
   [別名]表記以外の名称。
   [基原]生薬のもととなる動植鉱物とその薬用部位。
   [修治][薬用]修治あるいは部位の違いによる薬効の差を述べている。
   [性味]薬物の味と,寒熱の性質を示す。
   [帰経]薬物の作用する臓腑・経絡などの部位を示す。
   [効能]中医学的な薬効を示す。
   臨床応用:効能・性味・帰経にもとづく臨床上の応用を,カテゴリー分けしたうえで解説し,適用する病態,配合すべき他の薬物・方剤例を提示している。
   [常用量]1日あたりの使用量を示す。
   [使用上の注意]具体的な注意事項・禁忌,ならびに効能のよく似た他の薬物との違いを述べている。
 5.各生薬の効能上の共通性を把握できるよう,「薬効別薬物一覧表」を附した。同一の生薬でも多くの効能をもつものは多項目に重複して組み入れた。
 6.保険適用の生薬一覧と薬価を収載した。
 7.巻末に薬物名の索引と方剤名の一覧を加えた。

2018年01月24日

『中医臨床のための医学衷中参西録』 第3巻[生薬学・医論・書簡篇]  はじめに

 
はじめに
  
 これまでの《医学衷中参西録》の第1巻「傷寒・温病篇」,第2巻「雑病篇」につづき,第3巻では生薬学および医説医話・書簡・随筆を収載している。本書ではこれまでの第1巻,第2巻にもまして張錫純(1860~1933年)の医学に関する考え方が随所にみられる。いずれも自身の経験,入念な思考をもとに書かれたもので他の医学者の言葉の受け売りは張氏が最も嫌うところである。残念ながら中医学理論の理解のたすけとして導入した西洋医学の知識にもとづく記述では誤りや思い違いが多く参考にはならないが,これは当時の西洋医学の水準が低かったこととも関係するので致し方ない。これをもって本書の価値を評価してはならない。本巻では当時の多くの市井の医師たちの手紙文を通して張氏がいかに彼らに信頼され,またそうした医師たちの質問に真摯に対応しているかを目の当たりにできる。
 薬物解では,当時の薬局で処方される薬に対する注意が細々と記されている。宏大な中国では,地域によって必ずしも同名の薬が同じ物とは限らないことや,地域によって修治のやり方に違いがあるので,処方箋には炮製についても指示を記載すべきこと,さらには実際につくるところを見なければ思わぬ間違いで治療に失敗することがあるなどとその指摘は細かく実際的である。生薬として薬局にある杏仁と桃仁は似るが,桃仁の皮尖は無毒,杏仁の皮尖は有毒なので注意するようにといった親切な教授がある。服用が苦手な人にいかに服用してもらうか,どの薬が臭いがなくて飲みやすいのか,当時ですら毎年値段が上昇する高貴薬の代わりには何を使用すべきか。病の後の養生にはどういうものを使うか? 彼が終生挑み続けた臨床は徹頭徹尾患者が主体である。
 医学を学ぶうえで,先ず第一段階の技量の最たるものは薬性を知ることという。しかし,薬性は本草書に詳しいが,諸家本草は信用できず,《神農本草経》ですらすべては信用しがたいと考えて慎重にため験す。毒性があるとされる薬に至るまで,収載される薬物はすべて自身で験してその効果を確かめた。今の医師が忘れている自然のなかの薬をいかに使うかをわれわれは活字の上ではあるが学べる。多くの食物が薬として使えることは現在でも活かせる。薬の費用対効果のことを最近は言い始めたが,最も重要なことは最小限の薬で効果を求め,治療によって身体的にも経済的にも患者を益することである。「小茴香辨」の項目に「耕し方は百姓に聞け,織り方は織り子に聞け」とある。常にアンテナを張って謙虚に臨床に使えるものを彼は探し続けた。自然の食物であるからすべて安全とは勿論いえない。植物は自身の生命維持と子孫繁栄のために各種の物質を出すが人間にとって有用なものばかりではない。薬もあれば毒もある。人類は薬を利用し,毒は避け,時には工夫によって毒に変えた。植物は地域により,さらには同じ植物でも野生種と栽培種では毒性が違うと張氏は述べる。同じ薬であっても裕福な人と過酷な肉体労働に従事している人では効果や至適量が異なる。季節や,土地によっても病気の種類は異なり,それに対する薬の効果は異なる。謙虚に患者の声を聞き,四診を十分に行って診断につなげ,治療するうえでも固定観念に縛られないといった現代でも最重要と考えるべき臨床の実践が記される。
 
 《医学衷中参西録》は1918~34年の16年間に次々と刊行され,全七期30巻からなる〔1957年に遺稿が第八期として加えられた〕。発行の状況は以下のようである。
 
第一期 各種病証と自製新方 1918年出版。
第二期 各種病証と自製新方 1919年出版。
第三期 各種病証と自製新方 1924年出版。
 以上は,前三期合編上下冊・8巻としてまとめられ,1929年出版。
第四期5巻 薬物解説 1924年出版。
第五期上下冊・8巻 各種医論 1928年出版。
第六期5巻 各種症例 1931年出版。
第七期4巻 傷寒論病証 1934年出版。
 
 この後,全七期30巻に第八期を加え,≪医学衷中参西録≫上・中・下の3冊本が,1934年に河北人民出版社から刊行され,これが現在に至っている。
 以上のように,原著は約16年にわたり次々と増補改訂しながら書かれ,後になって病証を総括したり新たに医論を補充したり,同じ病証の症例を追加するといった配慮がなされているので,相互に参照することが理解を深めるうえで最も望ましい。
 本書は第四期1~4巻,第五期1~2巻および第八期を含む。
 第1章の生薬学は,通常の生薬学の書物と違って,自身の体験による解釈,症例の記載がありきわめて有用である。西洋薬については自身も単に収録したのみであると述べており,したがって本書ではこれを省いた。第2章は中医生理学とその他の生薬に関する注意,弟子との往復書簡などを含む。第3章では医界の同人との書簡による自説の表明,あるいは張錫純が創製した方剤を使用した同人たちの書簡や医学雑誌での報告である。第4章は遺稿として加えられた第八期からなり,中医が読むべき書物,中医用語や脈に関する質問などに対して懇切に回答する古今の名医・張錫純の姿に感銘を受ける読者は多いはずである。
 

2018年04月19日

実践東洋医学[第1巻 診断篇] 序

 

 
 本書は,あくまで東洋医学の考え方に立脚して,病気の見方・考え方をやさしく解説したものである。
とかく医学は1つだと思い込みやすい。これは,明治より西洋医学的思考に慣らされたためであろう。たとえば学問的には動物であるが,社会的には魚と思われているクジラや,西洋画と日本画のように,世の中にはさまざまな見方・考え方がある。これは常識的とさえいえる。じつは,西洋医学と東洋医学も同様である。つまり,この両者は,まったく異なった医学体系である。東洋医学の存在理由はそのためといえる。
 幕末に,西洋医学が入ってきたとき,当時の漢方医たちは,まず漢方の考え方で西洋医学を理解しようとした。当時の漢方医にとって西洋医学の理論が難解であったことは想像に難くない。しかしそれでは非効率と気付き,すぐに西洋医学の考え方そのものを学習しようとした。日本で西洋医学が著しい発展を遂げたのは,よく知られるところである。西洋医学の考え方ではなく,東洋医学の考え方そのもので解説しようとしたのは,このためである。
 さて,たとえば「虚」という漢字をわれわれ日本人は,「うつろな」「むなしい」「よわよわしい」というふうに感じてしまう。故に虚証と聞くと,弱々しい人と思ってしまうのではないだろうか。本来はそういう意味ではなく,「あるべきものがなくなった」という意味である。漢字が出来てから数千年が経つうちに,漢字の意味が少しずつ変化しているからであろう。つまり,東洋医学理論が難しいと思う一つの理由は漢字にある。私たちはなまじ漢字を知っているが故に,漢字の意味を限定して考えていることに気づかない。
 そこで優しい言葉であったとしても,用語はその漢字の解説を施した。また,症例をなるべく多く入れ,東洋医学的な病態理論・方剤の解説を心がけた。
 本書の出版にあたっては,新井悦子様をはじめ吉祥寺東方医院の職員の方々にたいへんお世話になった。心よりお礼を申し上げる。本書を父母,妻政子,清香,純香に捧げる。


平成30年2月 そのなるをことほぐ日に 三浦於菟



実践東洋医学[第1巻 診断篇] 本書を読むにあたって

 
本書を読むにあたって
 
 本書は,『実践東洋医学』全3巻シリーズの第1巻にあたる。本シリーズは,東洋医学の考え方にもとづく病気の見方・考え方を平易に解説したもので,チャート図や表を豊富に収載して視覚的に理解を助ける工夫をしたほか,適宜,症例を織り交ぜながら東洋医学の病態理論・方剤の解説を心がけた点に特長がある。
 第1巻では,まず東洋医学の特徴・診断方法について解説した後,主要症状(寒熱症状・発汗・疼痛・月経異常等)の診断について紹介する。
 
【記号・符号の意味】
 † 巻末の「用語解説」に解説がある用語を示す。
 注 注釈を示し,符号を記した節の最後に解説がある。
 ※ 注釈を示し,記号のすぐ近くに解説がある。
 POINT 著者が特にポイントになると考えた箇所。
 原文 古典の引用。
 * 医療用漢方製剤にない方剤を示す。巻末に組成を示している。
 
【第2巻の章立て】
 第1章 生理理論の基礎
 第2章 病態理論の基礎1
 第3章 病態理論の基礎2
 第4章 治療理論
 
【第3巻の章立て】
 第1章 臓腑理論
      Ⅰ 臓腑総論
      Ⅱ 各臓腑の生理と病態
      Ⅲ 臓腑合併病態
 第2章 傷寒と温病理論概説

2018年06月05日

図解・表解 方剤学 はじめに

 
はじめに
 
漢方薬というと,葛根湯や小青竜湯,芍薬甘草湯などの方剤名が馴染み深い。また,わが国では,1967年に漢方エキス剤が保険収載されてから,医療機関における漢方薬の使用は主に方剤単位で行われている。こうした背景から,漢方薬について学ぶとなると,まず手はじめに方剤学の参考書を手にする人が多いのではないだろうか。
方剤は,適応となる病態を東洋医学的に治療するために,適切な薬味を選択し組み合わせて組成されたものである。方剤学はその理論的根拠と応用をまとめた学問であるから,東洋医学的概念を方剤単位でまとめたものということができる。実臨床では,多くの場合,方剤の処方が治療の中心であるから,方剤学は東洋医学的知識を総合的に活用し実践するうえで欠かすことのできない学問である。
わが国では,現在,多くの漢方エキス剤が保険適用となっており,その利便性から医療の現場において漢方薬が応用される機会が増えている。しかし,西洋医学的病名に当てはめる形で用いられることが多いのが現状ではないだろうか。本書を手にとられた諸氏の中には,そのような運用に疑問を感じている方も多いであろう。かくいう筆者も,はじめは病名や症状に対して方剤を選択し,用いていた。それでも西洋医学的治療で難渋する病態に面白いほど効果があり,東洋医学の魅力にとりつかれたものである。しかし,経験を重ね症例が増えていくにつれて,徐々に治療に行き詰まることが多くなった。症状が改善するまで次々と処方を変更せざるを得なくなり,暗闇の中,手探りで治療をしているようで実に心許なかったものである。このような状況を反省して中医学を学ぶようになったのであるが,その後,診療に向かう姿勢が一変した。方剤の構成と病態を東洋医学的に捉えるようになったのである。それからは,どのような方剤を選択すべきか理論的に判断できるようになり,また治療が無効であった場合も,次の治療への指針が立てやすくなった。
方剤は,もともと東洋医学的理論に基づいて作られたものであるから,東洋医学的考察をせず病証を無視して使い続ければ,体質が思わぬ方向へ変化し,さらなる病態が引き起こされることはいうまでもない。方剤の運用方法を東洋医学的にまとめ解説した書物が切望される所以である。本書では,方剤の適応証とその病態,薬味の組成について東洋医学的理論に基づいて簡潔にまとめてあるので,そのような期待に応えることができると考えている。
本書を作成するにあたって,中国で一般に教科書として用いられている方剤学のテキストを参考にした。主要な方剤をできる限り載せたつもりである。処々に挿入した図表が,理解の助けになることを期待したい。なお,病機や方解の図表は,紙面の都合上,重要な方剤に限らせていただいている。それ以外の方剤については,各自本文に基づいて図表を作成してみることをお勧めする。理解の助けになるであろう。また,症状や症候などの中医学用語で重要なものは,慣れ親しんでいただくために,日本語の後ろに括弧に入れて挿入した。参考にしてもらいたい。もし,本書に書かれた文章を難解と感じるようであれば,あわせて中医基礎理論や中薬学を学習することをお勧めする。
方剤学を学習するにあたっては,疾病の病証を的確に弁証し,必要な薬味を選択して処方を組み立てられるようになることが理想である。頻用される重要方剤の薬味の組成を学ぶことは,実臨床で出合うさまざまな病態に対して,独自の処方を組み立てる能力を養うことにもつながるであろう。本書が中医学を学び実践する多くの方々のお役に立てれば幸いである。


2018年5月
滝沢 健司



2018年08月08日

実践東洋医学[第2巻 生理・病態・治療理論篇] 本書を読むにあたって

 
本書を読むにあたって
 
 本書は,『実践東洋医学』全3巻シリーズの第2巻にあたる。本シリーズは,東洋医学の考え方にもとづく病気の見方・考え方を平易に解説したもので,チャート図や表を豊富に収載して視覚的に理解を助ける工夫をしたほか,適宜,症例を織り交ぜながら東洋医学の病態理論・方剤の解説を心がけた点に特長がある。
 第2巻では,まず東洋医学の生理理論の基礎として気・血について解説した後,病態理論の基礎として発病の仕組み・病因・病位・病態・病期,さらに気の病態・瘀血の病態・津液の病態について紹介する。さらに治療理論として生薬・方剤・副作用等について紹介する。
 
【記号・符号の意味】
 † 巻末の「用語解説」に解説がある用語を示す。
 注 注釈を示し,符号を記した節の最後に解説がある。
 ※ 注釈を示し,記号のすぐ近くに解説がある。
 POINT 著者が特にポイントになると考えた箇所。
 原文 古典の引用。
 * 医療用漢方製剤にない方剤を示す。巻末に組成を示している。
 
【第1巻の章立て】
 第1章 総論
 第2章 東洋医学の診断方法
 第3章 主要症状の診断
      Ⅰ 全身症状
      Ⅱ 疼痛症状
      Ⅲ 月経異常
 
【第3巻の章立て】
 第1章 臓腑理論
      Ⅰ 臓腑総論
      Ⅱ 各臓腑の生理と病態
      Ⅲ 臓腑合併病態
 第2章 傷寒と温病理論概説

2018年10月17日

『経方医学6』 はじめに

 
はじめに
 
 『傷寒論』『金匱要略』にある処方のうち,これまで取り上げてこなかったものについて,経方医学的に解説する。
 江部が書き溜めていたノートを,整理・構成し直した。
 黄疸・寒疝・百合病については,総論・解説も記し,その後に関連する処方を列挙した。これで,ほぼ全処方を網羅したことになると思われる。


2017年5月 著者




 

2018年12月11日

『Essential 生薬ファインダー』 監修のことば

 
監修のことば
 
 薬用植物の自生地や栽培地を調査していると,しばしば感動する景色に出会ってカメラを構えるが,多くの場合その感動が写真には写っていない。このたび,本書の監修をお引き受けすることになったが,そのきっかけは見せていただいた写真の中に心休まる素晴らしい写真がいくつも見られたことにある。まさに,感動が写った写真である。
 その写真とは,インチンコウ・コウカ・ショウマ・チョウトウコウ・ハマボウフウなど数々あるが,すべてやや遠目に群落や広大な栽培地などが撮影されたもので,各項目で最初に大きく掲載されているものである。つい頁をめくるのをためらうほどに見入ってしまう。心に覚えるのは感動というよりも,一種の安らぎというものであろうか。癒し効果抜群である。一方で,周りに載せられた小さめの写真は,植物の各器官を接写したものが多く,それだけを見せられると何の植物かさえ判断できないが,時に芸術的で別の感動を与えてくれる。癒しどころか,逆に心にざわめきさえも感じ,新しい発見があり,また自然の妙に気づかされる写真でもある。
 ところで,ヨーロッパにハーブ療法が興った頃,象形薬能論というのが提唱されて,あらゆるハーブはその薬効を象徴する形をどこかに有しているとされた。私の祖母が腎臓病には黒豆が良いと教えてくれたのはその影響であったのかも知れない。また日本でも実際,高山植物のコマクサの花が肺臓に似ているとして肺結核の特効薬と考えられ,乱獲された時期があったという。迷信とは云え,クローズアップされた器官のなかに薬効を暗示する何かの標識を探してみることは,西洋医学発展の歴史を振り返ることにも通じ,本書の別の楽しみ方であると思う。
 掲載写真の多くは,主としてカレンダー用に一時期に撮影されたものであるので,季節的な変化に欠けていることは否めない。被写体が薬用植物でありながら,薬用部位やその採集時期の写真が少ない所以でもある。また,日本に自生しない植物や畑地栽培されていない植物については,植物園での展示品が被写体とされた。監修にあたって,それらを補うために手持ちの写真をいくつか提供させていただいたが,本書発行の趣旨から外れていないことを願う。
 本書に掲載された植物に由来する漢方生薬の基本的な記載は,『第17改正日本薬局方』(第一追補を含む)もしくは『日本薬局方外生薬規格2015』の内容に従い,利用の便をはかるために最新のAPG分類による科名や原植物の異名などを付記した。また,薬用植物という観点から,各項目にはその植物の生薬としての現代中医学的な薬効や含有化学成分などが掲載され,また漢方研究者の必読書とされる『薬徴』(吉益東洞,1771年)や『古方薬議』(浅田宗伯,1863年)からの引用文が付記されたものもあるが,これらの情報は専門用語が多く,一般には馴染みにくいかもしれない。それよりも,本書は見て癒しを得る写真集として,少しでも生薬の本質に迫るヒントを得るための座右の書にしていただければと願う次第である。


監修者 御影 雅幸




 

2019年01月25日

『腹証図解 漢方常用処方解説[改訂版]』 序にかえて

 

序にかえて
漢方を学ぶ基本的な心構え


 

漢方三考塾主宰 寺師 睦宗


 
(1)志を立てること
 漢方医学を学ぶ心構えは,まず志を立てることから始まる。志の立て方が篤くて真剣であれば,おのずから道が開け,そのテンポも速い。が,ちょっとした好奇心で漢方を覗いてみようという態度であれば,十年やっても二十年やっても,深くて広い漢方を自分のものにすることは難しい。
 
(2)白紙になって漢方と取り組め
 漢方を学ぶ場合に,初めから近代西洋医学の立場で批判しながら研究したのでは,漢方を正しく理解することは難しい。漢方が一応自分のものになるまで,白紙になって漢方医学に取り組むことが必要である。近代医学の立場で批判するのは,漢方が自分のものになってから後のことである。
 空海の「瀉瓶」※である。
※瀉瓶:空海は805年長安に留学し,師の恵果から密教の秘法を授けられた。それはあたかも瓶から別瓶に内容を移し注ぐが如く,空海は師の秘法を悉く,伝授され,それを体得していった。
 
(3)散木になるな
 散木というのは,中心となる幹がなくて,薪にしかならない小木の集まりのことである。漢方の世界は広いから,学ぶ方法を誤ると薪にしかならない散木になってしまう恐れがある。まず一方の幹になるものを撰んで,これをものにするまでは,あれこれと心を動かさないことが必要である。
 幹が亭々と空にそびえるようになれば,枝,葉は自然に出てくる。中心になる幹がなくて,「あれもよし,これもよし」という乞食袋のようなものになってしまう人がある。そこで,まず中心になるものを選ばなければならない。それにはどうすればよいのか。
 
(4)師匠につくこと
 伝統ある漢方の学術を学ぶには,師匠について伝統を身につけることが必要である。それは,まず師匠の模倣から始まる。はじめから伝統を無視した自己流では,天才は別として,普通の場合は問題とするに足りない。しっかりとした伝統を身につけたうえでは,その殻を破って,自分で自分の道を切り開いて進むがよい。師匠を乗り超えて進むだけの気概がなければならない。
 「見,師と等しきとき師の半徳を減ず。
  見,師より過ぎてまさに伝授するに堪えたり」渓山禅師
 しかし,現在の日本では師匠につきたくても,師匠を得ることは難しい。また師匠はあっても,いろいろな事情で制約を受けて,師匠につくには容易ではない。このような人たちは,漢方の研究会や講習会に出るとよい。
 
(5)古典を読め
 漢方医学の根幹となる第一級の書(『傷寒論』『金匱要略』『素問』『霊枢』『本草綱目』『本草備要』)を読むこと。これらの古典は難解で,これをマスターすることは容易ではない。そこでまず現代人の書いたものから読み始め,だんだん古いものにさかのぼって読むようにするとよい。それに名賢哲匠の治験例と口訣を読むとよい。

(大塚敬節先生著『漢方医学』参照)


 
 

『腹証図解 漢方常用処方解説[改訂版]』 凡例

 

凡 例


 
1)収録した処方は,現在最も繁用されている,エキス製剤になっていて,かつ健康保険適用になっているものから126処方を選んだ。
2)処方は効能をもとに章を大きく分け,各章のはじめに簡単な解説を付し,その章に収載してある処方名を列記した。
3)各処方名の左上にエキス製剤番号(おもに先発メーカー・ツムラに準じる)を付した。処方の解説は見開き2頁に収め,以下のように行った。
 ●処方名:処方名の後に出典を示した。別名があるもの,あるいは合方・加減方であるものは,処方名の下に附記した。
 ●挿図:腹証および体表に現れる典型的な症状を示した。
 ●方意:その処方の具体的な症状を簡略に記し,脈証や舌証を附記した。文中,病位とあるのはその処方が傷寒六経のどの時期に,あるいは部位的に身体のどの臓腑の部位(五臓六腑・十二経脈)にあるときに有効かを示したものである。
 ●診断のポイント:証を決定するにあたって目標となる症候を,箇条書きにした。腹証や自覚症状などから特徴的なものを選んでいるため,必ずしも挿図にはない事項もある。
 初学者は,以上の挿図・方意・診断のポイントだけを見れば,その処方の証をおおよそ理解できるように配慮した。
 ●原典(あるいは主治):出典の条文を,片仮名交じりの読み下し文に書き改め,文末の( )の内に出典の書名と篇名等を記した。
 原典と断定できる文献が確定できない処方については,その処方の運用に後世決定的な影響を与えたと考えられる文言を「主治」として示し,「原典」の代わりとした。
 ●処方:処方を構成する生薬の薬物名と,1日分の分量のグラム数を示した。分量については,大塚敬節・矢数道明両氏の『経験・漢方処方分量集』第4版(医道の日本社刊)あるいは,株式会社ツムラの医療用漢方エキス製剤1日分の含有量などを参考とした。
構成生薬の記載について:
 たとえば,桂枝は日本薬局方では「桂皮」に統一され,桂枝と桂皮は混用されている。日本では桂枝というと桂皮(ベトナム桂皮)を用いることが多いが,効能は少し異なる。このため,本書では補陽温中を主目的とするときは桂皮と記し,その他の発汗解肌・平衡降逆・温通経脈などに働かせるときは原典が「桂枝」としてあれば桂皮とせず桂枝と記載している。また,芍薬についても,日本では「芍薬」であると白芍(補血斂陰・柔肝止痛)と赤芍(散瘀止痛・清熱涼血)の区別がはっきりしない例が多いが,その点も原典の記載に従った。
 ●構成:処方の君臣佐使を記した。君臣佐使の決定は,成無己『傷寒明理薬方論』,許宏『金鏡内台方議』,汪昂『医方集解』およびその他の解説書,あるいは筆者の考勘に従った。
 君薬は一方中の主薬で,疾病の主証に対しておもな治療効果を発揮する薬物である。
 臣薬は君薬を補助し,その薬効を増強する薬物である。
 佐薬は臣薬とともに君薬を助けたり副作用を防止する薬物である。
 使薬は佐薬の補助薬として働くとともに方剤中の諸薬を調和する働きをもつ。また引経薬として,諸薬を直接病巣局所に導く作用を果たしていることもある。
 漢方薬の処方構成はすべて,君臣佐使の法則に従ってなされている。これが一般の西洋薬や民間薬と異なる特徴である。君臣佐使の区別のない処方は,「薬あって方なし」という無秩序な薬の寄せ集めに過ぎず,規律がなく効果の程度も方向も不明確となりやすい。この点を加減方や合方に際しても十分配慮すべきである。
 ●方義:処方を構成する各生薬の,中医学的性味と本草学的薬効とを記した。必要に応じ,文末にそれらの生薬が組み合わされた場合の特徴的作用についても付記した。
 ●八綱分類:八綱は弁証の基本である。正気の盈虚,病邪の性質とその盛衰,疾病の所在する部位の深浅などから,表裏・寒熱・虚実の基本的な症候に分かち,さらにそれらを総括するものとして陰陽がある。本書の八綱分類は,その処方が全体として表裏・寒熱・虚実のいずれの傾向を有するかを大まかに記したものである。必ずしも断定できない場合は( )を付した。
 ●臨床応用:各社の医療用漢方エキス製剤の適応症も考慮に入れ,漢方診療のなかで有効あるいは適応すると思われる症状や疾患を列記した。
 ●類方鑑別:証が類似していてまぎらわしい処方との鑑別のポイントを記した。
4)どの処方も,さまざまな効能をもっているので,単一の範疇に収められるものではない。したがって書物によっては別な分類法に従ったり,別な範疇に入っていたりするものもある筈である。本書の分類は,あくまでも本書独自の試みである。分類にこだわらず自在に使いこなすところに漢方の特長があるともいえる。
5)読者の便のために,巻末に本書収載の処方に用いられている構成生薬の薬効一覧表と,処方名の五十音順索引とエキス製剤の番号順索引および症状・病名の索引を付した。
6)引用したテキスト・参考にした解説書は「引用文献」として巻末に列記した。

2019年02月06日

実践東洋医学[第3巻 臓腑理論篇] 本書を読むにあたって

 
本書を読むにあたって
 
 本書は,『実践東洋医学』全3巻シリーズの第3巻にあたる。本シリーズは,東洋医学の考え方にもとづく病気の見方・考え方を平易に解説したもので,チャート図や表を豊富に収載して視覚的に理解を助ける工夫をしたほか,適宜,症例を織り交ぜながら東洋医学の病態理論・方剤の解説を心がけた点に特長がある。
 第3巻では,まず臓腑一般の生理作用と病態について解説した後,肝・心・脾胃・肺・腎の各臓の生理と病態を紹介し,さらに臓腑合併の病態として,肝と脾胃,肝と腎,心と肺,心と脾,心と肝,心と腎,脾と腎,肺と肝,肺と腎を取り上げる。最後に,外感病の治療理論である傷寒理論と温病理論について概説を加えた。
 
【記号・符号の意味】
 † 巻末の「用語解説」に解説がある用語を示す。
 注 注釈を示し,符号を記した節の最後に解説がある。
 ※ 注釈を示し,記号のすぐ近くに解説がある。
 POINT 著者が特にポイントになると考えた箇所。
 原文 古典の引用。
 * 医療用漢方製剤にない方剤を示す。巻末に組成を示している。
 
【第1巻の章立て】
 第1章 総論
 第2章 東洋医学の診断方法
 第3章 主要症状の診断
      Ⅰ 全身症状
      Ⅱ 疼痛症状
      Ⅲ 月経異常
 
【第2巻の章立て】
 第1章 生理理論の基礎
 第2章 病態理論の基礎1
 第3章 病態理論の基礎2
 第4章 治療理論
 

2019年02月15日

『チャート式皮膚疾患の漢方治療』 本書の特徴

 
本書の特徴
 
 本書は,季刊『漢方と診療』誌(小社刊)に連載した「チャート式皮膚疾患の漢方治療」シリーズ(2013~16年掲載)をもとに,単行本にまとめ直したものである。
 本書の特徴は,以下の通りである。
 
●執筆者は,すべて豊富な臨床経験をもつ皮膚科の専門医であり,疾患の基礎概念,標準的な治療法などの解説がなされている。
●取り上げた疾患は,日々の臨床でよく遭遇するものばかりであるが,西洋医学的治療で十分な効果が得られないケースも多く,漢方による治療効果が期待できる疾患を選んでご執筆いただいた。
●単行本化するにあたっては,臨床現場からのニーズが多かった「老人性皮膚瘙痒症」「蕁麻疹」「掌蹠膿庖症」「扁平疣贅・尋常性疣贅(イボ)」「多汗症」の項目を新たに追加した。
●漢方処方の選択は難しいとされているが,フローチャートを用いることによって,4~6剤の基本的な処方の鑑別法を一目で捉えられるようになっている。
●症例紹介では,治療経過を辿ることで処方選択についての理解を深めるとともに,実際の症例写真により皮膚の症状と治療効果が確認できる。
●各疾患における漢方治療の位置づけ,代表的な漢方治療の方法,注意点,効果判定のポイントなどについても詳説されており,漢方の初学者にも理解しやすい。
 
 本書は,皮膚疾患の治療を通じて,漢方医学の基本的な考え方にも触れられるような内容になっている。皮膚科医だけでなく,他科の医師にも漢方入門書として役立てていただける一冊である。
 

『チャート式皮膚疾患の漢方治療』 執筆者

 
【執筆者】 五十音順
内海 康生(内海皮フ科医院)
大竹 直樹(海岸通り皮ふ科)
黒川 晃夫(大阪医科大学附属病院皮膚科)
武市 牧子(三愛病院総合診療科・外科)
田邊 惠美子(旭町診療所)
橋本 喜夫(JA旭川厚生病院皮膚科)
森原 潔(もりはら皮ふ科クリニック)
栁原 茂人(近畿大学医学部皮膚科学教室)
吉木 伸子(よしき皮膚科クリニック銀座)
 
 
 『漢方と診療』誌で本企画をスタートするにあたっては,武市牧子先生が2005年に発表された,フローチャートを用いた論文「痤瘡に対する漢方薬の実践的投与」(『漢方医学』)を参考にさせていただきました。
 ご多忙な中,本誌の企画趣旨にご理解をいただき,連載時にご執筆くださった先生方,また本書制作に際し,追加執筆を快くお引き受けくださった先生方に,心より御礼を申し上げます。
 

2019年 春
編集部

2019年03月22日

『「証」の診方・治し方2 -実例によるトレーニングと解説-』この本の使い方



この本の使い方



 前書『「証」の診方・治し方 ―実例によるトレーニングと解説―』およびその続篇となる本書は,呈示された患者情報から自分で証を導いて処方・配穴を考え,その後解説を読むという流れで弁証論治のトレーニングを行うことをおもな目的としている。
 また,症例は実際の臨床例であり,初診から治癒までの経過が記されているため,弁証論治のトレーニング用としてだけでなく,症例集としての活用もできる。


 序章では,弁証論治のなかの特に「論治」の部分について,高橋楊子先生(湯液治療)と呉澤森先生(鍼灸治療)によるポイントが述べられている。弁証論治を行ううえでの基本となるものが示されているため,症例を解く前にぜひ一読してほしい。


 第1章から第6章は,部位別の症例とその解説である。便宜上,症例は章を分けて通し番号をつけているが,どこから読み進めてもよい。
 症例はそれぞれ最初の頁に弁証に必要な情報が示されている。次頁からは鍼灸および湯液の弁証論治解説部分になっているため,まずは頁をめくらずに自分で症例を分析し,弁証を立てることをおすすめしたい。続く解説部分では鍼灸・湯液2つの面からの治療法・考え方の解説がある。特に弁証については鍼灸・湯液の枠にとらわれず両方の解説を参考にできる。また,弁証過程において陥りやすい間違いなどが示されており,多くのヒントが詰まっている。


 それぞれの症例は以下のような構成になっている。
◆症例呈示―年齢・性別・主訴・既往歴・現病歴・現症・四診の結果など,証を導くために必要な患者情報の呈示。
◆治療へのアプローチ―呉先生(鍼灸)と高橋先生(湯液)による解説。まず症例を呈示した先生による解説があり,引き続き補完する形でもう一方の先生による解説がある。
弁証:弁証,治法,具体的な処方あるいは選穴・手技,解説など。
治療経過:実際の治療の経過説明。
症例分析:症例を分析する際の考え方や,チャート式の病因病機図,最後には「弁証のポイント」がある。
アドバイス:弁証する際に陥りやすい間違いの鑑別点や,実践的で臨床に役立つアドバイスなど。


*本書は,『中医臨床』の連載コーナー「弁証論治トレーニング」の一部を単行本化したものである。
 誌上では出題・読者回答・解説の形であったが,単行本化にあたって読者回答は割愛した。

2019年06月11日

『疾患・症状別 漢方治療 慢性疼痛』巻頭言



巻頭言




渕野辺総合病院 病院長
世良田 和幸
 
 
 「痛み」は,古来より人間にとって辛く,切ない症状の1つであったと考えられます。身体のどこかの痛みで苦しんだ経験のない人は皆無といってよいでしょう。西洋でも,東洋でも,痛みの緩和を目的とした治療法は,古くから考えられてきました。エジプト時代にはすでにケシの実の鎮痛効果は知られており,中国で紀元前3世紀に書かれたといわれている『黄帝内経(こうていだいけい)』にも,すでに「痛み」に対する記載があります。その『素問(そもん)』挙痛論篇の中に,「痛み」に対する病因,病機,病位,証候,予後などが記載されており,「痛み」はその当時から治療の優先事項だったことがうかがわれます。また,3世紀頃に著されたといわれる『傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)』に記載されている113処方のうち35処方が,「痛み」に関するものであることからも,医学は「痛み」との戦いの歴史であったといっても過言ではありません。
 西洋医学は,東洋医学とは基本的に「痛み」に対する考え方が異なっており,病理学的な視点にも相違が見られます。例えば,東洋医学では主として,気・血・水の流れを「痛み」治療の根幹とするのに対し,西洋医学的治療法では,組織や神経の病理学的な見地から,消炎鎮痛薬の開発や手術療法,ペインクリニックなどを主体として治療を行っています。また,急性期の痛みの治療として,東洋医学には鍼灸があるものの,近年の西洋医学では,さまざまな新しい治療法が確立するなど飛躍的な進歩を遂げました。
 しかし,現代西洋医学は,急性の「痛み」を有する器質的疾患の治療には対処できますが,「痛み」が慢性的に持続し,その病因が明らかでない「痛み」に対しては,治療に難渋することがしばしばあります。また,鎮痛薬は痛みそのものを緩和する作用はあっても痛みの原因を治療する薬ではありません。一方,漢方治療は,西洋医学の弱点を補う意味でも意義のある治療法です。漢方治療は,人間のホメオスターシスを改善し,QOLを向上させることで疼痛閾値を上昇させる働きがあると考えられており,痛みの原因となる身体の
中の病態を是正し,結果的に痛みを楽にする作用があるのです。もちろん,漢方はオールマイティーではありませんが,慢性疼痛に対する治療に関しては,西洋医学よりも分があると思っています。
 今回の企画は,慢性疼痛に対する症状・疾患別の漢方治療について,現在日本において「痛み」の治療を実践されている各診療科の先生方に,中医学・日本漢方・鍼灸の立場から,総論と症例提示をしていただきました。日本の疼痛漢方治療の第一人者である平田道彦先生へのインタビューでは,漢方薬との出会いから今日までの苦労話,漢方による疼痛治療に始まり,今では「痛み」以外の患者も漢方治療を求めて来院される話など漢方の妙味を話されています。一方,滋賀医科大学の福井 聖先生のインタビューでは,学内の学際
的痛み治療センターでの慢性疼痛の臨床と研究について言及されています。難治性の「痛み」の西洋医学的治療には,医師以外にも看護師や理学療法士,臨床心理士など多職種が連携し,個々に合わせたオーダーメイド的な治療法を検討する必要があると説いています。そして,慢性疼痛治療には,西洋医学的な治療法とともに,漢方や鍼灸を活用した補完・代替療法を加えた統合医療の必要性を強調されています。
 また,今回は平田先生が師と仰ぐ,日本の漢方治療の第一人者である織部和宏先生に,古典や口訣の解説をしていただきました。中医学の立場からは,入江祥史先生に漢方・中医学における「痛み」の病態とそれぞれの病態における治療法を解説いただきました。そして,がん治療の日本の草分け的医師の一人である帯津良一先生にもご登場いただき,ご自身が実践されている「攻めの養生」について綴っていただきました。
 個々の先生方の内容は紙面の都合で割愛させていただきますが,ご登場いただいた先生方の「痛み」,とくに慢性疼痛の治療に対する経験と心意気が満ちあふれた内容となっています。本書が,臨床現場はもちろん,慢性疼痛に悩む先生方の座右の書となり,バイブル的存在になればと心から願っています。そして,慢性疼痛治療における「漢方ライフ」を実践していただけければ幸いです。
 
 

2020年11月12日

『[簡明]皮膚疾患の中医治療』 徐序

 
 
徐序
 
 
 2018年紅葉の秋,日本からわざわざ武漢まで楊達博士が訪ねてこられた。拙著『皮膚病中医診療学』(人民衛生出版社)が東洋学術出版社によって日本語に翻訳され,出版されたことを知らせるためであった。それをきっかけに互いに交流し合い,さらに彼が雲南省の古い友人の劉復興教授の弟子であることを知り,以来,私たちは意気投合して,忘年の友になった。
 
 今年11月,北京で中華中医皮膚科年会が開催された折,楊達博士より,彼が中医皮膚病学に関する本を出版する予定があり,序文を書いて欲しいと頼まれ,欣然として承諾した。
 
 武漢に戻り,原稿を拝読して3つの優れたポイントが感じ取れた。
 
ポイント1 直観的
 本書の基礎篇においては,中医皮膚科学の生理・病理・五臓との関連などに対してチャートや写真などを用いて読者に説明している。難解な文字だけの説明よりわかりやすく,直観的になっている。例えば,皮膚病の弁証では,風・寒・湿・燥・熱(火・毒)を核に,風寒・風熱・寒邪・寒湿・疾湿・温燥・湿熱・熱毒・火毒・血熱などに分類して,さらに典型的な病変写真も提示し,綿密な考え方を示している。これには,作者がさまざまな角度から皮膚病の異なる段階における代表的な特徴を観察していたことが現れている。こうした図・表・説明文を並べて説明するやり方は,初学者に対して「按図索驥」(直観的な手掛かり)の効果がある。
 
ポイント2 実用的
 本書ではよく見られる皮膚病を集め,概説・主証・検査・鑑別診断・病因病理・弁証論治・外用治療の項目に分けている。図表を駆使して,筋道は明瞭で,要点を押さえて弁証論治の精髄を書き出している。
 
ポイント3 読みやすさ
 本書は専門家に対しても中医皮膚科学の師になり得る。また皮膚病の患者とその家族にとっても読みやすく,正しい知識を普及させ,無益な弊害を避けることができるよい本になっている。本書は友でもあり,師でもある傑作であり,それゆえ,喜んで序文を書かせていただき,上文を書き上げた。


庚子孟春 八十一叟 徐宜厚 謹識



『[簡明]皮膚疾患の中医治療』 徐序

 
 
自序
 
 
 14歳頃から内科・婦人科を専門とする有名な老中医であった伯父の傍で中医学を学び始めました。大学卒業後,同大学の『黄帝内経』研究室に4年間在籍し(一定の時間を割いて内科外来もやってきました),そこでは主に古典研究と学生教育を行い,文献学的な仕事をすることが多かったです。しかし,仕事を続けるなかで,実用科学である医学は実践と理論の確認を繰り返すことによって深めていくべきだと考えるようになり,どうしても臨床をやりたくなったので,中医外科に属する皮膚科専門医に転向しました。
 当時は稀な存在であった中医皮膚科の名老中医で,皮膚科初代主任教授の劉復興先生に師事しました。しかし,皮膚科に転向して,厳しい現実を突き付けられました。患者が目の前に来ても,皮膚症状がわからず,診断・弁証ができなかったのです。
その時,劉復興教授から「皮膚科の医師は職人であり,臨床経験が重要です。いくら皮膚科学理論を覚えても,いくら内科の臨床経験があったとしても,皮膚の発疹を実際に見ないとわからないし,弁証もできません。何人もの患者の症状をよく見て,目を慣らしていくことでしか上達できないのです」と教えていただきました。
 さらに,「中医皮膚科は割に新しい分野ですが,診断・治療の方法は,現代医学の皮膚科の方法とは異なるので,両方の知識を用いてアプローチしたほうがよい」と指導されました。
 「理論をしっかり覚えたうえで,臨床を一所懸命に続けて目を慣れさせ,診断ができるようになってからさらに症例を積み重ねて自分のものにしていく」という教えは,心の底にまで刻まれました。
 その後,日本に留学に来たとき,博士課程の指導教官の池田重雄教授からも「医師の最大の任務は目の前の患者の病気を治すこと,他は二の次です」と,臨床の重要性をさらに叩き込まれました。
 27年前,留学のために来日したばかりの頃に気づいたことがありました。それは,日本ではアトピー性皮膚炎をはじめ,アレルギー性皮膚疾患の発病率が非常に高いこと。そして中医学の「温病学説」(中医皮膚科学の診療において重要な指導性を持つ理論)があまり普及していない,ということです。
 そのため,日本漢方には皮膚病専門の教科書が少なく,治療する処方も少ない現状になっているのではないかと感じました。時には中医学の処方があればよいのにと思うこともありました。そうした思いがつながり,会社ではさまざまな商品や中医美容コスメの開発を実現しました。
 そしてこの度,中国の中医皮膚病の診療方法を日本に紹介したいという思いは,東洋医学出版社の井ノ上匠社長のご理解を得て,本書の出版という形で実現することができました。
 できるだけ詳細な中医皮膚病治療の経験を書き留めていきたいという思いはありますが,中医学は何千年もの歴史を持つ伝統医学であり,数え切れないほどの臨床経験にもとづいた治療理論と処方が伝承されています。そのため,中医治療経験という大海原から取れるのは,たとえ有名な先生であってもわずかひとすくいにすぎません。
 さらに,中医学と現代医学の方法論は異なります。使用される用語,概念の内包と外延は現代医学とは異なります。たとえ同じ言葉を使っていても意味が違います。そのため,中医皮膚科の治療理論をしっかりと伝えていなければならないと思っています。
 本書の編集にあたって,どうすれば中医皮膚病治療学をわかりやすく伝えることができるのか,その方法を次のように考えました。
 
 1.中医学における皮膚病への取り組みの考えを中心に紹介し,中医皮膚病の臨床経験と中医の弁証方法を示す本にしたい。
 2.すべての皮膚病疾患を網羅するのではなく,臨床においてよくみられる疾患を集約したい。
 3.ポイントを箇条書きにして,中医皮膚病の診断・弁証の方式を,図・表の形で示し,読みやすいようにしたい。
 4.同じ分類の皮膚病を中医学の総説にまとめ,主な中医学治療の理・法・方・薬の方向性を示したい。
 5.①内服,②外用とスキンケア,③養生の中医皮膚病治療の三本柱の総合的アプローチの方法を示したい。
 6.中医学の典型的な弁証論治と治療方薬を示す以外に,日本において使用可能な製剤も併記したほうがよい(ただし,方向性は類似していますが,まったく同じ効果を保証するものではありません,ご容赦願いたいです)。
 
 本書を通して,中医皮膚病の弁証・治療などの考え方をご理解いただき,少しでもみなさまの皮膚病の臨床に役立てば幸いです。
 最後に,出版にあたって中国の著名な中医皮膚科専門医である徐宜厚(じょ ぎこう)教授の励ましと,関係者のみなさまのご協力に深謝致します。


編著者 楊達 記
2020年8月吉日



2021年02月05日

『改訂版・医学生のための漢方医学【基礎篇】』改訂にあたって

 
 
改訂にあたって
 
 
 この十数年の間に,漢方医学を取り巻く環境は大きく変化した。最も大きく変わったのは,社会的・政治的環境であろう。1993年のハーバード大学のアイゼンバーグの報告以来,世界的な広がりをみせたCAM(補完代替医療)の研究は,やがて有効なものとそうでないものを次第に明らかにし,その結果,代替医療の地位は後退して,研究の中心は補完医療と統合医療に移った。
 その中でも,漢方医学を含む東アジア伝統医学の必要性がさらに強く認識されるようになった。WHOは2019年にICD-11の中に「伝統医学」の項目を新たに導入して今後のこの医学のグローバルな発展の道を開き,またISO(国際標準化機構)は,2009年に中国伝統医学に関する技術委員会をTC249として立ち上げ,全世界のこの医学を実践する国での国際標準を作成中である。このような世界的な動きは,今後ますます盛んになると思われ,これらを知らなければ世界の趨勢に取り残されるであろう。そのようなことも含めて,冒頭の「漢方医学の現況」は大幅な増訂を行った。
 人びとの生活環境は変わっても,伝統医学そのものの形にそれほど大きな変化はない。本書はもともと初学者のために作成したものであり,当初から簡潔な記載で最低限の知識を供給することを目的としているので,内容を複雑にするような改定は行わなかった。しかしながら,時代とともに疾病構造は変化しており,伝統医学もそれらに対応していく必要がある。本書では,西洋医学の進歩や社会構造の変化に応じてさまざまに変化する疾病構造に対応する漢方医学の立ち位置を明確に示すために,「統合医療からみた漢方医学の形」という項目を設け,医学的な4つの分類と,それ以外に社会的な適応の形が存在することを示しておいた。
 また,改訂が,たまたま2020年のCOVID-19のパンデミックの時期と重なったために,わずかながら本書もそのためのページを割くことになった。まずこの疾患が武漢という中国の江南地域から発していることから,11~13世紀にこの地域で流行した疫病との類似性が高いと考え,当時の国定処方集(薬局方)である『和剤局方』をコラムで紹介し,本文中では,この疾患の初期治療に必要な芳香化湿薬や祛湿解表剤,および進行した場合の凝固系の異常や血管内皮障害に対応する活血化瘀の薬物や処方を加えた。
 上記のように,本改訂版では,社会的状況や変化する疾病構造に対し,必要な部分をごくわずかに変更した。また,基礎研究においても年々新たな研究が発表されており,副作用報告も蓄積されてきた。初版を刊行してから12年しかたっていないし,漢方医学そのものの形に変化はないものの,いくつかの改訂を加えたのはそのためである。
 今回も,東洋学術出版社の担当の方,特に井ノ上匠社長には,この改定に関して多くの労を取っていただいた。記して感謝申し上げる。


2021年2月1日
安井 廣迪



『改訂版・医学生のための漢方医学【基礎篇】』緒言

 
 
緒 言
 
 
 漢方医学は,紀元5世紀に大陸から導入されて以降,1500年余りにわたって日本人の健康を支え続けてきた。明治維新後,新政府の政策を受けて正統医学の地位を失ったとはいえ,明治末期から昭和初期にかけての復興運動によって伝統の復活の試みがなされ,今日の隆盛を見るにいたっている。
 この動きはたんに日本に留まらない。中国伝統医学は,アメリカ合衆国を始めとする諸外国でもCAM(補完代替医療)の一つとして急に注目を浴びるようになったし,いまでは世界中で盛んに実践され,研究されている。ただそれらは中国の中医学であり,日本の漢方医学ではない。
 漢方医学は,古代中国にその端を発する中国伝統医学の日本における一発展型であるが,国際的に見た場合,その理論は孤立して存在し,また18世紀以前のこの医学の形とも異なっていて,現在標準とされている漢方医学の知識を身に付けただけでは,中国伝統医学本来の形や国際的な立場におけるこの医学の位置付けを理解できない。
 わが国では,1976年以来,医療用漢方製剤の普及により漢方薬が一般の西洋薬と同じように取り扱われるようになり,この医学が世界の中でどのような位置を占めているかということとは無関係に,多くの医療機関で使用されている。これからは,ここで培われた経験と実績をもとに,国際標準である中医学の弁証論治システムと,日本固有の漢方医学の方証相対システムの双方を理解できる新たなシステム作りが必要となるであろう。
 筆者は,そのような時代の到来を予測し,日本の漢方医学を世界に飛躍させるために必要な知識を,今後の日本の漢方医学を担っていくであろう若い医学生諸君に身に付けてもらいたいという強い願望をもって,本書を作成した。作成に当たっては,全体的な構成を国際標準である中医学に置き,日本の漢方医学のもっている優れた部分を適宜その中に組み込み,最終的には臨床において必要な中医学と漢方医学の最低限の知識が得られるように工夫した。もとより,中国では5年もしくは7年の歳月をかけて大学で習得する内容を,この小冊子1冊で伝えうるものではないが,現在出版されている諸種の漢方関係の書物を読むだけの基礎知識は十分身に付くはずである。
 実際,このテキストを用いて行っている「医学生のための漢方医学セミナー」では,約1週間の日程の最後にワークショップの時間を設け,参加した学生さんたちに症例を提示し,診断から治療まで弁証論治システムを用いてシミュレーションしてもらっているが,全員ほぼ正解に近いところまで答えられるようになる。本書の知識があれば,卒業してからどのような形で漢方医学を実践することになっても,この知識を利用して自分で自分の道を切り開いていくことができるであろう。
 かつて日本では,医家の家庭においては,幼少期より医学の学習を始め,20歳代半ばを過ぎてようやく一人前とされた。現在は18歳で医学部に入学し,しかもその知識は主として西洋医学に関するものである。いささかスタートが遅いとはいえ,本書を出発点として,国際的な場で通用する漢方医学を身に付けてくれる人が一人でも多く現れてくれることを希望する。
 本書は,1995年に「医学生のための漢方医学セミナー」の試用教材として出版したものを,現在の状況に合わせて訂正・加筆したものである。当時の筆者のなぐり書きともいえる手書きの原稿を丁寧に本に仕上げてくださったのは医聖社の土屋伊磋雄氏であった。氏は,試行錯誤を繰り返す筆者の原稿を一つ一つチェックして形を整え,最終的に使いやすいテキストを作成してくださった。改めて御礼申し上げたい。このテキストは,その後,このセミナーで使い続けられ,参加学生たちに好評であった。筆者としては,しかしまだまだ不十分で直すところがたくさんあると考えていたが,これを見た畏友・江部洋一郎先生から,間違いは後で正せばよいから早く正式に出版して世の中に出すべきだとの助言を頂き,東洋学術出版社の山本勝司社長のご協力を得て出版の運びとなった。
 このたびの出版は,第1章の「漢方医学の現況」を全面的に書き直したのを始め,いくつかの文章を変更し,あるいは図版も含めて新たに書き下ろし,サイズをA4変形判として外見も一新した。これらの作業に全面的に取り組み,筆者のわがままを丁寧に拾い,素晴らしい誌面を作り上げてくださったのは坂井由美さんである。はじめての共同作業であったが,ごく短期間の間に,特に大きな困難もなく進められたのは坂井さんのおかげである。そのご努力に対し,心より感謝申し上げる。


2008年8月1日  
安井 廣迪  



2021年02月17日

『漢方診療のための中医臨床講義』まえがき

 
 
まえがき
 
 
 中医学の知識と臨床の間には大きな谷間があります。基礎理論,診断学,中薬学,方剤学などの教科書で知識を習得しても,この谷間を越えない限り実臨床でなかなか患者を治せません。中国では中医薬大学を卒業後に中医師としての臨床研修を受ける場があり,上級医が谷の向こう側まで導いてくれます。残念ながら日本にはそのような場は数えるほどしかありません。苦労して一人で谷を越えなければならないのが中医学を志す日本の医師の実情です。谷を半分渡って引き返す人も少なくないことでしょう。
 知識と臨床の谷間は中医学に限ったことではありません。6年間医学部で学び身につけたたくさんの医学知識を持っていざ臨床の現場に出たとき,誰しもこの谷間の大きさを痛感するのです。筆者の学生時代,自治医科大学の第5,6学年時に各科の病棟実習と並行して臨床講義という授業がありました。臨床講義とはそれまでに学習した医学知識と臨床現場の橋渡しを目的としています。担当学生が入院患者を診察し病歴と所見をプリントにまとめてプレゼンテーションします。それをもとに聴講学生が診断と治療を考え,最後に担当教官が症例解説と小講義を行うというものでした。このような臨床講義を受けてきても,研修医として医療現場に出たときに感じた知識と臨床の谷間は非常に大きく感じられたものです。しかしそれでも,あの学生時代の臨床講義はこの谷を渡る一助にはなったと思い返します。谷に架ける橋とは思考のプロセスではないかと思います。これは教科書に書かれていません。中医学の教科書を一通り学んだ後は,医案という古今の症例集を学ぶことを勧められますが,大多数の医案には十分な思考のプロセスが書かれていません。著者の思考過程を読者が追体験できないため臨床現場でなかなか活用できないのです。
 本書は中医学版臨床講義です。本書の目的は思考のプロセスを示して谷を越える一助となることです。症例とその解説では弁証の根拠,処方の解説とくに中薬学の観点からの生薬の選択といった理法方薬のプロセスに配慮し,読者が頭の中で筆者の弁証論治の思考過程を追体験できるようにしました。症例提示部では弁証にとってとくに重要な四診情報にアンダーラインを引きました。また解説文中の重要用語は太字で示しました。日本では取り上げられることの比較的少ない温病や虚火の症例は意識的に収載しました。一方で生薬や煎薬を用いた処方に馴染みの無い読者を念頭に,一部に医療用エキス製剤で治療した症例も加えました。過去に雑誌『中医臨床』(東洋学術出版社)や例年京都の高雄病院で開催されてきた京都漢方学術シンポジウムで発表した症例も含まれています。
 各症例に関連した重要事項は〈重点小括〉にまとめました。基礎理論,診断学,中薬学など内容はさまざまですが,一般的な成書では解説されていないけれども臨床的に重要な,あるいは読者が中医診療を俯瞰して広く応用できるようなテーマを主体にしました。〈小講義〉では四診のうち最も修得が困難な脈診を中心にいくつか要点をまとめました。本書では中医学の専門用語を使用していますが古臭い言い回しはできるだけ避けて,現代人とくに現代の若手医師にも理解しやすい平易な表現を心がけました。たとえば〈小講義3 脈象の今風解説〉のように筆者独自のレトリックも多用しました。学術的表現とはずいぶんかけ離れていますが,読者の理解のし易さを第一にしました。繰り返し読むことで理解が定着し易いように,同じ内容を繰り返し記述した部分もあります。陰陽五行など抽象論として軽視されがちな基礎理論はあえて詳しく書きました。医学の東西を問わず,臨床医学と基礎医学を往来しながら学習することは,臨床を深く理解することにつながると信じるからです。
 本書は系統的な知識を身につけることが目的ではありません。知識については既に日本語で出版されている良書で学んで頂ければと思います。本書は中医学の初学者にはハードルが高いかもしれませんが,パラパラと症例と解説の部分だけでも読んで頂ければ,医師の頭の中で弁証論治がどのように進行していくのかがイメージできるかと思います。その上で基礎理論,診断学,中薬学,方剤学などの教科書をご覧になれば,そこに書かれた内容を臨床の生きた知識として学習できるのではないかと思います。最後に中医学の用語,中薬学,経絡経穴の辞典類を各一冊は持っておくことをお勧めします。


令和三年一月 京都にて
篠原 明徳



『漢方診療のための中医臨床講義』凡例

 
 
凡例
 
 
●各症例提示部において弁証の鍵となる四診情報にはアンダーラインを引いた。それ以外の文中でのアンダーラインでは重要箇所を示した。
 
●全文中,重要な中医学用語は太字で示した。
 
●本書はA 症例,B 重点小括,C 小講義の3つから構成される。
 
●A 症例は以下の順で示した。(症例により西医診断として現代医学の診断,および既往歴を併記した)
 1.POINT:症例を通じて学習するポイントを示した。
 2.患者:症例患者の基本属性を示した。個人が特定され得るような情報は除外した。
 3.主訴
 4.初診:初診の年をX年とし初診の日付を記した。
 5.現病歴
 6.理学所見:身長,体重,体温など四診所見以外の身体所見を記載した。
 7.検査所見:初診時に当院で行った検体検査,あるいは患者が持参した他院における直近の検査データを記した。
 8.四診:望聞問切の各所見をこの順序で記載した。持脈軽重法を用いた脈診は表の形で記した。
   注)持脈軽重法は『難経』の五難に記載のある切脈法で,各臓ごとの
   脈位(深度)を重視している。五難では“菽”という豆の重さで表現され
   ているが,“按之至骨,擧指來疾者,腎部也”との記載から,至骨を
   15菽としてこれを五等分した深度がそれぞれの臓の基準となる深度
   としこれを0で表記している。+は基準より浮側に,-は沈側に位置し,
   それぞれの臓の陰陽の偏位を反映すると解釈している。ただし,この
   +や-といった表記の仕方は筆者が普段カルテ記載に用いている
   ものであり一般に用いられているものではない。なお,症例を読む
   前に〈小講義4 切脈法と持脈軽重法〉を一読することを推奨する。
 9.弁証
 10.論拠:弁証の根拠を解説した。
 11.治法:症例の弁証に対応した治療方法の指針を示した。
 12.処方:医療用エキス製剤はメーカー間で異なる薬物や用量があることを鑑み,メーカー名を明示した。湯液を用いた症例で,基本骨格とした方剤がある場合はその名称を付記した。
 13.経過:治療経過を記載した。
   S:subjective(主観的情報),O:objective(客観的情報),
   A:assessment(評価),P:plan(計画・治療)
 14.解説:症例の病態や治療に関して解説した。
 
●B 重点小括
 各症例の病態,用薬などに関する重要なテーマを取り上げて解説した。
 
●C 小講義
 〈重点小括〉で取り上げなかったより一般的なテーマ,特に脈診に関連する項目を中心に解説した。



2021年12月16日

『上海清零 ~上海ゼロコロナ大作戦~』はじめに

 
 
はじめに
 
 
 2020年春の上海。新型コロナウイルス感染症の感染拡大で,活気のあった上海の街もひっそりとものの見事に静まりかえりました。私も勤務先の病院が当局の要請で閉鎖してしまい診療活動が行えず,子どもの学校も長らく休校になりました。われわれの日常生活がほんの一瞬のうちにすべて変わってしまいました。1996年から上海に暮らしている私にとっても,毎日衝撃的な体験ばかりです。その間,どこにも行くことができないので,書斎にこもって,『中医養生のすすめ~病院にかかる前に~』(東洋学術出版社)を完成させました。
 
 あれから約1年経ちました。この間,中国に暮らすわれわれの「すぐに収束できるだろう」という期待に反して,新型コロナウイルス感染症が欧米をはじめとする西側先進諸国にものすごい勢いで蔓延し,しかもより強力な変異株まで次々と登場し,多くの方が命を落としました。日本でも緊急事態宣言が発せられ,一部では医療が逼迫する事態にもなりました。一方,上海での生活は2020年春以降,新規市中感染者が減少するとともに徐々に正常化し,2020年夏頃にはすっかりコロナ禍前とほぼ変わらない日常生活をおくれるようになりました。もちろん,海外からの帰国者に対しては厳しい3週間の隔離が継続され,自由な往来が制限されますが,中国国内では大きなイベントも再開され,飲食店も賑わっています。国内の旅行も再開されました。われわれ中国在住の日本人は,こうした防疫体制の変化を毎日の日常生活を通じて自ら体験してきました。
 日本の隣国である中国のコロナ対策の仕組みは,日本では一部マスメディアによって断片的に紹介されています。中国は厳しく感染者ゼロを目指して「ゼロコロナ対策」をやっていると報道されていますが,実はその全貌はほとんど知られていません。中国でも毎日海外輸入例から感染者が発生し,たまに市中感染者も発生していますが,死者がほとんど出ていないこと,ましてや隔離やワクチン接種だけでなく,中国伝統医学(中医学)を使った対策が行われていることも日本ではほとんど知られていません。
 中国は歴史的に常に感染症と闘ってきました。たとえば,中医学や日本の漢方医学を勉強すると必ず読む『傷寒雑病論』(『傷寒論』)の作者である張仲景(150?-219)一族は,200人以上の大所帯であったそうですが,建安元年(196年)以降の10年間で3分の2が死亡し,そのうち7割は「傷寒」(急性感染性疾患)による病死でした。張仲景はこの疾患で突然に亡くなった人たちを救ってあげられなかったことを悔やみ,『傷寒雑病論』を書くことを決心したと序文に記しています。2千年近く経った現代でも使われている,日本人には馴染み深い「葛根湯」や「小青竜湯」も,実はこの『傷寒雑病論』が出典で,新型コロナウイルス感染症対策で開発された清肺排毒湯をはじめとする数々の処方も,この『傷寒雑病論』の処方の影響を強く受けています。
 
 本書のタイトルの「上海清零」とは,上海市内で市中感染者がゼロになり,市全域で低リスクエリアとなって,入院患者もすべて退院し,いわゆるゼロコロナの状態が達成されたことを意味します。中国では感染者が発生したとき,常に新規感染者をゼロにするまで徹底的にPCR検査を行って隔離していくことを実行していき,ゼロが達成できたとき,「清零」と呼びます。メディアなどでこの「清零」が発表されると,これでまた日常生活に戻れる,と思えて嬉しくなります。最近では,中国各地で感染者が稀に発生しても1カ月ぐらいで「清零」が達成できることをわれわれ一般市民も実感できるようになってきました。
 世界各国が,それぞれのやり方で新型コロナ対策を行ってきています。本書では,そんななかで中国がどういった対策を行い,上海在住のわれわれ日本人がその中でどう暮らしてきたか,そして中医学がいかに活用されてきたかについて,中国で暮らしている日本人の視点から紹介しようと考えました。
 もちろん人口が14億人,日本の約25倍の国土をもつ中国のやり方を真似る必要はまったくありません。政治体制も,文化も,民族もすべてが違います。しかし,中国のやり方を知ることで,われわれの防疫対策に何らかのヒントが得られることもまた事実です。そして,本書を通じて日々変わりゆく中国の新しい一面を理解していただければ本望です。


2021年11月 上海浦東の自宅にて



2022年08月10日

『中国医学の身体論――古典から紐解く形体』まえがき

 
 
まえがき
 
 
 鍼灸師が実際の治療において遭遇するのは,それこそ頭のてっぺんから足の先までの各組織・器官の無数の症状である。それらの症状のほとんどは,さまざまな現代医学的治療が効を奏さず,鍼灸治療までたどり着いたものである。筆者自身も長い鍼灸治療の経験のなかで,数多くの症状と向き合ってきた。たとえば,毎日同じ時刻になると起こる頭皮痛,声帯には異常がないのに裏声になって会話ができない,足の爪は大丈夫なのだが手の爪だけがどれも数週間の間に爪床から剝がれてくる,何年も続くしゃっくりなどなど,例を挙げればそれこそ枚挙に暇がないほどである。
 こうした経験は鍼灸治療に携わる鍼灸師ならば多かれ少なかれ誰でももっているものである。
 どのような症状の場合も,当然,四診合参による弁証診断を行い,臓腑・気血・経絡の変動をとらえてその治療を本治とするのだが,「標本同治」の原則に立つならば,同時に各組織器官の側から症状を把握することも必要なのではないだろうか?
 たとえば,「よく物が見えない」「目がかすむ」といった眼の「目内障」の症状を扱う場合,「肝は目に開竅している」から肝の病変ととらえるのは,いささか乱暴すぎる。眼は目系を介して脳と繋がり,目系には肝経・心経・胃経が流注しているので,物がよく見えるためには,腎精から変化した髄が脳に充分に蓄えられ,また肝血・心血・胃気がおのおのの経脈を通して目系に滞りなく注がれていることが必須だからである。したがって「目内障」の場合,腎・肝・心・胃もしくはそれらの臓腑に内属している各経脈の,いずれかの臓腑もしくは何経に変動があるのかを分析しなければ,治療は成り立たない。
 結論として,各組織・器官はどのような経絡が流注し,経絡を通じてどの臓腑と関係が深いのかを各組織・器官の側からとらえる視点が必要である。
 ところが,日本で出版されている既存の中国医学書や東洋医学書のほとんどは,一般的に陰陽五行説から始まり,五臓六腑を中心に身体論を展開し,「五官」「五主」「五華」といった身体の諸組織・器官を「肝は五官では目,五主では筋,五華では爪」といった五臓六腑との関連で説明するだけであり,まして,それ以外の咽喉・前後陰・乳房など全身のさまざまな組織・器官に対してはほとんど触れることもない。これでは筆者を含め鍼灸の現場での必要性を十分に満たすことはできない。
 本書のベースになっているのは,東京医療福祉専門学校 教員養成科での筆者の授業である。これまで毎年,養成科1年生に対し,1年間をかけて「中国医学の身体論」の授業を続けてきた。鍼灸師の国家試験に向け各鍼灸学校の「東洋医学概論」が陰陽五行論でこま切れにした身体の棒暗記に終始する現状では,鍼灸師になっても中国医学にもとづいた総体的身体認識がまったくできていない。そこで教員養成科では,改めて「中国医学の身体論」を学び直してもらっている。
 本書はその授業で毎回配布してきた膨大な資料から,「気血学説」「経絡学説」「精神論」を省き,その代わりに中国医学の古典にもとづいた諸組織・器官を数多く盛り込み,引用した古典に対してはすべて現代語訳を付けた。
 本書が鍼灸の治療現場で中国医学の立場から日々治療に携わる鍼灸師・医師の方々に,いささかでも益するものがあるならば執筆の労は報われるであろう。


2021年11月
浅川 要



『中国医学の身体論――古典から紐解く形体』凡例

 
 
凡例
 
 
1.「第Ⅰ部 臓腑」の各論「五臓」の記述順は,五臓の位置の高低に従った。したがって「肺,心,肝,脾,腎」の順になっている。
2.「第Ⅰ部 臓腑」の各論「六腑」の記述は,『素問』五蔵別論篇にもとづき「胃,大腸,小腸,三焦,膀胱」の順とし,五蔵別論篇に記載されていない「胆」を最後とした。
3.「第Ⅰ部 臓腑」の各論「奇恒の腑」の記述順は,『素問』五蔵別論篇の「脳,髄,骨,脈,胆,女子胞」にもとづくが,「胆」は六腑で扱っているので,「奇恒の腑」では省略してある。
4.総論や各論のすべての末尾に「参考資料」として,中国医学古典からの引用文を付けた。
5.「参考資料」の引用文は,原文・書き下し文・現代語訳・一部語句に対する語釈からなる。
6.引用文の文末に,引用文の書名・引用した章篇を( )の中に記した。
7.「参考資料」の『素問』原文は,明・顧従徳本(底本は日本経絡学会影印本1992年版)を使用した。
8.「参考資料」の『霊枢』原文は,『霊枢』明・無名氏本(底本は日本経絡学会影印本1992年版)を使用した。
9.「参考資料」の『難経』原文は,江戸時代の多紀元胤著『黄帝八十一難経疏証』(底本は国立国会図書館所蔵139函65号)からのものを使用した。
10.「参考資料」として引用した『素問』『霊枢』『難経』以外の中国医学書の漢字表記は,常用漢字にない一部の漢字を除き,常用漢字を用いた。
11.『素問』『霊枢』『難経』の書き下し文は,東洋学術出版社刊『現代語訳◉黄帝内経素問』『現代語訳◉黄帝内経霊枢』『難経解説』におおむね準拠したが,個人的判断で一部を変えている。
12.『素問』『霊枢』『難経』以外の引用文献の書き下し文は,筆者の判断に照らして付した個人的なものである。
13.『素問』『霊枢』からの引用文の現代語訳では,『素問白話解』(山東省中医研究所研究班
篇,1963年刊)と『霊枢白話解』(陳璧琉・鄭卓人 合編,人民衛生出版社1962年刊)の中国語現代語訳をかなり踏まえている。
14.総論や各論の「参考資料」で,一部同じ引用文を使った部分があるが,総論や各論を説明するうえで必要と考え,同一の文章を引用している。
15.「参考資料」として引用した古典の語句に対する語釈などを,「語釈一覧」として本書の巻末に掲載した。配列は音読五十音順である。
16.「参考資料」として引用した文献の「引用文献目録」を,本書の巻末に掲載し,書名・書名の読み方・王朝名・西暦の刊行年・著者名・著者名の読み方を付した。配列は発行年代の古い順である。
 

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